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魔界よりの使者

弟九話

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「いっ……一色がいるぅー!?」

 馬鹿な、何故だ、どういうことだと脳が混乱。昨日問題行為を起こしたばかりのマッドサイエンティスト一色智樹が〝古部の湯〟へ何のうのうと足を運んでいるのだ。

「人に指を指してはいけないな」
「ごもっとも。非は認めるが今すぐ帰れ、今日はお前の顔を見たくない!」

 手で「しっしっ」と追い払う。コイツの奇人変人部分を祓う力が俺にあれば良かったのに、とつくづく思う。

「そこまで拒絶されるとは……ふっ、悲しいね」
「あぁ?」

 一色の顔がほくそ笑んでいるようにしか見えないのはいつもの事だが、その瞳に光が瞬いていた。彼は学生服の懐にゆっくりと手を伸ばしつつ、

「不幸にも 最 終 強 化 型──」
「!?」

 震え上がらせる呪文を紡いだ。

「レ ジ オ ネ ラ 属 菌──」
「すまなかった一色。取り合えず怪しいアンプルをしまってくれ。通報もしないから」
「友情って素晴らしいね」

 細菌兵器で脅しておきながら何を言うのか。
 それはともかく。

「で、何の用だ帰れ。というか問題起こしたそうじゃないか、説教だったり謹慎だったり受けてる筈だろ帰れ」
「恭儉の意を示すとあっさり解放してくれたよ。ここで実演してもいい」
「お前……」

 土下座すれば何でも許されると思っているのだろうか。それとも親の七光りゆえに。

「しかし耳が早いね。あぁ、あれは悲しい事故だった。けれど悲観してばかりではいけない、技術の進歩に失敗はつきものさ」

 最早相手するのが面倒臭い。

「人は多くの失敗や犠牲を経験しつつ前へ進んだ。アレもまたその一つさ」
「はいはい、御教授痛み入るぜ」
「悲しくないのかい?」
「ないに決まってるだろ。何作って壊したか知らないが」
「へぇ……僕はね、友よ。これから訪れる未来を想像したら、滝のような涙が今にも流れてしまうよ」

 知ったことではない。

「憎たらしい顔で涙の押し売りは止めろ。実際に泣いてるわけでもないし」
「鳴かぬなら無視してしまえ不如帰。君は冷たい人間だったろうか?」

 本当に面倒臭い。
 聖人君子などそうそういるわけがない。俺だって感情を持った人間であり、悩みの渦に呑み込まれて対応が雑になる時くらいある。見知った仲である一色相手なら当然に。

「はぁ……理系人間が言うセリフじゃねーな」
「決めつけは良くないな。これでも人の子だよ?」
「確かに。ていうか聞いた事無い句なんだが?」
「今作った」
「そうか分かった、じゃあ回れ右して帰れ」
「友よ、君が僕を拒絶する理由は定かではないけれど……」

 理由なんて単純、面倒臭い。今日はいつにも増して面倒臭い。身に降りかかった問題の打開策が見つからないということも後押しして尚更に面倒臭い。

「気付けば誰もいなくなるよ?」
「…………」
「黙殺を続けるのかい?」
「…………」

 こいつもこいつで……面倒臭い。
 俺は大きく息を吐き出し、吸い込み、深呼吸。

「問題児が何言ってんだか」

 多少はクリアになった脳を働かせ表情筋に指令を下す。内側から迫る闇に呑まれない為にも、表面上だろうと余裕を持たせることは大事だ。内と外、陰と陽、それらは絡み合い捻り合う万物の太極。均衡が傾けば音を立てて崩れ落ちいくものだから。

「まぁ俺も悪かった。悩みごとが立て込んでてな」
「パートナーのことだったら相談に乗るよ」
「パートナー?」
「LGBT認知拡大に感謝」

 冗談だと分かってはいても鳥肌が立つ。
 手を握ろうとしてくる一色に対して再び震え上がった時、それはドスドスと足音を立てて現れた。

「一色智樹ぃぃぃ!!」

 鬼の形相を浮かべた七尾だ。いや鬼では弱いだろう、表現に当て嵌まるのは般若あたりか。彼女は175cmの長身で大股に距離を詰め、

「テメェェェ!!」
「えりえりれまさばぶぶぶっ!?」

 左手でがっしりロックすると、強烈な往復ビンタを一色に食らわせた。
 スパァン、スパァンという心地良い音が聞こえてくる。この音色を奏でられるということは、さぞかし肌はモッチモチなのだろうとか変な事を考えてはいけない、俺は老けたなどと思ってはいけない。

