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第12話「夜空の涙、流れ落ちて光」
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あれから、どこをどう歩いたのだろう。
無意識にヴィルは、夜の街を流離っていた。
リーラはあのあと、すぐに入院措置がとられた。明日また、ティアに着替えやなんかを見繕ってもらって、病院に行かなければいけない。会社にも事情を説明して、半休にしてもらって……だが、上手く思考が結べない。
ヴィルの頭の中では、あれからずっと二人の名前が交互に浮かんでいた。
リーラか。
ティアか。
リーラを助けるためには、ティアの身体が必要だ。
リーラを助けると、ティアは失われてしまう。
ティアの身体を使わないと、リーラは死んでしまう。
際限なくループする思惟が、答のないままに脳裏を支配していた。
それでもヴィルは、どうにか家へとたどり着く。
深夜の星空は今日も、天空を横切るオービタルリングの光が天の川のよう。地球に捧げられたエンゲージリングは、人類に繁栄との蜜月をもたらした。だが、科学文明が発達した今でも、病気から少女一人救えない。
かつては人間と同じ機能を備え、人間を超えたロボットを生み出したというのに。
己の無力感にさいなまれる中、近づく我が家を見てヴィルは独り言を零す。
「……あ。ティア? いや、どうして……」
家の玄関ポーチに、モノクロームのメイド姿が座っていた。膝を抱えてその上に顔を乗せ、まるで眠り姫のようだ。
ティアはずっと、この場所でヴィルとリーラを待っていたのだろうか?
まだ距離があるにもかかわらず、彼女は耳に当たるブレードアンテナをパタパタ動かして顔を上げた。眠そうに瞼を擦り、ヴィルを見るなり飛び起きる。
「ヴィル様っ!」
「や、やあ……た、ただいま」
「おかえりなさいませ、ヴィル様……あの、リーラ様は」
「ああ、うん。今は落ち着いている」
ティアはすぐにヴィルに駆け寄って、そしてベタン! と豪快に顔面からスッ転んだ。
慌ててヴィルが駆け寄り、彼女を抱き起こしてやる。
どうやら玄関を出てて郵便受けを通り過ぎると、彼女のボンド・ケーブルの長さは限界らしい。それでも彼女は、多くを聞かずに静かに微笑んでくれた。
「ヴィル様もお疲れでしょう。なにか召し上がりますか? お風呂の準備もできていますが」
「あ、ああ……ええと、その」
「ヴィル様? あ……そ、そうですね。まずはリーラ様のことが先決でした。入院されるのでしたら、準備もありますし。……あの、ヴィル様?」
ティアの優しさが、ただただ温かくて、柔らかくて。
ロボットだとは思えなくて、立たせるなり抱き締める。ティアははっと息を飲む気配に固まったが、すぐに抱き返してくれた。
涙が滲んでぼやける視界に、彼女のスカートの中から伸びるボンド・ケーブルが見えた。
間違いなくティアは、第三世代型のロボットだ。
だが、ヴィルの背をあやすように優しく叩いてくれる彼女は、同時に大切な家族でもある。あまりにも弱い自分を受け止めてくれる、家族。だからこそ、重大な選択を胸に抱えたまま、ヴィルは言葉に出来ず涙が止まらなかった。
「ヴィル様、今日は大変でしたね」
「ティア……ごめん、僕は」
「いいんです。わたし達ロボットは、ヴィル様達人間を助けて支えるためにいるのですから。それに、わたしがヴィル様を助けて支えたいんです。それが今、わたしの望み」
「……あ、ありがとう」
「それに、リーラ様のためにもわたし、頑張ります! リーラ様は、わたしの大事な恋敵ですから。……ヴィル様、わたしにできることがあったらなんでも仰ってくださいね」
ひょっとしたらもう、ティアには全てがわかっているのかもしれない。
それを承知で、ヴィルを受け止めてくれるのだ。
もし、ヴィルがリーラを助けるため、ティアの肉体を望んだら……彼女ははにかみ微笑んで承諾するだろう。文句一つ言わず、リーラに身体を明け渡して消えてゆく姿が見える。
だが、それは嫌だ。
そして、知っている。
ヴィルの愛するリーラは、彼のかわいい妹は……そんなことを絶対に望まない。
ずっと一緒に、兄妹の二人だけで生きてきたからわかる。
