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CHAPTER.5 蒙昧な透明(モウマイナトウメイ)

§ 5ー2  惑星ラクト②  白き女王①

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--ルベリエ地上・ノルン雪原--


 真っ白な雪原。柔らかい光。1度来たときとはまるで景色が異なる。折り重なった氷の結晶が、強い太陽の光でキラキラ輝いている。葉をつけることを忘れた木々も、隠れている雪ウサギも、明るい表情をしている。それは私の心がフィルターをかけているから、そう見えるだけかもしれない。
 きらめく雪上にポツンと咲く白いスノードロップの花。花言葉は『希望』。自慢げに少年の彼が教えてくれた花言葉。
 もう会えない……。そう思っていた。反転転送に成功したあの広場で見かけただけ。もしかしたら見間違えだったのかと探し回ってみても彼の消息はつかめなかった。

 断る理由のなかったマリウスからのプロポーズも、その理由になってしまう彼の存在が返事を保留ほりゅうさせた。「今はまだやるべきことがあるから、落ち着いてから答えさせて」と。それでも、薬指には赤いルビーが輝いている。


 新しい宇宙に来れたからといって、問題がすべて解決したわけではなかった。想定以上に元の宇宙との違いがあったからである。
 本当であれば太陽系の第3惑星と公転軌道の真反対側に転送される予想だったのだが、こちらの宇宙の太陽の活動は穏やかで、公転軌道のズレがあったのが原因で第3惑星と第4惑星の中間の宙域に転送されてしまった。
 しかし、反対の物質は対消滅のために引かれ合う性質を利用して第3惑星の公転軌道まで移動していく。今のままだと、惑星同士衝突してしまうが、ある程度の距離に近づいたときに調整を間違えなければ、当初の想定どおりにこちらの星とバランスが取れる場所に落ち着くだろう。

 そのために私は宇宙ステーションに上がることになった。ルベリエのプログラム実行のための研究チームのスタッフのほとんどが、状況が一番把握はあくできる宇宙ステーションに観測のために上がるようにと辞令が下されたからだ。
 それについて、マリウスが彼の父に猛反発したが受け入れられなかった、と後で彼から直接聞いた。

 私の正直な気持ちとしては、マリウスとしばらく会わないで済むのはありがたかった。プロポーズの回答をせかかされても、彼に返す答えは今と変わらないから。

 …………

 2日前、私は荷造りのために部屋の整理をしていた。仕事が中心の生活なのが幸いして、荷物をまとめるのに然程さほど苦労はなかった。
 それでも、手放せないものはいくつかある。小さい頃の家族写真、スノードロップの花の押し花で作られたしおり、マリウスにプレゼントされた瑠璃るり色のサファイアのネックレス、おじいちゃんの遺品、などなどこれらを置いていくことだけはできない。
 おじいちゃんの遺品を久しぶりに手に取る。それは研究ノート。何度も読み返したボロボロのノートには、乱雑に専門用語や数式・グラフが描きなぐられている。懐かしさにノートをパラパラめくる。その中であるページで手が止まる。おじいちゃんの家に引き取られる前に書かれたものだ。

【私は転送後の世界を見れないだろう……】

 私が17歳のときにおじいちゃんが亡くなったときに読んで涙をこらえられなかった言葉。晩年の椅子に深く座り物思いにふける姿は目に焼きついている。
 しかし、今この言葉を読むと微かに釈然しゃくぜんとしないものを感じた。漠然ばくぜんとしたもの。それが何かはこのとき解らなかった……。

 …………

 宇宙ステーションとルベリエの中間にある地表の中継施設アントル。こんな機会はめったにないと足を延ばした、幼き頃に彼と来た雪原。

 太陽光で溶かされた氷が水となり、それが集まり流れが生まれ、それが風を産む。雪原の雪の粉が視界を奪う。それでも、ゴーグルを取り天上を見上げる。

 目を細め、求め続けた太陽は輝いていた。



   ♦   ♦   ♦   ♦



 反転転送してきた宇宙。ここの太陽は活発に活動し強い光を発している。そのことにラクトの住民の心は未来に向いていた。生存圏を地上に戻せると。
 事前の予測通り太陽の周りには8つの惑星が存在しており、惑星ラクトと反惑星となる存在の第3惑星には転送のために置いてきた衛星リンゲルと同じような衛星があり、水と大地と緑に地表が覆われていた。
 目の前に憧れた理想郷がある。その惑星は『アディア』と名付けられた。惑星アディアの姿に元の母星を離れて、新しい惑星に移住すべきではないかと言う人々までも現れた。
 転送から1週間。人類の代表である各地下コロニーの評議会は即座に臨時りんじ議会を開き、何をするにも対象の惑星の現状をまずは知るべきと結論を出した。そこから各地下コロニーで対象の観測を目的としたチームが組まれ、それぞれの上空にある宇宙ステーションに観測チームを送ることになったのである。
 ルベリエでは観測チームの一団として、プログラムの実行にあたった科学者・研究者と設備メンテナンスのための技術者たちが選ばれた。宇宙ステーションには常駐じょうちゅうするスタッフがおり、生活する設備は整っている。議会が開かれて5日後には一団は宇宙ステーションに上るために、地下コロニーから地上へ。中継施設で体を整えてから宇宙ステーションに上がるエレベーターに乗り込んだのである。



   ♦   ♦   ♦   ♦



--ルベリエ上空・宇宙ステーション--


【アイサ、今日も元気にしているかい?

