上 下
28 / 30
第一章

24.【水帝のリカルダ】●●●

しおりを挟む


「……世界に流れる、血液ですか。先生の言いたい事は何となく分かりますが、やっぱり私にはそれがどの様な感覚なのか分かりませんわ」

「ん、っとそうだね。
 ──……血は温かいよね? 人が生きるには血が必要だ、この血は沢山の命を糧にして作られて巡っている。
 この世界に生きる生物はその多くが循環と回帰に繋がってるんだよ。
 死は生き物にとって冷たい眠りでもある、この世界にはまだ『外』が作られていないけれど……いずれ僕らを温かくしてくれている陽の光全てにも意味が生まれると思う。
 人だけじゃない。
 僕ら人類種の始祖種とも言われるエルフたちも人間ほど血肉を好んで食べたりしないものの、世界を覆う自然に近い微量で純粋な魔力を吸収しながら生きている。
 そして──みんな、その血は温かいんだ。
 僕にとって『魔力』というのは目に見える自然のひとつで、この手にも触れられる……熱を持った血潮なんだ。それに……」


 そこまで語って、暫し雨の降る外へ視線を向けながら何かを言おうとしたフェリシアの周りでパチンと電流めいた音が弾けた。
 複数設置されていた小さな箱型の魔道具、ルーシャの録音機がその容量を使い果たしてしまったらしい。
 フェリシアの視線が周囲を巡り、それから安堵したような残念なような顔を浮かべて。ルーシャの方へ彼は微笑みかける。

「……少しは楽しんで貰えたかな?」

 ルーシャ・バルシュミーデはほんの少しだけ頬を膨らませて、どこか不機嫌そうに答えた。

「絶対いま先生、言いそびれた事があったでしょう」

「無いよ?」

「いやありました。多分ですが言わなくても良い程度ではあるんでしょうが私にとっては面白そうな話をしている気がしました、さぁ白状して下さい」

「白状ってルーシャさん……」


 ────困り顔で黒い髪を揺らしていたフェリシアが、窓でも部屋の扉でもないあらぬ方向に顔を上げて目を見開いた。

(……どこを見て……?)

 彼に次いでルーシャが同じ方向へ視線を向けるが、そちらにあるのは壁だ。
 屋敷の中は当然ながら静かな様子だし、ルーシャも部屋の外を伺う魔術の心得があったことから何も無いのは明白だった。
 だがフェリシアの様子が一変している。
 ──胸の内で抱いた疑問を口にしようとしたルーシャの前で、フェリシアの姿が消失する。
 止める間もない。
 部屋の中を突風が吹いたと思った直後に燭台の火が閃光の様に瞬いてから消え、同時に床に赤い燕尾服のみが落ちた。

 今度は少女が目を見開いてあちこちを見回すが、勉強用の部屋などそう広くもない。
 ましてやフェリシアが隠れる時間など無かったはずなのに、完全に彼はその場からいなくなってしまっていた。

「な、なんなんですの……っ!?」

 置き去りにされたルーシャ・バルシュミーデが悲鳴混じりの声を上げて立ち上がり、燕尾服をわざわざ拾い上げてから机の上に叩きつけるのだった。






 ──雨の降り注ぐ城下町を見下ろす様に、上空へフェリシアは転移する。

 魔力の波紋が渦巻いて彼の出現と同時に宙に雨粒のドームが弾け飛ぶ最中、その中心で街を一望したフェリシアが小さく悪態をつく。
 彼がバルシュミーデ伯爵邸を飛び出して来たのは他でもない、街中で助けを求める声が上がったからだった。

(声は確かに聴こえて来た。でも……何処だ?)

 降りしきる雨のせいではない。
 しかし彼には今や誰かが上げた助けを求める声がもう聞こえて来なくなっている。
 それ自体が悪いという事はないのだが、フェリシアが緊急と判断した際に感知した『声』はもっと生死に関わる物だったはずだった。
 ではそれが何故、今は何の音沙汰も無いというのか?

(……死の気配は無い。
 殺されたわけじゃない、恐怖の念も伝わって来ないという事は意識を断たれた──……まさか僕の接近に気付いて?)

