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第3話
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「ルシフ、何してるんですか」
「ベル。……変だ」
「は?僕は変じゃありません」
「別にお前が変だと言ったわけじゃない」
「じゃあ、何が変なんですか」
「……鍵が、開いてる」
「え……?」
「俺はさっきここを出るとき戸締まりをした。鍵もほら、ちゃんとここにある。どうして鍵が開いてるんだ?」
「まさか、空き巣……?僕らが立てこもり事件で騒いでる隙に、盗みに入られたってことですか……?」
「俺にも分からんが……、空き巣だとすれば中にまだ犯人がいるかもしれない」
「大丈夫です。僕が仕留めてやりますよ」
僕たちはそーっと扉を開けた。
中はしんと静まり返っていた。
人がいる気配はない。
「奥の事務所にいるのかも」
僕らの家は、入ってすぐに魔法グッズ専門店、奥が探偵事務所、その奥に階段があって、地下室、2階、屋根裏部屋と繋がっている。こう言うととても広い家みたいだが、ひとつひとつの部屋が狭いので実はさほど広くはない。
僕たちは辺りを警戒しながら奥へと向かった。
そして、真っ暗な事務所を覗くと、そこには確かに人の気配があった。
……誰かいる……!
僕らはいつでも戦えるように身構えた。
ふと、窓から月明かりが射し込んできた。
ほのかな光に照らされた事務所に、壁にもたれかかって力なく座り込む男と、それを見下ろす人影が見えた。
フードを深く被ったその人は、男を見下ろしたまま、声を投げかけた。
「レヴィ。迎えに来たよ」
壁にもたれている男は、ルシフの魔法で猫にされていたはずの、レヴィ・アルストロメリアだった。
そのレヴィの腹には、銀色の剣が突き刺さっていて、辺りは血の海と化していた。
「……どう、して……」
レヴィは顔を少し上げ、弱々しい声で問いかけた。
「兄貴……。どうして、ここに……?」
兄貴……?
このフードの男が……、レヴィの……?
彼は、兄貴と呼ぶにはあまりにも無理のある容姿だった。
レヴィの兄と言うのであれば成人男性なのは間違いないのだが、どう見てもそう見えないほど華奢で、シルエットだけ見ると、まるで少女のようだった。
更に、その顔にはミイラのように包帯が巻かれていて、例えるならば……死神のようだ。
その男は、重たい陰気な声で話し始めた。
「シェム兄が……次の第2部隊の『作戦』に、お前を使いたいって言ってた。だから……境界にお前を呼びに行くのを条件に、ザゼルが俺をあの暗い部屋から出してくれたんだ」
「なんで……急に、そんなことを……。一度は俺をユートピアから追い出したくせに……今更、俺をどうするつもり……?」
震える声で尋ねたレヴィの胸ぐらを男は乱暴に掴んだ。
「つべこべ言うんじゃねーよ。シェム兄がわざわざ俺たちみたいな出来の悪い弟を使ってくれるって言ってるんだ。お前は大人しく従ってればいいんだよ」
その言葉にレヴィは口を閉ざしてしまった。
男はレヴィから手を離し、溜め息を吐いた。
「まさかお前が魔法屋の連中と一緒にいるとは思ってなかったよ……それも、あんな脆弱な猫にされて。……どうせお前のことだから、魔法屋に真正面から勝負でも挑んで、返り討ちにされたんだろ。お前は昔から単純すぎるんだよ」
男は侮蔑の籠もった眼差しでレヴィを見つめ、言い放った。
「……本当に、情けない。一族の恥だ」
男は、レヴィの腹に刺さった剣を引き抜き、床に投げ捨て、血塗れになったレヴィの身体を踏みつけた。
レヴィの口から苦しそうな声が漏れる。
怯えた目で男を見上げ、レヴィは懇願するように訴えた。
「ごめん、なさい……もう……許してください……」
「黙れ。この役立たず」
容赦なく蹴り上げられ、レヴィはぐったりとして倒れたまま動かなくなった。
「そこにいるんだろ。……魔法屋」
男がふとこっちを見て言った。
ルシフが前に進み出て尋ねた。
「……どうしてレヴィを刺した?」
「あんたらは知らないんだな……この出来損ないの、唯一の長所。レヴィは……、不死なんだよ」
「は……?」
「こいつの唯一の得意魔法が、自分の身体の治癒だ。どんなに深い傷を負っても、一日もすれば元通り。昔からレヴィは聞き分けが悪いからな。言うことを聞かせるにはこれが一番手っ取り早い」
「レヴィは、お前らにずっとこんな風に扱われて生きてきたのか……。そりゃあ人格も歪むよな。なんでストーカー男になったのか分かる気がするよ」
僕はルシフが話している間も男を睨み続けていた。
