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CHAPTER.6 無邪気な鳥の子色(ムジャキナトリノコイロ)【天体衝突6週間前(雨水)】
§ 6ー5 2月19日 白き両翼
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--神奈川県・横浜市近郊--
フフフフーン、フフフ、フフ~♪
冷たい小雨が降る帰り道。2人傘を差し、彩は機嫌良さそうに鼻歌を奏でる。「看護士さんたちに『かわいいね』って言われちゃった♪」と言われたのもあるが、腕に傷がないのが一番の理由だろう。きっと、彩のお母さんは今日は穏やかな表情をしていたに違いない。
彩のお母さんの病室には今はついていかない。彩にそうしてほしいと言われたからだ。待っているときによく顔を合わせる看護士(上原夏生)の夏生さんに話を聞いたが、どうやら彩はその日1日にあった事をお母さんに報告してるらしい。「キミの名前もよく出てくるよ、颯太くん♪」と言われた時は、流石に照れ臭くなった。
薄雲が広がる空の端が茜色に染まり出す。白髪を束ねた黒猫のバレッタ。鼻歌を口ずさむ唇は昨日よりも瑞々しく潤っている気がした。
様子が変わったのは、彩の中で何かを変えたかったからなのだろう。世界が終焉に近づいているのに、いや、だからなのか前向きに生きようとしている。
おれはどうだろう? 決心はしたものの、今は前向きに生きれてるだろうか。彩といる時間は増えた。けど、それだけじゃないだろうか?
「ねぇ、どうしたの?」こちらを覗き込む彩。
「え、いや、別に」咄嗟に誤魔化す。
「ふーん。あ! ねぇ、颯太。昔の約束覚えてる?」
「約束? んー……、あ! あれだ。野良猫のシロを先に捕まえたほうが、なんでも言うことを聞くってやつだ」
「違うよー。だいたいシロは近所の稲垣さんのお婆さんの飼い猫だったじゃん」
「あれ、そうだったっけ? んー……、他に約束かぁー」
「はい、時間切れぇー! 颯太は記憶力がないなー。ほら、私が歌って颯太がギターで伴奏してくれるって約束したじゃん。針千本飲んでもらうからね!」
ハッとする。なんでそんな大事なことを忘れていたのだろう。それはギターを弾く、音楽を始めるきっかけ。『今』ばかり追いかけて『過去』を置いてけぼりにしていたことに気づく。
過去の積み重ねが今なのに。
♦ ♦ ♦ ♦
小学6年のときにした彩との約束。ついムキになって交わした約束だったが、それが音楽を始めたきっかけだった。
最初の目標は親父。多趣味な親父だが、何事も飲み込みが早く、大体のことは一週間ものめり込めば基本をマスターしてしまう。そんな親父に教えを請うと、指先が痛かろうができるまで続けさせるスパルタ指導で徐々にギターを弾けるようになっていった。
そのうち、生の音をふさわしい場所で聞こう、とライブハウスに連れて行かれた。地下の薄暗い狭い空間に人が群がり、曲が始まるや否や熱狂的な歓声が上がる。耳で、鼻で、目で、肌で感じる音楽は、こんなにも心が沸き立つものなのかと衝撃を受けた。それからはますます音楽にのめり込み、自分もバンドを組んでライブをしてみたいと思った。
…………
俺たちが高校1年の時、彩が交通事故にあった。おじさんが亡くなり、おばさんも彩も入院した。それは、それまで生きてきた中で一番辛い経験だった。幸い、彩はそれほど酷い怪我でなかったことに、心からホッとした。
彩は退院してからもどこか様子がおかしかった。しかし、颯太は彼女の力になる事ができなかった。音楽にも集中できず、中途半端な日々。
そんなとき、彩の心を治し、前向きにさせたのは学校に来ていたスクールカウンセラーの宮橋圭太という20代の男だった。彼とのカウンセリングを重ねる度に、彩が前向きになっていく。そんな姿を脇で見る度、自分の無力さを思い知らされた。ふさぎ込んでいる彩にかける言葉が思いつかなかった。何もしてあげることができなかった。そんな自分が情けなくてしょうがなかった。
だから思った。彩の力になれているカウンセラーの彼のように、自分もカウンセラーになればよいと。それからだ。心理学に興味を持つようになったのは。
ギターも心理学も、彩がいたから。喫茶ル・シャ・ブランを紹介したのも、成城紗良とのことも……。
紗良さんと別れてから解かったこと。それは、『本当に向き合う』ということ。
男と女、恋愛関係。それがどんなものか知らなかったから、颯太はただ知りたかった。付き合うということ、恋人になるということを。
小学・中学時代に周りから彩との仲を揶揄われたときから、心の何処かに芽生えていた気持ち。それはあの日、彩の部屋で雪のように白い髪に変わった姿を見たときに、芽吹き蕾をつけた。でも、蕾が開くことを恐れた。まだ何者にもなれていない自分が彩と恋仲になってもきっと上手くいかないと。だから、知りたかったのだ。恋愛関係というものを。そんなときに紗良さんから向けられた好意に飛びついてしまった。
だからといって、紗良さんといい加減に付き合っていたわけではない。彼氏として、真剣に向き合っていた。いたつもりだった。心の奥には彩がいて『彩とならどうだろう』『彩ならこうしたら喜ぶかな』と無意識に考えていたことはあった。それで、本当に紗良さんと向き合えていたのか。今ではそれが別れた理由だと思っている。
今。今だから、今の彩と本気で向き合いたい。彼女の『今』に共にありたい。今現在の自分を形作っているのは、間違いなく過去から今に至る彼女だから。
だから、今。動くんだ!