 救いを求めた者の命を脅かされているならば、屋敷を飛び出してから感知系の魔術と魔力による反響で索敵を試みていたフェリシアに気付けぬ道理はない。
 そうなれば襲撃者ないし魔の手は相手に助けを呼ばせるほどの殺意か悪意を以て脅かすのに次いで、わざわざ生け捕りにしたという事だ。
 意識を断つのにかけた手間は僅か一瞬、フェリシアが駆け付ける寸前のコンマ一秒に満たない時間だけだ。
 そんな事をする意味や理由は、そこまで徹底しておきながら殺害の後に逃走するという思考に至らなかったのは──つまり相手は初めからそのつもりだったという事。

 フェリシアの知る限り、エスト王国城下町を殆ど索敵の範囲下に収められる能力を持っているのは自分だけである。


「…………まんまと、誘い出されたわけか……?」


 大量の水飛沫と共に街中、メインストリートから離れた路地裏の端へフェリシアが降り立った。
 バシャリと足元で響く水音は一瞬で鳴り止み、また雨の降る音が周囲を支配する。
 緋色の衣装が『内側』から僅かに張り詰める。
 濡れた黒い髪の毛先が音も無く伸び、淡い白銀を纏ってから赤く染まって行く。

 ──やがて、赤髪が背中に達するまでに長さを伸ばした後。フェリシアの鋭い眼が前を向く。
 は気付かない。
 低い声。目線が高く上がった自身の背丈。
 揺れ動く緋色の魔力が勇者の手の中へと集うその姿を、本当に彼を知るかつての世界での人物達が居たならすぐに思い出しただろう。
 そこに在ったのは紛れもなく6年後の勇者フェリシアだと。





「──── ご名答」


 雨の降りしきる音や香りはそのまま、風向きさえも何も『変わらない』中で透き通った声が響いた。
 路地裏の壁や地面、水溜まりに映る水の波紋の揺らぎから這い出るかのように姿を現したのは無数の『騎士』達だ。
 フェリシアの容姿が逞しい青年の姿へと骨格から変じて戦闘態勢に入ったのと入れ替わりに、彼の眼前で蠢き並ぶ異形の騎士達は純粋な大気を巡り伝わる『音』ではない声を使って話しかけて来る。

 その声音はとても静かだ。

「フローレンス姉妹を退けたのは何かの間違いかと思っていましたが、その魔力の圧は……どうやら勇者とは貴方の事で確かな様子。
 とはいえ、体勢を整え次第に彼等が一丸となって貴方を試すと言っていましたが……疑問が尽きない実力なのも確か。
 ……勇者。
 ──実に忌々しい、その力に何の間違いがあるものか。
 貴方に恨みはありませんが勇者を名乗り、それほどの力を……受け取っているのならば、話は別です。
 ここで……その命を摘み取らせて戴きます」



 不定形だった異形の騎士達を足元の雨水が這い上がり、そのカオを作り上げる。
 鎧から兜に至り、その爪先から剣先に及ぶまでが水。
 フェリシアの手にも水が浮き上がり、魔力で岩石で構築した大剣の時と同様の技術で固定した水の魔剣が一振り完成する。
 透き通るような声の主を勇者フェリシアは知っていた。

 ──その力と呪詛は変幻自在の象徴。
 生命の源でもある『水』を司るが為に世界各国で称されるようになった其の名は四天王が一人、水帝すいていのリカルダ。
 雷帝フローレンスと同様にその身を覆う呪詛は『雫の呪詛』と呼ばれる強力な呪いであり、世界に満ちて巡る性質ゆえか生命に寄り添う概念に因るものからか、あらゆる生命の癒しを促進させるのと同時に腐らせる事も出来る能力を持っていた。

 何より、水帝のリカルダがかつての勇者フェリシアや歴代勇者を苦しめたのは異能によるものではない。
 その力が強力な物として認識される所以の最たる物は、自らの司る水が豊富な空間内において無尽蔵の『水の騎士団』を召喚する事が可能だという事。

(……王国内で、戦える相手ではない)

 水帝の召喚した騎士団が蠢き、魔力で形成されたつるぎを手に歩み寄って来る最中。
 フェリシアも同様に雨の降り注ぐ路地裏を歩き、前へ出る。

(市街地……まだ日中を過ぎて数刻程度しか経っていない。この時間なら市民は……巻き添えになる。
 私が水帝だけを狙っても取り巻きが周囲に配慮などする筈もない──この場を離れるが先決か)

 暫しの間。
 雨の勢いが微かに増したのをフェリシアが感じた。

 ──駆け出す勇者。
 先手に見せかけて水の魔剣を路地裏の左右壁面を切り崩しながら距離を詰めた直後、フェリシアの胸元や肩口、身体を無数の剣が貫いて鮮血を散らした。
 だがフェリシアの背後から突如殺到して来た瓦礫が彼ごと水帝の騎士達を押し流し、次いで奔った魔力の奔流が雨粒を弾いて辺り一帯を震動させる。
 転移魔法トランスファーによって自らを貫き、触れた騎士達を巻き込んで場所を変える為だった。

 ドシャリと転移によって切り取られて失せた空白に水飛沫が後から落ちて、宙を舞った鮮血を雨が叩き落す。




「────……どうか御赦しを、我が主。
 あの男は間違いなく勇者。ここで討たねば……必ず貴女の命を脅かす敵になるのです。
 今宵は紛れもなく我が領域……邪魔者も、無い……────」

 認識阻害の呪詛によって顔を隠した女騎士、水帝のリカルダが長い銀髪を雨に曝したまま地面へ沈んで行く。



 再び始まった四天王との戦いを知る者は、誰もいない。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

チート幼女とSSSランク冒険者

紅 蓮也
ファンタジー
【更新休止中】 三十歳の誕生日に通り魔に刺され人生を終えた小鳥遊葵が 過去にも失敗しまくりの神様から異世界転生を頼まれる。 神様は自分が長々と語っていたからなのに、ある程度は魔法が使える体にしとく、無限収納もあげるといい、時間があまり無いからさっさと転生しちゃおっかと言いだし、転生のため光に包まれ意識が無くなる直前、神様から不安を感じさせる言葉が聞こえたが、どうする事もできない私はそのまま転生された。 目を開けると日本人の男女の顔があった。 転生から四年がたったある日、神様が現れ、異世界じゃなくて地球に転生させちゃったと・・・ 他の人を新たに異世界に転生させるのは無理だからと本来行くはずだった異世界に転移することに・・・ 転移するとそこは森の中でした。見たこともない魔獣に襲われているところを冒険者に助けられる。 そして転移により家族がいない葵は、冒険者になり助けてくれた冒険者たちと冒険したり、しなかったりする物語 ※この作品は小説家になろう様、カクヨム様、ノベルバ様、エブリスタ様でも掲載しています。

転生したら赤ん坊だった 奴隷だったお母さんと何とか幸せになっていきます

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
転生したら奴隷の赤ん坊だった お母さんと離れ離れになりそうだったけど、何とか強くなって帰ってくることができました。 全力でお母さんと幸せを手に入れます ーーー カムイイムカです 今製作中の話ではないのですが前に作った話を投稿いたします 少しいいことがありましたので投稿したくなってしまいました^^ 最後まで行かないシリーズですのでご了承ください 23話でおしまいになります

異世界無知な私が転生~目指すはスローライフ~

丹葉 菟ニ
ファンタジー
倉山美穂 39歳10ヶ月 働けるうちにあったか猫をタップリ着込んで、働いて稼いで老後は ゆっくりスローライフだと夢見るおばさん。 いつもと変わらない日常、隣のブリっ子後輩を適当にあしらいながらも仕事しろと注意してたら突然地震! 悲鳴と逃げ惑う人達の中で咄嗟に 机の下で丸くなる。 対処としては間違って無かった筈なのにぜか飛ばされる感覚に襲われたら静かになってた。 ・・・顔は綺麗だけど。なんかやだ、面倒臭い奴 出てきた。 もう少しマシな奴いませんかね? あっ、出てきた。 男前ですね・・・落ち着いてください。 あっ、やっぱり神様なのね。 転生に当たって便利能力くれるならそれでお願いします。 ノベラを知らないおばさんが 異世界に行くお話です。 不定期更新 誤字脱字 理解不能 読みにくい 等あるかと思いますが、お付き合いして下さる方大歓迎です。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~

Lunaire
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。 辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。 しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。 他作品の詳細はこちら: 『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】 『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】 『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

処理中です...