レヴィの兄でシェムの弟……ということは、この男は第三王子、アス・アルストロメリアだ。
僕はルシフのように冷静にこの男と話す気にはなれなかった。
「何だよその目?言いたいことがあるなら言えよ」
アスが僕を見つめて挑発するかのように言った。
突如、僕の胸に激しい怒りと憎悪が込み上げてきた。
「あんたは……魔法屋の仇だ」
「ああ……あのときのことか……。誤解するなよ。俺は、あのとき、『彼』を死なせるつもりで魔法を使ったんじゃない。『彼』を殺せと言ったのも、実際に殺したのも、俺じゃない」
「だから自分は悪くない、とでも言うつもりかよ」
「まさか。俺のしたことは確かに罪だよ。……だけど、それを責める資格があんたにあんのか?」
「僕は……」
「『僕は何もしてない』って言いたいのか?それこそが罪だって言ってるんだ。
あんたは、『彼』の死を目の前にして、何もできなかった。
あんたも俺たちと同罪……いや、ある意味もっとタチが悪い。
自分では一切手を汚すことのなかったあんたは、誰かから恨まれることもなく、罰を受けることもないんだから」
「……。」
僕は何も言い返せなかった。
アスは僕から目を逸らし、俯いた。
「……魔族の虐殺事件があった後、俺は生まれて初めてあの王妃に反抗したんだ。
……俺なんかが、敵うはずがなかった。
王妃に背いた俺は、拷問にかけられて……結局、耐えきれずに王妃への服従を誓ってしまった。
以来、俺はずっと、地下牢に閉じ込められたまま、王妃の操り人形にされてきた。
俺は、自分の信念と命を天秤にかけられたとき、信念を捨てた。お前らが愛した『彼』を死に追い込むきっかけをつくった。
俺は……王妃に屈したんだ。それが俺の最大の罪だ」
アスは包帯の下から寂しそうな目を覗かせ、呟くように言った。
「俺も、お前らも、みんな……あの王妃に屈した。……王妃から『彼』を救えなかった」
そのストレートな言葉が僕にはガツンと響いた。
「だから、俺はシェム兄とともに、王妃をぶっ潰す。あのときの罪の、せめてもの償いとして……。お前らはこのままでいいのか?ザゼルに、協力を頼まれたんだろ?」
彼は真っ直ぐ僕を見て問いかけた。
僕が返す言葉に迷っていると、ルシフが僕を庇うようにして一歩前に出た。
「協力?するかよ、そんなの。お前らも所詮は魔法軍だ。俺たちの仲間じゃない。俺たちは、魔法屋の幸せの為にしか戦わない」
「ふーん……。『彼』と違って随分と自分勝手だな」
アスは一呼吸置いてから、僕らを試すような口調で尋ねた。
「じゃあ、もし、魔法軍があんたらの今の生活を脅かすとしたら?
境界でのありきたりな日常が、ユートピアによって奪われるとしたら?
あんたらは、動かざるを得なくなるよな」
「……どういう意味だ?」
「それは教えられないよ。あんたらはまだ、俺たちの仲間じゃない。魔法屋が第二部隊に手を貸すというのなら、その意味を教えてやってもいいけど」
アスのその態度に、ルシフは聞こえよがしに舌打ちした。
「これだから嫌いなんだ、魔法軍の奴らは。どいつもこいつも卑怯なやり方しかしねぇ」
「俺もあんたは嫌いだ。魔法屋の店主を名乗るには余りに未熟。幼すぎる」
ルシフはそれに対し、何か言い返そうと口をもごもごさせていたが、結局その口から出たのは
「うるせぇ、チビのくせに」
という超低レベルの悪口だった。
えぇ……もっと他に言い返す言葉思いつかなかったのかな……。
当然アスは
「ほら、そういうところが幼いんだよ」
とそれを一蹴した……、かと思いきや。
「何年も陽を浴びることなく地下牢に入れられてたんだからチビでも仕方ないだろ。俺だって、お日様に当たって健全な生活さえできてれば今頃、モデル並みの長身イケメンになってたっつーの。そもそも、一国の王子をチビ呼ばわりしてただで済むと思ってんのか、この餓鬼が。馬鹿にしてると殺すぞ」
なんだこの人、チビなのめちゃくちゃ気にしてるじゃん……。
「ふん、殺せるもんなら殺してみろ。いかにも怪しげなフード被って全身包帯ぐるぐる巻きとか、中二病くさい格好しやがって。カッコつけんのも大概にしろよ」
「てめぇ、人の話聞いてなかったのかよ?王妃に拷問されたって言ったよな?好きでこんな格好してんじゃねーし。傷が癒えないだけだし」
「そんなの治癒魔法で治してもらえばいいだろ。それをしないということは、やっぱりカッコつけてんだな」
「違うって言ってんだろこのクソロン毛」
アスの目に殺気が宿る。
「あ?ロン毛で何が悪い」
ルシフの目にも殺気が宿る。
アスが床に転がっていた剣を素早く拾い上げるのと同時に、ルシフが杖を勢いよく振り上げた。
杖が蒼い光を纏った。
アスが侮蔑を含んだ声で言った。
「俺に魔法は効かねーよ」
