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罪深く、柔らかく。触れられて、ふるえて。
「一緒にいたいの。傍にいてほしいの」
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もう、元の自分ではないことを。
悟られたくなかった。
昨日までは、どんなに手を伸ばしてもアリストラムの身長に届かなかった。
一度、ぶらあんと首根っこを掴まれてしまえば、どんなにじたばた暴れても地面に足が着かなかった。
アリストラムが作った美味しい料理をお腹ぱんぱんになるまで食べられればそれで幸せだった。
一緒に寝て、一緒に起きて。あれこれ口うるさく叱られながらも、良い子だ、よしよしと微笑まれ撫でられたら、もう逆らえなかった。
良いようにあしらわれっぱなしの、ちっちゃな、可愛い、何も知らないこどもの狼。
ずっとそのままでいられたら、むしろどんなにか幸せだっただろう。
束縛と隷属の首輪を付けられて、妖気を押さえつけられて。
何も知らずに、馬鹿みたいにぱたぱたと尻尾を振って、きゅんきゅん鳴いて、でれでれとなついて。
飼われていたことに気付かずにいた。
優しい仮面で冷酷な支配者の顔を隠す人間に、犬みたいに、手なずけられていた――
「違うってば」
ラウは自分の中から噴き上がってくる叛旗の思いを必死に否定しながらアリストラムにしがみつき続けた。
「違うって言ってよ。ぜんぜん分かんない、アリスが何言ってんのか全然……ぜんぜん分かんない」
「ラウ」
ゆるやかに近づく、銀の香り。
悲痛な思いで張り裂けそうだったラウの背中に、ひた、と冷たい掌が押しあてられた。
「私は、ゾーイと」
「やだ」
濡れた銀の髪が、異様な冷たさで貼り付いてくる。ラウはとっさに耳を塞いだ。
「いやだ、聞きたくない」
アリストラムは黙り込んだ。
ラウは、なぜかひどくいやな寒気を感じてアリストラムを見返した。
刻印のゆらめきが黒い影となって、アリストラムの半身を闇へと塗り込めている。
「言うなと言うなら、言いません」
自嘲気味の声が吐き捨てられる。
アリストラムは顔をそむけ、ふいにそっけなく笑った。
「もう、貴女には逆らえないのだから」
アリストラムは眉をひそめて自身のこめかみを指先で押さえた。整った顔立ちがかすかな痛みにゆがむ。
ラウは胸を衝かれて口ごもった。
何を言えばいいのか分からない。うつむいて、また顔を上げる。
アリストラムの胸から首筋にかけて、仄暗い翡翠の色に浮かび上がる刻印は、ミシアの胸にあった刻印とほとんど同じ。
もちろん完全に同じではない。
ミシアの刻印はキイスと読めた。だがアリストラムのそれは――
ラウの視線に気付いたのか、アリストラムは自らの肩へと視線を落とし、刻印の光へと軽侮の目線をやってため息をついた。
そっと腕を持ち上げ、ラウの頬に指を滑らせて、髪へと細い指先を差し入れる。
「痛いところはありませんか。火傷の具合は」
聞かれてラウはおずおずと首を振った。
「分かんない」
「そうですか。やはり魔妖は回復力が人間とは違いますね。無事で良かった」
とりつくろった柔和なまなざしで四方を見渡す。岩剥き出しの洞窟は暗く、ひんやりと冷たい。濡れた肌にざらりと鳥肌が立っていた。
「火を起こしたほうがよさそうですね」
「……うん」
アリストラムは指を鳴らした。
何もない空間にぽつんと白い火が漂い始める。
丸く閉じこめられた火は、しゃぼん玉のようにふわふわと漂いながら中空に留まって四方を照らした。洞窟の壁面を淡い虹色に染め上げる。
「この程度ではあまり暖まる気もしませんが、でも決して直接触らないようにしてくださいね。結界で包んではいますが聖銀の火ですから、油断して触るとまた傷を負います」
「うん、気をつける」
ラウは居たたまれない気持ちでうつむいた。
自分が傷を負えば、きっとアリストラムはまた自らの魔力をラウの回復のために注ぎ込もうとするだろう。
たとえラウが拒んでも、だ。
ゆらめく白い火影に、アリストラムが全身に負った凄惨な爪傷が浮かび上がって見えた。
