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第一章 出会い、敗北、勝利
5.自分の体臭は意外と気付かない
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野犬を黙らせたはいいが、こちらを警戒したままの男達を忘れたわけではない。
己に宿ったとされる能力を彼らで試すことも考えたが、当てが外れた場合に返り討ちに遭うことを考えると、ここは威嚇して追い払った方が賢明だろう。後をつけて男達の住む村へ案内してもらえば、森から脱出もできて困り事は全て解決だ。
そうと決まると、ベルトリウスは野犬の死体を掴み男達がいる方へ投げた。
突然飛んできたものに男達は警戒を強めたが、ドサッと地に落ちたそれが不自然に泡を吹いて死んでいる野犬だと分かるや否や、両方共弾けるように走って逃げていった。
距離を詰めすぎないよう注意しながら、ベルトリウスも後に続く。
ミハ。それが男達の住む村だった。
三十世帯が暮らすミハは特筆することがない平凡な集落だ。皆で協力して作物を育て、家畜を飼い、時に狩りへ出かける。
今の季節は秋。男達は冬に備え、保存食の材料となる物を探しに森の奥にいた。幸か不幸か、ミハはベルトリウスと男達が遭遇した場所からそう遠く離れていなかった。
男達は一度も止まることなく夢中で走り続けたが、生前盗賊を生業としていたベルトリウスにとっては何てことない追跡だった。魔物化の影響で体は脆くなってしまったものの、体力、持久力は人間の頃より格段に上がっており、見失わず発見されずの適度な距離を保ち続けていた。
そして、男達は魔物を連れたまま帰還してしまった。
森から戻ってきた二人の異様な雰囲気を感じ取り、村人が何事かと駆け寄ってくる。
「入り口を見張れぇっ!! 魔物が来るかもしれねぇ!!」
片割れが叫んだ言葉に周囲の顔は強張った。男手は武器になりそうな農具を持ち門の前で構え、女子供は老人と共に建物の中へと避難した。
問題の魔物……ベルトリウスはというと、流石に真正面から堂々姿を現すわけにもいかず、森の中から村を盗み見ていた。
ここからは持久戦である。数時間音沙汰がなければ警戒も少しは緩むはずだ。
夜になり警備の人数が減ったところを闇に乗じて忍び込み、井戸に己の血を混ぜる。その水を飲めば村人は全滅。多少生き延びた人間がいても、この手で直接仕留めてやればいい。さらに運良く切り抜けられたとしても、清潔な水が手に入らなければ遅かれ早かれ死が待ち受けている。
悪人というのは良からぬたくらみのためならば、いたずらに時間を消費することもいとわぬ生き物だ。
目論見通り、日が暮れる頃には門の人だかりは半分ほどまで減っていた。
徐々に一人、二人と頭数が消えてゆく。事を起こすには持ってこいの真っ暗闇の夜を迎え、ベルトリウスは遠くに揺れ動く松明の光が両手で数え切れるまでに減ったことをほくそ笑んだ。
月は雲に隠れ、数メートル先にある物の形すら薄っすらとしか見えない。そんな中で、夜行動物の如き暗視能力を得たベルトリウスの視線が人々に狙いを定めていた。
森から村までおよそ三百メートル以上の距離があるが、どこで何が動いているかなど全てを見通すことができる。これも魔物化の影響だろう。
不便ばかりでもない肉体にベルトリウスは初めて感謝した。
