59 / 103
第三章 口腹の幸福
59.大人日記(12…)
しおりを挟む
「規則を破ればすぐに家へ送り返し、冬の支援分を年貢に上乗せして取り立ててやるからな。だが、問題を起こさず真面目に働き続ければ、支援は支援だ。余計な取り立ては無しにしてやる。いいか、俺の言うことに逆うな。反抗するな」
屋敷に到着するなり、待ち構えていたトベインがつらつらと述べた。
筋部分の中央が少し出っ張った所謂”ワシ鼻”をしたトベインは、二人を品定めするように上から下までまじまじと見つめ、ひとしきり満足すると控えていた従者に命じて、用意しておいた食糧の詰まった大袋を父に渡した。
「ふんっ……計画性もなしに子供をつくり、あまつさえ我が身可愛さに成長した子を売るとは情けない男だ」
屋敷の者に見送られる中、遠ざかって尚ペコペコと頭を下げながら振り返り、謝意を表す父に向かって荘園の主は冷たく言い放った。
トベインの屋敷で暮らしていたのは、彼と彼に仕える六名の大人の使用人、それに外部から派遣された兵士十名。一番数が多いのは、奉公として貧しい各家から繰り出された住み込みで働く少年少女だった。
着いて早々にイヴリーチは調理、洗濯、裁縫などの家事をこなす女方の作業場へ、アリムは農作業や家畜の世話などの力仕事をこなす男方の作業場へ案内された。
集落でも弟妹以外の余所の家の子供がいなかったわけではないが、ほとんどの時間を大人と共に仕事に費やしていたイヴリーチにとって、十名以上の同年代の人間に囲まれることはとても新鮮な体験だった。
皆、新参者にはなかなか警戒を解いてくれなかったが、初日の針仕事を共にしたグリーという純朴な少女だけは、いち早く心を開いてくれた。
グリーは年頃に現れる擦れた部分のない純朴な少女だった。
屋敷へ送られた子供は親寂しさに初週はだいたい使い物にならないが、イヴリーチは特に手際が良い。それに容姿が整っていて、奉公人ではなく、どこぞのお姫様のようだ……など、社交辞令と分かっていても本気で照れてしまうくらいに愛想良く歓迎してくれた。
歳が一個違いで接しやすいグリーにイヴリーチはよく懐き、グリーもまたイヴリーチを可愛がってくれた。
二人はしばしば互いの境遇について教え合った。
屋敷に移り八日目。初週を乗り切った今日の話の種は、主人であるトベインだった。
荘園にはいくつかの集落が存在し、イヴリーチの一家が属していた集落を含めて五つ点在している。トベインは農奴の働きようや作物の成長度合いなどをこまめに観察し、指導し、定められた割合の年貢を徴収する。そして、集めた年貢をさらに上の役人へ引き渡して初めて、トベインの年間を通しての大仕事が終了する……と、先輩の奉公人から教えてもらった主人の仕事内容をグリーは得意げに説明してくれた。
しょっちゅう集落を訪れていたトベインの謎が解け、イヴリーチは感心するように声を漏らした。
「収穫が少ないとトベイン様がお役人様に怒られるからね。だから、いっつもピリピリしてるんだよ。目とかこーんなに! つり上がっちゃってさ!」
「わっ、誰かに見られたら大変だよグリー!」
グリーが人差し指で自身の両の目尻をグイッと上へ引っ張るので慌てて止める。冷えきる水の刺激を我慢しながら大型のバケツで掛布を洗っていた二人は、周囲に誰もいないことを確認して笑いあった。
「でも、トベイン様って意外といい人なんだね。思ってたより普通っていうか……ご飯やベッドが当たるなんて思わなかったよ」
イヴリーチはかじかむ手を温めながら言った。
到着した時にトベインから言われた通り、仕事を真面目にこなしていれば不自由はなかった。むしろ家より良い暮らしだ。一日三食の食事が与えられ、大部屋の寝室には簡易だが個人のベッドも用意されている。
