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30.胡蝶の夢

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side.オリバー・グランチェ

妻は押し寄せた平民に腹部を数回刺され、二度と子供を産めない体にされた。
騎士団に捕らえさせ、罪に問おうとしたがそこでおかしなことが起こった。地下牢に入れられていたはずの女どもが全員いなくなっていたのだ。地下牢には見張り番がいた。
見張り番が仕事をサボったのかあるいは手引きした人間がいるに違いない。そう疑わざるをえない状況だった。
けれど、平民女にそんな伝手があるはずない。となると、疑わしくは見張り番。しかし、その時見張をしていた者は真面目で、サボったことも罪人を見逃したこともない。彼の上司からのお墨付きで、彼の同僚も同意見だった。疑う余地なし。ならば、どういうことだ?
騎士たち全員が謀っているのか?
しかも、罪人はいなくなったのに妻の不貞だけは残っている。曰く、妻は女性の間ではかなり嫌われていた。貴族夫人によく思われていないのは薄々勘づいていた。しかし、妻本人が気にしていないのと、彼女が嫌われているのは平民だからだと気にしなかった。まさか彼女自身に問題があるとは思わなかったのだ。

「子爵夫人のこと聞きましたよ。以前、パーティで知り合いましたね、とても親しくしていたので残念です」
どこからどう漏れたのか、最早気にはすまい。
騎士団を呼んだり、騎士団に多くの平民女を捕らえさせたし、捕えられた平民どもは大声で妻が自分達に何をしたのか喚き散らしていたからだ。
そして、妻のことを聞きつけた連中が今のように私へ接触しては色々言ってくる。この男もその一人だ。

”とても親しくしていた”

それはつまり、私の妻と肉体関係にあったことを示す。
一途で、優しい女だと思っていた。だが、違うらしい。私は気づかなかった。一途で優しい面は彼女のほんの一部に過ぎないことに。
「奥様、大変でしたね。私の夫と親しくて、夫から奥様のことを紹介されましたの。気さくで、物おじしない、とても社交的な方だったのに。怖いわね」
声をかけてくるのは何も男ばかりではない。夫人もだ。

”夫から紹介された”というのは、もちろんだがそのままの意味ではない。セザンヌが彼女の夫に手を出しただけではなく、自分の方が愛されていると優越感に浸るような言動を取られたことを示すし、”気さくで、物怖じしない、とても社交的な方”はマナーがなっていない上に、平民出身である自分の立場を分かっていない。身の程知らずという意味になる。
いろんな人に声をかけられた。中には「奥様は石女になられたとか。不幸中の幸というやつですな。これで余計な血を残されずにすむのですから子爵は命拾いした」と直接的に言ってくる人もいた。
・・・・余計な血。多くの人と不貞を働いた妻が夫である自分以外の子供を産まずにすむ。血の継承を尊ぶ貴族の中で平民の血が混じってしまった子供が生まれずにすむことを示唆しているのだろう。
妻関連の嫌味や苦情がここぞとばかりにやってくる。対処するだけでストレスだ。そのストレスはだんだん、原因となった妻への怒りに変わった。
私は愛する相手を間違えたようだ。
妻は今も救護院にいる。女たちに襲われたこと、刺されたことがトラウマになっているらしく、夜中に急に叫び出したり、暴れることもあるそうだ。
だが、自業自得だろう。妻は人のモノを奪っては、奪った相手に優しくしたり、相談にのったりしていたそうだ。
「旦那様、大変です!」
妻の尻拭いのせいでストレスが溜まり、使用人の些細なミスですら勘に障りだしたせいか、最近は用がなければ執務室の近くに誰もいなくなった。執事ですらも。
そんな執事が珍しく大きな足音を立てて「ラン様が」と繰り返しながら近づいてくる。ランがどうしたのかと聞いても彼はその先を言わない。
いったい、なんなのだっ!
苛立ちを抑えながらランの部屋へ行った。すると、そこには顔が崩れ、まだ多少残っている箇所からかろうじて誰なのを判別できる姿をしたランがいた。部屋には異臭がした。
「その顔・・・・腐っているのか?」
「父さん」
「ひっ、来るなっ!ば、化け物」
近づいてきたランを押し倒した。彼は信じられないものでも見るように私を見る。母親といい息子といい、いったいなんなんだっ!私は悪夢でも見ているのか?それとも私が結婚した妻は、実は悪魔で、私は悪魔の子を作ってしまったのか?
「父さん、僕だよ。ランだよ」
「く、来るなっ!お前のような奴なんぞ知らんっ!何をしているさっさとこいつを追い出せ」
「し、しかし」
「私の命令が聞こえないのか?それとも、お前もこいつのようになりたいか?」
私は執事に問いかけながら集まった使用人を見渡した。私の言葉で彼らの顔が青ざめる。
「これは奇病かもしれん。移るかもしれんぞ。嫌ならとっと追い出せ」
底辺の人間というのは恐ろしい存在だ。あれほど「ラン様」と慕っていたのに姿が変わっただけで、説明のできない事態に陥っただけで、自分達の身にも降りかかると思っただけで簡単に掌を返すのだから。
化け物となったランは屋敷を追い出される最後まで見苦しくも喚いていた。しかし、最早私には関係のないことだ。あれは私の息子ではない。あんなのが私の息子であっていいはずがないのだ。

