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二章:聖女の非日常に組み込まれてしまった

「タイヤのない車」に乗ってしまった

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 金持ちの屋敷、地下奥深くに納められた、タイヤのない車。そこはかとなく裏というか、怪しげだけど神秘的ななにかを感じざるを得ないシーン。映画館のスクリーンで流れれば、頭がいいとは言えない私でも、場面に込められた意味を深読みするだろうと思われる組み合わせ。
 でもこの地下空間は、メロウが作ったものでしょう? 出入り口の空間が、魔法的な術で管理されてたし。とすると、「タイヤのない車」は、メロウ製の作品ということになる。神秘性が消え、怪しさだけが肥大化する。
 ぶくぶくにふくれ上がる。

「これは?」「タイムマシンです」

 指を差して尋ねると、こともなげに答えられた。固まる。

「なんじゃて?」「ですから、タイムマシンです」
「ドラ◯もんとかバッ◯・トゥ・ザ・フュ◯チャーとかに出てくる、あの?」
「はい。そうです」「……はは」

 唇を歪めた。首を小さく横に振る。さらに不信感が増す。
 現在の技術では、時を超えるなんて不可能なはず。みんなそう言ってるし、なんなら、将来にわたって実現は無理じゃあないの? 聞いたことあるもん。モノの運動が不可逆だからこそ、人は時の前進性を感じるだけだって。

「やっぱり成子ちゃんには見えてますね。はっきりと。くっきりと」
「うん。だってそこにあるじゃん」

 車に近づき、パシパシ叩く。手触りは滑らかだ。

「そこにあって。そこにはないんですよ。この車も、学校の裏庭にあった車も」
「?? ゼン問答?」「実演した方が早いでしょうかね。沐美ちゃん」

 かつてこの屋敷の主で、今は奴隷をやってる彼女に話しかけるメロウ。

「突っ込んでみてください。ゴー!」「えっ? ちょっ」

 地下室に、メロウの無慈悲な号令が轟く。
 それに従い、沐美はヒュンと走り出す。ぶつかると思った。掌で両目を塞ごうとする。
 沐美は車体を、すり抜けた。そこに本物の車などないかのように。さもホログラムみたいに。驚き、再び車に手を伸ばした。普通にタッチ出来る。塗装された金属の感覚。え? え?
 え? ポカンとした。

「沐美ちゃん。そもそも、ここにある車、見えてますか?」

 問いかけられた彼女は、フルフルと首を振った。

「これで分かりましたか? 少なくとも沐美ちゃんにとっては、この車は存在しないも同じであるということが」
「……まあ。うん」「素直でよろしいです」

 心理的に受け入れられてはない。でも、目の前で見せつけられれば、自称聖女の言った通りなのだと理解するほかない。

「私の体液を日常的に注ぎ込まれ、そして、私の子を宿している沐美ちゃんなので、殺人ウイルスのパンデミックはしのげたようですけれども。だからと言って、彼女の生まれながらの特質は、変わっていません。時間次元とリンクすることは出来ない、普通側のままなのです」

 とうとう妊娠しちゃったのか。かわいそうに。
 という考えは、もはや現実逃避にすぎない。聞き慣れない情報がバンバンと詰め込まれ、数少ない脳の回路がこんがらがりそうだ。いつ爆発してもおかしくない。どうにか耐える。

「私は」

 口を開いた。

「私は沐美と違って、普通側じゃないってこと?」
「はい。成子ちゃんには素質があります。時間の壁を越える素質ね」

 メロウは部屋の端に赴く。工具を持ってきた。ボンネットを開けて、何やら細かな作業を始める。

「私と一緒に『時の回廊』に閉じ込められたのがいい証拠です。時間次元と断絶している普通の人々は、そもそも入れもしないんですよ、あんな御伽噺に出てきそうな結界にはね。あと、黒いヒビから落ちてきた物品や怪物も、ちゃんと見えていたようですし」
「播磨くんファンクラブの、死んじゃったあの二人にも見えてたよ」
「成子ちゃんがその場で認識したせいで、現世の存在として確立されてしまったからです。でもニュースでは、成子ちゃんの証言は幻覚として処理されていたでしょう? 成子ちゃんによる認識の効果が切れたためです」
「あいつら……私のせいで死んだの?」
「いいえ。黒いヒビの近くにいたなら、どうせ死んでいたでしょう。存在としての輪郭を持たずとも、ちゃんと殺傷能力はありますからね」

 わけ分からん。
 ボンネットが閉められる。

「学校裏にある廃車も、タイムマシンなの?」
「はい。正確には、ずいぶん昔に打ち捨てられた、タイムマシンの残骸です。どこかのタイムトリッパーが、何十年も前に乗り捨てたんでしょう。成子ちゃんによる認識効果が働かないほど、力も存在も希薄になってます」

 他の人には、見えてない。
 だから噂にもなってなかったのか。あんなにイ◯スタ映えしそうな休憩スポットだったにもかかわらず。

「あの車は、五年もしないうちに消えるでしょうね」
「良かった。卒業してる。世界が滅びてなければの話だけど」
「察しが悪いですね」

 鼻で笑いつつ、メロウはフロントドアを開け、運転席に乗り込んだ。顎で助手席をすすめられた。私も乗る。座り心地のいい椅子だった。
 ちょっとだけリラックスして、ようやくメロウの目的が見えてくる。
 希望の光が心に灯る。
 同時に、大きな疑問も湧き上がってきた。出会った当初からくすぶっていたのに、なんだか怖くて、ずっと踏み込めなかった疑問。

「メロウって。ホントは何者なの?」
「私は、未来からきた・・・・・・聖女です」
「聖女はウソでしょ」「聖女もホントですって」

 キーが回された。エンジン音が炸裂する。

「このタイムマシンはですね。本来は、私が未来に帰るために作ってたものなのですが。『時間の神』に目をつけられてしまっている以上、ここで使ってしまった方がいいでしょう」

 フロントガラスを下ろして、時間次元とやらにアクセス出来ない以上、必然的に取り残される沐美に対し、「私たちが行ったあと、テキトーに死んどいてください」と命令する。サイドミラーに、コクリと頷く彼女が映った。
 見えない車に乗る私たちは、沐美にはどう見えているのだろうか。

「かわいそうじゃない?」「孤独なのに死ねない方が可哀想ですよ」
「そうかな」「では」

 ウィーンと、フロントガラスを閉める。
 レバーを操り、ハンドルを握った。

「過去に帰りましょう。滅ぶ前の過去にです。ははは。ファッ◯ン『時間の神』」

 発進する。一瞬の浮遊感。ガタン、と車体が揺れるとともに、窓の景色がグルリと塗り替わる。思わず目をつむった。
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