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第1話「俺はまだ、始まってすらいねえ!」
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薄暗い地下室には、外の喧騒は届かない。
陽の光も、祝祭の歌声と歓呼も届かないのだ。
暗い静寂の中で、少年は自分だけの世界に没入していた。それは人生最大の挑戦であり、長年の研究結果を試す時……巨大な魔法陣の前で、彼はナイフを手に深呼吸を一つ。
名は、ヨシュア・クライスター。
かつて『嘆きの星を呼ぶ者』と称えられた、高名な魔導師一族の長男である。
「よし……始めようか。クククッ、この俺様の時代が、ようやく始まる……フ、フハハッ、アーッハッハッハ! 今こそ世界に平穏を! 魔王率いる闇の軍勢に鉄槌を!」
ヨシュアはナイフを逆手に握り直して、もう片方の手に突き立てる。
鮮血が飛び散り、焼けるような激痛が彼を襲った。
手の甲を貫く刃から、ポタポタと真っ赤な血が滴り落ちる。
そして、彼が作った魔法陣は、その血の流れに反応して輝き出した。
「今こそ我に応えよ……異界の神々よ! 古き盟約に従い、その力を我に与え給え!」
出血に遠のく意識の中で、ヨシュアは呼びかける。
かつてこの世界に君臨し、失われた文明を築いて繁栄した高位存在……今の教会が悪魔として記録する、古き神々の眷属へと呼びかけた。
魔法陣から眩い光芒が立ち上り、薄暗い地下室を照らし出す。
そして、優雅で優しげな声が響いた。
どこか蠱惑的な女の声だった。
「我を呼び出したるは、そなたか。我が名はセーレ、序列七十の座に君臨せし地獄の君主なり。願いを、望みを語るがいい」
蹄の音を鳴らして、巨大な黒い軍馬が現れた。その背には蝙蝠のような翼が生えている。異形の天馬は、見るも流麗な美女に跨がられていた。
男装の麗人にも見えるが、長い長い金髪を揺らして彼女はヨシュアを見下ろしている。
頭部で渦を巻く立派な角に、炯と輝く真っ赤な瞳。
間違いない、太古の外典に記された神……今の時代、悪魔として誰からも忘れられた存在だ。その神々しさに、思わずヨシュアは言葉を失った。
セーレと名乗った魔神は、瞬きもせずにヨシュアを見詰めてくる。
「そなた……ふむ、我が召喚者よ。なにゆえ我を呼び出した? ここは既に、我らが去りし世界。我も千年ぶりだが」
セーレの声は耳に心地よく、まるで清水のように玲瓏な響きだ。
手の痛みに耐えながら、ようやくヨシュアは言葉を絞り出す。
「おっ、俺と共に……戦え! あ、いや、その……戦って、くだ、さい」
「そう恐縮せずともよい。ふむ、戦か……無論、血の代償に報いてそなたに助力しよう。が、しばし待て……んー、なんかちょっとダルくない? ちょい待ち!」
不意にセーレは、砕けた言葉でへらりと笑った。
そして、あっという間に黒き天馬ごと輪郭を解いてゆく。
その全身が発光したかと思うと、すぐに彼女は人間の姿になった。
それも、全裸の女になって歩み寄ってくる。
「ふぅ、こんなもんかな? おまたー! ……って、ありゃ? おーい、少年?」
「え、あ、お、おおう……これは」
「や、気取ってても疲れるしさ。そゆとこ、ソロモン王は厳しかったけど、かったるいしー? って、手! 手から血! ちょっとこれ、まずいって!」
「い、いや、この傷は」
急にフランクになったセーレは、ヨシュアの血に濡れた手を掴んだ。
ひんやりと冷たいセーレの手は、白い肌がまるで淡雪のようだ。
長身の彼女が僅かに身を屈めると、長い髪の奥でたわわな胸が揺れる。
「そっか、召喚の儀式かあ。んじゃ、契約すんね? なんだっけ、そう……敵を倒せばいいんだよね。だいじょーぶっ! おねーさんに任せなさい! んじゃ」
そっと彼女は、ヨシュアの手からナイフを引き抜く。
激しい痛みにヨシュアは顔をしかめたが、構わず彼女は真っ赤な舌で手の甲を舐めた。
古文書にある通り、契約の儀式が完了したのだ。
ヨシュアの血を記憶し、セーレは願望が叶えられるまで下僕となったのだ。
