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Zayin(ザイン)

第11話

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 自宅に戻り玄関の戸を開けると、すぐにミコがトイレの扉から顔を覗かせた。結局僕が有香といるときには出てこなかったのだから、彼女にとってまずい事はなかったんだろう、と思いながら、靴を脱いだ。

「どうだった?」ミコが訊いて来た。「人妻だったの?」
 ああ、それは訊き忘れた。
「どういう状況だったかは、君が一番解ってるだろ」僕が言うと、ミコは頭に手を遣り、そうでした、と小さく舌を出した。「何かあったら僕の意図に構わず出てくる、と言ったミコが出てこなかったんだから、特に何もなかったと認識してるけれど」
「それはどうでしょう」ミコが茶化す様に言って来た。「でもまあ、今の所、ボクが心配しなければならない様な事はないね」
 ならいいんだけれど。

 僕は部屋に入り、電気を点けた。カーテンを閉めていないので、明かりが点いた瞬間、正面のガラス窓に自分の姿が映った。僕は、不意に目を逸らし、急いでカーテンを閉めた。

「リアルの彼女が出来たら、ってルールは」僕がPCの電源を入れながら、ミコに言った。「条件がちょっと曖昧過ぎたね」
 ミコは部屋に入ってくると、ベッドの上に腰かけた。
「どういう事?」
 ミコが訊いて来た。
「いや…」僕は、今日、有香との間に感じた事を思い出し、それをミコに言おうと思ったが、それは彼女を傷つけると思い、止めようとしたが、よく考えれば彼女はそれを解っている筈なので、やっぱり言う事にした。「多分解ってると思うけど、今日、有香と半日一緒にいて感じたんだ」
 僕の言葉に、ミコは頷いた。
「言いたい事、解るよ」ミコが静かに言った。「ボクが役目を終えるのは、単純にリアルな彼女が代替するからではないもんね」
「そうなんだ」僕が言った。「僕は別に、リアルな彼女が君と置き換わるとは思っていない。そりゃ、生身の人間の温もりなんかは求めているのかもしれないけれど」
「でも」ミコが言った。「それは多分、ボクでも満たせるもんね…?」
 僕は首肯した。
「ミコとのセックスは成功してないけれど、手を握れば体温を感じられるくらい、僕の脳は君を精巧に作り出してる」僕の言葉に、ミコは頷いた。「だから、別に彼女、という立場でなくてもいいんだ、きっと。現実世界において、ダイアローグを実現できる人と出会えれば。極端な話、女性でなくてもいいのかも」
 僕の言葉に、ミコは声をたてて笑った。
「そうだよね」ミコが言った。「でも、ちょっと落ち着いて欲しいな。真剣になり過ぎ、とは言わないけどさ」ミコは続けた。「そこのルールは、ボクが言う事じゃないかもしれないけど、ブレない方がいいと思うよ」
 この辺りの管理は、僕なんかよりも、タルパのミコの方がずっとしっかりしてるな。
「ごめん、そうだね」僕が言った。「ありがとう」
「ううん」ミコが言った。「ボクが出来るのは、飽くまでキミの手助けだけだから。ルールは今まで通り、単純に、リアルの彼女ができたら、にしとこ?」
 僕は首肯した。

 PCは疾くに起動していた。僕は自分の鞄を探り、有香から借り受けたCDを取り出そうとした…が。
「ない」
 CDがなかった。おかしい。彼女と別れてから、財布を取り出す以外に鞄を開けていない。
「どうしたの?」ミコが怪訝な面持ちで僕の顔を覗いて来た。
「いや…」僕が独り言の様に言った。いや、ミコとの会話も全て独り言か。「有香から借りたCDがないんだ」
 僕の言葉に、ミコは大きな目を数回ぱちくりさせた。
「音楽喫茶で筆談した時に借りた、Zayinって曲の入ったCD?」
 そうだよ。解ってるじゃないか。
「どこかで落とした記憶はないんだけれど…」
 すると、ミコが、ベッドの上を指さした。そこには、CDが置かれていた。
「ほら」ミコが言った。「これでしょ?」
 それです。
「なんでミコが持ってるの? どうやって鞄から出した?」
「どうやった…って…」
 僕は少し頭が混乱した。僕が無意識のうちに、鞄から取り出していたのだろうか。それって、知らない間にミコが僕を乗っ取って、取り出したって事? 否、それはM3の時にミコ自身が否定しているから、ないか…。
 ともあれ、僕はCDを取り出すと、PCに挿入し、取り込みを開始した。ミコが、僕の横に顔を並べて、興味深そうに画面を眺めている。
「ねえねえ」ミコが言った。「そのZayinって曲、ボクが歌ってあげようか?」
 僕は微笑を作り、頷いた。

 ミコは、曲に合わせて、気持ちよさそうに歌った。僕は、有香も同じような歌い方をするんだろうか、と思いながら、曲に聴き入った。





第5章のテーマ曲である「Zayin」を、以下のリンクより視聴いただけます。是非、聴いてみてくださいね!

https://www.nicovideo.jp/watch/sm26793330
※リンクで直接飛べない場合は、楽曲名で検索してください
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