杖を魔法陣が包み、蒼い光は杖の中に吸い込まれるように消えていった。
ルシフは意地の悪い笑みを浮かべた。
「……ああ。知ってる」
ルシフはさっと間合いを詰めると、杖を槍のようにしてアスの腹を突き刺した。
アスの華奢な身体は凄まじい威力で吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。
しかし、アスは壁にもたれたままルシフめがけて剣を投げつけた。
剣はルシフの頬を軽く掠め、反対側の壁に突き刺さった。
「チッ、外したか」
アスがそう呟き、手首に巻かれた包帯を解いた。痛々しい、傷だらけの手をしていた。
ルシフが杖を構え直す。
ところが、アスは臆することなくルシフに向かっていき、杖を踏みつけて跳び上がると、ルシフの首に包帯をぐるんと巻きつけて絞めあげた。
その手際の良さは、まるで、殺し屋。
第三王子アス・アルストロメリア……彼は魔法使いの中でもかなり特殊だ。
彼に攻撃魔法を使う力は皆無と言っていい。
しかし、彼には唯一無二の能力がある。
それが、魔法の無効化、及び魔力の封印だ。
彼には魔法が一切効かない。彼が本気を出せば、どんな大魔法使いにも魔法を使えなくさせる。
ユートピアはもともと、魔法使いの国……つまり魔法使いとしての能力で階級が決まる。そんな魔法が全ての国において、魔力の封印とは最も恐れられる魔法の一つなのだ。
相手の能力を一瞬で奪う魔法と、必要以上の力は一切使わず敵を仕留める優れた暗殺技術から、彼には『魔法使い殺し』なんて通り名までついている。
幼い頃から培ってきたというその力は、数年地下牢に幽閉されたくらいじゃ失われないらしい。
「……っ」
ルシフは苦しそうな表情を浮かべながら、包帯を握って自分の方へと力強く引き寄せた。
アスが少しルシフの方に引っ張られた一瞬の隙にルシフはアスを押し倒し、飛び乗った。
ルシフは仕返しとばかりにアスの首に杖を押しつけた。アスの細い首は床と杖に挟まれ、絞めつけられた。
「魔法軍が境界を脅かすっていうのはどういうことだ。教えろ」
ルシフがそう言っても、アスはだんまりを決め込んでいた。
2人がそんな攻防を繰り広げている間に、レヴィがよろよろと立ち上がった。
目は虚ろで、意識はまだ朦朧としているようだった。
レヴィが魔法陣から槍を召喚させた。
僕にはレヴィが何をするつもりなのか見当もつかなかったが、とにかく彼が攻撃してくる前に先手を打たないとまずいと思い、鎖を放ってレヴィの身体を押さえつけた。
彼が鎖から逃れようと暴れるのをやめないので、僕は鎖の中に電気を流した。
身体を震わせながら物凄い目でこっちを睨むレヴィの姿にはさすがの僕も少し心が痛んだ。
レヴィが助けを請うように兄の名を呼んだ。
「……アス兄……っ」
そのか細い声に反応し、アスはルシフに馬乗りにされたまま魔法陣を絞り出した。
それがレヴィの身体を通り抜けると僕の鎖は消えてしまった。
レヴィがバッと立ち上がり、槍を投げた。
槍はビュンと放物線を描いて、ぐさりとルシフの背中に突き刺さった。
「ルシフ!」
僕は倒れたルシフを慌てて抱き起こした。
レヴィは僕らに一瞥をくれると、自分の兄をひょいと担いで、窓から魔法屋を出て行ってしまった。兄に刺された傷はもう治っているようだった。
ルシフの背中に突き刺さっていた槍は、レヴィがいなくなるのと一緒に消えた。
「ルシフ、大丈夫ですか?」
僕が尋ねると、ルシフは弱々しい声で
「これが大丈夫に見えるか……?」
と聞き返してきた。
「ええ、まぁ。ルシフってこの程度じゃ死ななそうに見えますよ」
「そうか……。悪いが、俺の肉体はお前が思ってるより脆いぞ」
ルシフの身体から力が抜けていって、抱きとめる僕の腕がどんどん重くなっていった。
「ちょっと!しっかりしてください!どうしよう、僕、あんまり治癒魔法は得意じゃないんだけど……ああもう、やるしかない……!えいっ!」
「痛い痛い痛い!!なんか熱い!!焼ける!!ベルお前何しやがった!?」
「何ってただの治癒魔法ですよ」
「治癒魔法!?治癒魔法ってこんな痛いっけ!?」
「うるさいなぁ。治そうとしてやってるだけでも有難く思ってください」
「鬼畜すぎるだろ……!!」
ルシフが余りの痛みにのたうち回りながら僕に縋りついてくるのを見て僕はつい、ちょっといい気味だなと思ってしまった。
そして不意に、ルシフの不幸を喜んでしまう自分が……矛盾してばかりの汚い自分が嫌になる。
ルシフはそれにすぐに気づいたらしい。
「……あいつに言われたこと、気にしてんのか?」
「なんでそんなこと分かるんですか」
「俺がこんなに苦しんでるんだぞ?