……さて、肝心の警備は四人。三人は物見やぐらや塀から動かず、一人はあちこち歩き回って警戒している。敵がどの方向から攻め込んできても、すぐに仲間に知らせることができる配置だ。流石にこの中で村に近付こうとすれば途中で発見され、構えられるに決まっている。寝ている村人も駆け付け、総出の投石を受ければひとたまりもない。
しかし、策はある。
ベルトリウスは日中に捕獲しておいた野犬四匹を森から出てすぐの位置で放った。
この四匹……出会った時は五匹だったが、彼らは最初に殺した一匹の連れだった。
村の位置や警戒度を確認した後、ベルトリウスはもう一度森の奥へ戻っていた。そして、夜襲に役立つ物がないか探していたところ、現れたのがこの五匹だ。
最初に出会った野犬と似たような見た目をしつつ、それより劣る体格……一匹目が群れのリーダーであったことを物語っていた。
彼らは仇であるはずのベルトリウスを前に、飛び掛かってくる様子もなくただ右往左往するだけで、自分達を率いていた頭が消え、その頭を討ったベルトリウスに考えなしに引っ付いてきただけだった。
これは使えると判断したベルトリウスはすぐに五匹を痛め付けて立場を理解させ、逃げようとした一匹の顔に自身の血をこすり付けた。血が目に入った野犬は小さく悲鳴を上げ、泡を吹いてしばらくに死んだ。他の野犬は恐怖心から逃亡を諦め、ベルトリウスの足元にすり寄った。
上手いこと下僕を手に入れたベルトリウスは、四匹を警備の気を引く囮にしようと考え、現在に至るのであった。
村に群れが近付くと、まず物見やぐらの警備が四匹に気が付いた。
南東からヨロヨロとやって来る野犬達……合図を送られた他の警備達も群れに警戒を寄せた。
ベルトリウスは野犬達が気を引いている隙に反対側の塀を登り、見事村の中へと侵入した。
徘徊する警備が媚びるようにか細い鳴き声を上げている野犬達を調べる。魔物でないことを確認すると、他の警備に再度塀の外を見張るよう合図を送った。
「こらっ! ここへ来ても食いモンはねぇぞ! シッシッ!」
頬をペチペチと叩かれようと、門をくぐった先から座り込んで動かない四匹。一番厄介な存在であった、徘徊する警備を足止めするとは、即席の下僕にしては充分な働きっぷりだ。
一方、侵入したベルトリウスはというと、物陰に隠れて警備の目をかいくぐりながら、村の中を移動をしていた。
目的の井戸を発見すると腕に付いていた切り傷の裂け目をいじくり回し、溢れ出る血をかなり多めに井戸へと垂らす。そして、井戸の真横に建つ家畜小屋に忍び込み、階段を登って屋根裏の物置場所に身を潜めた。ここならば村人の様子が一望できる。
五時間後、真っ暗だった空は段々と明るさを取り戻し始めた。魔物は睡眠を必要としなかった。ただただ退屈な待ち時間だったが、いよいよ人の死に様が見られると思うと心が躍る。
と、そこへ一人の女が家から出てきた。
井戸に近寄り、桶を落とし、そして水を汲み上げ……なかった。女は井戸から離れると、出てきたばかりの家へと戻っていった。
何故だ……まさか井戸へ毒を仕込んだのがバレたのか?
ベルトリウスは内心困惑した。
女は亭主らしき男を引き連れ、共に井戸を覗いた。顔を上げると何やら慌ただしくやり取りを始め、よその家へと向かう。夫婦に連れられた人間がまた井戸を覗くと、新たな村人を呼びに走り出し……そうしてあっという間に、井戸には人だかりができた。
ベルトリウスは顎に手を添えて考えた。たくさん血を入れたとはいえ、井戸の水は大量にあったのだ。あれぐらい混入させたところで変色するわけがない。そもそも、女は汲み上げてすらない。井戸を覗き込むとすぐ人を呼んだ。その切っ掛けは一体何だ?