くちびるを噛み切ったのか、唇もまた赤黒く腫れている。
ラウは痛ましい傷から眼をそらし、丸く燃える銀の火を見つめた。
すっ、と息を吸い込む。
銀の火のしゃぼん玉がラウの息に引き寄せられ、ふわふわと動き出す。
暖かかった。
湿った空気を通して、じわりと暖かみが滲み込んでくる。
ラウは尻尾をちいさく振り、ひざを抱えて眼を閉じた。
「ありがと、アリス。暖かい」
「それは良かった」
アリストラムは言いながら汚れた聖神官のコートを羽織った。
「とはいえ、たぶん、貴女には本当の火のほうがいいでしょう。何か燃やせるものを探してきます」
アリストラムは立ち上がろうとした。
ラウはアリストラムの動きを眼で追いながら思わず声を上げた。
「どっか行っちゃうの……?」
「乾いた薪を探しに行ってきます。どうせ山の中ですし、すぐに拾って戻ってきますよ」
「……いいよ、そんな無理に薪なんか拾いに行かなくても」
「大丈夫です、すぐに戻ります。それにきっと貴女のことですから、お腹も空いているでしょう」
ラウはアリストラムの手を掴んだ。
「い、いいってば。座ってて。何もいらないから」
アリストラムは困ったように小首を傾げた。
「でも、それでは体力がつかないでしょう」
「お、お腹なんて空いてないから!」
言った端から、ぐぅぅぅぅぅぅぅ……、とお腹が鳴る。
ラウは顔を赤くした。
どう言えばアリストラムがどこにも行かずこのまま足を止めてくれるのか、他に何かうまい言い方があればともどかしく思いつつ、結局、何と言えばいいのか分からず、思った通りのことを口にした。
「いいからここにいて。アリスと一緒にいたいの。傍に……いてほしいの」
それまで痛いぐらい張りつめていた気持ちが、ぷちん、と切れる。
丸い銀の火がふいにゆらめいた。
白く燃えあがって、消え去ってゆく流星のような、はかない一瞬の残像を描く。
アリストラムの眼が、ラウを映し込んで暗く揺れ動いている。
「ええ、分かりました。貴女がそう望むなら」
低すぎる声。アリストラムの声ではないように聞こえる。
魂を縛る刻印がゆらりと黒い光を滲ませる。
まるで、別の誰かが、心にもない言葉を口にさせているかのようだった。
悟られたくなかった。
昨日までは、どんなに手を伸ばしてもアリストラムの身長に届かなかった。
一度、ぶらあんと首根っこを掴まれてしまえば、どんなにじたばた暴れても地面に足が着かなかった。
アリストラムが作った美味しい料理をお腹ぱんぱんになるまで食べられればそれで幸せだった。
一緒に寝て、一緒に起きて。あれこれ口うるさく叱られながらも、良い子だ、よしよしと微笑まれ撫でられたら、もう逆らえなかった。
良いようにあしらわれっぱなしの、ちっちゃな、可愛い、何も知らないこどもの狼。
ずっとそのままでいられたら、むしろどんなにか幸せだっただろう。
束縛と隷属の首輪を付けられて、妖気を押さえつけられて。
何も知らずに、馬鹿みたいにぱたぱたと尻尾を振って、きゅんきゅん鳴いて、でれでれとなついて。
飼われていたことに気付かずにいた。
優しい仮面で冷酷な支配者の顔を隠す人間に、犬みたいに、手なずけられていた――
「違うってば」
ラウは自分の中から噴き上がってくる叛旗の思いを必死に否定しながらアリストラムにしがみつき続けた。
「違うって言ってよ。ぜんぜん分かんない、アリスが何言ってんのか全然……ぜんぜん分かんない」
「ラウ」
ゆるやかに近づく、銀の香り。
悲痛な思いで張り裂けそうだったラウの背中に、ひた、と冷たい掌が押しあてられた。
「私は、ゾーイと」
「やだ」
濡れた銀の髪が、異様な冷たさで貼り付いてくる。ラウはとっさに耳を塞いだ。
「いやだ、聞きたくない」
アリストラムは黙り込んだ。
ラウは、なぜかひどくいやな寒気を感じてアリストラムを見返した。
刻印のゆらめきが黒い影となって、アリストラムの半身を闇へと塗り込めている。
「言うなと言うなら、言いません」
自嘲気味の声が吐き捨てられる。
アリストラムは顔をそむけ、ふいにそっけなく笑った。
「もう、貴女には逆らえないのだから」
