オトナのラノベの作り方

ぼを

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俺たちのオナニーに賢者タイムはいらない

第1話

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「よう、待ちかねたぞ」

 会議室の扉を開けるなり、目に飛び込んできたのは金山のにやけた髭面だった。
「残業か。ご苦労な事だ」金山が言った。「うちみたいな比較的大きな企業だと組織はヒエラルキーで雁字搦めだ。彼らの地位はもはやお飾りでしかないが、その飾りつけと高い給料のため、優秀な部下たちは報告資料作成という空虚な人生の消費を強いられる。愚かな事だがそれがこの国の形だな。何故、スーツの販売数ギネス記録を打ち立てたのが日本の企業なのかよくわかる。あの黒やら灰色の衣料品ほど個性を容易に殺せる物はないだろう。度し難い事だが、残念ながら雇われる側もそれを望んでいるから絶望的だ。破壊的イノベーションが起こる土壌がない。これはラノベの世界でも同じ事だな」
「こちらの方は?」
 僕は金山の講釈を無視しつつ、向かいの椅子に腰かけながら、彼の隣に座る若い女性について訊いた。僕が視線を送ると、女性は無表情に会釈をしてきた。瞬時に、苦手なタイプだと解った。
「美人が集まる部署は大抵運命づけられている」金山が言った。「セクハラだなんだ言ったって、結局容姿は商売の武器なのは否定できないからな。ただし、残念ながら社長秘書に選ばれる美人は出世欲に乏しい人材と相場が決まっている。あまりにも明確な理由でな」
「こちらは社長秘書の方?」
 僕が訊くと、女性は冷笑した。金山は、おいおい、まだ何も言ってないぞ、と返してきた。
「こちらはプロモーション部の希望の星、堀田女史だ。社員の立場でありながらメディアの矢面に立ってカメラのレンズを向けられるのは、広報プロモ関連の部署の人間だからな」
 僕はそれで、彼女の立場をようやっと理解した。僕は椅子から腰を少し浮かすと、握手を求めながら、営業企画部の鳴海です、と自己紹介をした。
「…よろしく」
 堀田は、僕の握手には応じずに、無表情のまま言った。僕は鼻白みながらも、椅子に深く腰掛け、わざと咳払いをして見せた。これだからメディア関連の人間は苦手だ。
「鳴海よ、勘違いは最悪の愚行だ」金山が言った。「そもそも、容姿端麗なる女史と醜男では見えている世界がまるっきり違う。これは精神的な意味ではなく、物理的な意味で言っている。リアルにクソ程違う。これを暴くに適したデバイスは一眼レフカメラだ。美人の若い女とお前とにそれぞれカメラを貸し与え、『できるだけ多くの人の顔写真を撮る』テーマを与えて一日撮影をさせた結果を見れば瞭然。女のカメラに記録された人間は、いずれも満面の笑顔、優しさに満ち溢れた眼差しが映っている。それも大量に、だ。その笑顔が偽りか本当かは問題ではない。翻って、お前の写真に写っているのは、ぎこちない苦笑、レンズを塞ごうとする掌、カメラを向けたことを叱りつける瞬間の姿、そんなところだ。そのくらい、美形である事はアドバンテージを持っている。そして当然、笑顔に包まれた人生と仏頂面に囲まれた人生が同じ結果を導く筈がない。そういう世界を生きて来ながら、これだけ冷静である事が、堀田の性質を雄弁に物語っている」
「でも、どういう理由で…」僕は金山の方に目線を送りながら言った。「堀田さんに来て貰ったんだ? てっきり、ラノベの構成変更について話し合うんだと思っていたんだが」
「鳴海よ」金山が言った。「ラノベの構成変更は悪手だ。何故なら、中身を磨くことにはあまり意味がないからだ。多くの愚かなクリエイター気取りの連中は、未だにコンテンツは中身が良ければ売れると思い込んでいるが哀れな思い違いだ。どんなに洗練された中身だろうが、認知されて消費されなければ価値がない。それは存在しなかったことと同じだ。努力が報われるなんて思っている時点で人生を浪費している」