召喚された悪魔との契約に失敗すれば、出血多量で術者は死ぬ。これは命をかけた召喚術……その証拠に、セーレが舐めた手からは既に傷が消えていた。
「これでよしっ! ……でも、びっくりしたなあ。なんでまた、私を? ってか、この世界にはちゃんと魔法を残してあげたよね?」
「あ、ああ。俺の名はヨシュア・クライスター、魔導師だ。……落ちこぼれのな」
「クライスター! あーはいはい、あのクライスターね! で、落ちこぼれ?」
「俺には魔法の素養がない……魔力がないんだ。生まれつきな。でも、だからこそ学べたし、知ることができた。セーレ、力を貸してくれ……俺と共に戦ってくれ」
この世界、ソロモニアは魔法文明が繁栄を極めている。
故に、魔力を持たない人間は肩身が狭いのだ。それは、高名な魔導師を無数に輩出してきたクライスター家では、さもありなん。
ヨシュアは長男でありながら、全く魔法が使えない。
そのせいで、魔王討伐には妹が向かうことになってしまったのだ。
一族の面汚しとまで言われながら、ヨシュアは妹のために禁忌の研究にのめり込んでいった。かつて世界を支配した、偉大なる神々の力を求めたのである。
「古文書を紐解く中で、俺は一つの結論にいたった。この世界に普及している魔法……それは全て、あんた達悪魔が……いや、えっと、神様が」
「あー、いいよいいよう。あんま気を遣わないでって。悪魔家業もさ、やってみると楽しいし。実際、今でいう教会? あの連中に負けちゃったのは事実なんだしさ」
「あ、はい。えっと、それで……あんた達は世界を去る時、自分達の力を体系化し、その叡智を人間に授けた。規則的な術式の構築によって、悪魔が持つ超常の力……火焔や雷撃、氷嵐や烈風を操る術を残した。それが、魔法」
魔法とは即ち、人間が悪魔の能力を借りるものなのだ。
その手続として、術式の構築と呪文の詠唱が必要であり、それを通じて悪魔達の残した遺産に接する。この世のどこかに、世界中の魔法を管理する遺跡とかがあるのだろう。
そういう結論にいたったとヨシュアが語ると、セーレは感心したように笑った。
そして、頭をわしわしと撫でてくる。
「おー、偉い偉い! よく気付いたねえ。おねーさん、賢い子は好きよん? それに、よく見ればかわいい顔してるし」
「ひっ、ひっつくなって! それより、服を着てくれ!」
「またまたー、照れちゃってからにー、かーわいー!」
緊張感のないセーレが、胸にヨシュアの頭を抱き寄せてくる。
甘やかな匂いに包まれながらも、ヨシュアは本題を切り出した。
「この世界は今、魔王アモンに支配されているんだ。でも、異世界から召喚された勇者が戦っている……あらゆる国が、勇者と共に戦っている! ……俺の、妹も」
「へー、アモンってば今そんなことしてんだ。最近見ないなーって思ったら」
「そういう訳で、セーレ! 俺と魔王を倒す旅に付き合ってくれ!」
「あはっ、付き合ってくれ、かあ……いーよ? こっちの世界も久々だし、それに……かわいい男の子に付き合ってくれだなんて、くーっ! 最高かよっ!」
「セーレ? あの……ま、まあいいや。じゃあ行こう! 冒険の旅の始ま――」
その時だった。
バン! と扉の開く音が響いて、光が差し込んでくる。
この地下室に引きこもっていたヨシュアは、久々に外からの空気を吸った。
そして、光を背に小さな女の子が仁王立ちしている。
「ちょっと、お兄ちゃん! もう半年も引きこもって……なにやってんのよ!」
声の主は、妹のディアナだ。
彼女は、色だけはヨシュアと同じ銀髪を左右に結って、それを交互に揺らしながら歩み寄ってくる。強い歩調は、怒りと憤りをなによりも雄弁に物語っていた。
ディアナはヨシュアの五歳年下で、十二歳になる。
本来ヨシュアが務めるべき、クライスター家を背負って立つ大魔導師だ。
大魔導師をやらされてるのだ。
そのディアナは、裸のセーレを見て目を丸くした。
「ちょっと、お兄ちゃん! アタシのいない間になにやってんのよ! なっ、なな、なにを……やったの、よ? と、とにかくっ、不潔よ! 不潔!」
「ちょ、ちが……落ち着けディアナ! これは――」
「なによ、お兄ちゃんから離れてよっ! うう、やっぱスラリと長身でボインなのがいいんだ……アタシだって、アタシだってあと十年もすれば!」