作物の出来を確認しに集落まで降りてくる時のトベインは横柄に見えたが、実際はそこまで悪い人間ではないのではと思った。グリーは”毎日同じ仕事はつまらない”、”親に会いたい”と、度々愚痴をこぼしていたが、イヴリーチにとっては家族のいる生家の方がよっぽど窮屈だった。
返答がないのを不思議に思い、グリーを横目でチラリと確認してみると、常時穏やかな笑みを浮かべている彼女の顔には影が差していた。
「……あの人は酷い人だよ。あなたはまだ悪いところを見てないだけ。むしゃくしゃしてる時に目が合うと女の子でも平気でぶたれるんだから。私も他の子も経験がある。でも、イヴは……別のことを心配した方がいいかもね」
グリーは意味ありげな言葉を投下して、”さぁ、作業に集中しよう”と話を強引に終わらせた。
数日後。姉弟が屋敷で働き始めてから、ちょうど二週間が経った日のことだ。
いつものように起床を知らせる外の鐘の音で目を覚ましたイヴリーチは、他の子供と同様にまず身支度を整え、それからグリーと合流しようと彼女のベッドまで赴いた。
グリーの様子が昨日と違うことには、すぐに気が付いた。
挨拶をしたというのに、グリーはイヴリーチの声がまるで聞こえていないかのように背中を向け、上着の首部分の紐を結んでいた。
イヴリーチは三度声を掛けた。
”おはよう”
”グリー、どうしたの?”
”調子が悪いの? 大丈夫?”
軽く肩に触れてみても、彼女がこちらを相手することはない。
確かに昨晩まで普段通り会話していたのに、いったいどうしたというのか……イヴリーチが途方に暮れていると、背後から数人の含み笑いが聞こえた。
振り向くと、そこには初日の挨拶以外でほとんど交流のなかった女子五人が薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「やめなよぉ。グリーが嫌がってるの、わからないのぉ?」
「え……?」
「アタシら気になってたんだよねぇ、初日からグリーに馴れ馴れしくしすぎじゃないかってさぁ。グリーは先に働いてる先輩なんだよ? いくらあの子が優しいからって四六時中ベッタリくっついちゃって……本当はグリーも迷惑してるんだから。ね、そうでしょグリー?」
「え……うそ、だよね? グリー……?」
グループを率いているらしい中央の少女二人の悪口に隙を突かれ、イヴリーチは動揺してしまった。
否定を待てどもグリーは僅かに体を揺らしただけで無言を貫き、やはり顔を合わせようとはしなかった。それは唐突に口撃を仕掛けてきた少女達にくみするという意思の表れであり、何が何だか分からない展開に、イヴリーチは刃物で心臓を突かれたような鋭い衝撃に襲われた。
深い悲しみに傷付くイヴリーチを見て、少女達はキンキンの笑い声を響かせながら楽しそうに続けた。
「知ってるよ、あんた男子に色目使ってるんでしょ? あっちの作業場にチラチラ顔出してるらしいじゃない。こんな場所で男探りとか恥がないわけ?」
「それはっ、一緒に来た弟がちゃんとやってるか気になって見に行っただけで――」
「そうそう~、ご主人様にも怒られたことないらしいしさぁ、その顔って大人にも通用するんだぁ? すごぉい!」
「はっ……なにを言ってるの……?」
「イヤーー! やっばいねそれぇ! ガキのくせに色仕掛? 気色わる~~っ!! あんたみたいのを”インラン”って呼ぶんだよ? ひとつ賢くなったねー、おめでとぉー!」
「っ、そんなことしてないってば! 人の話聞いてよ!」
反論しようとすると、さらに大きな声で掻き消してくる。イヴリーチは目に涙を溜めながら半ば叫びながら反発した。
気が付くと、部屋中の他の奉公少女達がこちらを見て仲間内でひそひそ話をしていた。発せられる侮りの言葉や視線を辿ると、行き着く先は嫌味を言った少女達ではなく、イヴリーチだった。
たまらず部屋を飛び出すと、後にした室内からドッと大きな笑い声が起こる。
