檻の中の黒い手

紫 李鳥

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満開の桜

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 ……亜希子、何処に居るんだ?今直ぐ、会いたいよ。

 亜希子と出会ってから、桐生は一度も自宅に帰ってなかった。

 当夜も、署に寝間を設けると、怠惰な肉体を投げた。だが、眠れる筈もなかった。

 コートを手にすると、夜の街に出た。

 立ち飲みで、一気にコップ酒を呷ると、歌舞伎町から大久保通りを徘徊した。声を掛ける外人の売春婦を横目にしながらも、体たらくな自分の形と重ねていた。

 ……今の俺には、こいつらを蔑視する資格はない。俺の気持ちの何処かで亜希子の代理を求めていた。

 だが、結局、辿り着いたのは先刻、設けた署のベッドだった。

 亜希子の事を考えているうちに、桐生は不図、亜希子の部屋の様子が頭に浮かんだ。

 ……あっ、そうだ!

 翌日、再び、大家を訪ねると、亜希子が何処に家財道具を処分したかを聞いた。すると、チラシのどれかではないかと言う事で、保管していた数枚のチラシをくれた。

 早速、桐生は貰ったチラシに電話をした。それは、二枚目のチラシの電話で回答が出た。

「やったっ!」

 桐生は奇声を上げた。

 家財道具は処分しても、壁に掛かっていた風景画や他のスケッチブックなど、段ボール三箱ほどの、あの大切な絵を処分する筈がなかった。

 荷物を保管していると言う万屋は、亜希子からの連絡を待っていた。

 そして、万屋から電話があったのはその日の午後だった。桐生はコートを引っ掛けるとその足で、書き留めた住所に急いだ。

 亜希子からの連絡があったら、万屋から一報をくれる手筈になっていたのだ。



 ――白骨温泉に着いた桐生は老舗旅館の帳場に声を掛けると、夕間暮の川辺に佇んだ。

「さすが、刑事さんね」

 亜希子の声が背中でした。ゆっくり振り返ると、仲居姿の亜希子が中途半端な笑みを浮かべていた。

「探り当ててスゴいと思ったか」

「ううん。刑事ならもっと早く見つけなさいよって思った」

 亜希子はそう言って横を向いた。

「相変わらず減らず口だな。……飯田を逮捕した」

「……遅すぎ」

「すまなかったな、不安にさせて」

 桐生は亜希子に会いに行かなかった数日を詫びた。

 そこには鼻を啜る亜希子の横顔があった。

 桐生は亜希子の肩を抱いた。

「……お前と出会ってから家に帰ってない」

「だから、何?」

 亜希子が生意気な目を向けた。

「だから、一緒に帰ろ。同級生なんだから」

 亜希子はその台詞に吹き出すと、

「もう、笑わせるんだから」

 と、口を尖らして桐生を見た。

「しかし、若く見えるよな」

「何よ、それも罪なの?」

 ……亜希子の天の邪鬼が始まりそうな気配だった。その前に連れて帰らなければ。

「罪じゃないよ。褒め言葉のつもりさ」

「あなたの言い方には真実味がないのよ。逆に人を小馬鹿にしてるように聞こえるの」

 ……あー、間に合わなかった。到頭、怒らせちまった。この分じゃ、梃子でも動かないだろな。……さて、どうするか。

「……東京に着いたら、アパートを探さないとな」

 ……知恵を絞って出た言葉がこれだ。俺もボキャブラリーが貧困だな。

「東京に着く頃には不動産屋なんか閉まってるわよ。バカみたい」

 ……ほら、みろ、案の定だ。チクショウ、悔しいな。

「……じゃ、今夜は何処かで泊まるか」

「……何処で泊まるの?」

 亜希子が弱い視線を向けた。

 ……やった!亜希子の気分直しに成功した。

「何処にするか?白骨にするか?それとも東京にするか?」

 気分を損ねないように、手探りで言葉を択んだ。

「……あなたに任せる」

「よし、俺に任せろ」

 桐生はチャンスとばかりに亜希子を抱擁した。

「……亜希子、もう逃げるな。俺が守ってやるから」

「……ホントに?」

 亜希子は桐生の胸元で呟いた。

「ああ。同級生なんだから」

「あ、もう、そればっかり」

 桐生から離れると、亜希子はまた、口を尖らせて睨んだ。

「ほら、早く、退職届出してこい」

「さっき、採用されたばっかりなのに?何て言って?」

「親戚に不幸があってでも、風邪気味なのででも、何でもいいじゃないか」

「それは仮病で休むときの文句じゃない」

「あ、そうか……」

「バカみたい。刑事系以外は何の役にも立たないんだから」

 ボロクソだな。そこまで言わなくても……。

「じゃ、言ってくるね、辞めるって」

 亜希子が歩き出した。

 ……俺の中では既に亜希子との青写真が出来ていた。後は亜希子の返事待ちだ。いや、亜希子に有無は言わせない。強引にしないと、また、糸の切れた凧のように何処へ行くか判らない。亜希子はそんな女だ。



 着替えて来た亜希子からボストンバッグを受け取ると、右手を握った。その光景はまるで、補導した家出少女を、私服警官が諭しながら故郷まで連れて帰るかのようだった。





道すがらの満開の桜が、星屑の光で白く浮かび上がっていた。――








    了
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