完璧だったはずの計画が未遂に終わってしまい首をひねるベルトリウスの耳に、最初に井戸を覗いた女の声が届く。
「ねっ、臭いでしょう? こんなの絶対おかしいわ!」
「うーむ……昨日まで何の異常もなかったのに……水が腐るなんて聞いたことないが、どんな害があるか分からんしな。近くの村に分けてもらえるよう交渉してくるから、みんなにもこの水を使わないよう伝えよう。全く……近くに魔物が出たばかりだというのに……」
「それにしても何て臭いのかしら。生ゴミみたいなニオイがするわ。鼻が曲がりそう」
控えめだったやり取りは人が増えたことにより大声に変わり、小屋に潜むベルトリウスの元まではっきりと聞こえた。
「え、俺って臭いの?」
ベルトリウスは自身の脇をクンクンと獣のように嗅いでみるが、”臭い”という感覚は訪れなかった。
それにしても自分が異臭として扱われるほど強烈なニオイを発していたとは……ベルトリウスはちょっぴり傷付いた。
己に宿ったとされる能力を彼らで試すことも考えたが、当てが外れた場合に返り討ちに遭うことを考えると、ここは威嚇して追い払った方が賢明だろう。後をつけて男達の住む村へ案内してもらえば、森から脱出もできて困り事は全て解決だ。
そうと決まると、ベルトリウスは野犬の死体を掴み男達がいる方へ投げた。
突然飛んできたものに男達は警戒を強めたが、ドサッと地に落ちたそれが不自然に泡を吹いて死んでいる野犬だと分かるや否や、両方共弾けるように走って逃げていった。
距離を詰めすぎないよう注意しながら、ベルトリウスも後に続く。
ミハ。それが男達の住む村だった。
三十世帯が暮らすミハは特筆することがない平凡な集落だ。皆で協力して作物を育て、家畜を飼い、時に狩りへ出かける。
今の季節は秋。男達は冬に備え、保存食の材料となる物を探しに森の奥にいた。幸か不幸か、ミハはベルトリウスと男達が遭遇した場所からそう遠く離れていなかった。
男達は一度も止まることなく夢中で走り続けたが、生前盗賊を生業としていたベルトリウスにとっては何てことない追跡だった。魔物化の影響で体は脆くなってしまったものの、体力、持久力は人間の頃より格段に上がっており、見失わず発見されずの適度な距離を保ち続けていた。
そして、男達は魔物を連れたまま帰還してしまった。
森から戻ってきた二人の異様な雰囲気を感じ取り、村人が何事かと駆け寄ってくる。
「入り口を見張れぇっ!! 魔物が来るかもしれねぇ!!」
片割れが叫んだ言葉に周囲の顔は強張った。男手は武器になりそうな農具を持ち門の前で構え、女子供は老人と共に建物の中へと避難した。
問題の魔物……ベルトリウスはというと、流石に真正面から堂々姿を現すわけにもいかず、森の中から村を盗み見ていた。
ここからは持久戦である。数時間音沙汰がなければ警戒も少しは緩むはずだ。
夜になり警備の人数が減ったところを闇に乗じて忍び込み、井戸に己の血を混ぜる。その水を飲めば村人は全滅。多少生き延びた人間がいても、この手で直接仕留めてやればいい。さらに運良く切り抜けられたとしても、清潔な水が手に入らなければ遅かれ早かれ死が待ち受けている。
悪人というのは良からぬたくらみのためならば、いたずらに時間を消費することもいとわぬ生き物だ。
目論見通り、日が暮れる頃には門の人だかりは半分ほどまで減っていた。
徐々に一人、二人と頭数が消えてゆく。事を起こすには持ってこいの真っ暗闇の夜を迎え、ベルトリウスは遠くに揺れ動く松明の光が両手で数え切れるまでに減ったことをほくそ笑んだ。
月は雲に隠れ、数メートル先にある物の形すら薄っすらとしか見えない。そんな中で、夜行動物の如き暗視能力を得たベルトリウスの視線が人々に狙いを定めていた。
森から村までおよそ三百メートル以上の距離があるが、どこで何が動いているかなど全てを見通すことができる。これも魔物化の影響だろう。
不便ばかりでもない肉体にベルトリウスは初めて感謝した。
……さて、肝心の警備は四人。三人は物見やぐらや塀から動かず、一人はあちこち歩き回って警戒している。敵がどの方向から攻め込んできても、すぐに仲間に知らせることができる配置だ。流石にこの中で村に近付こうとすれば途中で発見され、構えられるに決まっている。寝ている村人も駆け付け、総出の投石を受ければひとたまりもない。
しかし、策はある。
