雪待ちの人

紫 李鳥

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雪待ちの人

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 車窓に流れる疎らな家屋の屋根には、先刻までの雪が積もっていた。

 どうして、この町を選んだのだろう……。あ、そうか。東京から近い温泉地だからだ。ここなら、女が一人で歩いていてもボストンバッグを手にしていれば、不審に思う者はいないだろう。

 駅前の定食屋で食事を済ますと、並びにある喫茶店でコーヒーを飲みながら段取りを立てた。――暗くなった道を温泉街へと歩いた。

 アイスバーンになる前の雪道は歩きやすかった。人家が疎らになると、車のヘッドライトだけが行き交っていた。

 後方から来た一台のタクシーが、私を乗せたいのか、徐行を始めた。わずらわしく思った私は、人家の明かりが見える小道に入った。

 タクシーから逃れると、適当な場所を探した。まだまだ人家はある。この道の先に果たして適当な場所はあるのだろうか。

 ただひたすら歩いた。この辺で誰かに会ったら、不審を抱かれる。

 ……どうか、誰にも会いませんように。

 そう祈りながら、ザクッザクッと雪を踏んだ。――


 もう、人家はなく、目の前には、雪を被った針葉樹が立ち並んでいるだけだった。

 ……やっと、理想の場所に来られた。後は雪を待つだけだ。

 木立を縫って、奥へ奥へと進んだ。――すると、適当な大きさの松の木が、象の鼻のように反り上がっていた。

 ……これにまたげば、幹に背もたれができる。

 コートの裾を引っ張って跨ぐと、バッグから果実酒の瓶を取り出した。そして、何の躊躇ちゅうちょもなく、ラッパ飲みをした。後は雪が降るのを待つだけだ。――



「……ご臨終です」

 医者のその言葉に、私は涙も出なかった。ただ、夫の手を握り、生き返るのを待っていた。

「き、奇跡です!」

 そんな、医者の言葉を期待しながら。だが、その後に医者からの言葉はなかった。途端、せきを切ったように、抑えていた感情が噴き出した。

「あなたーっ!」

 傍迷惑はためいわくも考えず、号泣した。――


 ボトルの半分も呑むと、体が火照ほてってきた。後は雪を待つだけ。――ボトルを空にする頃やっと、待望の雪が降ってきた。

 ……あ、雪だ。これで雪に埋もれて死ねる。

 コートから腕を抜くと、降る雪を仰いだ。

 ……あなたのいない世界なんていらない。あなた、これから逢いに行きます。待っててね……。

 心地好い眠気が襲った。私は静かに目を閉じた。

 ……あ、な、た……。




『おーい。そんなとこで寝たら風邪引くぞ。それより、早くめし作ってよ。腹減った』

 どのくらい眠っただろうか。夫の声で目を覚ますと、雪は止んでいて、辺りは白々としていた。急に寒気がして、コートの袖に腕を通した。

 ……死ねなかった。夫の声で起こされて死ねなかった。





 空瓶をボストンバッグに入れると、来た道を戻った。歩きながら、滑稽こっけいな結末に自嘲じちょうの笑みを浮かべた。――
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