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幼少期編

13 お嬢様のお忍び

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目が覚めたら、いつも寝ている屋根裏部屋の天井があった。体を起こそうとしたけど、脇腹の激痛で叶わない。
「…ッ!」
ぽとり、と額にのせてあった濡れタオルが膝に落ちた。まだきれいなタオルだ。…あ!
「…お嬢様?!」
そうだ、お嬢様どうなった?!デブ男…じゃなかった若様は?!
「お嬢様はご無事です。貴方が体を張ったおかげで。」
慇懃な声にビクッとして顔を向けると、ヴィクターが入ってきたところだった。つかつかとベッドまで来ると、「飲みなさい」と椀を寄越す。中身はぷ~んと刺激臭香る…薬湯。鮮やかなアオミドロ色である。うぐ。
「しばらくは安静です。あばらが折れているようです。魔力切れまで起こして…まったく。」
…あんにゃろー。幼児虐待だ。折れていると言われて意識したせいか、鈍痛に頭がぼうっとしてきた。
「早く飲みなさい。それは鎮痛薬です。」
あ、鎮痛薬なら…グイッと飲み干す。うっげぇ~苦い。

◆◆◆

後で聞いた話だ。
あのデブ男…ベイリンの若様の口の中を沸騰させた(ホントにできてびっくりだよ)ことについては、お咎めなし。本当である。ダライアスのオッサン(もうこう呼ぶ)は、ベイリン側に「お宅の馬鹿息子が、辺境(ウィリス村)を護る代官(アイザック)の嫡男(私)に瀕死の重傷を負わせた」と苦情を言ったらしい。いろいろ話を盛ってあるのがわかるね。建前上の貴族位でも、貴族に手を出すのは王国への反逆にあたるのだとか。というか、あのオッサンは、最初から貴族もどきの私を当たり屋にするつもりであの場に送りこんだという。やってくれるよ、もう。ベイリン側がどうなったのかはわからないけど、お嬢様は無事で、相手からいちゃもんもなく丸く収まったからよかったんだと。私にご褒美?ないよそんなの。強いて言えば治療費負担してくれたくらい?でも全治二ヶ月だよ?まったく酷い話だ。

◆◆◆

季節は初夏を迎えようとしている。やっと怪我が治った私は、またセドリックの助手をしながらお嬢様と勉強する許可を貰えた。久しぶりに会ったお嬢様は、どこかぼーっとしていた。聞けばあの若様が暴れてからこんな調子らしい。ショックだったんだろうね~。お嬢様って箱入りだし?いきなり暴力に晒されたわけだから。
そんなお嬢様が、突然街へ行きたいと言いだした。私に。なんでさ。
「うーん……気晴らし?」
どこかふて腐れたような投げやりな口調で言うお嬢様。これは誰か――ヴィクターかダライアスあたりに叱られたっぽい。
「わかった。」
少し考えた後、私はその『お願い』に応じることにした。

◆◆◆

「…というわけで、ついてきてよ。」
私の監視役のゴリマッチョが一人きりの時を狙い、あくまでもお嬢様のご希望で街に行くと交渉して丸めこんだ。子供だけで行くと思った?まさか。そんな命知らずなことしないよ。まあ…子供が徒歩で行く時点で、危険ではある。引率者の中身がアラサーの大人だからできることだ。
お嬢様はすっかり浮かれて、またまたフリフリ&ヒラヒラのドレスでばっちりおめかししていた。……うん。お嬢様はお嬢様だ。懲りてない。
一応ゴリマッチョの護衛が一緒ということで、門番さんも不審な顔をしつつも外に出してくれた。さ、どこへ行こうか。


実は私、街の地図はだいたい頭に入っている。ここへ来たとき、アイザックに頼んで道を教えてもらったのと、後はセドリックにくっついて街の主だったところを見て回ったからだ。慣れてからは、貯めたお小遣いを握って一人で街に行ったことも何度かある。所詮五歳児なので、大して遠くへは行けないけどね。


お嬢様、ワクワクしているけれど、このお忍びツアーはそんなに生易しいものじゃないよ?

まず向かったのはメインストリート。歩行者も騎乗者も馬車もみんな一緒くたで混雑するカオスな通りだ。私はゴリマッチョのおじさんに手を繋いでくれとお願いした。
「今からここを横断します。」
ミッションその1、メインストリートを渡ろう!
「しっかり手を繋いで絶対放さないように。迷子になっても捜せませんよ。」
ゴリマッチョの護衛もしっかりと頷く。お嬢様はおどおどしながらも、ごつい手をキュッと握った。いざ、出陣!


