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CHAPTER.5 蒙昧な透明(モウマイナトウメイ)

§ 5ー3  惑星ラクト③  白き女王②

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--ルベリエ上空・宇宙ステーション--


「ハァ……ハァ……、ねぇ、ソルト。このスピード、ハァ、ちょっと速すぎない?」

「ハァ、別に無理におれの速さに合わせなくていいから」

「ハァ……、まだ平気だけどね。ハァ、ハァ、私だって運動はいつも、してるんだから。ハァ、ハァ」

 朝のトレーニングルーム。ランニングマシーンで汗をかく2人。咄嗟とっさに出た口約束どおりに彼はトレーニングに付き合ってくれている。
 変調へんちょう波送信アンテナパネルの設置は1日で終わり、翌日には情報を乗せた電波の送信が始まった。それから一週間。電波送信を繰り返し、アディアからの何かしらのリアクションがあるまで続ける予定だ。

 …………

 あの日、ブリーフィングが行われた後、何も言わずに立ち去ろうとする彼を「ソルト!」と名を呼び引き留めた。近くに寄ると、すっかり私よりも身長が高くなった彼に少し緊張する。

「アイサ、久しぶりだね」声変わりした声はすっかり大人だった。

「ソルト……。やっとあなたに会えた」どうしても涙がこぼれそうになる。

「おれのこと、覚えてるとは思わなかったよ」柔らかい目は変わらない。

「あなただって、私のこと、覚えてたじゃない」昔のように言葉を返す。

「まさか、こんなところで会えると思わなかった。随分ずいぶんと大人になってたから最初、アイサとは分からなかったよ」

「それは私のセリフよ。設備技士になってたなんて知らなかった。それに、大人になったっていうならそれはあなたのほうよ。すっかり私より身長高くなってて、驚いちゃった」

 私が口を緩ませると、彼も優しく微笑んだ。

「「…………」」

 言葉が出てこない。何を言えばいい? 何を聞けばいい? 知りたいことはたくさんあるのに、何から言葉にすればよいのか選択ができない。「おい、ソルト!」遠くから彼の同僚が呼ぶ声が響く。

「……それじゃ、アイサ。そろそろ行くよ」待って! まだダメ!

「……ソルト!」

「ん?」

「朝、私トレーニングルームにいるから、一緒に……」咄嗟とっさに口にした言葉が無防備なものであると気づき、途中で口籠くちごもってしまった。

「……そっか。分かったよ、アイサ。時間が合えば、朝行くよ」

「……うん」顔が熱い。ただ恥ずかしい。でも、嬉しかった。

 …………

 それから一週間。トレーニングルームで彼と一緒に過ごすようになった。彼は昔に比べると口数も少なくなったように感じたが、それは会わなかった期間によるわだかまりで、時間が経てば解消されるだろうと楽観視していた。実際、日に日にしゃべる言葉遣いもくだけてきていて、思ったことを素直に言うようになっていた。運動しながらというのも、作用したのかもしれない。

 ソルトと離れていた時間の溝。私はめられると確信していた。何の根拠もないけど、燦燦さんさんと降りそそぐ太陽の光は祝福してくれているのだ。昔のようなに戻れると……



   ♦   ♦   ♦   ♦



--ルベリエ・第18居住区カフェ・スヴニール--


 電波によるコンタクトは1カ月実施された。変調の強弱や伝播でんぱんさせる情報をいろいろ変えて試してみたが、アディアからの返事はなく計画は失敗した。観測団は一部を残し、2カ月近くに及んだプロジェクトは頓挫とんざし地下コロニーに戻ってくることになった。
 観測団の調査レポートでは【対象惑星の科学水準がラクトの科学力とかけ離れていることの乖離かいりによるもの】と結論づけられた。
 この結論は、増え続ける対象惑星アディアへの移住派を勢いづかせることになる。彼らの具体的な訴えは600年前の宇宙航海用の技術を用いて、移送船を製造しろというもの。アディアには何十億の人類がいることは観測結果から周知の事実と知られている。要は、その人類たちから星を奪おうというのだ。
 苦しんできた自分たちにはその権利がある、その主張に同調する者がいても仕方のないことだろう。

 観測団が戻って1カ月ほどが過ぎたころ、対象惑星アディアからこちらに向けて飛来するを観測した。電波によるコンタクトの成果として何かしらの効果があったとし、移住派の訴えは沈静化することになる。飛来するが到達するまで様子をみようと。

 反転転送から6カ月。

 私はルベリエの研究施設でラクトの軌道修正理論の草案をまとめていた。ラクトの3重電磁膜に磁場を発生させ、自転の速度をゆるめることで軌道を変えるというものだ。もとはおじいちゃんが発案したものを、私が調整したものに過ぎない。
 何もしなければ正と反の物質は衝突して対消滅を起こす。針の穴ほどの誤算も許されない理論にしなければならない。それ故に私は研究と理論の構築で日々を忙しく過ごしていた。