 前に行ったレストランに、
 鶏肉の新メニューが登場したみたいなんだ。
 戻ってきたら一緒に食べに行こう。

 今日もアディア移住を望む支援者の方々が、
 父のもとに訪れてたよ。
 アディアの第2次観測結果に触発されたみたい。
 まぁ、あちらの人類の生活ぶりには憧れるけどね。

 キミが帰ってくるまで、残り3週間だね。
 会えるのを楽しみにしているよ。

 マリウス=ボーネサリア            】


 宇宙ステーションに上がって1カ月。目を覚ますとマリウスからのメッセージがいつものように届いていた。コーヒーをれ、椅子に座り足を組む。マリウスのメッセージに意識を覚醒かくせいさせながら、ゆっくり返事をする。彼からの連絡に心が柔らかくなる。が、まだはっきりしない気持ちが文章に表れないように慎重にメッセージをつづる。

 宇宙ステーションは長期間の滞在を可能にするように、円巡環えんじゅんかんユニットによる重力によって地表と同じように生活することができる。それでも、地表での重力に比べれば弱く、体にかかる負荷が弱まる。それによって筋力が低下してしまう問題を解決するために1日1時間の筋力トレーニングが滞在者に義務化されている。
 運動は脳内のセロトニンやドーパミンなどの神経伝達物質のバランスを改善し、気分の安定やよくうつ感の緩和をうながす。私にとって筋力の低下よりも、精神的な効用こそ救いになっていた。

 朝のトレーニングを済ませ、体をき、仕事着に着替え、保存の効く食材で作られた食事を取る。今日から一団の業務は観測から次のステップに進められる。そこに脳内の意識が自然とかたむく。

 …………

「それでは、変調へんちょう波送信アンテナパネルの設置についてブリーフィングを行います」

 観測チームのチーフをしている私の直属の上司にあたる15歳年上のレグロアール=シュライフの取り仕切りのもと、ブリーフィングが始まった。一団の全員が参加し、その目的・内容・タイムスケジュールなどが説明されていく。
 目的はコンタクト。こちらからアディアに住む人類に通信を送り、電波での接触をはかろうというものだ。送信する情報は、親愛しんあいを込めた挨拶・ラクトの現状や歴史・文化・地図・科学的な知見や技術など様々である。それを送信するための装置をまずは技術班が設置することになった。
 技術班はそのほとんどが先行して宇宙ステーションに上がっていたので、全員がそろっているのは初めてのことだ。その面々を一瞥いちべつしていく。見慣れない顔ぶれの中に、こちらを見つめる見覚えのある顔があった。

 ハッとする。どうして? 目を丸くしてその顔を見つめる。

 間違いない。広場でマリウスとの抱擁ほうようのときに見た、栗毛くりげ色の雑に整えられた髪の、すっかり大きくなったのに当時の面影がある、優しい瞳をした青年。こんなところで会えるなんて。涙が頬を伝う。

 ソルト=ライバース。やっぱりあなただったのね……



   ♦   ♦   ♦   ♦



 12歳のときだった。おれは崩落事故により両親と右腕と植物学者になる夢を失った。おれが病室で目覚めたときには、すでに保護者のいないことでルベリエのはじっこに位置する施設に入ることが決まっていた。家に帰ることもできずに、アイサにさよならも言えないままに住み慣れた区画を去ることになった。

 ルベリエ第279区にある保護施設は同じような子供たちが集められ、刑務所よりも厳格な規律の中で自由も夢もない日々を過ごすことになった。右腕のないことを気遣ってくれる人などいない。むしろ、他のやつのストレス発散の的として、服の下はいつもあざが絶えなかった。

 15歳のとき、不条理な世界を抜け出す唯一の方法として取り組んでいた勉強が功をそうし、機械設備技士の専門学校へ授業料免除と義手を得て進学することができたことには心底救われた。そこで義手の扱いと専門技術を身につけ、3年後には宇宙ステーションの整備を担当している設備公社に入社する。そこからさらに3年間、宇宙ステーションでの研修と実地訓練の日々をただただ必死に過ごした。

 そして21歳のとき、人類の希望であるフォワーディング・プログラムが実行される。せっかくだからと暇をもらって戻ったルベリエで彼女の家を訪ねてみたが、彼女も彼女のおじいさんもすでに住んではいなかった。どこに住んでいるのか当てもない。今更会ったところでどうせ彼女はおれのことを忘れているに違いない、と胸の奥にその思いを改めて閉じ込めた。
 9年経って初めて両親の墓標に花を添えた。やっと別れの挨拶が言えたことで心のしこりが解消されたような気がした。
 ようやく戻ってきたルベリエで特にやることがなくなったとき、中央広場の記念式典のことを思い出し、せっかくだからと足を運ぶことにした。
 そして、そこでやっと見つけた。ルベリエの住民すべてがさわぎ立てる中、大人になった彼女のことを。淡いクリーム色の長い髪と左目尻の泣き黒子ぼくろと青味がかった瞳。目が合った瞬間に昔のままの彼女であることも解った。そして、そんな彼女が幸せそうに知らない男と抱きしめあう姿に、おれは安堵あんどした。

 彼女が今幸せであることに。


 転送に成功し、人類は希望を得た。しかし、希望を得ただけ。プログラムの想定のズレをおぎなうために休暇は無くなり宇宙ステーションに戻ることになった。心残りも解消されたし、新しい宇宙のそらを早くながめたいと思っていた。思い残すことも無くなったから。

 戻った宇宙ステーションには、見慣れない学者たちが我が物顔で滞在していた。そんなことはおかまいなく、自分の職務に従事する。そらに見える青い星は吸い込まれるほど美しく輝いていた。

 しばらく経った時、全員参加のブリーフィングが行われることになった。どうせおれたち設備技士は、お偉方えらがたの指示に従って電気設備を設置するだけと興味もなかった。うつむいて話半分に耳をかたむけて過ごす。

 ふいに視線を上げる。まさかと目を疑った。


 アイサ=シャハル。彼女がそこにいたから。

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