いつものベルなら、すかさず『この程度の痛みにも耐えられないんですか?情けないですね』と俺を更に挑発してくるはずだ。
なのに、何も言わないってことは、腹が減ってるか落ち込んでるかのどっちかだろ」
「さすが。僕のことは何でもお見通しなんですね」
「まぁ、付き合いが長いからな」
「……あのさ……、ルシフ」
僕はルシフに投げかけた。
「何だ?」
ルシフが僕を見つめる。
「アスに言われたことは、図星だった。僕は……ルシフに何もかも押しつけて責めてばかりだ」
「……?そうだな。……それがどうした?」
ルシフの反応があっさりしすぎていて、僕は話を切り出したくせにどうしたらいいのかわからなくなってきた。
「だから……えっと……」
「別に俺はそんなの気にしてねぇけど」
「でも……」
「いいんだよ。お前は今まで通り、俺を憎んでくれればいい。……そうじゃなくちゃ、俺の方が調子狂うだろ」
ルシフの声は、無愛想なのに、優しかった。
ルシフのそういうところが嫌なんだ。
ひとりで重荷を背負おうとする。
僕がルシフを責めても、それを自分への罰だと受け入れてしまう。
ルシフは僕と違って根は純粋なのだ。
「それにしても……アスの言ってた『境界での日常がユートピアに奪われる』ってどういうことなんだろうな?」
と、ルシフが僕に問いかけた。
「僕もわからないけど、もしそれが本当なら魔法軍の思惑通りになるのだけは絶対に阻止しないと。もう二度と、『何もできなかった』で終わりたくない」
僕の決意に、ルシフは少し考え込んでから言った。
「だけど、そうは言っても魔法軍の思惑が全く分からん。下手に動くのは危険すぎる」
「確かにそうですね……。だから、まずは魔法軍とすぐに戦えるだけの力をつけておくのが大切だと思いますよ?そういやルシフ、最近魔法の練習サボってるでしょ?」
「だって、めんどくせぇし……」
「甘い!!」
僕が急に怒鳴ったので、ルシフはびくんっとして一瞬石のようになった。
「な、なんだよ突然……」
「魔法は日々の積み重ねが大事なんですよ!?努力する気がないなら大魔法使いなんか辞めちまえ!!」
「スポ根漫画かよ……」
「いいですか?明日から、魔法の朝練を始めます。日の出前には準備運動を済ませて裏の空き地に集合していること!」
「無理……」
「やる前から無理とか言うな!!」
僕はルシフをぶん殴った。
「痛っ……!!これは体罰だぞ!?」
「違います。指導の一環です」
「勘弁してくれ……」
「駄目です。魔法の練習はします。朝が嫌なら昼にしましょうよ」
「はぁ!?昼ドラが見られなくなるじゃねーか!!」
「録画しろ」
僕のその一言でルシフは大人しくなった。
僕はルシフに実のところを打ち明けた。
「前はよく……僕とルシフで魔法の練習試合したでしょう?あれを、久しぶりにやってみたくなったんです」
それを聞いて、文句ありげだったルシフの表情が明らかに変わった。
「ああ。懐かしいな……」
ルシフはこくんと頷いた。
「わかった。やろう。今の俺は絶対にお前には負けねぇからな」
「僕だって勝つ気しかしないですけど」
「負けても昔みたいに部屋に閉じ籠もって泣くのはやめろよ」
「そっちこそ、負けても昔みたいに部屋に閉じ籠もってふて腐れるのはやめてくださいね」
「もうそんなに餓鬼じゃねーよ」
そう言ってルシフはちょっと楽しそうに笑った。
結局、次の日。
ほぼ互角の死闘を繰り広げた挙句、ほんの僅かの差で僕に敗れたルシフは、その後しばらく部屋に閉じ籠もって出てこなかった。
「ベル。……変だ」
「は?僕は変じゃありません」
「別にお前が変だと言ったわけじゃない」
「じゃあ、何が変なんですか」
「……鍵が、開いてる」
「え……?」
「俺はさっきここを出るとき戸締まりをした。鍵もほら、ちゃんとここにある。どうして鍵が開いてるんだ?」
「まさか、空き巣……?僕らが立てこもり事件で騒いでる隙に、盗みに入られたってことですか……?」
「俺にも分からんが……、空き巣だとすれば中にまだ犯人がいるかもしれない」
「大丈夫です。僕が仕留めてやりますよ」
僕たちはそーっと扉を開けた。
中はしんと静まり返っていた。
人がいる気配はない。
「奥の事務所にいるのかも」
僕らの家は、入ってすぐに魔法グッズ専門店、奥が探偵事務所、その奥に階段があって、地下室、2階、屋根裏部屋と繋がっている。こう言うととても広い家みたいだが、ひとつひとつの部屋が狭いので実はさほど広くはない。
僕たちは辺りを警戒しながら奥へと向かった。
そして、真っ暗な事務所を覗くと、そこには確かに人の気配があった。
……誰かいる……!