♦ ♦ ♦ ♦
茜色が広がる空は、何かを察したのか泣くのをやめていた。雲の切れ目から溢れる陽光。きっと、この時のための決心と約束だったのだと覚悟を後押しする。
「雨止んだね~」
「そうだな……」
傘を畳む彩を見て、足を止めて颯太も傘を畳む。スー、ハー、と助走のための深い呼吸を1つする。彩が振り返る。
「どうしたの?」
「あのさ、彩……。約束、守らせてくれないかな?」
「ん? 約束って?」
「さっき言ってた約束のこと。彩が歌って、オレがギターで伴奏するっていう約束だよ」
「えっ、……これから?」
「いや、そのための曲も場所も用意する。だから、一緒にやらないか! パンドラが衝突して、結果、世界が終わってしまうなら、約束を果たせるのは今しかないから!」
雲間から夕日が差し込む。その光のスポットライトの中、彩は空を見上げた。白い髪はほんのり熱を帯びて煌めいている。光の中、首を傾げてこちらを見るその瞳は、虹彩の1つ1つまで解るほどの鮮明さを宿していた。
「……急に真剣な顔するから何かと思ったよ。そっかぁ。そんな改まった感じでやるんだ。なんか緊張しちゃうけど、うん、いいよ。約束だもんね、やろうよ、颯太♪」
キラキラしている。雨上がりの茜色は、水の雫に光が乱反射する。その光がすべて一点に集まって、色を失った彩を彩っていた。
このとき解かったんだ。
ただ彩のことが好きだったんだ、てね。
…………
畳まれた傘を、プラン、プラン、と揺らしながら、夕闇の駅のホームで電車を待つ。彩の白く透き通る髪は闇の中でこそ映える。
「ねぇ、颯太。私たち2人で歌うなら、ユニットの名前をつけなきゃだよ」
「名前? あー、そうだよな。考えてなかった」
「そういうところは昔から変わらないんだからー。ちゃんとしてくれるんじゃないのー?」
彩はにやけ顔でこちらを覗き込む。かわいい。
「えーっと、わかった、わかったよ。ちゃんと考えるから」
「うん、よろしくね♪」
どんな名前にしようか? とりあえず、思いつくものを連想してみる。
彩・笑顔・白・光・闇・星・歌・音楽・ギター・黒い翼・パンドラ・家族・父・母・凛・男・女・彼氏・彼女……
黒や暗いものは無しだ。今の彩に似合わない。似合うのは『白』。彩には自由に空を舞える鳥のような、いや、さっきの彩だと天使になるかな。天使? 輪っか? 輪っかはなんか死者を想起させるな……。ダメだな。となると『翼』。天使の白い二翼。白い両翼……
「白い2つの翼。白い両翼っていうのはどう?」
「白い翼かぁ。ブランって、ル・シャ・ブランの『ブラン』と同じなの?」
「そうだよ。『ル・シャ・ブラン』は『白い猫』って意味だからね」
「そっかぁ。うーん……、なんかいいかも♪ 颯太は厨二病だから不安だったけどね」
「厨二病言うな! でも、気に入ったなら、この名前にしよっか?」
「うん♪ 私たち2人で白い両翼だね」
フフフフーン、フフフ、フフ~♪
冷たい小雨が降る帰り道。2人傘を差し、彩は機嫌良さそうに鼻歌を奏でる。「看護士さんたちに『かわいいね』って言われちゃった♪」と言われたのもあるが、腕に傷がないのが一番の理由だろう。きっと、彩のお母さんは今日は穏やかな表情をしていたに違いない。
彩のお母さんの病室には今はついていかない。彩にそうしてほしいと言われたからだ。待っているときによく顔を合わせる看護士(上原夏生)の夏生さんに話を聞いたが、どうやら彩はその日1日にあった事をお母さんに報告してるらしい。「キミの名前もよく出てくるよ、颯太くん♪」と言われた時は、流石に照れ臭くなった。
薄雲が広がる空の端が茜色に染まり出す。白髪を束ねた黒猫のバレッタ。鼻歌を口ずさむ唇は昨日よりも瑞々しく潤っている気がした。
様子が変わったのは、彩の中で何かを変えたかったからなのだろう。世界が終焉に近づいているのに、いや、だからなのか前向きに生きようとしている。
おれはどうだろう? 決心はしたものの、今は前向きに生きれてるだろうか。彩といる時間は増えた。けど、それだけじゃないだろうか?