怒り心頭のディアナを見て、セーレはにんまり笑った。
そして、ことさら強くヨシュアを抱き寄せ、ぴたりと密着してくる。
慌ててヨシュアは早口で叫んだ。
「ディアナ、こいつは俺の下僕だ!」
「そうよーん? 愛の奴隷なの」
「違うっ! 悪魔なんだよ、名前はセーレ!」
「よろしくー? うふふ、真っ赤になっちゃって……かーわいー」
「俺はこれから、クライスター家の男としての使命を果たす! セーレの力を借りて、魔王アモンを倒すんだ! ……今まで、さ。お前に苦労ばかり……ディアナ? なあ」
ぷるぷると震えていたディアナは、涙目で睨んできた。
昔から妹のこの表情に、ヨシュアは死ぬほど弱い。
上目遣いでディアナは、どうやら魔法を励起しつつあるようだ。周囲にプラズマがスパークし、呪文の詠唱を待つ術式が光の文字列となって乱舞する。
そして、彼女は衝撃の事実を突きつけてきた。
「お兄ちゃんっ! 魔王アモンなら、アタシが勇者様と倒してきたわ! それが先週の話! ……もぉ、魔法が使えなくても仕事くらい沢山あるのに……ずっと引きこもって」
「……へ? え、ちょっと待てディアナ」
「お兄ちゃんのバカッ! ようやく帰ってきたら、なんで裸の女の人とイチャコラしてんのよ! アタシ以外と、なんで! ……せっかく、お兄ちゃんでもできるお仕事を色々考えたのに……お兄ちゃんのっ、ブァカアアアアアアッ!」
流石はクライスター家の魔導師、世界一の魔導師ディアナだった。
すんでのところで魔法ではなく、握った拳を叩きつけてくる。
セーレの胸の谷間に、思いっきりヨシュアは埋まってしまった。肩で息するディアナは、最後に舌を出すと去ってゆく。顔面に鉄拳制裁を食らったヨシュアは、そのまま床にずるずると崩れ落ちた。
「くっそぉ、なんだよ……マジかよ、魔王はもう倒されたのかよ。ん? これは……」
ディアナがヨシュアをブン殴った時、彼女の持っていた紙片が無数に散らかったようだ。それはどれも、魔力がなくてもできる仕事を募集するものである。
その中にヨシュアは、見慣れぬ業種を見つけて首を捻った。
誰でもできる簡単なお仕事、アットホームな職場です……?
それが、ヨシュアとコンビニエンスストアの出会いだった。
陽の光も、祝祭の歌声と歓呼も届かないのだ。
暗い静寂の中で、少年は自分だけの世界に没入していた。それは人生最大の挑戦であり、長年の研究結果を試す時……巨大な魔法陣の前で、彼はナイフを手に深呼吸を一つ。
名は、ヨシュア・クライスター。
かつて『嘆きの星を呼ぶ者』と称えられた、高名な魔導師一族の長男である。
「よし……始めようか。クククッ、この俺様の時代が、ようやく始まる……フ、フハハッ、アーッハッハッハ! 今こそ世界に平穏を! 魔王率いる闇の軍勢に鉄槌を!」
ヨシュアはナイフを逆手に握り直して、もう片方の手に突き立てる。
鮮血が飛び散り、焼けるような激痛が彼を襲った。
手の甲を貫く刃から、ポタポタと真っ赤な血が滴り落ちる。
そして、彼が作った魔法陣は、その血の流れに反応して輝き出した。
「今こそ我に応えよ……異界の神々よ! 古き盟約に従い、その力を我に与え給え!」
出血に遠のく意識の中で、ヨシュアは呼びかける。
かつてこの世界に君臨し、失われた文明を築いて繁栄した高位存在……今の教会が悪魔として記録する、古き神々の眷属へと呼びかけた。
魔法陣から眩い光芒が立ち上り、薄暗い地下室を照らし出す。
そして、優雅で優しげな声が響いた。
どこか蠱惑的な女の声だった。
「我を呼び出したるは、そなたか。我が名はセーレ、序列七十の座に君臨せし地獄の君主なり。願いを、望みを語るがいい」
蹄の音を鳴らして、巨大な黒い軍馬が現れた。その背には蝙蝠のような翼が生えている。異形の天馬は、見るも流麗な美女に跨がられていた。
男装の麗人にも見えるが、長い長い金髪を揺らして彼女はヨシュアを見下ろしている。
頭部で渦を巻く立派な角に、炯と輝く真っ赤な瞳。
間違いない、太古の外典に記された神……今の時代、悪魔として誰からも忘れられた存在だ。その神々しさに、思わずヨシュアは言葉を失った。