結果。
お嬢様はヨレヨレになった。

当然だ。人の流れをかき分けて渡ったのだ。もみくちゃにされたし、背の低い私は時折誰かに蹴られたりしたし。ほぼ同じ目にあったお嬢様は、渡りきった時には足元がフラフラだった。ちなみに、私は一人で外に出るときはここを通らない。ちゃんと裏道を通るよ。死にたくないもん。
ひと息ついて、ぽぉーっと渡ったばかりのメインストリートを眺めるお嬢様。今その目の前を、大きな荷馬車が通行中だ。
「あんなのにぶつかられたらひとたまりもありませんわ。」
ふるりと身を震わせ、そんなことをおっしゃった。
「いますよ。ぶつかる人。」
「え?」
「たぶん…毎年何人も死んでます。ね?」
ゴリマッチョのおじさんを見上げると、難しい顔で頷き返してくれた。お嬢様は目を見開いて、また通りに目をやる。
「どうして…?」
「対策しないからだよ。じゃ、移動しますよ。」
「え?え?」
戸惑うお嬢様を連れて次にやってきたのは、市場。てくてく歩いて、メエメエと騒がしい一角にやってきた。家畜売り場である。柵に囲まれた中に羊たちがひしめいている。
「お嬢様が日頃召し上がっておられるお肉は、ここで買われているんです。ちなみに、ベイリンから来た羊ですよ。」
ご存知でしたか?と尋ねると、お嬢様はふるふると首を横に振った。ちなみに、ベイリンは家畜を主に売りに来ている。羊の他にもガチョウとか、牛とか。一応、ウィリスの森でも狩りはするし、獲物の肉や毛皮をここに売りに来たりはするようだけど、不定期だし、獣肉ジビエはあまりメジャーではないようだ。
「もし、ベイリンとの関係が悪くなったら、どうなると思いますか?」
「…何が言いたいの、サイラス。」
私の問いかけにムスッと返すお嬢様。お嬢様にとって、ベイリン=若様っぽいからなぁ。あんまりいい気分じゃないんだろう。
「俺は貴女に考えて欲しいんです。一人の貴族として…人の上に立つ者として。」
「……。」
ムスッとした顔のまま、押し黙るお嬢様。
「……お肉が、食べられなくなる?」
ややあってそんなことを呟かれた。お嬢様の歳なら及第点かな。
「お肉の値段が上がります。ベイリン以外―遠くから運んでくると輸送費がかかるからです。値段が上がったら、高くてお肉を買えない=食べられない人も増えるでしょうね。」
「……そう。」
他の商品を扱う店も見て回る。すると、妙な光景にであった。荷馬車が何台か行列している先で、商人と思しき男達が麻袋にせっせと何かを詰めていた。
「あれは何をしていますの?」
「…詰めてるもの、どう見てもおがくずだよな?なんでそんなものを…」
「荷の誤魔化しでさぁ。」
野太い声にギョッとして振り返ると、ゴリマッチョのおじさんが腕を組んでその様子を睨んでいた。
(……喋った。)
「ああやって嵩増しした上に、売れ残りの商品のせて、税を安くしようと企んどる。」
「あー。なるほどね。」
モルゲンでは、外からやってきた商人にも税金を課す。街に入る時に荷と目録の確認をし、街を出る時に再度荷と目録の確認をする。要はどれだけ売ったか、買ったかによって税額を決めているのだ。当然、多く売買すればそれだけ多くの税がかけられるので、目の前にいる彼らはおが屑で嵩増ししたニセの荷を作って「たくさん売れ残ったから、税を安くね」とやろうとしているのだ。
「こ、こんなに堂々と?」
目を見開くお嬢様。衝撃の光景だったようだ。
「処罰されませんの?」
「バレて罰金喰らう奴らもいまさぁ。」
「けど、すり抜ける奴もいる。いたちごっこなんだよね?こういうの。」
私の言葉にゴリマッチョのおじさんは苦笑して頷いた。
「ですけど、これは犯罪ですわ。なんとかならないのでしょうか。」
呑気に話す私たちに目を剥くお嬢様。やっとその言葉が出たね。
「それを考えるのが、お嬢様たち人の上に立つ貴族の仕事だよ。ズルによる不公平を作っちゃいけないし、許してもいけない。」
もう一度、誤魔化しに精を出す商人たちを見やる。
「今、男爵令嬢の私があの人たちにダメだと言えばいいのかしら。」
ていよく丸めこまれて終わり。」
「じゃあサイラスが行くのは?」
「殴られて終わり。」
「ええっ?!」
びっくりするお嬢様。なんでそこで驚くよ。平民の、身の程もわきまえない子供の扱いなんてそんなものだよ。フツー。
「そういうものだよ。俺、平民だし。」
苦笑交じりに言うと、お嬢様は困ったような顔で私を見た。「他へ行こう、」と、今度は賑やかな声が聞こえる方へ連れて行く。
「いらっしゃい、いらっしゃい!」
「さあさあ、そこの綺麗なお嬢さん!特別に安くしてあげるよ!」
ドレスを着たお嬢様に売り子の子供たちが色めきたつ。
「うちの野菜はマルシェいち新鮮だよ!おいしいよっ!」
「串焼き、串焼き!なんたってこのソース!食べていかなきゃ損だよー!」
売り子は、お嬢様と同じくらいか私みたいな子供。その子たちが声を張りあげ、巧みなセールストークで客に物を買わせてゆく。
「いつもありがとうね!特別価格だよ!」
小さな男の子が、大の大人を相手に立派に商売をやっている。
「あの子たちは、お嬢様みたいに勉強を教えてもらえるわけじゃない。教師を雇うお金なんてないからね。でも、計算は絶対間違えないし、お嬢様くらいなら簡単に丸め込める話術がある。全部自力で身につけるんだよ。」
釘付けになるお嬢様に私は言った。
「ねえ、お嬢様。勉強は、知識は力なんだよ。それが何であれ、ね。」
計算力も、売り文句のバリエーションも、お客さんの顔をどれくらい覚えられるかだって、ある種の『知識』だし。子供のやっていることだからって馬鹿にできない。同じ事を同じレベルでやろうとしてごらん?
飛び交う値段交渉のやりとりを聞いていたお嬢様は、計算が追いつかなくてヘコんでいらした。