「どうしたんですか店長?」

 打擲が落ち着いた頃に聞いてみた。

「あーもう最悪だよ! この馬鹿息子、ウチが譲り受ける筈だった新兵器を台無しにしやがったんだ! たった今連絡がきた!」
「…………」

 フリーズ。
 それを気にも留めずマッドサイエンティストは笑う。

「あっはっはっ、台無しとは酷い言い草だ。この失敗は次を成功へ、そして完成へ導くんだよ。それを伝えに来たんだ」
「テメェが手を加えなくてもRSDは完成してたんだ! 強力なレーザーを発射できるようにしろなんて注文あるわけないだろうがぁ!」

 開いた口が塞がらない。
 この銭湯が投入予定だった超最新兵器、網膜走査映写装置(Retinal Scanning Display)が……破壊ロボに生まれ変わってしまったというのか。アレがあれば、変わり映えのしない湯船や露天風呂の景色が全く違うものに、幻想のような世界を来場した客の網膜へ映し出すことが可能だった。館内に設置するセンサーは、ネックバンド型位置特定装置は無事なのだろうか。というか来週末の投入は絶望的ではないか。

 愕然となった俺を無視し、七尾は一色の首を掴んでぶんぶん振り回す。

「しかも学校でぶっ放したらしいな!?」
「強化具合はすぐ確かめたくなる性分でね」

 少々処ではない問題はそれか、強化型RSDということか。イケナイお薬の名前みたいで少しだけカッコイイと思ったのは内緒。

「幸い生徒に被害は出なかったものの、校舎のあちこちに穴を開けたそうじゃねぇか!」

 あまりにも危険過ぎる、本来は人体に影響など出る筈のない微弱なレーザー照射装置だった筈なのに。ライ〇セーバーやビー〇ライフルみたいでカッコいいと思ったけど。

「終いには自爆だぁ!? お前は一体何を目指してんだ爆弾魔か!?」
「余所の技術者に情報を流したくないのさ」
「頭おかしいんだよテメェェェ!」

 ともかく……やはり、一色は危険過ぎる。国が厳重に管理するべき生命体ではなかろうか。いらない不幸を理もせず連れてくる死神。

「僕が悪役かい? 管理を怠けていた父が悪い」
「改造したテメェは悪くないってか、あぁ?」
「そこに面白そうなものがあったからさ」
「反省の色は無し、だな」
「人は何故山を登るか知っているかな?」
「そこに山があるからだ」
「つまりそういうことなのさあいあんくろーはおまちを」

 ぎゅっと顔面を握られながら、恐怖のマッドサイエンティスト一色智樹は事務所へ連行された。昨日と同じく熱々おでんチャレンジだろうか。それだけで済まさないだろうな……取り合えず一色の親御さんへ連絡でもするんだろうが。




「…………」

 それから俺は、期待していた超最新兵器のことは頭の隅に追いやって業務に臨んだ。過ぎてしまった事は仕方ない、起きた事実は覆らない、ただ無心で働くのみ。

「悲しい顔を浮かべないでおくれよ」

 あぁ、俺は今悲しいぞ一色。お前が連れてきた不幸があまりにも大きくて、魔界だ悪魔だ妖怪だなんていうことが、意外と小さな悩みなんじゃないかなって思ってしまったのだから。

「僕まで悲しくなってしまう」

 この声は疲れた脳が響かせる幻聴……ではないようだ。

「店長の説教から逃げ出したのか……通報させて貰うぞ」
「早合点はいけないな。短気は損気、だよ」

 くつくつと笑う男子高校生。その両頬は真っ赤に腫れあがり、爪で掻いたような痛々しい生傷も見受けられるが……同情だけは無理だ。

「折り合いがついたんだ。プロトタイプを格安で提供させていただくってことで」
「はぁ? プロトタイプぅぅぅ?」

 怪しさ満々。満月の夜には暴走する危険性を帯びている。

「大丈夫大丈夫、しっかりと手を加えて最新型と同等の──」
「お前は絶対に手を加えるなよ?」
「分かってる分かってる」

 信用ならない。真っ赤に腫れていてもその顔に纏わりついている美少年スマイルがとてつもなく信用ならない。無理矢理に安心感を湧き起こすような屈託のないその笑顔が。

「それとして、これに書かれている内容は何だい?」
「?」

 一色は一枚の紙をヒラヒラさせた。
 それは、どこかのアルバイトの恨み・辛み・悩みが書き出された用紙とそっくり──仕事してる間に風かなんかで飛んでいってしまったのだろうか。