ランを追い出してから数日後、再び執事が血相を変えてやって来た。
「川の水が黒い?」
「はい。付近にいる住民の話しでは獣がその水を飲んだ瞬間に苦しみもがきながら死んだとのことでした」
「・・・・・毒でもまかれたのか?」
「おそらくは」
「いったい誰が?」
「調査中です。あの川は住民が農業にも使っています。すぐに対処しなければ生産に影響が出てしまいます」
そうなれば税収も下がることになる。
「・・・・・どうして、こうも不幸が続くのか」
「旦那様、どうしましょう?」
「・・・・・」
どうしましょうと言われても川の水を全て入れ替えることなんてできないんだ。どうもすることなどできない。
「旦那様、大変です!」
「今度はなんだっ!」
男の使用人がノックもせずに執務室に慌ただしく入ったかと思うとその後ろから騎士団がやってきた。
「子爵、ご同行願います。あなたには黒魔術を使い、邪神を召喚しようとした疑いがかかっています」
「は?おいっ!何をする。放せ、放さんか」
「抵抗するのなら、できなくさせます」
「ふざけるなっ!私は黒魔術に傾倒などしていない。全く身に覚えがないのに、大人しくできるわけなかろう」
「ご子息、ラン様を黒魔術の生贄にしておいてよくもそんなことが言えますね」
まるでゴミでも見るような目で騎士団の一人が私を睨みつける。
ランがどうしたというのだ。あれは、ある日突然おかしくなった。私には関係のないことだ。それなのに、どうして私が疑われないといけない。
やはり、平民なんぞに関わるべきではなかった。あれだけ、よくしてやったのに恩を仇で返すとは。
「それに、川を見ました。どす黒く変色した川を。そのことについても説明してもらいます」
「私だって今さっき聞いたのだ。説明できることなんてあるか」
「言い訳は騎士団の詰め所で」

◇◇◇

いったい、どれだけの時間が経ったのだろうか。
絶え間なく浴びせられる罵声と暴力に意識が曖昧になっていく。休息の時間は与えられない。気を失いかけても水をかけられ、強制的に目を覚まされる。
「・・・・・知らない。本当に、何も知らないんだ?」
「まぁ、ひどい。ご自分には罪がないと仰るの?」
声が急に女のものに変わった。視線を向けると、そこには死んだはずの前妻がいた。
「・・・・・なぜ」
「本当にひどい男ね。都合が悪くなると、そうやってすぐに見捨てて」
「・・・・・セザンヌまで、どうして」
「ひどいよ、父さん。僕、信じてたのに。父さんなら助けてくれるって」
「ランまで」
「ねぇ、あなた。私ね、すごく痛かったの」
そう言って元妻のアリアは私の首に触れた。ゾッとするほど冷たい手だった。その冷たさからは生者の温かさが一切感じられない。
アリアはハサミで首を突いて死んだ。
「私も痛かったのよ、あなた」とセザンヌが腹部に触れる。
ごくりと生唾を飲む。恐怖で体の震えが止まらない。私の恐怖に気づいているからなのか、二人はニンマリと笑い、アリアは私の首に噛みつき、首の肉を。セザンヌは腹部に噛みつき、腹部の肉を引きちぎった。その様子をランは楽しそうに眺める。
「うわぁぁっ!」という自分の叫びで目を覚ます。そこは連行され、閉じ込められた騎士団の取り調べ室の中だった。
「夢か」と安堵したのも束の間。「あなた」という女の声に私は視線を上げられなかった。

◇◇◇

「いったい、グランチェ子爵はどこに行ったんだ?」
子爵家の使用人が騎士団にやって来た。
「グランチェ子爵が川の様子を見に行ったきり、帰ってこない」と。川はどす黒く変色しており、ひどい異臭がした。調査の結果、毒が混入していることが分かった。更に詳しく調査すると毒を流したのはモンド伯爵ということが判明した。
モンド伯爵のご子息、アラン殿と子爵のご子息ラン殿は恋仲でありそれが原因で伯爵はアラン殿を廃嫡することになった。原因というのはアラン殿とランが駆け落ちしたからだ。そのことを逆恨みしての犯行と考えている。
伯爵は容疑を否認しているが、証拠が出るのも時間の問題だ。
「・・・・はて?ラン殿だけだったか?子爵にはもう一人子供がいたような・・・・」
考えているとなぜか頭の中に霞が広がり、普段なら気になったことはとことん追求するのにこの時はなぜか「まぁいいか」と流してしまった。
それよりも子爵の行方の方が大事だ。事件性が高いので、生存の可能性は極めて低いだろうが。せめて死体でも見つけて埋葬してやらねばな。



果たして、オリバーが見ているのは夢なのか?もしそうなら、そこからどこまでが夢であったのか。
騎士団がどんなに捜索しても死体すら見つけられず、その謎が解けることもなかった。
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