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第114話 未知の技術

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 ゴンザレスが去った翌日、ディーノは早く眠りに就き過ぎたせいで朝早くに起きてしまった。

 此れまでは毎朝前日の疲労が残って二度寝しろと泣きわめく身体との格闘から始まるのが普通だったが、この日は初めてスッキリと目が覚める。

 しかし早起きしても自分の足で立ち上がる事すらまま成らないので出来る事は少なく、ディーノは仕方なく蝋燭と向かい合った。

 そして寝る前と同じ様に火を点けて即座に消すという修行を繰り返す。



(前回の修行で約70時間蝋燭と向き合って、昨日は5時間くらい向き合った……これが途轍もなく重要な修行だってのは分かってるけど、流石に飽きてきたな)



 ディーノはスッキリと起きれて元気溌剌にも関わらず死んだ魚の様な目で蝋燭を見詰めた。

 食事も三回貰えて寝てるだけで良いという贅沢過ぎる暮らしであるが、箱の様なコンクリート剥き出しの部屋に一日軟禁されていると流石に気が滅入る。

 加えて窓の外には寂れてはいるが幾人か人が歩いている街があり、動く事も出来ない今の状況も相まって外に飛び出したい発作が起きてしまったのだ。

 今のディーノにとって、動かないという事が何よりも苦痛であった。



 頭の中に何でも良いから身体を動かしたいという悶々とした感情を抱えたまま修行に向き合い、1回目の蝋燭が燃え尽きる。

 そのスコアは2時間半、昨日の新記録から大幅に減少していた。



「ああッ、クソォーーッ!!」



 ディーノは大幅に減ったスコアと悶々として集中できない脳味噌、そして時間を有効に使い尽くせない自分に苛立ちの声を上げた。

 そして一端修行を投げ出し、ベッドに背中を預ける。

 このまま続けても絶対に進歩は得られないと確信したからだ。



(ダメだ……まさか運動できない事が此処まで苦痛だなんて思わなかった。もう何でも良いから身体を動かしたいッ)



 どうしても身体を動かしたいという衝動に抗えなかったディーノは、まるで駄々をこねる子供の様にベッドの上で両手両足を感情の赴くままバタバタと動かした。

 ディーノは奇声を上げながらその行為に及び、端からみれば立派な男性が幼児退行している地獄絵図である。

 しかし地獄は更に加速した。



「ウブッ……ブ、ブウエエエエエエッ!!」



 どうやら幼児の様に両手両足をバタつかせる事すらディーノの身体は許さないらしく、顔を真っ赤にして暴れていた顔はみるみる内に真っ青に変化した。

 そして吐き気に堪えられず慌ててベッド付近に用意しておいたバケツに飛び付く。

 其処からは暫く地獄の時間が続き、4,5度吐いて漸く身体が楽になった。



「ハアッ、ハアッ……最低、最悪の気分だ…………」



 ディーノはバケツの3分の1程度まで溜まった自身のゲロを眺めて何故か虚しくなり、そう呟いたのだった。

 この時ほど自分の肉体を憎たらしく思った事が無い。

 心が健康な分だけ満身創痍で満足に動かす事すら出来ない身体が憎らしく、まるで動きを制限する脱げない拘束着を着せられている様だった。



 ゲロを見ているとドンドン虚しい気持ちは積り、何故か両目に涙が溜まり始める。

 それから堪えきれなくなり第一滴がその目から零れそうになった時、突如背後の扉が開いて誰かが入ってきた。



「うッうお!? だ、誰だよ!!」



 心臓が破裂しそうな程バクバクと脈打つ中慌てて振り返ると、其処には少し困った様な表情のフーマが立っていた。



「ご、ごめんね。一応ノックしたんだけど返事が無かったからさ、何かあったら大変だと思って扉を開けたんだけど……間が悪かったみたいだね」



 そう言ってフーマは無理に笑顔を作って頭を掻く。

 その時、ディーノは漸く熱い液体、つまり涙が自分の頬を伝っている事に気が付いた。



(ヤバいッ、泣いてた所を見られちまった!!)



 ディーノは慌てて涙を拭いながら頭をフル回転させ、そしてこの状況を上手く丸め込める様な言葉を必死に探す。

 そして急ごしらえの言い訳に慌てて飛び付いた。



「ちょッ、俺は別に泣いてた訳じゃねえからな!! アレだよ、ゲロしたら何か一緒に涙出るだろ! 

