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CHAPTER.2 燥ぐ鈍色(ハシャグニビイロ)【天体衝突9ヶ月前(梅雨)】
§ 2ー10 7月7日③ 物換わり星移る
しおりを挟む--東京都・居酒屋酔って恋裏--
「なんだ、今でも未練タラタラじゃん」
「未練とかじゃないし! ただホントのことを聞きたいだけだよ。急に他の人が好きとか言われても信じられないんだよ」
「まぁ、女が本音で別れるわけを言うなんて無いだろうしね。私は面倒だから好きに言っちゃうけどな♪」
「嘘つけ! オサムさんの前だと猫被って大人しくなるくせにさ」
「あ! それは内緒だって言ったのに……」
おれのつまらない失恋話を聴いて気を良くしたのか、いつもの様子の舞衣に戻っていた。屈託なく笑い、オサムさんの話をすると顔が赤くなりシュンとする。店から聞こえる賑やかな笑い声も手伝い、舞衣が何本目かわからないタバコに火をつけたところで本題を尋ねる。
「舞衣……、あのさ、○○レーベルの人から声掛けられてるって本当なのか?」
一瞬ピクリとタバコをもつ手が止まったのが分かった。吸って肺に入った煙は、モクモクとゆっくり口から吐き出される。
「……なんだ、知ってたんだ……」
戻ったいつもの顔がまた変わる。小さな子どもの寝顔を見た母親のような優しい表情をし、視線をやや左下に向けている。
「本当だったんだ……。それで何の話をしたんだ?」
「……『うちのレーベルで曲出さないか?』って言われたよ。要はスカウト。ソロシンガーとして売り出したいんだってさ」
「…………やっぱり」
「私は今が楽しければいいし、プロなんて考えてたこともなかったんだけど……ね。でも、もう大学3年だからさ……」
「……で、どうするつもり?」
「…………」
根元まで灰となって崩れ落ちたタバコ。舞衣はすっと立ち上がり、吸殻をポイと灰皿に捨てる。颯太の方は向かない。
「行く……つもりだよ」
また店内から笑い声の混ざる賑やかさが響いてきた。店の裏は、賑やかさの残滓を現実の夜の闇が塗り潰そうとしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
--神奈川県・横浜駅近郊--
夜空。天の川。葉が茂る街路樹が並ぶ道を自転車をゆらゆらと押して歩く。一人の帰り道。車道からチラチラと過ぎゆくヘッドライトが浮かない顔を照らす。蒸し暑さを孕んだ南風が、妙に肌寒く感じさせる。
紗良とのことを思い出したからかもしれない。
舞衣が黒い翼を抜けるつもりだと知ったからかもしれない。
立ち止まって取り出したスマートフォンには時間だけが映し出されていた。深く息を吸い、ゆっくり人恋しさを混ぜて吐き出す。見上げた夜空に輝く星々は、もの悲しく揺らめき光っていた。
その中で見つけた一等星のアルタイルとベガ。彦星と織姫。1年に一度会える2人は、会えない時間をどう思い過ごしているのだろう。会えるときをどれだけ楽しみに過ごしているのだろう。会えないほうが幸せなのではないだろうか。年に1度会える機会があるから、残りの364日を寂しく生きなければならないのじゃないのだろうか?
そんな寂しい思いをさせるぐらいなら、自分なら別れる。彼女が毎日笑える日々を過ごして欲しいから。
そんな何度も何度も無意味に考えたことを頭を振って隅に追いやる。これからのことを考えようとする。進路のこと。バンドのこと。
将来は過去の動機から今の積み重ねに築かれる。
自分がなぜ心理学を学びたいと願ったのか。
自分がなぜギターを手に取ったのか。
分かっている。それを思い出してはいけないことを。思い出せば心がさわめくから。必ず彩の顔を思い出してしまうから……
ゆっくりと歩き出す。自転車を押し、ずしりと重いリュックを背負い、ベースを肩にかけ、また一人歩き出す。
うつろう星空の下を。
◆ ◆ ◆ ◆
最後の核ミサイルがルードヴィヒ計画の予定どおりにこの日、地球衛星軌道から発射された。何の感情も感傷もなく人類のために。白い天体パンドラの観測は世界各地で絶え間なく行われ、どの観測機関でも地球に衝突する演算予測がされている。
この作戦次第では、人類の存亡、それどころか生命が存在し得ない地球環境に変わり果てるだろう。しかし、目の前の日常が変化していないからか、精神作用からなのか、人は関心を寄せていなかった。
環境問題・人種差別・宗教・紛争・政治・災害……歴史を踏まえれば、考えなければならないことは、今、現在この時でも山積みなはずなのだ。
パンドラの出現は、そんな人類への何かしらの啓示だったのかもしれない。
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