こんなことがあった直後に顔を合わせられず、イヴリーチはこの日の朝食を抜いた。食事は男女共同で取る。奉公人全員が揃ってから食前の祈りを捧げ、年長者から順に手を付けてゆくのが決まりだ。
だから、一人食卓に現れなかったイヴリーチを、奉公人の世話役を務めていた中年女性の使用人は強く叱り、以降は必ず席に付くことを約束させられた。
完全に孤立したイヴリーチへの嫌がらせは口撃だけに留まらなかった。一度輪から外れた者に対し、子供の排他性は常軌を逸して働くものだ。
ある時はスープに虫の死骸を浮かべられ、ある時は衣類の肌が触れる面に小さな針を隠し縫いされ、またある時は厩舎の糞溜まりに服を捨てられた。
他にも深夜の睡眠時間中に鼻を摘まれて呼吸を止められたり、女子以上に関わりのない男子へも食事での接触で変な噂が広がったのか、たまの外でのすれ違い時に汚い罵りを受けるようになった。
「あんたねぇ、良くない報告ばっかり受けてるよ。いい加減にしないと旦那様に言い付けるからね」
世話役はイヴリーチばかりを注意した。
自分の印象が悪いことは知っていたが、しっかりと身の潔白を訴えれば世話役も理解してくれるはずだと、不毛な行為に対処してくれるはずだと、イヴリーチは一縷の望みをかけて現状を説明した。
しかし、返ってきたのは同情や解決への糸口ではなく、一発の張り手だった。
「言い訳するんじゃないよ、まったく嫌らしい子だね! どうせ家じゃ何の苦労もせずチヤホヤされてきたんだろ? ここはそんな甘い所じゃないんだからね! 私は何年も前からあの子達の面倒を見てるけど、一度もイジメしてるとこなんて見たことないの! いい子ばかりなの! そうやって他の子を貶めるような性格してるから仲間外れにされるんだ、当然のことだよ! 反省しな!」
フンッと鼻を鳴らすと、世話役は踵を返してどこかへ行ってしまった。
実直に生きていれば、いつか必ず報われると思っていた。
ジンジンと熱を帯びゆく頬が、この世の理不尽の片鱗を見せてくれた。
……依然としてイジメは続いたが、イヴリーチは何とか耐えていた。
酷い仕打ちも続くと慣れてくるもので、たまに虫入りの皿を隣の席の子の皿とこっそり入れ替えたり、厩舎行きであろう見た目に差異がない作業着は、傍観役に徹している無関係の少女の物とすり替えたりして反抗してみせた。
イジメっ子からすれば上手く切り抜け始めたイヴリーチが余計に憎たらしく感じるもので、ついに集団暴行という直接的な手に持ち込まれたが、幼い頃からクワを振って鍛えられたイヴリーチの肉体は屋内仕事しかしてこなかった同世代の少女達を圧倒し、複数人まとめて返り討ちにしてしまった。
容赦なく顔を狙った反撃は無論世話役へ伝わり、イヴリーチは強烈なビンタを三発食らい、丸一日食事抜きで折檻部屋へ隔離されることとなった。
折檻部屋でイヴリーチが気を揉んだのは自身の今後ではなく、アリムについてだった。
唯一頼れる相手であるアリムには、イジメが始まって以来会っていない。また移動の隙間時間にでも姿を覗きに行きたいが、きっとアリムも姉がイジメの対象になって巻き添えを食らっているだろうし、良からぬ噂が広まっているこの時期に彼と接触するのは、さらなる悪手だと思ったので止めていた。
食事の席でひと目顔を見るだけで充分……それも、あちらと目が合いそうになると先に視線をそむけて避けた。今以上の迷惑は掛けたくなかった。
だが今回、結局自分の忍耐が足りないせいで騒ぎを起こしてしまった。アリムへ飛び火しないことを願うばかりである。
狭く暗い押入れのような空間で、イヴリーチは最愛の弟を想って啜り泣いた。
そんな悲しみの中、救いの手を差し伸べてくれたのは意外な人物だった。
屋敷に到着するなり、待ち構えていたトベインがつらつらと述べた。
筋部分の中央が少し出っ張った所謂”ワシ鼻”をしたトベインは、二人を品定めするように上から下までまじまじと見つめ、ひとしきり満足すると控えていた従者に命じて、用意しておいた食糧の詰まった大袋を父に渡した。