 金山の言いたいことは良く解る。コンテンツなんてものは、質に拘り過ぎていつまでも世に出さないよりは、多少妥協があっても露出させた方が意味がある。
「そこで、堀田女史の力を借りる事にする」金山が続けた。「ガキどもにはない力を使うんだ。俺たちはオトナだ。まず、会社という長年湯水の如く予算を消費する事が許される環境で培われたノウハウという名のチート機能を使う。つまり、堀田のプロモーションスキルをお前のラノベに注入する」
「会社の力を使ってプロモーションをかけるってこと?」
 真面目に言えば公私混同はコンプラ違反だ。会社の予算は愚か、ノウハウなんかのアセットを流用するだけでも罰則があるんじゃなかろうか。
「面白い話ではないわね」堀田が口を開いた。僕は少しギョッとしながら、炯々たる眼光を直視できずに、堀田の胸元に視線を落とした。「なんであたしがラノベの手伝いなんてしなきゃならないの?」
 ほら見ろ。オトナの世界ではラノベの扱いなんてこんなものじゃないか。会社の他の人間を巻き込むなんて馬鹿げてる。
「堀田よ、そうじゃない」金山が言った。「俺たちにとってはラノベを受賞させる事が目的だが、お前の仕事は如何に価値の無い物に対して、価値があるかのように見せかけるか、だ。それも、普段ターゲットにしているようなF2層やM2層の人間に対してじゃない。中学高校の、中二病を患って黒歴史を量産している事に気づくほどの客観性をまだ獲得していない哀れなガキどもが相手だ。例えば、俺の最新ボカロ曲のタイトルは『わたしのオナニーに賢者タイムはいらない』だが、これは完全に奴らをターゲットに抑えている。気になったらニコニコで検索してみるんだ。コメントも忘れずにな」
 金山の言葉に、堀田は腕組みをして鼻を鳴らした。僕には、僕のラノベが無価値だと金山が言ったことに対して突っ込みを入れる余裕がなかった。
「今時ラノベがどれだけの金になるって言うの?」堀田が言った。「ネットでは素人が書いた目も当てられない小説が、それほど腐るほど転がっていて、しかも品質に至っては恐ろしく偏差してる。どれを読んだって根本的には変わらないでしょ? つまり消費するコンテンツとして、すでにラノベは金を払って読むほどの価値を失っている。今更何かの賞を受賞したところで、数十万程度の金を渡された後は仕事もなく、確定申告をする面倒な作業が増えるだけじゃないの。食いつくされたレッドオーシャンに身を投げる程、あなた方は愚かではないと思うけど?」
 重々承知だが、それでもまだ18年前はレッドオーシャンじゃなかったんだよ。だから『ロードス』で良かったんだ。エンデはまだ面白かったが、トールキンは日本語訳の質が悪くて読めたものじゃなかったけれど、それ以外に触れられるコンテンツがなかったから読んだ。いい時代だったな…。
「その赤い海を青くするのが堀田の仕事って訳だ」金山が言った。「この海は確かに赤い。赤いが、その赤は戦場で倒れた百戦錬磨の戦士たちの傷口から流れた高貴な血の赤ではない。まだ昨日今日に初潮を経験したばかりの、ナプキンのブランドもサイズも羽のあるなしも本気では気にした事のない、初心な処女の血の赤さだ。俺たちはその処女たちの海に、完全武装して突っ込む」
 堀田は鋭い眼光を横目で金山に浴びせながら、暫く沈黙をしたのちに、口を開いた。
「コンテンツの品質が結果を左右しないとしても、あたしとしても初めて切り込むターゲット層だから、自信があるかと言われたら、容易には首を縦に触れない」堀田が言った。「でも、業務外だろうと、やると決めたからには結果は出したい。そして、結果を出すからには、それなりにお礼はして貰うから忘れないでね」
 成程。口は悪いが、堀田は元々、この話には協力する前提で参加してくれていた様だ。
「よし、では早速打ち合わせを開始しよう」金山が揚々と宣言した。「まずは『オトナのSNSの使い方』から始めるぞ」
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