ベルトリウスは日中に捕獲しておいた野犬四匹を森から出てすぐの位置で放った。
この四匹……出会った時は五匹だったが、彼らは最初に殺した一匹の連れだった。
村の位置や警戒度を確認した後、ベルトリウスはもう一度森の奥へ戻っていた。そして、夜襲に役立つ物がないか探していたところ、現れたのがこの五匹だ。
最初に出会った野犬と似たような見た目をしつつ、それより劣る体格……一匹目が群れのリーダーであったことを物語っていた。
彼らは仇であるはずのベルトリウスを前に、飛び掛かってくる様子もなくただ右往左往するだけで、自分達を率いていた頭が消え、その頭を討ったベルトリウスに考えなしに引っ付いてきただけだった。
これは使えると判断したベルトリウスはすぐに五匹を痛め付けて立場を理解させ、逃げようとした一匹の顔に自身の血をこすり付けた。血が目に入った野犬は小さく悲鳴を上げ、泡を吹いてしばらくに死んだ。他の野犬は恐怖心から逃亡を諦め、ベルトリウスの足元にすり寄った。
上手いこと下僕を手に入れたベルトリウスは、四匹を警備の気を引く囮にしようと考え、現在に至るのであった。
村に群れが近付くと、まず物見やぐらの警備が四匹に気が付いた。
南東からヨロヨロとやって来る野犬達……合図を送られた他の警備達も群れに警戒を寄せた。
ベルトリウスは野犬達が気を引いている隙に反対側の塀を登り、見事村の中へと侵入した。
徘徊する警備が媚びるようにか細い鳴き声を上げている野犬達を調べる。魔物でないことを確認すると、他の警備に再度塀の外を見張るよう合図を送った。
「こらっ! ここへ来ても食いモンはねぇぞ! シッシッ!」
頬をペチペチと叩かれようと、門をくぐった先から座り込んで動かない四匹。一番厄介な存在であった、徘徊する警備を足止めするとは、即席の下僕にしては充分な働きっぷりだ。
一方、侵入したベルトリウスはというと、物陰に隠れて警備の目をかいくぐりながら、村の中を移動をしていた。
目的の井戸を発見すると腕に付いていた切り傷の裂け目をいじくり回し、溢れ出る血をかなり多めに井戸へと垂らす。そして、井戸の真横に建つ家畜小屋に忍び込み、階段を登って屋根裏の物置場所に身を潜めた。ここならば村人の様子が一望できる。
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井戸に近寄り、桶を落とし、そして水を汲み上げ……なかった。女は井戸から離れると、出てきたばかりの家へと戻っていった。
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ベルトリウスは内心困惑した。
女は亭主らしき男を引き連れ、共に井戸を覗いた。顔を上げると何やら慌ただしくやり取りを始め、よその家へと向かう。夫婦に連れられた人間がまた井戸を覗くと、新たな村人を呼びに走り出し……そうしてあっという間に、井戸には人だかりができた。
ベルトリウスは顎に手を添えて考えた。たくさん血を入れたとはいえ、井戸の水は大量にあったのだ。あれぐらい混入させたところで変色するわけがない。そもそも、女は汲み上げてすらない。井戸を覗き込むとすぐ人を呼んだ。その切っ掛けは一体何だ?
完璧だったはずの計画が未遂に終わってしまい首をひねるベルトリウスの耳に、最初に井戸を覗いた女の声が届く。
「ねっ、臭いでしょう? こんなの絶対おかしいわ!」
「うーむ……昨日まで何の異常もなかったのに……水が腐るなんて聞いたことないが、どんな害があるか分からんしな。近くの村に分けてもらえるよう交渉してくるから、みんなにもこの水を使わないよう伝えよう。全く……近くに魔物が出たばかりだというのに……」
「それにしても何て臭いのかしら。生ゴミみたいなニオイがするわ。鼻が曲がりそう」
控えめだったやり取りは人が増えたことにより大声に変わり、小屋に潜むベルトリウスの元まではっきりと聞こえた。
「え、俺って臭いの?」
ベルトリウスは自身の脇をクンクンと獣のように嗅いでみるが、”臭い”という感覚は訪れなかった。
それにしても自分が異臭として扱われるほど強烈なニオイを発していたとは……ベルトリウスはちょっぴり傷付いた。
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