生理現象だよッ生理現象ゥ!!」



「そうだね、生理現象だ。誰でもある事だよね……」



 フーマは『大丈夫、誰にも言わないから』とでも言う様な表情になり、返ってディーノの恥ずかしさと虚しさを駆り立てた。

 こう成ってしまうと全て察された上で温情を掛けられてしまったという事になり、嘘を付いてまで涙を隠そうとした事が泣いた事以上に恥ずかしくなってくる。

 しかし今更発言を撤回して『実は泣いてました』などと言うのもおかしな話なので、ディーノは何とも言えない表情のまま黙り込むしかなかった。



 そして数秒の沈黙が流れた後、フーマが気まずさに耐えられなかったのか口を開く。



「そ、そうだ! ゴンザレスから聞いたんだよ、君が暇していて彼が蝋燭を渡したって話をね! 其れで僕も何か出来ないかと思って……」



 ディーノに気を遣ってくれているのか、フーマは普段ほとんど発さない元気な声を無理に出して懐に手を入れた。

 その様子にディーノは一層自己嫌悪感が増したのだが、発する言葉が一つも見つから無かったので何かが出てくるのを待ち続けた。

 一刻も早く別の話題が欲しかったのだ。



 ディーノの助けを求める様な視線を感じながらフーマは慌てて懐を探り、慌ててテンパったのか少し手間取りながら不思議な物体を取り出す。



「ん? 何だ此れ……玩具か何かか?」



 その取り出された物体が余りに変わった見た目をしていたので、ディーノは感じていたモヤモヤする感情を忘れた素の声がもれた。

 其れは変わったカラフルな色をした円錐形の物体で、その中心を貫く様に一本の先端が丸くなっている鉄の棒が伸びている。

 全くどう使うのか分からない、しかし直感的に玩具だと感じた何かであった。



「凄い、よく此れが玩具だと分かったね。此れは『コマ』っていう僕の出身地伝統の玩具なんだッ」



 ディーノの素の声を聞いてフーマも安心したのか、普段同じ眠気を誘うような優しい声質にもどっていた。

 其れから懐から今度は一枚の小さな皿を取り出し、コマをその上に置いた。



「ちょっと使い方見せるから見てて。先ずはこの銀色の棒、軸って言うんだけどこの部分を両手で挟む。そしてその両手を前後逆に擦りつけながら動かすと……ッ」



 フーマが軸を両手で挟み、素早く擦り合わせるとそのエネルギーがコマに乗り移って回転し始めた。

 目で追えぬ速さで回転するコマは目の錯覚で模様が変化し、まるで花の様になった。



「凄え……何だ此れ!! メチャクチャ面白い玩具じゃん!!」



 生家を追われる前は大量の玩具を買い与えられていたディーノであったがこのコマという玩具は見たことが無く、いい歳にも関わらず感嘆の声が漏れてしまった。

 もしもこの玩具が幼い頃にあれば確実に時間を忘れて回し続けていただろう。



「良いリアクションだね。でも僕は玩具として時間潰しに使って貰う為にこのコマを持ってきた訳じゃ無い、本題は此処からさッ」



 そう言うとフーマは腕まくりし、コマを乗せている皿を右手で持ち上げた。

 そしてゆっくりと皿を傾け左手の人差し指に近づけ、その傾きに従って移動してきたコマをそのまま人差し指に移し替えたのだ。



 その光景を見たディーノの口から再び感嘆の声が漏れる。



「僕の地元は金属の鍛造で有名でね、このコマにもその技術が一切出し惜しみなく注ぎ込まれているんだ。コマっていうのは単純に言うと純粋な円に近いほど良く回るんだけど、このコマの外周は限りなく半径3センチの円に近いんだよ。凄い技術だろッ」



「へえ、凄えな……」



 ディーノの口から素直にそう言葉が零れた。

 玩具とは人間が生きる上で必ずしも必要な物では無い、優先度では末端も末端、最も優先順位が遅いモノの一つである。

 しかし、いやッだからこそ玩具とはその文化を映す鏡なのである。

 玩具がどれだけ発展していてバラエティーがあるのか、其れはストレートに文化の豊かさに直結するのだ。

 だとするとたかが玩具に此れだけの技術を注ぎ込めるフーマの地元は余程文化が成熟しているのだろう。



 そう勝手にディーノがコマの裏に存在しているバックグラウンドを想像している中、依然としてフーマの説明は続く。



「まあ何が言いたいのかと言うと、このコマは真っ直ぐで障害のない場所だと1時間近く回り続けるってこと。だけど少しでも回転の軸がズレると……」



 そう言うとフーマは注視していても気が付かない程僅かに人差し指を揺らした。

 しかしその小さな揺れがコマに伝わった瞬間そのコマ自身が揺れを増幅させてしまい、途端に大きく崩れながら回転し始めて指から落下する。



 その光景を見たディーノは、余りに繊細で儚い玩具に感じて俄然興味が湧いてきた。

 しかし、結局玩具として使う以外の使い道が想像できない。

 フーマが数秒前にしていた含みのある発言から何か理由があって持ってきたのだろうが、其れがディーノには分からなかった。



「で、これを使って俺に何して貰いたいんだ?」



 ディーノは一人で悩むのを諦め、ストレートに質問を投げかける。



「そうだな……ディーノは数日前に僕の技術を教えて貰いたいって言ってたよね? 今は身体を動かせないから本格的なのは出来ないけど、今の内に基礎を固めておこうと思ってね」



「基礎? このコマって玩具でか??」



「ああ、これは僕の地元で最も有名で効果的な練習方。僕が使用する技術『崩身』の初歩の初歩だ」



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