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第一章

19.【生存を捨てさえすれば】●●●●

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 魔王の力は変わらず健在だった。

(『あの日』に交えた時とは桁違いの発動速度だった。死闘の最中に手を抜いていたのではないとするなら、奴はあの時よりも力を増しているという事か)

 身を転じさせながら中空へ逃れたフェリシアが加速した思考の中で、魔王の放った一撃を冷静に分析する。
 フェリシアの知る魔王とは、黒衣の女王だ。
 その魔力は他の四天王達とは比べ物にならない質量と密度を有しており。魔王の操る魔術は全て彼女の自作オリジナルである。
 そして魔王が操る魔術の中で最も脅威的で、強力なのは先の光線を放った『モノ』だ。




「舞え。我が愛し仔たち────」

 ひらりと揺れ動く黒き影。

 瘴気の内から舞い込んで来る無数の黒蝶こそ、魔王が愛し仔と称する召喚物だった。
 僅かな時を経る毎、魔王の周囲に姿を現す蝶の群れが風のような羽音を鳴らし立てて飛び立っていく。無数の黒蝶が飛翔するのを見たフェリシアが両手から魔力の奔流を放つ。いつかの王城にて覇王に向かって放った技よりも破壊力を秘めた光線は一直線に魔王を中心に蝶の群れに突き立ち、爆風と共に閃光が空に向かって弾け飛んだ。



 舌打ちをしたのはフェリシアだ。
 彼の立っていた城門が無数の光線によって爆ぜる。
 再び身を空中に躍らせて回避したフェリシアの視界の端で、渦巻いて増え続ける黒蝶が魔力の集束を行い、点々と光を放っているのが見えた。

 魔王の召喚する黒蝶は総て、竜種の魔物が備える属性魔力の集束照射。すなわち破壊の光線を吐く事が出来る。
 単一での魔力量は少なく。ゆえに光線を一度吐いた黒蝶はただ周囲を飛び交う羽虫でしかない、そう初戦時のフェリシアは考えていた。
 だが今は違う、一度魔王とは死闘を繰り広げ互いの死力を尽くしたから分かる。あの蝶は魔王にとって壁の役割を十全に果たす事が出来る。
 それだけではない。
 竜の光線を吐ける黒蝶の召喚は魔王の魔力が尽きるまで、敵が死に絶えて果てるまで、その戦意が続く限り無限に続くのだ。

 既に足元を満たしていた黒き瘴気は黒蝶で埋め尽くされている。



(秒間に数百匹──こちらの魔法による攻撃が届かない今の私に、あれと正面から打ち合える武装はないが……!)

 閃光が放たれてはフェリシアが回避して、魔力で編んだ障壁で軌道を反らし、後退と防御を交互に繰り返しながら魔王城から離れて行く。
 勢い良く荒野の岩を蹴り砕いたフェリシアは背丈ほどの破片を掴み、片手で魔王城から飛翔して来た黒蝶の群れを相手に投擲する。音も無く無数の黒蝶が砲弾の如く飛来した岩に潰され落とされていく最中、次いで大地を踏み砕いて土砂を魔術による操作で杭と化して黒蝶に放ちながら勇者は走り始める。
 舞い上がる黒き蝶の群れ。
 見上げるまでも無く全身を走る『勘』に合わせ。フェリシアが空中に板状の障壁を展開させてから三次元機動を描き、光線を躱して黒蝶の群れへと突っ込んで行った。
 フェリシアの持ちうる魔法では魔王に届かない以上、決着を急ぐなら捨て身の至近戦闘を挑むしかなかったのだ。

「──目の色が変わったな、以前の其方そなたには見え無かった!」

「言葉は不要なんだろう、魔王──!」

「然り!」

 緋色の衣装の腰部から飛膜めいた翼を広げたフェリシアが高速で飛び込む。
 両の腕を広げ迎えた魔王は識別阻害の呪詛をも貫く声量で応え、羽ばたく黒蝶をカーテンのように閉ざして勇者の行く手を阻んだ。
 黒き天幕を魔力で纏った拳を振るい薙ぎ。引き裂いて、踏み込みと同時に爆炎の壁を魔王と自分を囲むように展開する。燃え広がった壁の向こうから次々と放たれる光線をフェリシアは全力で躱し、時に拳で相殺して霧散させながら、一歩ずつ。確かに踏み込んで行く。
 頭上が暗く染まる。
 羽根を持つ者が壁如きで立ち往生するはずもないだろうと、素顔を隠す呪いの仮面の下で魔王が笑った気がした。炎の壁を飛び越え、殺到して降り注ぐ黒蝶がフェリシアと魔王を囲み渦巻いていく。
 もはや猶予は無いと見たフェリシアが躊躇なく肉薄する。

 黒き蝶が揺れる。
 ドレスを翻して跳び──フェリシアの下から打ち込んだ掌底を、蹴り脚で上方に受け流した魔王がしなやかに後転して数歩距離を取る。直後に降り注ぐは黒蝶の群れから放たれた光線。庭園の土や石畳が爆ぜ飛んでクレーターと化す最中、光の中から鮮血を散らして緋色が一直線に駆け抜けた。
 ギャリン、と響き渡る金属音。
 次いで弾ける火花を挟み、接近を許した魔王と一打が届いたフェリシアが互いに深く息を吸い込んだ。