「ふんっ……計画性もなしに子供をつくり、あまつさえ我が身可愛さに成長した子を売るとは情けない男だ」
屋敷の者に見送られる中、遠ざかって尚ペコペコと頭を下げながら振り返り、謝意を表す父に向かって荘園の主は冷たく言い放った。
トベインの屋敷で暮らしていたのは、彼と彼に仕える六名の大人の使用人、それに外部から派遣された兵士十名。一番数が多いのは、奉公として貧しい各家から繰り出された住み込みで働く少年少女だった。
着いて早々にイヴリーチは調理、洗濯、裁縫などの家事をこなす女方の作業場へ、アリムは農作業や家畜の世話などの力仕事をこなす男方の作業場へ案内された。
集落でも弟妹以外の余所の家の子供がいなかったわけではないが、ほとんどの時間を大人と共に仕事に費やしていたイヴリーチにとって、十名以上の同年代の人間に囲まれることはとても新鮮な体験だった。
皆、新参者にはなかなか警戒を解いてくれなかったが、初日の針仕事を共にしたグリーという純朴な少女だけは、いち早く心を開いてくれた。
グリーは年頃に現れる擦れた部分のない純朴な少女だった。
屋敷へ送られた子供は親寂しさに初週はだいたい使い物にならないが、イヴリーチは特に手際が良い。それに容姿が整っていて、奉公人ではなく、どこぞのお姫様のようだ……など、社交辞令と分かっていても本気で照れてしまうくらいに愛想良く歓迎してくれた。
歳が一個違いで接しやすいグリーにイヴリーチはよく懐き、グリーもまたイヴリーチを可愛がってくれた。
二人はしばしば互いの境遇について教え合った。
屋敷に移り八日目。初週を乗り切った今日の話の種は、主人であるトベインだった。
荘園にはいくつかの集落が存在し、イヴリーチの一家が属していた集落を含めて五つ点在している。トベインは農奴の働きようや作物の成長度合いなどをこまめに観察し、指導し、定められた割合の年貢を徴収する。そして、集めた年貢をさらに上の役人へ引き渡して初めて、トベインの年間を通しての大仕事が終了する……と、先輩の奉公人から教えてもらった主人の仕事内容をグリーは得意げに説明してくれた。
しょっちゅう集落を訪れていたトベインの謎が解け、イヴリーチは感心するように声を漏らした。
「収穫が少ないとトベイン様がお役人様に怒られるからね。だから、いっつもピリピリしてるんだよ。目とかこーんなに! つり上がっちゃってさ!」
「わっ、誰かに見られたら大変だよグリー!」
グリーが人差し指で自身の両の目尻をグイッと上へ引っ張るので慌てて止める。冷えきる水の刺激を我慢しながら大型のバケツで掛布を洗っていた二人は、周囲に誰もいないことを確認して笑いあった。
「でも、トベイン様って意外といい人なんだね。思ってたより普通っていうか……ご飯やベッドが当たるなんて思わなかったよ」
イヴリーチはかじかむ手を温めながら言った。
到着した時にトベインから言われた通り、仕事を真面目にこなしていれば不自由はなかった。むしろ家より良い暮らしだ。一日三食の食事が与えられ、大部屋の寝室には簡易だが個人のベッドも用意されている。
作物の出来を確認しに集落まで降りてくる時のトベインは横柄に見えたが、実際はそこまで悪い人間ではないのではと思った。グリーは”毎日同じ仕事はつまらない”、”親に会いたい”と、度々愚痴をこぼしていたが、イヴリーチにとっては家族のいる生家の方がよっぽど窮屈だった。
返答がないのを不思議に思い、グリーを横目でチラリと確認してみると、常時穏やかな笑みを浮かべている彼女の顔には影が差していた。
「……あの人は酷い人だよ。あなたはまだ悪いところを見てないだけ。むしゃくしゃしてる時に目が合うと女の子でも平気でぶたれるんだから。私も他の子も経験がある。でも、イヴは……別のことを心配した方がいいかもね」
グリーは意味ありげな言葉を投下して、”さぁ、作業に集中しよう”と話を強引に終わらせた。
