金魚たちのララバイ

紫 李鳥

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 近くの喫茶店で仕事の内容を聞かされた与志子は、晃が運転するシルバーの外車に乗った。

 ……相手が同性だという、ただそれだけのことなのに、なぜかしら落ち着く。……もしかして。

 与志子はこの時初めて、自分が“性同一性障害”ではないかと思った。

 ……そう言えば、物心が付いた頃から女子にしか興味がなかった。友達になるのも、好きになるのも、決まって大人しそうな可愛い系タイプだった。

 男手で育てられたせいか、気性も男っぽいところがある。――だから、あの、正彦から受けた屈辱感は、異性嫌いに更に輪を掛ける要因になっていた。


 青山にある晃の店は、ロココ調の宮殿を思わせる造りだった。高い天井からは重そうなシャンデリアが垂れ、大理石のテーブルや小豆色のビロードの椅子も高級感を演出していた。

 晃が淹れた紅茶を飲んでいると、アンティークなドアが開いた。そこに現れたのは、ボサボサ頭のサンダル履きの男だった。

「紹介しよう。オノヨシコさんだ。こちら、この店のマスター、カズオだ」

「小生与志子です。よろしくお願いします」

 頭を下げた。すぐに顔を上げて一男かずおを見たが、無表情だった。

「スカウトした。なかなかいいだろう?」

「うむ……。少し痩せてるが、悪くないですね」

 寝起きなのか、がらがら声だった。

 ……喉仏をチェック。――ない。やっぱり女だ。でもそれ以外は、どこから見ても男だ。スゴい。カッコいい。与志子は感激しながら、一男をジロジロ見ていた。

「磨けば光るぞ。福島の生まれだそうだ。なまりがないんで訊いたら、親父さんが東京に長年住んでいたらしく、標準語で育てたんだと。しゃれたことをする。高校を卒業したばかりで、右も左も分からない。色々教えてやってくれ」

「……よろしくお願いします」

 軽く会釈した。

「うむ……。まず、このマフラーを取ろうか」

 横に座った一男の綺麗な指が、与志子が首に巻いていたマフラーのボンボンを掴んだ。途端、互いは何かに引き寄せられるように見詰め合った。――


 源氏名を佳男よしおにしてから既に三年が過ぎ、与志子は一人前の“タチ”になっていた。当初、店の二階の一男の部屋に間借りをしていたが、一年足らずで近くにアパートを借りた。自活しながら、故郷にも仕送りをしていた。

 当初は一男のコーディネートに任せていたファッションも、今では自分の趣味嗜好にこだわるまでになっていた。

 また、女性の好みも一男とは対照的だった。一男は、肉感的な成熟した女性を好み、与志子のほうは小柄で細身の可憐かれんな女性がタイプだった。

 一男には恋人がいた。銀座のクラブで雇われママをやっている由紀ゆきだった。由紀は一男より五つ、六つ上だろうか。美しい女で、花に例えるなら真紅のバラと言った感じだ。だが、由紀には、榎田えのきだというパトロンがいた。

 一男は由紀に惚れていた。その夜も、由紀は一人で呑みに来ると、由紀の指定席になっている、人目につかないVIP席に案内された。店では二人の関係は公然の秘密だった。

「なんだよ。昨日来るって言うから待ってたんだろが」

 一男は席に着くなり文句を言った。

「だって、急用ができたんだもの」

「だったら、電話しろよ」

「分かったから。もう怒らないで」

「榎田と週に一度しか会ってないんなら、俺に会う時間はたっぷりあるだろよ。それとも、榎田と頻繁に会ってるのか?」

「そんなことないわよ。何怒ってるのよ、もう」

 由紀が不貞腐ふてくされた。

「榎田より俺達のほうが長いんだからな。分かってんのか」

 一男は執拗しつようだった。

「呑んでんの?今日は変よ」

「もうちょっとしたら二階に行ってろ。早めに帰るから」

 一男はポケットから出した鍵を由紀に渡すと、晃に目配せをして席を立った。代わりに晃が由紀を接待した。


 ――与志子は、好みの女性に奉仕したいという欲求が芽生えていた。街を歩いていても、タイプの子には自然と目が行く。するとすぐに名刺を渡す。「ヨシオです。お待ちしてます」と一言添えて。

 一男と青山通りを歩いたりすると、宝塚の男役と言った具合に、若い女性の視線を集めた。そんな時、社交的な与志子はスターになったつもりで手を振る。

 ――その夜、クラブ〈晃〉は盛況だった。一男の客が三組来ていた。一男を目当ての客は必ず一人でしか来ない。その一人、二十半ばのホステス、美夜子みやこが、長時間ほったらかしにされて激怒した。

「ちょっと、マスター呼びなさい!」

 新米の麗人に命令した。新米は小さくなると、急いで一男を呼びに行った。

「ごめん、ごめん。待たせたね」

 慌てて駆け付けた一男が、美夜子の肩に腕を回した。

「何よ、あんなブスと踊って。私をほったらかして」

 美夜子は酩酊めいていしていた。

「悪かったよ。あんまり呑むな」

「冗談じゃないわよ。騙されないわよ。あの客ともデキてるんでしょっ!」

 今にも泣き出しそうだった。

「デキてないよ。ただの客だよ」

「フン、馬鹿にしないでよ。私があんたに幾ら注ぎ込んだと思ってんの?いい加減にしてよ!」

 そう怒鳴って、氷の溶けた一男のグラスを手にすると、一男の顔にひっかけた。途端、周りの客がざわついた。一男は一瞬無表情になったが、すぐにニヤリとすると、

「ありがとうございました」

 と深くお辞儀をして、

「もう二度と来るな」

 と低い声でドスを利かせた。美夜子は悔しそうな顔をすると、逃げるように店を出て行った。

 一男はおもむろにハンカチを出すと、濡れた顔を押さえながら席を立った。
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