◆◆◆

それから。少し疲れただろうと、私はお嬢様を促して、市場の片隅に一緒に腰を下ろした。
「こんなことわざがあるんだけどさ。『智者のペンより恐ろしい剣はない』」
「え…?」
「叡智は暴力に勝る。ざっくり言うとね。」
「そんなの…嘘っぱちですわ。」
ばっさり切り捨てるお嬢様。お嬢様なりに知恵を働かせて若様をあしらっていたのに、突然暴力振るわれたからな。いきなり、叡智は暴力より強いんだ、って言われてもね。
「無法地帯では暴力の方が強いよ。じゃあペンが剣より強くなるには、どうすれば良いと思う?」
お嬢様の眉間に皺が寄った。そんな顔すると父親そっくりだね。
「……わかんない。」
「暴力振るった奴を命令書にサインするだけで牢屋にぶち込める法を作ればいい。法をちらつかせて脅せば、暴力で解決しようとする奴の大半は諦める。文字通り、命令書にサインするペンが、剣より強いだろ?」
私の説明にお嬢様は顔をしかめた。
「そんなの…いくら命令書を書いたって、王様でもないのに、怖い人達に言うことを聞かせられるわけないじゃない。」
ふふ。なかなか言うじゃん、お嬢様ったら。
「ああ。だから、命令書に力を持たせるために、磐石な統治体制が必要だな。」
そう。あまり知られていないけど、この諺には『優れた統治の下』という前提条件がつくのだ。お嬢様はさらに言い募る。
「それに…相手はベイリンの貴族だもの。お父様と対等な相手なのよ。」
非現実的よ、と口をとがらせた。
「ん。だから、相手が男爵だろうが国王だろうが、暴力振るうと痛い目を見る領にするのさ。」
「そんなの無理よ。暴論だわ。」
「はは。確かに極論だ。」
からからと笑って。
「けど、本当にそういう夢のような仕組みが作れたら、最強だと思わないか?」
別にあからさまな法じゃなくたっていい。身分を振りかざす奴の行動を制限できればいいのだから。
「暴力を押さえ込む仕組みを作るには、暴力を振るう奴らを出し抜く叡智が必要。磐石な統治体制を敷くのだって、バカ殿にはできないでしょ?結局、そこに戻ってくる。」
お嬢様はむっつりと俯いて、ぎゅうっドレスのスカートを握った。
「あなたも、勉強しなさいって、言うのね。」
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