 …………

 変わってないな……。草臥くたびれたベンチも、子供たちが集まる駄菓子屋も、近道になる路地裏も、猫のたまり場になっている公園も、あれもこれも懐かしい。子供の頃に過ごした区画。ソルトとよく遊び回っていたな。彼を連れ回していたからか、思い出すのは振り向くと後ろにいる少年の頃の彼の姿ばかりだ。

 待ち合わせのカフェも昔のままだった。街角の1階に昔のままの姿で営業しているお店は、彼とも、おじいちゃんとも来たことがある。そのとき飲んだ甘い果物のジュースは本当に美味しかった。店に入り、席に座って手に取ったメニューには同じジュースが残っていた。早めに着いたこともあり、懐かしさのあまりにそのジュースを注文する。運ばれてきたジュースは見た目も味も昔のままだった。

 窓の外をふと見ると通りの向こうに彼の姿があった。少し厚めのコートを棚引たなびかせる彼。姿を見るのは宇宙ステーション以来だから3カ月ぶりだ。ボサボサに伸びた髪は変わっていない。

 つとめている整備公社の急用で地下に降りる、とメッセージであったので、それなら久しぶりに昔住んでいた地区に行ってみない? と誘ったのは私だった。【そうだね】とぶっきらぼうな返事だったけど、私はただ彼に会えることが嬉しかった。

 カランカランとドアが開き、入ってきた彼に「ここよ」と手を振る。伸びた前髪の間から見える目はそれをとらえ、分厚い靴底をタンタンと鳴らして歩み寄ってくる。

「やぁ」手を軽く上げる彼。

「やぁ」ミラーリングで、わざと同じ振る舞いをして返す。

 コートを椅子の背もたれに掛けて腰を落とすと、彼はテーブルに目を落とす。

「懐かしいな、そのジュース。まだあるんだね」

「ホントよね。懐かしくて、つい頼んじゃったわ」

「じゃぁ、おれも同じのにするよ」

 早速手をげ「彼女と同じのを」と注文する。

 懐かしい昔の話から始まる。

 ソルトが転んでアイスを落として泣いちゃったこと。
 猫に餌をあげて近所のおばさんに一緒に怒られたこと。
 パン屋で買った菓子パンをベンチで半分こして食べたこと。

「そんなこともあったね」と相槌あいづちを打つ彼。気づけば私ばかりしゃべっていて、頼んだジュースが空になっていた。何か注文しようかと思ったときに店のドアがカランカランと鳴り、知った顔が入ってきた。マリウスだった。

「アイサ!」高まった感情の声。速足で席に近づいてくる。

「これはどういうことなんだい、アイサ!」穏やかではない目をしている。視線は私からソルトに向く。

「あなたは?」たずねるマリウスに「彼は私の友人よ」と代わりに答える。

「ソルト=ライバースです」会釈えしゃくをする彼。

「ぼくはマリウス=ボーネサリア。彼女の婚約者だ」会釈はしない。

 浮気と取られてもしょうがない。彼に会うことはマリウスには言ってなかったから。それに、今は薬指に赤い輝きはない。実際に、プロポーズの返事を伸ばし伸ばしにしている本当の理由も彼なのだから。でも、婚約している事実を彼には言って欲しくなかった。

「誤解しないでください、ボーネサリアさん。おれはただの彼女の昔の知人なだけですよ。でも、確かに婚約者がいるのに2人で彼女に会うのは不謹慎でした」会釈に続いて、謝罪に頭を下げる彼。彼は何も悪くない。私が悪いのに……。

「そうだったんですね、ライバースさん。こちらも彼女の知人のあなたに失礼な物言いをしてすいませんでした。でも、あなたが言うように婚約している女性と2人で過ごすのは不審をまねくかもしれませんので、ひかえてもらえると助かります」マリウスは言葉を選んで、彼に釘を刺す。

「おっしゃる通りです、すいませんでした」席を立ち、コートを脇にかかえる。彼は今一度マリウスに頭を下げ、歩き出す。こちらを見ずに店のドアを開けて彼は出て行ってしまった。

 私は何も出来ず状況を見守ることしかできなかった。唐突な人生の選択を突き付けられる。

 彼を追うか。ここに残るか。

 大切な場面は何気ないときに急に顔を表す。それを気づける人はどれぐらいいるだろう。後悔しない選択肢を選べる人はどれだけいるのだろう。


 私は選択を間違えた。このとき、選択をしなかったから。



   ♦   ♦   ♦   ♦



--ルベリエ上空・宇宙ステーション--


 私はどうしたいのだろう?