強情で意地っ張りで、兄想いが重くて、歪な偏愛に凝り固まっているリーラ。でも、彼女はままならない身体で精一杯生きて、一生懸命ヴィルを愛してくれた。そのことにもう、ヴィルは男として向き合うと決めたのだ。
それでも、涙はオーバーフローした脳裏の奥からとめどなく溢れる。
「ヴィル様、泣かないでください。……わたし、知ってます。わたし達第三世代型のロボットは、完全に人間と同じ機能を再現された肉体を与えられました。だから――」
「駄目だっ! それではリーラが救われない。……なにより、僕が耐えられない」
「……ヴィル様、こうは考えられないでしょうか。わたしとリーラ様が一つになったら、その両方を一緒にヴィル様が愛してくださる気がするんです」
「それでも! 今この瞬間からなにかが失われて、それで幸せっていえるだろうか。僕は身勝手かもしれない、それでも僕が描く未来はもっと違う筈だった。夢見ていたのは――」
そっと離れたティアは、不意にヴィルの頬に唇で触れた。
そして、涙で濡れた肌を舐めて、決壊した眦にキスする。
呆然とするヴィルに笑いかけて、そしてティアは胸の上で彼の顔を抱き締めた。
「ヴィル様、泣かないでください」
「……無理だよ」
「無理でも、どうか笑ってください。いつもみたいに、笑顔で」
「できない……そう、できないんだ。僕にできることがなにもない」
「そんなことないです、ヴィル様。さ、泣き止んで……涙はヴィル様には似合いません。悲しい涙は、ヴィル様には必要ないんです。もう、これはらずっといらない筈」
「ティア?」
胸の谷間からヴィルが見上げたティアも、泣いていた。
ロボットとはとても思えない、自然な表情で涙が伝う。
その一滴がヴィルの顔に落ちた。
「ヴィル様、その涙をわたしが全部取っちゃいますから……わたしに、涙をください。わたしには、ヴィル様の涙を全部ください」
「ティア……」
「リーラ様には、いつもの笑顔でいてくださいね? それに、まだ全てが終わった訳ではありません。お忘れですか、ヴィル様……お父様が、旦那様がかつてどのような事業をなさっていたかを」
その言葉に、ハッとヴィルは目を見開く。
父は、誰も手を付けなかった月面開発……それも、月の裏側から資源を採掘することで財を成した。そして、思い出す。月の裏側を開発する際、父が評価された手腕を。
「そうか、父さんのかつての仕事には……大量のロボットが関わっている!」
「はい。その記録をたどれば、第三世代型のロボットが……わたしの同胞がいると思います。そこからはヴィル様の交渉と誠意、そして気持ちの強さが必要です」
「……なら、駄目だな。僕は……君以外なら犠牲にしていいなんて思えない。ごめん」
「そう仰ると思いました。では、既に運用停止状態でボディだけ残っているロボットなら……そういう個体も、探せばないとは言い切れません!」
ポジティブなティアの言葉に、閉塞感で窒息寸前だったヴィルの思考が生き返った。
ティアの豊かな胸から顔をあげると、改めてヴィルは彼女を抱き締めた。黒い髪を撫でながら、少し背の低いティアの全てを抱き留める。
見上げた空は既に、遠くの稜線が朝日で紫色に縁取られていた。
「ありがとう、ティア……とにかく、僕は諦めないことをまず最初に選ぶよ」
「はい、ヴィル様」
「あとは、そうだな……祈り、願う。手を動かして頭を使う、あらゆる手段を講じてみながら……僕は望みを捨てない。ほら、流れ星だ……あの星に今も」
朝日が塗り替えようとする宵闇のホリゾントに、光が尾を引いた。
それをヴィルの胸の中から見上げて、ティアも笑顔になる。
「ヴィル様、あれは旧世紀の人工衛星……デブリです。オービタルリングからの船が処理して、ほら……大気圏で燃え尽きていきます」
「ティア、夢がないよ。そりゃ、ロボットには肉眼で見えるだろうけどさ」
「でも、安心してください。わたしがヴィル様の流れ星になりますから。ヴィル様が祈り願う未来、望む明日……わたしが絶対に繋いでみせます!」
そう言って笑うと、ティアは不意に潤んだ目を閉じた。
ヴィルは心の中でリーラに謝りつつも、彼女の唇に唇を重ねた。
こうして、ヴィルのリーラを守るための戦いが始まる。再び彼女を、これからの未来へのスタートラインへと立たせてあげたい。妹が望むなら、兄であることをやめてもいい。でも、三人だけの家族が幸せな三人でいられなければいけない。