「ねぇ、どうしたの?」こちらを覗き込む彩。
「え、いや、別に」咄嗟に誤魔化す。
「ふーん。あ! ねぇ、颯太。昔の約束覚えてる?」
「約束? んー……、あ! あれだ。野良猫のシロを先に捕まえたほうが、なんでも言うことを聞くってやつだ」
「違うよー。だいたいシロは近所の稲垣さんのお婆さんの飼い猫だったじゃん」
「あれ、そうだったっけ? んー……、他に約束かぁー」
「はい、時間切れぇー! 颯太は記憶力がないなー。ほら、私が歌って颯太がギターで伴奏してくれるって約束したじゃん。針千本飲んでもらうからね!」
ハッとする。なんでそんな大事なことを忘れていたのだろう。それはギターを弾く、音楽を始めるきっかけ。『今』ばかり追いかけて『過去』を置いてけぼりにしていたことに気づく。
過去の積み重ねが今なのに。
♦ ♦ ♦ ♦
小学6年のときにした彩との約束。ついムキになって交わした約束だったが、それが音楽を始めたきっかけだった。
最初の目標は親父。多趣味な親父だが、何事も飲み込みが早く、大体のことは一週間ものめり込めば基本をマスターしてしまう。そんな親父に教えを請うと、指先が痛かろうができるまで続けさせるスパルタ指導で徐々にギターを弾けるようになっていった。
そのうち、生の音をふさわしい場所で聞こう、とライブハウスに連れて行かれた。地下の薄暗い狭い空間に人が群がり、曲が始まるや否や熱狂的な歓声が上がる。耳で、鼻で、目で、肌で感じる音楽は、こんなにも心が沸き立つものなのかと衝撃を受けた。それからはますます音楽にのめり込み、自分もバンドを組んでライブをしてみたいと思った。
…………
俺たちが高校1年の時、彩が交通事故にあった。おじさんが亡くなり、おばさんも彩も入院した。それは、それまで生きてきた中で一番辛い経験だった。幸い、彩はそれほど酷い怪我でなかったことに、心からホッとした。
彩は退院してからもどこか様子がおかしかった。しかし、颯太は彼女の力になる事ができなかった。音楽にも集中できず、中途半端な日々。
そんなとき、彩の心を治し、前向きにさせたのは学校に来ていたスクールカウンセラーの宮橋圭太という20代の男だった。彼とのカウンセリングを重ねる度に、彩が前向きになっていく。そんな姿を脇で見る度、自分の無力さを思い知らされた。ふさぎ込んでいる彩にかける言葉が思いつかなかった。何もしてあげることができなかった。そんな自分が情けなくてしょうがなかった。
だから思った。彩の力になれているカウンセラーの彼のように、自分もカウンセラーになればよいと。それからだ。心理学に興味を持つようになったのは。
ギターも心理学も、彩がいたから。喫茶ル・シャ・ブランを紹介したのも、成城紗良とのことも……。
紗良さんと別れてから解かったこと。それは、『本当に向き合う』ということ。
男と女、恋愛関係。それがどんなものか知らなかったから、颯太はただ知りたかった。付き合うということ、恋人になるということを。
小学・中学時代に周りから彩との仲を揶揄われたときから、心の何処かに芽生えていた気持ち。それはあの日、彩の部屋で雪のように白い髪に変わった姿を見たときに、芽吹き蕾をつけた。でも、蕾が開くことを恐れた。まだ何者にもなれていない自分が彩と恋仲になってもきっと上手くいかないと。だから、知りたかったのだ。恋愛関係というものを。そんなときに紗良さんから向けられた好意に飛びついてしまった。
だからといって、紗良さんといい加減に付き合っていたわけではない。彼氏として、真剣に向き合っていた。いたつもりだった。心の奥には彩がいて『彩とならどうだろう』『彩ならこうしたら喜ぶかな』と無意識に考えていたことはあった。それで、本当に紗良さんと向き合えていたのか。今ではそれが別れた理由だと思っている。
今。今だから、今の彩と本気で向き合いたい。彼女の『今』に共にありたい。今現在の自分を形作っているのは、間違いなく過去から今に至る彼女だから。
だから、今。動くんだ!