「何でもないっ!」

 ともかく見られるわけにはいかないので、ひったくるように用紙を奪い取りすぐさまポケットへ捻じ込む。

「おっと。あはは、心配しなくて良いよ。僕には解読出来なかった」

 暗に出が汚いって馬鹿にしていた。勢いに任せて書きなぐってたから、いつもはもっと奇麗だ、癖字なのは治らない、と目で訴える。

「感謝されど睨まれる謂れはないのに。それで……下の方に書かれていたのは何かの観察日記かい?」
「あー、まぁ、そんなところだ」
「そうか。ようやく君にも蚕の美しさ、家畜化された生命の儚さが理解出来たんだね。今度来るときは、僕お気に入りの標本を持参するよ」
「他の客に迷惑だ」

 一色と違って蚕だったり鼠だったりを飼育などしていないしするつもりもないのだが、勘違いしてくれているようなので話を合わせる。蚕の成虫は意外に可愛いものだと俺は思う。

「休眠卵、非休眠卵の見分け方は分かるかな? 簡単な識別は色がついているかどうか。産卵後およそ2.3日で黒がつけば越年卵で、冬を越さないと孵化しないんだ。すぐに孵化させたいんなら5℃の冷蔵庫へ入れて人工越冬させよう。この季節なら必要ないけれど」
「…………」
「ふっ……僕の家で、じっくり語り合うかい? 生命の神秘を」
「お断りだ」
「残念。そうそう空白が気になったんだけど、その日は何も無かったのかい? 生まれることも死ぬことも」
「まぁな」

 奪われることは無いだろう──そう判断して先ほどの用紙をポケットから取り出し、一色が興味を示した下部分、そこに記述した内容を確認。

 1日目:1
 2日目:10
 3日目:
 4日目:5
 5日目:
 6日目:1
 7日目:1
 8日目:
 9日目:5
 10日目:
 11日目:10
 12日目:×

 悪魔たちの生と死の記録。魔界で予言され、実際に起きた対悪魔戦争の記録だ。翠華が語った内容にレムから聞き出した情報を合わせた、勇者対悪魔における悪魔側についての記録だ。

〝二日間で11人の同胞が生まれたわ。その後、10人が5体のゴーレムを生み出した。もう1人の同胞が生まれるのを待ってから、皆は人間と争った。そして私とグリザリンデを残していなくなったわ。私がいつ生まれたか? グリザリンデの前よ。予言に無い理由など知らないわ、望まれなかったのではないかしら。人が私を13番と呼ぶのは、13番目に出会ったからだと推測するわ。その頃、満足にお話しすることが出来なかった私も悪いのだけれど〟

 就寝前に語られた言葉を思い出す。ゴスロリ悪魔のレムに取り憑かれ、日々を送ってきたせいだろうか……人間としてはいけないことだと分かってはいるが、悪魔側に同情のような念を覚えてしまう。

「…………」

 しかし、この数字を見て蚕の観察日記ではないかと疑う思考回路はどうなのだろう。

「細かいけれど、僕は空白を好まないんだ、ぜひ0を入れて欲しい。あと、何月何日かも」
「意見は却下だ」
「風通しが悪いね」
「そんな職場では働かないように」
「御忠告感謝するよ。しかし何故12日なんだい? もしや、宗教的に忌避しているとか?」
「お前……本当余計な知識を蓄えてやがるな」
「余計ではないさ、数字は意味を持っているのだから面白いよ」

 一色の発言は一理あった。この世界は数字で表すことが可能とされ、それを突き詰めていけば未来予知にもなる。電子世界など最たるものだ、全てが数字で組み上げられ、構成され、未来を計算しているのだから。案外、魔法と似たようなものなのだろう。

「まぁ、そうだな……」

 気になっていたのは13という数字。
 忌み嫌われることもあれば聖なる数として受け入れられることもある、相反する二つの性質を持った数字。

 悪魔であるレムは、13番目の悪魔と呼ばれている。招かれざる13人目の客人。神ではない悪魔。

「…………」

 13は悪魔崇拝の字。
 13は神を称える字。

「0の発明は、インドならやってくれると僕は信じていたよ」

 知ったことか。

「虚無という概念の数値化さ。いいかい友よ、空白のそこには0個の卵があるんだ」
「あー……あぁ?」

 いつの間にか専門外の話に発展していた。

「ちなみに、数字の0が発明される以前にもゼロの概念は当然あった。ただ、示す必要が無かったんだ」
「もういい、そういう話は俺の頭じゃきつい」
「無理に示す必要は無いのさ。時計だって、12の次は1だろう?」