数奇な運命を前に、ヴィルは自分だけの流星を強く強く抱き締めるのだった。
無意識にヴィルは、夜の街を流離っていた。
リーラはあのあと、すぐに入院措置がとられた。明日また、ティアに着替えやなんかを見繕ってもらって、病院に行かなければいけない。会社にも事情を説明して、半休にしてもらって……だが、上手く思考が結べない。
ヴィルの頭の中では、あれからずっと二人の名前が交互に浮かんでいた。
リーラか。
ティアか。
リーラを助けるためには、ティアの身体が必要だ。
リーラを助けると、ティアは失われてしまう。
ティアの身体を使わないと、リーラは死んでしまう。
際限なくループする思惟が、答のないままに脳裏を支配していた。
それでもヴィルは、どうにか家へとたどり着く。
深夜の星空は今日も、天空を横切るオービタルリングの光が天の川のよう。地球に捧げられたエンゲージリングは、人類に繁栄との蜜月をもたらした。だが、科学文明が発達した今でも、病気から少女一人救えない。
かつては人間と同じ機能を備え、人間を超えたロボットを生み出したというのに。
己の無力感にさいなまれる中、近づく我が家を見てヴィルは独り言を零す。
「……あ。ティア? いや、どうして……」
家の玄関ポーチに、モノクロームのメイド姿が座っていた。膝を抱えてその上に顔を乗せ、まるで眠り姫のようだ。
ティアはずっと、この場所でヴィルとリーラを待っていたのだろうか?
まだ距離があるにもかかわらず、彼女は耳に当たるブレードアンテナをパタパタ動かして顔を上げた。眠そうに瞼を擦り、ヴィルを見るなり飛び起きる。
「ヴィル様っ!」
「や、やあ……た、ただいま」
「おかえりなさいませ、ヴィル様……あの、リーラ様は」
「ああ、うん。今は落ち着いている」
ティアはすぐにヴィルに駆け寄って、そしてベタン! と豪快に顔面からスッ転んだ。
慌ててヴィルが駆け寄り、彼女を抱き起こしてやる。
どうやら玄関を出てて郵便受けを通り過ぎると、彼女のボンド・ケーブルの長さは限界らしい。それでも彼女は、多くを聞かずに静かに微笑んでくれた。
「ヴィル様もお疲れでしょう。なにか召し上がりますか? お風呂の準備もできていますが」
「あ、ああ……ええと、その」
「ヴィル様? あ……そ、そうですね。まずはリーラ様のことが先決でした。入院されるのでしたら、準備もありますし。……あの、ヴィル様?」
ティアの優しさが、ただただ温かくて、柔らかくて。
ロボットだとは思えなくて、立たせるなり抱き締める。ティアははっと息を飲む気配に固まったが、すぐに抱き返してくれた。
涙が滲んでぼやける視界に、彼女のスカートの中から伸びるボンド・ケーブルが見えた。
間違いなくティアは、第三世代型のロボットだ。
だが、ヴィルの背をあやすように優しく叩いてくれる彼女は、同時に大切な家族でもある。あまりにも弱い自分を受け止めてくれる、家族。だからこそ、重大な選択を胸に抱えたまま、ヴィルは言葉に出来ず涙が止まらなかった。
「ヴィル様、今日は大変でしたね」
「ティア……ごめん、僕は」
「いいんです。わたし達ロボットは、ヴィル様達人間を助けて支えるためにいるのですから。それに、わたしがヴィル様を助けて支えたいんです。それが今、わたしの望み」
「……あ、ありがとう」
「それに、リーラ様のためにもわたし、頑張ります! リーラ様は、わたしの大事な恋敵ですから。……ヴィル様、わたしにできることがあったらなんでも仰ってくださいね」
ひょっとしたらもう、ティアには全てがわかっているのかもしれない。
それを承知で、ヴィルを受け止めてくれるのだ。
もし、ヴィルがリーラを助けるため、ティアの肉体を望んだら……彼女ははにかみ微笑んで承諾するだろう。文句一つ言わず、リーラに身体を明け渡して消えてゆく姿が見える。
だが、それは嫌だ。
そして、知っている。
ヴィルの愛するリーラは、彼のかわいい妹は……そんなことを絶対に望まない。
ずっと一緒に、兄妹の二人だけで生きてきたからわかる。
強情で意地っ張りで、兄想いが重くて、歪な偏愛に凝り固まっているリーラ。でも、彼女はままならない身体で精一杯生きて、一生懸命ヴィルを愛してくれた。そのことにもう、ヴィルは男として向き合うと決めたのだ。
それでも、涙はオーバーフローした脳裏の奥からとめどなく溢れる。