♦ ♦ ♦ ♦
茜色が広がる空は、何かを察したのか泣くのをやめていた。雲の切れ目から溢れる陽光。きっと、この時のための決心と約束だったのだと覚悟を後押しする。
「雨止んだね~」
「そうだな……」
傘を畳む彩を見て、足を止めて颯太も傘を畳む。スー、ハー、と助走のための深い呼吸を1つする。彩が振り返る。
「どうしたの?」
「あのさ、彩……。約束、守らせてくれないかな?」
「ん? 約束って?」
「さっき言ってた約束のこと。彩が歌って、オレがギターで伴奏するっていう約束だよ」
「えっ、……これから?」
「いや、そのための曲も場所も用意する。だから、一緒にやらないか! パンドラが衝突して、結果、世界が終わってしまうなら、約束を果たせるのは今しかないから!」
雲間から夕日が差し込む。その光のスポットライトの中、彩は空を見上げた。白い髪はほんのり熱を帯びて煌めいている。光の中、首を傾げてこちらを見るその瞳は、虹彩の1つ1つまで解るほどの鮮明さを宿していた。
「……急に真剣な顔するから何かと思ったよ。そっかぁ。そんな改まった感じでやるんだ。なんか緊張しちゃうけど、うん、いいよ。約束だもんね、やろうよ、颯太♪」
キラキラしている。雨上がりの茜色は、水の雫に光が乱反射する。その光がすべて一点に集まって、色を失った彩を彩っていた。
このとき解かったんだ。
ただ彩のことが好きだったんだ、てね。
…………
畳まれた傘を、プラン、プラン、と揺らしながら、夕闇の駅のホームで電車を待つ。彩の白く透き通る髪は闇の中でこそ映える。
「ねぇ、颯太。私たち2人で歌うなら、ユニットの名前をつけなきゃだよ」
「名前? あー、そうだよな。考えてなかった」
「そういうところは昔から変わらないんだからー。ちゃんとしてくれるんじゃないのー?」
彩はにやけ顔でこちらを覗き込む。かわいい。
「えーっと、わかった、わかったよ。ちゃんと考えるから」
「うん、よろしくね♪」
どんな名前にしようか? とりあえず、思いつくものを連想してみる。
彩・笑顔・白・光・闇・星・歌・音楽・ギター・黒い翼・パンドラ・家族・父・母・凛・男・女・彼氏・彼女……
黒や暗いものは無しだ。今の彩に似合わない。似合うのは『白』。彩には自由に空を舞える鳥のような、いや、さっきの彩だと天使になるかな。天使? 輪っか? 輪っかはなんか死者を想起させるな……。ダメだな。となると『翼』。天使の白い二翼。白い両翼……
「白い2つの翼。白い両翼っていうのはどう?」
「白い翼かぁ。ブランって、ル・シャ・ブランの『ブラン』と同じなの?」
「そうだよ。『ル・シャ・ブラン』は『白い猫』って意味だからね」
「そっかぁ。うーん……、なんかいいかも♪ 颯太は厨二病だから不安だったけどね」
「厨二病言うな! でも、気に入ったなら、この名前にしよっか?」
「うん♪ 私たち2人で白い両翼だね」
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