 宇宙ステーションを燦燦さんさんと照らす太陽を見つめる。太陽光が指の宝石に当たり、赤く輝いている。

 あれから1カ月。アディアから飛来するそなえて送られた調査団の一員として今は宇宙ステーションに上がっていた。

 マリウスとはあれ以来、関係が冷ややかになってしまっていた。私のせいなのだから仕方がない。ソルトが作った去りぎわのストーリーに乗っかり、彼は幼馴染で久しぶりの再会であり、確かに2人っきりで会うのは不謹慎だったとマリウスに謝罪をした。「解かった」と言うマリウスは明らかに不機嫌だった。
 それでも、毎日メッセージを送り合い、彼との信頼回復を心掛けた。ソルトが気になるからといって、マリウスが大切な存在なのは変わらないから。
 それに対して、あの日立ち去ったソルトに「ごめんなさい」と送ったメッセージには、返事が返ってくることはなかった。


 そんな自己嫌悪で気がしずむ中、【あの日】を迎えることになる。

 ついに観測されていたアディアから飛来するが到達する。それは数百はあろう飛翔体。ラクトの全人類が固唾かたずを飲んでその瞬間を待ち望んでいた。どのような物が届くのかと。

 飛翔体は減速することなく、宇宙ステーションを通り過ぎていった。大気圏を赤く燃えながら突き抜けていくと、雪と氷で覆われた地表に突き刺さった。次の瞬間だった。

 轟音ごうおんが鳴り響き、大地は揺れ、熱風がけ抜け、火柱が上がる。
 それが幾重いくえにも幾重いくえにも続いた。
 その度に目に見えない波がすべてをつらぬいた。
 爆発に乗じて有害な微粒子がまき散らされた。
 星の空を炭のような黒い雲が覆いだした。

 宇宙ステーションが大きく揺れた。窓から見える地表には赤と黒のキノコが無数に生えていく。ステーション内に警報音が鳴り響く。赤い光が明滅めいめつする中、1つの悲鳴を合図にみな走り出した。

 パニックになる意識を全力で繋ぎ止め、今為さなければならないことに走り出す。「このことをルベリエに伝えなきゃ!」と通信室に走る。心臓の鼓動がやけに脳内に響く。背中に流れる汗の冷たさが事態の深刻さを実感させる。とにかく急がなきゃ!

 右往左往するスタッフの中を駆け抜け、揺れる宇宙ステーションの廊下で転げながら、無我夢中で走る。辿り着いた通信室には誰もおらず、自ら通信機の通信ボタンを震えの止まらない指で何とか押す。

「こちら宇宙ステーション! みんな、核よ! 核爆発が起きてるの! すぐに避難して! お願い!!」

 何度も何度も呼びかける。少しでも多くの人に伝わるように。何度も何度も繰り返す。
 そんなときだった。腕をつかまれる。はっと振り向く。そこにはソルトがいた。どうして!? なんで!?

「もういい。逃げるんだ、アイサ」

「でも、でも……」

「いいから行くんだ。ほら!」

 つかんだ手を引っ張り彼は走り出した。それでも「みんな! 逃げて!」と叫び続ける。通信室を出て、揺れる廊下を彼に引っ張られながら叫ぶのを止め、彼に引っ張られるままに走る。

「急ぐんだ! 早く!!」

 何が何だか分からないまま、彼に腕を引かれるままに走る。子供のころとは反対に。

 息を切らして辿り着いた先には人が溢れていた。そこは地上へ続くエレベーターがある区画。

「どいてくれ! 彼女を乗せなきゃいけないんだ!!」

 力ずくで人混みをかき分けていく。ソルトの顔は途中で何度も殴られ、口から血が流れていた。「ソルト?」呼びかけてもこちらを向かない。

 精々せいぜい30人程度しか乗れない最後のエレベーターに彼は乱暴に私を押し込んだ。閉まるドア。彼との間に割り込んだドア。彼の右腕がドアに挟まっている。腕が挟まった隙間から見える彼は微笑んでいた。

「ソルト! ソルト!」

 聞こえない呼びかけ。必死に彼の名を呼ぶ。

「ソルト! ソルトー!!」

 気づいたら涙が溢れていた。そのとき、彼の口が何かを訴えていた。聞こえないが、私は口の動きを追う。

【し……あ……わ……せ……に……】

『幸せに』それが分かったとき、完全にドアが閉まる。転げ落ちた彼の腕。彼の右腕だった義手、それを抱きしめる。

 激しく震える中、エレベーターが動き出す。

 最後に見た彼の顔は、優しく微笑んでいた。

 …………

 その日から10日間。この悲劇が何度も繰り返された。

 宇宙ステーションは機能を停止し、地上は地形が変わり、地下コロニーも衝撃で崩壊した。

 惑星ラクトはどす黒い雲で覆われる。

 明るい未来を信じていた白き女王は、絶望しかいだけない黒き魔女へと変貌へんぼうしたのである。

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