 肉薄しているにも関わらず、黒蝶たちの光線が次々に降り注ぐ。
 首を軽く振って背後からの光線を避けたフェリシアが植物の蔓で縛り硬くさせた拳を振り抜き、余波の衝撃で周囲に飛び込み配置していた黒蝶をバラバラに吹き飛ばす。振り抜かれた拳を脇に通すように受け流した魔王は、次いで更なる光線を自身とフェリシアに降らせながら肘を固め。極め折り、砕こうとする。
 光線はいずれも極細に至るまで集束されており、誤射を防ぎながら衝撃の威力を抑えているらしい。腕を折られる前に魔王の背後へ転移トランスファーを使ったフェリシアは、眼前で光線を浴びながらも平然とこちらへ構え直す魔王を見て眉を顰める。
 かつての死闘では見せなかった戦い方に訝しむフェリシアを見た魔王が鼻で笑った。

「あの時、この程度では其方そなたに傷を与えられると思わなんだが使わなかったが。存外此度は柔くなったものよなぁ、勇者よ!」

「チッ──!」

 軽装に見える魔王の身体が纏うのはドレスのみならず、濃密な魔力が鎧となって其の身を魔術や魔法による干渉を防いでいた。
 技術そのものはフェリシアも同様に使っている。しかし精度が違い過ぎる。肩口を光線に貫かれ抉られた彼に対して、魔王は無傷で立っていられる程までに黒蝶から受けるダメージを軽減していたのだから。
 魔法を操りながら近接戦でフェリシアとの攻防を互角に引き上げて来ている魔王を相手に、フェリシアの眼光が一瞬だけ揺れる。

 刹那に浮かぶ、迷いに満ちた青年の瞳。

「……!」

 フェリシアの僅かな変化を見た魔王が手を止めかけた瞬間、場を渦巻いていた炎の壁が消失する。
 追加魔力による操作。意図的な魔術の解除によって冷えた空気が外から舞い込み、魔王の眼前でフェリシアが緋色の衣装を片腕分だけ掌に集中させて赤い塊を生成していた。
 訝しげに首を傾げながらも警戒して距離を取る魔王。その周囲でバサバサと羽ばたき渦巻く黒蝶の群れが一斉に極大の光線をフェリシアに向け撃ち放つ。
 詠唱も無く、魔力も殆ど籠められていない魔道具が防ぐ事など出来るはずがない。苦し紛れの盾代わりにでもするか、或いは武器とするか。魔王はフェリシアの出方をその一瞬で見極めようとした。

 殺到する膨大な破壊のエネルギーが魔王城の正門ごと庭園を吹き飛ばした直後、光線が────緋色の閃光に切り裂かれて割れる。
 破壊の奔流を突破して見せたフェリシアを目にした魔王が軽やかに飛び退く。

「器用な真似をする様になった。詠唱呪文を立体的に描き出して環としながら円盤サークルに、武装とした円盾で複数の属性を束ね、我が愛し仔たちの唄を退けるか……実に器用な事だ!」

(くっ、要するにお見通しと言いたいのか……!)

 初めて距離を取ろうと退いた魔王を追うフェリシアは、内臓がひっくり返った様な吐き気を覚えていた。
 追撃する彼の背後から瞬く閃光を避け、急所に至る一撃のみを緋色の円盾で切り裂いては走り続ける。
 いまのフェリシアが全身で感じているのは魔王の操る黒蝶の群れと魔力、そして魔王本体の動作と気配、視線、空気振動。あらゆる要素を常に把握しながら全力で身体を駆動させる彼にとって、苦肉の策で発した複数の魔術を構成する呪文で作り出した円盾は謂わば垂れ流しになったエネルギーそのものだ。
 最早魔王の攻撃を突破出来ないと判断した彼が行使した、常時魔力を消費し続ける諸刃の剣である。奇策ではない、効率が悪過ぎて魔王ですら選ばない選択肢を取って次に繋げただけ。一時の突破口を拡げるしか出来ない。

 ──だが魔王に届く。

 先の事生存を捨てさえすれば、勝てるのだ。

(さっきの言葉、僕が追いつけないほどの全力での逃走。
 少しでもこっちの動揺や戦闘を長引かせるための駆け引きのつもりだ、魔王は……僕と共倒れになる事を望んでない!
 一度は僕が最後まで立っていた。あの日、あの時、勝ったのは僕だ。魔王はその事を覚えてる、なら……! 僕はその恐れを利用するまでだ──!!)

 嵐の様な暴風を引き連れて城内に突っ込んだ魔王と、黒蝶の群れ。
 追走するフェリシアが連続で空間を転移して光線を躱しながら接近して、魔王が手甲を振り被る。



 転移魔法を使い姿を消したフェリシアの動きを予測していたかのように光線が城内エントランスの天井を貫き、瓦礫が辺り一面に降り注ぐ中で数百もの閃光が瞬いて破壊を撒き散らす。
 雪崩れ込む粉塵にドレスの裾を汚しながら、大理石で囲われた長い回廊を魔王が飛翔して行く。
 チラと後ろを見遣れば、ちょうどその瞬間に魔王の背後へフェリシアが転移して来たところだった。

(────ここで此奴を殺しても構わないな、我が主よ)

 荒れ狂う黒蝶の中、振り向き様に手を広げた魔王が殺意を滾らせる。

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