セーレと名乗った魔神は、瞬きもせずにヨシュアを見詰めてくる。
「そなた……ふむ、我が召喚者よ。なにゆえ我を呼び出した? ここは既に、我らが去りし世界。我も千年ぶりだが」
セーレの声は耳に心地よく、まるで清水のように玲瓏な響きだ。
手の痛みに耐えながら、ようやくヨシュアは言葉を絞り出す。
「おっ、俺と共に……戦え! あ、いや、その……戦って、くだ、さい」
「そう恐縮せずともよい。ふむ、戦か……無論、血の代償に報いてそなたに助力しよう。が、しばし待て……んー、なんかちょっとダルくない? ちょい待ち!」
不意にセーレは、砕けた言葉でへらりと笑った。
そして、あっという間に黒き天馬ごと輪郭を解いてゆく。
その全身が発光したかと思うと、すぐに彼女は人間の姿になった。
それも、全裸の女になって歩み寄ってくる。
「ふぅ、こんなもんかな? おまたー! ……って、ありゃ? おーい、少年?」
「え、あ、お、おおう……これは」
「や、気取ってても疲れるしさ。そゆとこ、ソロモン王は厳しかったけど、かったるいしー? って、手! 手から血! ちょっとこれ、まずいって!」
「い、いや、この傷は」
急にフランクになったセーレは、ヨシュアの血に濡れた手を掴んだ。
ひんやりと冷たいセーレの手は、白い肌がまるで淡雪のようだ。
長身の彼女が僅かに身を屈めると、長い髪の奥でたわわな胸が揺れる。
「そっか、召喚の儀式かあ。んじゃ、契約すんね? なんだっけ、そう……敵を倒せばいいんだよね。だいじょーぶっ! おねーさんに任せなさい! んじゃ」
そっと彼女は、ヨシュアの手からナイフを引き抜く。
激しい痛みにヨシュアは顔をしかめたが、構わず彼女は真っ赤な舌で手の甲を舐めた。
古文書にある通り、契約の儀式が完了したのだ。
ヨシュアの血を記憶し、セーレは願望が叶えられるまで下僕となったのだ。
召喚された悪魔との契約に失敗すれば、出血多量で術者は死ぬ。これは命をかけた召喚術……その証拠に、セーレが舐めた手からは既に傷が消えていた。
「これでよしっ! ……でも、びっくりしたなあ。なんでまた、私を? ってか、この世界にはちゃんと魔法を残してあげたよね?」
「あ、ああ。俺の名はヨシュア・クライスター、魔導師だ。……落ちこぼれのな」
「クライスター! あーはいはい、あのクライスターね! で、落ちこぼれ?」
「俺には魔法の素養がない……魔力がないんだ。生まれつきな。でも、だからこそ学べたし、知ることができた。セーレ、力を貸してくれ……俺と共に戦ってくれ」
この世界、ソロモニアは魔法文明が繁栄を極めている。
故に、魔力を持たない人間は肩身が狭いのだ。それは、高名な魔導師を無数に輩出してきたクライスター家では、さもありなん。
ヨシュアは長男でありながら、全く魔法が使えない。
そのせいで、魔王討伐には妹が向かうことになってしまったのだ。
一族の面汚しとまで言われながら、ヨシュアは妹のために禁忌の研究にのめり込んでいった。かつて世界を支配した、偉大なる神々の力を求めたのである。
「古文書を紐解く中で、俺は一つの結論にいたった。この世界に普及している魔法……それは全て、あんた達悪魔が……いや、えっと、神様が」
「あー、いいよいいよう。あんま気を遣わないでって。悪魔家業もさ、やってみると楽しいし。実際、今でいう教会? あの連中に負けちゃったのは事実なんだしさ」
「あ、はい。えっと、それで……あんた達は世界を去る時、自分達の力を体系化し、その叡智を人間に授けた。規則的な術式の構築によって、悪魔が持つ超常の力……火焔や雷撃、氷嵐や烈風を操る術を残した。それが、魔法」
魔法とは即ち、人間が悪魔の能力を借りるものなのだ。
その手続として、術式の構築と呪文の詠唱が必要であり、それを通じて悪魔達の残した遺産に接する。この世のどこかに、世界中の魔法を管理する遺跡とかがあるのだろう。
そういう結論にいたったとヨシュアが語ると、セーレは感心したように笑った。
そして、頭をわしわしと撫でてくる。
「おー、偉い偉い! よく気付いたねえ。おねーさん、賢い子は好きよん? それに、よく見ればかわいい顔してるし」
「ひっ、ひっつくなって! それより、服を着てくれ!」
