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少女アリと魔晶壁
しおりを挟むフラフラと、街の大通りを歩く。露天商の客呼びがあちこちで響き、興味を惹かれた人が寄っていく。それなりに賑わっているが、傭兵をやってた時に訪ねた都市のイチバと比べるとやはり活気が薄いし、それに田舎くさい。
洗練さが足りない。
悪いところを見てしまう。心が荒んでいる証拠だ。
「はぁ~……」
大きな溜息が出た。ポケットに手を入れる。プニプニとする肉の感触と、サラサラとする羽の感触。
妖精だ。ついてきたのか。いつもは部屋から出てこないのに。
「浮かない顔をしてたから?」
心配してくれる奴がいる。少し気が楽になった。
朝にヤクザの荷運びを手伝って、銅貨を五枚もらった。あいつらにしちゃエラい太っ腹だ。重要なブツだったらしい。中身は知らないが、一つくらいくすねてやりゃ良かった。
今日は気乗りがしない。街の外まで行くのだるい。壊れて捨てられた樽の上に座り込んだ。足を組み、空を眺める。
輪郭のない、溶けていくような雲が好きだ。
一方、地上のなんと無様なことか。まるでぬるい地獄だ。
ここで、夕方までボーッとしてようかな。ついでに、街行く人の噂話にも耳を傾けてみて、金になる魔物の情報にありつけたらとても嬉しい。
「なに考えてんのか当ててやろうか。『アリちゃんとまたヤれないかな』」
「あれは事故。ハズレ。パンはやんねえ」「ケチっ」
少女アリが隣に座る。面白い側の乞食。懐を弄る。モチモチした塊を取り出し、彼女に手渡した。不思議そうに首を傾げる。
「これは?」「パンの代わり」「うめえっ!」
「……動物の脂と甘い木の実を煮詰めて作ったもんだ。詳しい製法は企業秘密」
「売れば絶対売れるぜこりゃあ」
「アホか。ガキに商売の許可が降りるわけねえだろ」
「そういや聞いてなかったな。ラキって何歳なんだ?」
「十三」「そのガタイで? 年上だと思ってた。あたしより一個下じゃん」
「あんた、年上だったのかよ。まじか。ヤった後罪悪感覚えて損した」
「にっしっし」
アリはイタズラっぽく笑う。「おねえさん」みたいな雰囲気を漂わせて。二ラウンド目で気絶したくせに。生娘だったみたいだから仕方ないけど。
屈服させたい欲が出てきたが、まだ真昼間だ。抑え込む。
「で、どうしたんだよラキ」「なんだよ」
「しんきくさい顔しちゃってさ。その、さ、すげー気になんだよ。さっきのお菓子と日頃のパンの礼だ、聞いてやる。なにかあったのか?」
すごく優しい声音だった。オレのことを思ってるのが伝わってくる。
膝を折り、抱え込んだ。つい正直に話してしまう。
「姉ちゃんのために貯めてた金を、姉ちゃんが使い込んじまった。多分、洒落た男に引っかかって貢いぢまったとか、そんなとこだろな。どうせ見向きもされねえのに」
「家族、いたんだ」「姉ちゃんだけだよ。親の顔は知らねえ」
彼女が五歳の頃、二歳のオレと一緒に捨てられたらしい。傭兵団に拾われるまで、一人でずっと頑張って、頑張って、頑張り続けて、小さかったこの手を引いてくれた。
あんなに眩しく、輝いてた人だったのに。
見る影もなく、小さくなってしまった。目を伏せる。
「ラキがデカくなり過ぎたのもあんだろよ」「……白目剥くくらいにな」
「うるせえっ! バカ、バカバカ! ……家族のことで悩んでたらナイーブになるぜ。そだな、ラキはせっかく強いんだしよう、『魔物ぶっ殺せて楽しっ! ウハッ☆』みたいなテンションで生きていこう」
「なんじゃそれ。クスリキメてんだろそのラキ。オレの経験則から言わせてもらうとなあ、常にハイテンションで生きてる奴はリアルから全力で目を逸らしてるんだぜ」
「自殺しないだけマシだな。はは。慰めになるかは知らねえけど、魔晶壁拾ったんだ。誰かが落としたんだろな。一緒に見ようぜ」
「すくりーん?」「映像作品を楽しめるヤツ」
「あー。都会で見かけたな。触ったことねえけど」「ちょうどいいや」
その魔晶壁は、掌大の長方形だった。起動する。
映像は白黒。動きはかなりカクカクしている。都会で飾られたものは色が付いていたし、もっとスムーズだった気がする。役者ももっと上手、だったような。
でも、無機質な四角い石の内側で、生き物が、空気が流れているのはやはりとても不思議で、神秘的で、淡い黒に輝く力で引き摺り込まれた。
色が勝手に湧いてくる。
風景はもちろんのこと、人の感情――甘い恋、渦巻く嫉妬にも色彩が宿る。温度や触感も分かる。
空気の味も。
まるで、魔晶壁の中に入っちまったみたいに。
「身分違いの恋か~。憧れるけど、あたしにゃガツンと重いぜ」
苦笑いするアリの言葉に、ハッと現実に引き戻された。
が、魔晶壁と観客の間に生まれた、こう、なんだろう、冷たく冴えわたる、透き通るような空色の空間からは、抜け出せていなかった。
主人公の少女に惹かれる貴族の少年、彼がオレに寄生する。
立ち上がる。大通りの騒ぎ声や雑踏の音が消えた。
世界にアリしかいない。
「いつか君が語ってくれた、かの英雄には叶わなかった夢をオレが叶えよう。無責任だと罵ってくれ。すべてを捨てて、君を迎えにきた」
小さなアリを抱きしめる。
「愛してる」
そこまで言って、ようやく、魔晶壁から完全に解放された。
オレは、何をやってんだ? 恐る恐るアリから身を離す。彼女は顔を赤くして、カチンコチンに固まっていた。
体の芯から熱くなる。
辺りを見回した。大通りを行き交う様々な人たちが、皆一様に足を止めていた。オレたちを見て。
言葉が出ない。やばい。
やばいってこれ。
「君。とてもいいね」
高く豊かに響く、女の声だった。青く煌めく髪の美女。
パチパチパチ。彼女は拍手を始める。周りもつられた。どんどん大きくなっていく拍手の輪。口笛まで聞こえる始末。
頬の温度が最高潮に達した。アリの手を引き、そそくさと路地裏に逃げる。
なんて、なんて恥ずかしい真似を。ああ、あああっ。叫びたい。一生モンの黒歴史じゃねえか。頭を抱える。
穴があったら一生冬眠してやる。ちくしょう。
「あ、あの。ラキさん」「なんでしょうアリさん」
「夜にまた、さっきの場所で待ってるから」
顔を真っ赤にして、彼女はそう言った。
そういうことだ。ここで逃げたら、傭兵団の皆とまた会った時、副団長自らの手で打ち首にされかねない。
重く頷く。
「それと、言い忘れてたんだけど。真面目な話な」「ん?」
「最近ここらで、安いけどおかしなクスリが流行ってる。気をつけろ」
「あ、ああ」
フラフラとした足取りで、彼女は住処の方角に向かう。
口元に手をやる。呟いた。
「働くか」
街を覆う柵へと赴く。その途中で、よく飲んだくれてるヤクザの下っ端と出会った。
「いい話がある。賭場までついてきな」
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