アリストラムは眉をひそめて自身のこめかみを指先で押さえた。整った顔立ちがかすかな痛みにゆがむ。
ラウは胸を衝かれて口ごもった。
何を言えばいいのか分からない。うつむいて、また顔を上げる。
アリストラムの胸から首筋にかけて、仄暗い翡翠の色に浮かび上がる刻印は、ミシアの胸にあった刻印とほとんど同じ。
もちろん完全に同じではない。
ミシアの刻印はキイスと読めた。だがアリストラムのそれは――
ラウの視線に気付いたのか、アリストラムは自らの肩へと視線を落とし、刻印の光へと軽侮の目線をやってため息をついた。
そっと腕を持ち上げ、ラウの頬に指を滑らせて、髪へと細い指先を差し入れる。
「痛いところはありませんか。火傷の具合は」
聞かれてラウはおずおずと首を振った。
「分かんない」
「そうですか。やはり魔妖は回復力が人間とは違いますね。無事で良かった」
とりつくろった柔和なまなざしで四方を見渡す。岩剥き出しの洞窟は暗く、ひんやりと冷たい。濡れた肌にざらりと鳥肌が立っていた。
「火を起こしたほうがよさそうですね」
「……うん」
アリストラムは指を鳴らした。
何もない空間にぽつんと白い火が漂い始める。
丸く閉じこめられた火は、しゃぼん玉のようにふわふわと漂いながら中空に留まって四方を照らした。洞窟の壁面を淡い虹色に染め上げる。
「この程度ではあまり暖まる気もしませんが、でも決して直接触らないようにしてくださいね。結界で包んではいますが聖銀の火ですから、油断して触るとまた傷を負います」
「うん、気をつける」
ラウは居たたまれない気持ちでうつむいた。
自分が傷を負えば、きっとアリストラムはまた自らの魔力をラウの回復のために注ぎ込もうとするだろう。
たとえラウが拒んでも、だ。
ゆらめく白い火影に、アリストラムが全身に負った凄惨な爪傷が浮かび上がって見えた。
くちびるを噛み切ったのか、唇もまた赤黒く腫れている。
ラウは痛ましい傷から眼をそらし、丸く燃える銀の火を見つめた。
すっ、と息を吸い込む。
銀の火のしゃぼん玉がラウの息に引き寄せられ、ふわふわと動き出す。
暖かかった。
湿った空気を通して、じわりと暖かみが滲み込んでくる。
ラウは尻尾をちいさく振り、ひざを抱えて眼を閉じた。
「ありがと、アリス。暖かい」
「それは良かった」
アリストラムは言いながら汚れた聖神官のコートを羽織った。
「とはいえ、たぶん、貴女には本当の火のほうがいいでしょう。何か燃やせるものを探してきます」
アリストラムは立ち上がろうとした。
ラウはアリストラムの動きを眼で追いながら思わず声を上げた。
「どっか行っちゃうの……?」
「乾いた薪を探しに行ってきます。どうせ山の中ですし、すぐに拾って戻ってきますよ」
「……いいよ、そんな無理に薪なんか拾いに行かなくても」
「大丈夫です、すぐに戻ります。それにきっと貴女のことですから、お腹も空いているでしょう」
ラウはアリストラムの手を掴んだ。
「い、いいってば。座ってて。何もいらないから」
アリストラムは困ったように小首を傾げた。
「でも、それでは体力がつかないでしょう」
「お、お腹なんて空いてないから!」
言った端から、ぐぅぅぅぅぅぅぅ……、とお腹が鳴る。
ラウは顔を赤くした。
どう言えばアリストラムがどこにも行かずこのまま足を止めてくれるのか、他に何かうまい言い方があればともどかしく思いつつ、結局、何と言えばいいのか分からず、思った通りのことを口にした。
「いいからここにいて。アリスと一緒にいたいの。傍に……いてほしいの」
それまで痛いぐらい張りつめていた気持ちが、ぷちん、と切れる。
丸い銀の火がふいにゆらめいた。
白く燃えあがって、消え去ってゆく流星のような、はかない一瞬の残像を描く。
アリストラムの眼が、ラウを映し込んで暗く揺れ動いている。
「ええ、分かりました。貴女がそう望むなら」
低すぎる声。アリストラムの声ではないように聞こえる。
魂を縛る刻印がゆらりと黒い光を滲ませる。
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