「またまたー、照れちゃってからにー、かーわいー!」
緊張感のないセーレが、胸にヨシュアの頭を抱き寄せてくる。
甘やかな匂いに包まれながらも、ヨシュアは本題を切り出した。
「この世界は今、魔王アモンに支配されているんだ。でも、異世界から召喚された勇者が戦っている……あらゆる国が、勇者と共に戦っている! ……俺の、妹も」
「へー、アモンってば今そんなことしてんだ。最近見ないなーって思ったら」
「そういう訳で、セーレ! 俺と魔王を倒す旅に付き合ってくれ!」
「あはっ、付き合ってくれ、かあ……いーよ? こっちの世界も久々だし、それに……かわいい男の子に付き合ってくれだなんて、くーっ! 最高かよっ!」
「セーレ? あの……ま、まあいいや。じゃあ行こう! 冒険の旅の始ま――」
その時だった。
バン! と扉の開く音が響いて、光が差し込んでくる。
この地下室に引きこもっていたヨシュアは、久々に外からの空気を吸った。
そして、光を背に小さな女の子が仁王立ちしている。
「ちょっと、お兄ちゃん! もう半年も引きこもって……なにやってんのよ!」
声の主は、妹のディアナだ。
彼女は、色だけはヨシュアと同じ銀髪を左右に結って、それを交互に揺らしながら歩み寄ってくる。強い歩調は、怒りと憤りをなによりも雄弁に物語っていた。
ディアナはヨシュアの五歳年下で、十二歳になる。
本来ヨシュアが務めるべき、クライスター家を背負って立つ大魔導師だ。
大魔導師をやらされてるのだ。
そのディアナは、裸のセーレを見て目を丸くした。
「ちょっと、お兄ちゃん! アタシのいない間になにやってんのよ! なっ、なな、なにを……やったの、よ? と、とにかくっ、不潔よ! 不潔!」
「ちょ、ちが……落ち着けディアナ! これは――」
「なによ、お兄ちゃんから離れてよっ! うう、やっぱスラリと長身でボインなのがいいんだ……アタシだって、アタシだってあと十年もすれば!」
怒り心頭のディアナを見て、セーレはにんまり笑った。
そして、ことさら強くヨシュアを抱き寄せ、ぴたりと密着してくる。
慌ててヨシュアは早口で叫んだ。
「ディアナ、こいつは俺の下僕だ!」
「そうよーん? 愛の奴隷なの」
「違うっ! 悪魔なんだよ、名前はセーレ!」
「よろしくー? うふふ、真っ赤になっちゃって……かーわいー」
「俺はこれから、クライスター家の男としての使命を果たす! セーレの力を借りて、魔王アモンを倒すんだ! ……今まで、さ。お前に苦労ばかり……ディアナ? なあ」
ぷるぷると震えていたディアナは、涙目で睨んできた。
昔から妹のこの表情に、ヨシュアは死ぬほど弱い。
上目遣いでディアナは、どうやら魔法を励起しつつあるようだ。周囲にプラズマがスパークし、呪文の詠唱を待つ術式が光の文字列となって乱舞する。
そして、彼女は衝撃の事実を突きつけてきた。
「お兄ちゃんっ! 魔王アモンなら、アタシが勇者様と倒してきたわ! それが先週の話! ……もぉ、魔法が使えなくても仕事くらい沢山あるのに……ずっと引きこもって」
「……へ? え、ちょっと待てディアナ」
「お兄ちゃんのバカッ! ようやく帰ってきたら、なんで裸の女の人とイチャコラしてんのよ! アタシ以外と、なんで! ……せっかく、お兄ちゃんでもできるお仕事を色々考えたのに……お兄ちゃんのっ、ブァカアアアアアアッ!」
流石はクライスター家の魔導師、世界一の魔導師ディアナだった。
すんでのところで魔法ではなく、握った拳を叩きつけてくる。
セーレの胸の谷間に、思いっきりヨシュアは埋まってしまった。肩で息するディアナは、最後に舌を出すと去ってゆく。顔面に鉄拳制裁を食らったヨシュアは、そのまま床にずるずると崩れ落ちた。
「くっそぉ、なんだよ……マジかよ、魔王はもう倒されたのかよ。ん? これは……」
ディアナがヨシュアをブン殴った時、彼女の持っていた紙片が無数に散らかったようだ。それはどれも、魔力がなくてもできる仕事を募集するものである。
その中にヨシュアは、見慣れぬ業種を見つけて首を捻った。
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