僕らはいつでも戦えるように身構えた。
ふと、窓から月明かりが射し込んできた。
ほのかな光に照らされた事務所に、壁にもたれかかって力なく座り込む男と、それを見下ろす人影が見えた。
フードを深く被ったその人は、男を見下ろしたまま、声を投げかけた。
「レヴィ。迎えに来たよ」
壁にもたれている男は、ルシフの魔法で猫にされていたはずの、レヴィ・アルストロメリアだった。
そのレヴィの腹には、銀色の剣が突き刺さっていて、辺りは血の海と化していた。
「……どう、して……」
レヴィは顔を少し上げ、弱々しい声で問いかけた。
「兄貴……。どうして、ここに……?」
兄貴……?
このフードの男が……、レヴィの……?
彼は、兄貴と呼ぶにはあまりにも無理のある容姿だった。
レヴィの兄と言うのであれば成人男性なのは間違いないのだが、どう見てもそう見えないほど華奢で、シルエットだけ見ると、まるで少女のようだった。
更に、その顔にはミイラのように包帯が巻かれていて、例えるならば……死神のようだ。
その男は、重たい陰気な声で話し始めた。
「シェム兄が……次の第2部隊の『作戦』に、お前を使いたいって言ってた。だから……境界にお前を呼びに行くのを条件に、ザゼルが俺をあの暗い部屋から出してくれたんだ」
「なんで……急に、そんなことを……。一度は俺をユートピアから追い出したくせに……今更、俺をどうするつもり……?」
震える声で尋ねたレヴィの胸ぐらを男は乱暴に掴んだ。
「つべこべ言うんじゃねーよ。シェム兄がわざわざ俺たちみたいな出来の悪い弟を使ってくれるって言ってるんだ。お前は大人しく従ってればいいんだよ」
その言葉にレヴィは口を閉ざしてしまった。
男はレヴィから手を離し、溜め息を吐いた。
「まさかお前が魔法屋の連中と一緒にいるとは思ってなかったよ……それも、あんな脆弱な猫にされて。……どうせお前のことだから、魔法屋に真正面から勝負でも挑んで、返り討ちにされたんだろ。お前は昔から単純すぎるんだよ」
男は侮蔑の籠もった眼差しでレヴィを見つめ、言い放った。
「……本当に、情けない。一族の恥だ」
男は、レヴィの腹に刺さった剣を引き抜き、床に投げ捨て、血塗れになったレヴィの身体を踏みつけた。
レヴィの口から苦しそうな声が漏れる。
怯えた目で男を見上げ、レヴィは懇願するように訴えた。
「ごめん、なさい……もう……許してください……」
「黙れ。この役立たず」
容赦なく蹴り上げられ、レヴィはぐったりとして倒れたまま動かなくなった。
「そこにいるんだろ。……魔法屋」
男がふとこっちを見て言った。
ルシフが前に進み出て尋ねた。
「……どうしてレヴィを刺した?」
「あんたらは知らないんだな……この出来損ないの、唯一の長所。レヴィは……、不死なんだよ」
「は……?」
「こいつの唯一の得意魔法が、自分の身体の治癒だ。どんなに深い傷を負っても、一日もすれば元通り。昔からレヴィは聞き分けが悪いからな。言うことを聞かせるにはこれが一番手っ取り早い」
「レヴィは、お前らにずっとこんな風に扱われて生きてきたのか……。そりゃあ人格も歪むよな。なんでストーカー男になったのか分かる気がするよ」
僕はルシフが話している間も男を睨み続けていた。
レヴィの兄でシェムの弟……ということは、この男は第三王子、アス・アルストロメリアだ。
僕はルシフのように冷静にこの男と話す気にはなれなかった。
「何だよその目?言いたいことがあるなら言えよ」
アスが僕を見つめて挑発するかのように言った。
突如、僕の胸に激しい怒りと憎悪が込み上げてきた。
「あんたは……魔法屋の仇だ」
「ああ……あのときのことか……。誤解するなよ。俺は、あのとき、『彼』を死なせるつもりで魔法を使ったんじゃない。『彼』を殺せと言ったのも、実際に殺したのも、俺じゃない」
「だから自分は悪くない、とでも言うつもりかよ」
「まさか。俺のしたことは確かに罪だよ。……だけど、それを責める資格があんたにあんのか?」
「僕は……」
「『僕は何もしてない』って言いたいのか?それこそが罪だって言ってるんだ。
あんたは、『彼』の死を目の前にして、何もできなかった。
あんたも俺たちと同罪……いや、ある意味もっとタチが悪い。
自分では一切手を汚すことのなかったあんたは、誰かから恨まれることもなく、罰を受けることもないんだから」
「……。」
僕は何も言い返せなかった。
アスは僕から目を逸らし、俯いた。
「……魔族の虐殺事件があった後、俺は生まれて初めてあの王妃に反抗したんだ。
……俺なんかが、敵うはずがなかった。
王妃に背いた俺は、拷問にかけられて……結局、耐えきれずに王妃への服従を誓ってしまった。
以来、俺はずっと、地下牢に閉じ込められたまま、王妃の操り人形にされてきた。
俺は、自分の信念と命を天秤にかけられたとき、信念を捨てた。お前らが愛した『彼』を死に追い込むきっかけをつくった。
俺は……王妃に屈したんだ。それが俺の最大の罪だ」
アスは包帯の下から寂しそうな目を覗かせ、呟くように言った。
「俺も、お前らも、みんな……あの王妃に屈した。……王妃から『彼』を救えなかった」
そのストレートな言葉が僕にはガツンと響いた。
「だから、俺はシェム兄とともに、王妃をぶっ潰す。あのときの罪の、せめてもの償いとして……。お前らはこのままでいいのか?ザゼルに、協力を頼まれたんだろ?」
彼は真っ直ぐ僕を見て問いかけた。
僕が返す言葉に迷っていると、ルシフが僕を庇うようにして一歩前に出た。
「協力?するかよ、そんなの。お前らも所詮は魔法軍だ。俺たちの仲間じゃない。俺たちは、魔法屋の幸せの為にしか戦わない」
「ふーん……。『彼』と違って随分と自分勝手だな」
アスは一呼吸置いてから、僕らを試すような口調で尋ねた。
「じゃあ、もし、魔法軍があんたらの今の生活を脅かすとしたら?
境界でのありきたりな日常が、ユートピアによって奪われるとしたら?
あんたらは、動かざるを得なくなるよな」
「……どういう意味だ?」
「それは教えられないよ。あんたらはまだ、俺たちの仲間じゃない。魔法屋が第二部隊に手を貸すというのなら、その意味を教えてやってもいいけど」
アスのその態度に、ルシフは聞こえよがしに舌打ちした。
「これだから嫌いなんだ、魔法軍の奴らは。どいつもこいつも卑怯なやり方しかしねぇ」
「俺もあんたは嫌いだ。魔法屋の店主を名乗るには余りに未熟。幼すぎる」
ルシフはそれに対し、何か言い返そうと口をもごもごさせていたが、結局その口から出たのは
「うるせぇ、チビのくせに」
という超低レベルの悪口だった。
えぇ……もっと他に言い返す言葉思いつかなかったのかな……。
当然アスは
「ほら、そういうところが幼いんだよ」
とそれを一蹴した……、かと思いきや。
「何年も陽を浴びることなく地下牢に入れられてたんだからチビでも仕方ないだろ。俺だって、お日様に当たって健全な生活さえできてれば今頃、モデル並みの長身イケメンになってたっつーの。そもそも、一国の王子をチビ呼ばわりしてただで済むと思ってんのか、この餓鬼が。馬鹿にしてると殺すぞ」
なんだこの人、チビなのめちゃくちゃ気にしてるじゃん……。
「ふん、殺せるもんなら殺してみろ。いかにも怪しげなフード被って全身包帯ぐるぐる巻きとか、中二病くさい格好しやがって。カッコつけんのも大概にしろよ」
「てめぇ、人の話聞いてなかったのかよ?王妃に拷問されたって言ったよな?好きでこんな格好してんじゃねーし。傷が癒えないだけだし」
「そんなの治癒魔法で治してもらえばいいだろ。それをしないということは、やっぱりカッコつけてんだな」
「違うって言ってんだろこのクソロン毛」
アスの目に殺気が宿る。
「あ?ロン毛で何が悪い」
ルシフの目にも殺気が宿る。
アスが床に転がっていた剣を素早く拾い上げるのと同時に、ルシフが杖を勢いよく振り上げた。
杖が蒼い光を纏った。
アスが侮蔑を含んだ声で言った。
「俺に魔法は効かねーよ」
杖を魔法陣が包み、蒼い光は杖の中に吸い込まれるように消えていった。
ルシフは意地の悪い笑みを浮かべた。
「……ああ。知ってる」
ルシフはさっと間合いを詰めると、杖を槍のようにしてアスの腹を突き刺した。
アスの華奢な身体は凄まじい威力で吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。
しかし、アスは壁にもたれたままルシフめがけて剣を投げつけた。
剣はルシフの頬を軽く掠め、反対側の壁に突き刺さった。
「チッ、外したか」
アスがそう呟き、手首に巻かれた包帯を解いた。痛々しい、傷だらけの手をしていた。
ルシフが杖を構え直す。
ところが、アスは臆することなくルシフに向かっていき、杖を踏みつけて跳び上がると、ルシフの首に包帯をぐるんと巻きつけて絞めあげた。
その手際の良さは、まるで、殺し屋。
第三王子アス・アルストロメリア……彼は魔法使いの中でもかなり特殊だ。
彼に攻撃魔法を使う力は皆無と言っていい。
しかし、彼には唯一無二の能力がある。
それが、魔法の無効化、及び魔力の封印だ。
彼には魔法が一切効かない。彼が本気を出せば、どんな大魔法使いにも魔法を使えなくさせる。
ユートピアはもともと、魔法使いの国……つまり魔法使いとしての能力で階級が決まる。そんな魔法が全ての国において、魔力の封印とは最も恐れられる魔法の一つなのだ。
相手の能力を一瞬で奪う魔法と、必要以上の力は一切使わず敵を仕留める優れた暗殺技術から、彼には『魔法使い殺し』なんて通り名までついている。
幼い頃から培ってきたというその力は、数年地下牢に幽閉されたくらいじゃ失われないらしい。
「……っ」
ルシフは苦しそうな表情を浮かべながら、包帯を握って自分の方へと力強く引き寄せた。
アスが少しルシフの方に引っ張られた一瞬の隙にルシフはアスを押し倒し、飛び乗った。
ルシフは仕返しとばかりにアスの首に杖を押しつけた。アスの細い首は床と杖に挟まれ、絞めつけられた。
「魔法軍が境界を脅かすっていうのはどういうことだ。教えろ」
ルシフがそう言っても、アスはだんまりを決め込んでいた。
2人がそんな攻防を繰り広げている間に、レヴィがよろよろと立ち上がった。
目は虚ろで、意識はまだ朦朧としているようだった。
レヴィが魔法陣から槍を召喚させた。
僕にはレヴィが何をするつもりなのか見当もつかなかったが、とにかく彼が攻撃してくる前に先手を打たないとまずいと思い、鎖を放ってレヴィの身体を押さえつけた。
彼が鎖から逃れようと暴れるのをやめないので、僕は鎖の中に電気を流した。
身体を震わせながら物凄い目でこっちを睨むレヴィの姿にはさすがの僕も少し心が痛んだ。
レヴィが助けを請うように兄の名を呼んだ。
「……アス兄……っ」
そのか細い声に反応し、アスはルシフに馬乗りにされたまま魔法陣を絞り出した。
それがレヴィの身体を通り抜けると僕の鎖は消えてしまった。
レヴィがバッと立ち上がり、槍を投げた。
槍はビュンと放物線を描いて、ぐさりとルシフの背中に突き刺さった。
「ルシフ!」
僕は倒れたルシフを慌てて抱き起こした。
レヴィは僕らに一瞥をくれると、自分の兄をひょいと担いで、窓から魔法屋を出て行ってしまった。兄に刺された傷はもう治っているようだった。
ルシフの背中に突き刺さっていた槍は、レヴィがいなくなるのと一緒に消えた。
「ルシフ、大丈夫ですか?」
僕が尋ねると、ルシフは弱々しい声で
「これが大丈夫に見えるか……?」
と聞き返してきた。
「ええ、まぁ。ルシフってこの程度じゃ死ななそうに見えますよ」
「そうか……。悪いが、俺の肉体はお前が思ってるより脆いぞ」
ルシフの身体から力が抜けていって、抱きとめる僕の腕がどんどん重くなっていった。
「ちょっと!しっかりしてください!どうしよう、僕、あんまり治癒魔法は得意じゃないんだけど……ああもう、やるしかない……!えいっ!」
「痛い痛い痛い!!なんか熱い!!焼ける!!ベルお前何しやがった!?」
「何ってただの治癒魔法ですよ」
「治癒魔法!?治癒魔法ってこんな痛いっけ!?」
「うるさいなぁ。治そうとしてやってるだけでも有難く思ってください」
「鬼畜すぎるだろ……!!」
ルシフが余りの痛みにのたうち回りながら僕に縋りついてくるのを見て僕はつい、ちょっといい気味だなと思ってしまった。
そして不意に、ルシフの不幸を喜んでしまう自分が……矛盾してばかりの汚い自分が嫌になる。
ルシフはそれにすぐに気づいたらしい。
「……あいつに言われたこと、気にしてんのか?」
「なんでそんなこと分かるんですか」
「俺がこんなに苦しんでるんだぞ?
いつものベルなら、すかさず『この程度の痛みにも耐えられないんですか?情けないですね』と俺を更に挑発してくるはずだ。
なのに、何も言わないってことは、腹が減ってるか落ち込んでるかのどっちかだろ」
「さすが。僕のことは何でもお見通しなんですね」
「まぁ、付き合いが長いからな」
「……あのさ……、ルシフ」
僕はルシフに投げかけた。
「何だ?」
ルシフが僕を見つめる。
「アスに言われたことは、図星だった。僕は……ルシフに何もかも押しつけて責めてばかりだ」
「……?そうだな。……それがどうした?」
ルシフの反応があっさりしすぎていて、僕は話を切り出したくせにどうしたらいいのかわからなくなってきた。
「だから……えっと……」
「別に俺はそんなの気にしてねぇけど」
「でも……」
「いいんだよ。お前は今まで通り、俺を憎んでくれればいい。……そうじゃなくちゃ、俺の方が調子狂うだろ」
ルシフの声は、無愛想なのに、優しかった。
ルシフのそういうところが嫌なんだ。
ひとりで重荷を背負おうとする。
僕がルシフを責めても、それを自分への罰だと受け入れてしまう。
ルシフは僕と違って根は純粋なのだ。
「それにしても……アスの言ってた『境界での日常がユートピアに奪われる』ってどういうことなんだろうな?」
と、ルシフが僕に問いかけた。
「僕もわからないけど、もしそれが本当なら魔法軍の思惑通りになるのだけは絶対に阻止しないと。もう二度と、『何もできなかった』で終わりたくない」
僕の決意に、ルシフは少し考え込んでから言った。
「だけど、そうは言っても魔法軍の思惑が全く分からん。下手に動くのは危険すぎる」
「確かにそうですね……。だから、まずは魔法軍とすぐに戦えるだけの力をつけておくのが大切だと思いますよ?そういやルシフ、最近魔法の練習サボってるでしょ?」
「だって、めんどくせぇし……」
「甘い!!」
僕が急に怒鳴ったので、ルシフはびくんっとして一瞬石のようになった。
「な、なんだよ突然……」
「魔法は日々の積み重ねが大事なんですよ!?努力する気がないなら大魔法使いなんか辞めちまえ!!」
「スポ根漫画かよ……」
「いいですか?明日から、魔法の朝練を始めます。日の出前には準備運動を済ませて裏の空き地に集合していること!」
「無理……」
「やる前から無理とか言うな!!」
僕はルシフをぶん殴った。
「痛っ……!!これは体罰だぞ!?」
「違います。指導の一環です」
「勘弁してくれ……」
「駄目です。魔法の練習はします。朝が嫌なら昼にしましょうよ」
「はぁ!?昼ドラが見られなくなるじゃねーか!!」
「録画しろ」
僕のその一言でルシフは大人しくなった。
僕はルシフに実のところを打ち明けた。
「前はよく……僕とルシフで魔法の練習試合したでしょう?あれを、久しぶりにやってみたくなったんです」
それを聞いて、文句ありげだったルシフの表情が明らかに変わった。
「ああ。懐かしいな……」
ルシフはこくんと頷いた。
「わかった。やろう。今の俺は絶対にお前には負けねぇからな」
「僕だって勝つ気しかしないですけど」
「負けても昔みたいに部屋に閉じ籠もって泣くのはやめろよ」
「そっちこそ、負けても昔みたいに部屋に閉じ籠もってふて腐れるのはやめてくださいね」
「もうそんなに餓鬼じゃねーよ」
そう言ってルシフはちょっと楽しそうに笑った。
結局、次の日。
ほぼ互角の死闘を繰り広げた挙句、ほんの僅かの差で僕に敗れたルシフは、その後しばらく部屋に閉じ籠もって出てこなかった。
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