「ヴィル様、泣かないでください。……わたし、知ってます。わたし達第三世代型のロボットは、完全に人間と同じ機能を再現された肉体を与えられました。だから――」
「駄目だっ! それではリーラが救われない。……なにより、僕が耐えられない」
「……ヴィル様、こうは考えられないでしょうか。わたしとリーラ様が一つになったら、その両方を一緒にヴィル様が愛してくださる気がするんです」
「それでも! 今この瞬間からなにかが失われて、それで幸せっていえるだろうか。僕は身勝手かもしれない、それでも僕が描く未来はもっと違う筈だった。夢見ていたのは――」
そっと離れたティアは、不意にヴィルの頬に唇で触れた。
そして、涙で濡れた肌を舐めて、決壊した眦にキスする。
呆然とするヴィルに笑いかけて、そしてティアは胸の上で彼の顔を抱き締めた。
「ヴィル様、泣かないでください」
「……無理だよ」
「無理でも、どうか笑ってください。いつもみたいに、笑顔で」
「できない……そう、できないんだ。僕にできることがなにもない」
「そんなことないです、ヴィル様。さ、泣き止んで……涙はヴィル様には似合いません。悲しい涙は、ヴィル様には必要ないんです。もう、これはらずっといらない筈」
「ティア?」
胸の谷間からヴィルが見上げたティアも、泣いていた。
ロボットとはとても思えない、自然な表情で涙が伝う。
その一滴がヴィルの顔に落ちた。
「ヴィル様、その涙をわたしが全部取っちゃいますから……わたしに、涙をください。わたしには、ヴィル様の涙を全部ください」
「ティア……」
「リーラ様には、いつもの笑顔でいてくださいね? それに、まだ全てが終わった訳ではありません。お忘れですか、ヴィル様……お父様が、旦那様がかつてどのような事業をなさっていたかを」
その言葉に、ハッとヴィルは目を見開く。
父は、誰も手を付けなかった月面開発……それも、月の裏側から資源を採掘することで財を成した。そして、思い出す。月の裏側を開発する際、父が評価された手腕を。
「そうか、父さんのかつての仕事には……大量のロボットが関わっている!」
「はい。その記録をたどれば、第三世代型のロボットが……わたしの同胞がいると思います。そこからはヴィル様の交渉と誠意、そして気持ちの強さが必要です」
「……なら、駄目だな。僕は……君以外なら犠牲にしていいなんて思えない。ごめん」
「そう仰ると思いました。では、既に運用停止状態でボディだけ残っているロボットなら……そういう個体も、探せばないとは言い切れません!」
ポジティブなティアの言葉に、閉塞感で窒息寸前だったヴィルの思考が生き返った。
ティアの豊かな胸から顔をあげると、改めてヴィルは彼女を抱き締めた。黒い髪を撫でながら、少し背の低いティアの全てを抱き留める。
見上げた空は既に、遠くの稜線が朝日で紫色に縁取られていた。
「ありがとう、ティア……とにかく、僕は諦めないことをまず最初に選ぶよ」
「はい、ヴィル様」
「あとは、そうだな……祈り、願う。手を動かして頭を使う、あらゆる手段を講じてみながら……僕は望みを捨てない。ほら、流れ星だ……あの星に今も」
朝日が塗り替えようとする宵闇のホリゾントに、光が尾を引いた。
それをヴィルの胸の中から見上げて、ティアも笑顔になる。
「ヴィル様、あれは旧世紀の人工衛星……デブリです。オービタルリングからの船が処理して、ほら……大気圏で燃え尽きていきます」
「ティア、夢がないよ。そりゃ、ロボットには肉眼で見えるだろうけどさ」
「でも、安心してください。わたしがヴィル様の流れ星になりますから。ヴィル様が祈り願う未来、望む明日……わたしが絶対に繋いでみせます!」
そう言って笑うと、ティアは不意に潤んだ目を閉じた。
ヴィルは心の中でリーラに謝りつつも、彼女の唇に唇を重ねた。
こうして、ヴィルのリーラを守るための戦いが始まる。再び彼女を、これからの未来へのスタートラインへと立たせてあげたい。妹が望むなら、兄であることをやめてもいい。でも、三人だけの家族が幸せな三人でいられなければいけない。
数奇な運命を前に、ヴィルは自分だけの流星を強く強く抱き締めるのだった。
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