数日後。姉弟が屋敷で働き始めてから、ちょうど二週間が経った日のことだ。
いつものように起床を知らせる外の鐘の音で目を覚ましたイヴリーチは、他の子供と同様にまず身支度を整え、それからグリーと合流しようと彼女のベッドまで赴いた。
グリーの様子が昨日と違うことには、すぐに気が付いた。
挨拶をしたというのに、グリーはイヴリーチの声がまるで聞こえていないかのように背中を向け、上着の首部分の紐を結んでいた。
イヴリーチは三度声を掛けた。
”おはよう”
”グリー、どうしたの?”
”調子が悪いの? 大丈夫?”
軽く肩に触れてみても、彼女がこちらを相手することはない。
確かに昨晩まで普段通り会話していたのに、いったいどうしたというのか……イヴリーチが途方に暮れていると、背後から数人の含み笑いが聞こえた。
振り向くと、そこには初日の挨拶以外でほとんど交流のなかった女子五人が薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「やめなよぉ。グリーが嫌がってるの、わからないのぉ?」
「え……?」
「アタシら気になってたんだよねぇ、初日からグリーに馴れ馴れしくしすぎじゃないかってさぁ。グリーは先に働いてる先輩なんだよ? いくらあの子が優しいからって四六時中ベッタリくっついちゃって……本当はグリーも迷惑してるんだから。ね、そうでしょグリー?」
「え……うそ、だよね? グリー……?」
グループを率いているらしい中央の少女二人の悪口に隙を突かれ、イヴリーチは動揺してしまった。
否定を待てどもグリーは僅かに体を揺らしただけで無言を貫き、やはり顔を合わせようとはしなかった。それは唐突に口撃を仕掛けてきた少女達にくみするという意思の表れであり、何が何だか分からない展開に、イヴリーチは刃物で心臓を突かれたような鋭い衝撃に襲われた。
深い悲しみに傷付くイヴリーチを見て、少女達はキンキンの笑い声を響かせながら楽しそうに続けた。
「知ってるよ、あんた男子に色目使ってるんでしょ? あっちの作業場にチラチラ顔出してるらしいじゃない。こんな場所で男探りとか恥がないわけ?」
「それはっ、一緒に来た弟がちゃんとやってるか気になって見に行っただけで――」
「そうそう~、ご主人様にも怒られたことないらしいしさぁ、その顔って大人にも通用するんだぁ? すごぉい!」
「はっ……なにを言ってるの……?」
「イヤーー! やっばいねそれぇ! ガキのくせに色仕掛? 気色わる~~っ!! あんたみたいのを”インラン”って呼ぶんだよ? ひとつ賢くなったねー、おめでとぉー!」
「っ、そんなことしてないってば! 人の話聞いてよ!」
反論しようとすると、さらに大きな声で掻き消してくる。イヴリーチは目に涙を溜めながら半ば叫びながら反発した。
気が付くと、部屋中の他の奉公少女達がこちらを見て仲間内でひそひそ話をしていた。発せられる侮りの言葉や視線を辿ると、行き着く先は嫌味を言った少女達ではなく、イヴリーチだった。
たまらず部屋を飛び出すと、後にした室内からドッと大きな笑い声が起こる。
こんなことがあった直後に顔を合わせられず、イヴリーチはこの日の朝食を抜いた。食事は男女共同で取る。奉公人全員が揃ってから食前の祈りを捧げ、年長者から順に手を付けてゆくのが決まりだ。
だから、一人食卓に現れなかったイヴリーチを、奉公人の世話役を務めていた中年女性の使用人は強く叱り、以降は必ず席に付くことを約束させられた。
完全に孤立したイヴリーチへの嫌がらせは口撃だけに留まらなかった。一度輪から外れた者に対し、子供の排他性は常軌を逸して働くものだ。
ある時はスープに虫の死骸を浮かべられ、ある時は衣類の肌が触れる面に小さな針を隠し縫いされ、またある時は厩舎の糞溜まりに服を捨てられた。