 結局何が言いたいのだろう。発言に一貫性が無いのは一色ならばいつものことなのだが。

「でもね、君が書く数字は……正直、美しくない」

 字が汚いのは放っておけ、丁寧に書けばちゃんと綺麗だから、本当だから、と若干涙目で訴えた。

「いっそ漢字で書いたらどうだい?」
「面倒臭いだけだろ」
「そうとも限らないさ」
「いーや、面倒なだけだ。5を五にしたら画数がかなり増えるし」
「悲しいね」

 これっぽっちも悲しさを匂わせないにやけ面を浮かべながら、

「今日はもう帰るよ。じゃあ、また」
「おう」
「そうそう、知ってるかい我が友よ」
「何だ?」
「蚕蛾はね、およそ500個の卵を産下するんだ」

 言い残し、ようやく店を出て行った。
 知るかそんなこと、と俺は心の中で叫んだ。まぁ、彼は俺が蚕の飼育などしていないことに気付いていたのだろう。それでも話を合わせいたのは何の為だろうか。ただ知識を自慢したかったという線が濃厚だが、一色はそのような輩ではない。理解の範疇を超えるほどに、頭がおかしい奴ではあるが。




「むぅ……」

 騒がしい問題児が帰った後、俺は恨み・辛み・悩み+を書き出した用紙とにらめっこしていた。勿論仕事もしているのだが、常連さんが殆どだし、そもそもの来客数が数えるほどなので言っては何だが忙しい程ではない。

「うぅむ……」

 一色の言う通り、俺の字はなんと言うか、こう、ガクガクしてる。意識して書いたつもりなのだが癖が出てしまったようだ。今からでも書道教室に通うべきだろうか。

「ちょっと」
「…………」
「ねぇ聞いてんの!?」
「は!?」

 何という事だお客様を前に呆けてしまうとは、気を緩めては死に直結することを忘れるな。

「いらっ……しゃっせー」
「何よその対応!? ぶっ殺されたいの!?」

 物騒で面倒臭い客が来店していた。

「フンッ、まぁいいわ。いや良くない、どうしてあの子が悪魔と一緒にいるのよ!?」

 切れる声で叫ぶ。

「あのー、お・客・様。店内ではお静かに──」
「お客様に口答えするんじゃないわよ!」

 再び叫ぶ。長居されるのも面倒なので、今は用件だけ聞いて帰って貰おうと画策。

「失礼しやした、迷子の相談ですねー」
「しらばっくれるつもり? 今、すぐに、あの子達の前から、悪魔を追い出して!」
「当店では宴会のご予約を受け付けてないんですよー」
「使えないわねこのロリコン! それで、悪魔はいつ帰んの」
「ラストオーダーは23時ですねー」
「ちっ……それまでには出て行くのね?」
「知るか」
「あぁもう! 本当使えない屑野郎!」
「勝手なレッテルを張るな。俺を屑呼ばわりするのは構わないが……お客様、当店のスタッフはお客様の安全を第一に考える姿勢を貫いております。それは彼女も同じです。危害を加えるようなことは御座いません」
「戯言。信じられるわけないでしょ」
「ご自由にどうぞ」
「…………」
「…………」
「はぁ……いい? 深夜、1時、高台の公園に来なさい。そこでケリをつけるわよ」
「またのご来店、お待ちしてまーす」

 俺が頭を下げている間に現人神はずかずかと足音を鳴らし、二つの影を揺らし、出入口へ向かった。

「面倒臭ぇ……」

 乾いた声で呟いた。
 今日もデート戦争を申し込んできたのは、現代世界で神に魅入られた異世界帰りの勇者、京翠華。鬼の剣幕で喚き散らしていた理由は恐らく、相模原と同行している悪魔のレムを目撃したからだろう。だが街中で堂々と戦争をしては望まぬ被害が出てしまう、故に手出ししなかった。

 加えて、相模原の傍には双子の妹である京瑠美がいる。翠華と瑠美、互いに過去の思い出の中にしかない存在だ。それが今、のうのうと顔を合わせることは躊躇われるのだろう。

「ほぉ、あれがねぇ……」
「あ、店長」
「大鳥ぃ、面倒臭いと思っていても顔や態度に出しちゃぁいけないなぁ。お客様は神様だぞぉ?」

 注意しつつも退店する勇者へ興味の目を向けている七尾。どうやら事務所入り口から一部始終を見ていたらしい。

「意味分かって言ってるんですか?」
「真意は当然分かってる。だがな、あれは本当に神に近い」
「確かに?」

 普通の人間を超越している事は確実。
 俺はその後、これからのデートに頭を悩ませながらも目まぐるしく働いた。
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