他にも深夜の睡眠時間中に鼻を摘まれて呼吸を止められたり、女子以上に関わりのない男子へも食事での接触で変な噂が広がったのか、たまの外でのすれ違い時に汚い罵りを受けるようになった。
「あんたねぇ、良くない報告ばっかり受けてるよ。いい加減にしないと旦那様に言い付けるからね」
世話役はイヴリーチばかりを注意した。
自分の印象が悪いことは知っていたが、しっかりと身の潔白を訴えれば世話役も理解してくれるはずだと、不毛な行為に対処してくれるはずだと、イヴリーチは一縷の望みをかけて現状を説明した。
しかし、返ってきたのは同情や解決への糸口ではなく、一発の張り手だった。
「言い訳するんじゃないよ、まったく嫌らしい子だね! どうせ家じゃ何の苦労もせずチヤホヤされてきたんだろ? ここはそんな甘い所じゃないんだからね! 私は何年も前からあの子達の面倒を見てるけど、一度もイジメしてるとこなんて見たことないの! いい子ばかりなの! そうやって他の子を貶めるような性格してるから仲間外れにされるんだ、当然のことだよ! 反省しな!」
フンッと鼻を鳴らすと、世話役は踵を返してどこかへ行ってしまった。
実直に生きていれば、いつか必ず報われると思っていた。
ジンジンと熱を帯びゆく頬が、この世の理不尽の片鱗を見せてくれた。
……依然としてイジメは続いたが、イヴリーチは何とか耐えていた。
酷い仕打ちも続くと慣れてくるもので、たまに虫入りの皿を隣の席の子の皿とこっそり入れ替えたり、厩舎行きであろう見た目に差異がない作業着は、傍観役に徹している無関係の少女の物とすり替えたりして反抗してみせた。
イジメっ子からすれば上手く切り抜け始めたイヴリーチが余計に憎たらしく感じるもので、ついに集団暴行という直接的な手に持ち込まれたが、幼い頃からクワを振って鍛えられたイヴリーチの肉体は屋内仕事しかしてこなかった同世代の少女達を圧倒し、複数人まとめて返り討ちにしてしまった。
容赦なく顔を狙った反撃は無論世話役へ伝わり、イヴリーチは強烈なビンタを三発食らい、丸一日食事抜きで折檻部屋へ隔離されることとなった。
折檻部屋でイヴリーチが気を揉んだのは自身の今後ではなく、アリムについてだった。
唯一頼れる相手であるアリムには、イジメが始まって以来会っていない。また移動の隙間時間にでも姿を覗きに行きたいが、きっとアリムも姉がイジメの対象になって巻き添えを食らっているだろうし、良からぬ噂が広まっているこの時期に彼と接触するのは、さらなる悪手だと思ったので止めていた。
食事の席でひと目顔を見るだけで充分……それも、あちらと目が合いそうになると先に視線をそむけて避けた。今以上の迷惑は掛けたくなかった。
だが今回、結局自分の忍耐が足りないせいで騒ぎを起こしてしまった。アリムへ飛び火しないことを願うばかりである。
狭く暗い押入れのような空間で、イヴリーチは最愛の弟を想って啜り泣いた。
そんな悲しみの中、救いの手を差し伸べてくれたのは意外な人物だった。
0
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい
一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。
しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。
家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。
そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。
そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。
……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる