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12話

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見た人は、いい月夜だ、と言うような満月が空に浮いている。
けれど、それを見てもしのは悪態しかつけなかった。

「こちとらそんな気分じゃねぇのに、満足そうに真ん丸と照らしやがって、いいご身分だな。眩しいったらありゃあしねぇ」

ささくれた心には、月の光すら煩わしい。
そんな道をトボトボと歩きながら、家に向かう。
ときのことは、どうしようもない。
分かってる、この村には年頃の娘一人、奪い返すだけの余裕がない。
今日も、働ける村人は全員田畑に出て、作物を収穫していた。
女子供も総出で。
そうしてやっと、一家が飢えずに済むくらいの食べ物を得ることができるのだ。
では、村全体でたった一人を救出したとき、収穫を逃す作物はどれくらい出る?
収穫を逃すと、野山の動物が食べごろの作物を食べてしまう。
奪われた作物の分、何かで補うことができなければ、その一家は飢えてしまう。
飢えたらどうするか?
口減らし。
満足に働けない子供から切り捨てて行く。
そうしなければ、自分の命を守ることができない。
幸い、そのような選択を迫られるほどこの村は飢えていないが、来年、どれくらいの収穫があるかは分からない。
だから、村が得るはずだった富を、人一人のために捨てる事なんてできない。

「分かってる、分かってる・・・」

しのは、自分に言い聞かせるように呟く。
分かってる、皆が飢えないように米の収穫を急いだほうがいい。
分かってる、子供はアタイが残ってるんだから、家のことは心配しなくていい。
分かってる、本当は助けたいことくらい。
でも、自分の家族が飢えるのはもっと嫌だ。
分かってる・・・

「分かってはいるんだ、でも・・・」

その先の言葉を繋げることができない。
言葉にしてしまったら、堪えているものが溢れてしまう。
それだけはダメだ。
だから、悪態くらいついてもいいだろう?
そうしなきゃいけないんだ・・・

必死に蓋をしながら歩いていると、庄屋の様子を見に来た村人に出会ってしまった。
・・・今は誰とも会いたくなかったのに。

「しのちゃん、ケガしたって聞いたけど歩けるのかい?」

庄屋の近くに住むおばちゃんだ。
旦那さんは、今、庄屋の集まりに出ている。

「ちょっと転がっただけだから、平気。それより、ねえちゃんが帰ってくるかもしれないから、家に帰らないと」

自分でも何言っているのか分からないが、こう言っておけば誰もが身を引いてくれるはず。
実際、そのおばちゃんは引きつった顔をした。

「そ、そうかい、でもいつ帰ってくるか分からないだろう?おばちゃんの家に来ないか?腹も減ってるだろう」

だからさ、誰にも会いたくないのになんで家に来いとか言うんだよ。
少しは分かれよ。
悪気があって言っているのではないとは分かるが、思い通りにならなくてイライラしてしまう。
人には放っておいて欲しい時があるのに、このおばちゃんはそれが分からないのか?
いずれにせよ、ぴしゃりと断った方がいい。

「いらないよ、それより早く帰りたいからもういい?」
「ああ・・・気を付けてお帰り」

おばちゃんは一歩下がり、道を進むアタイを見送った。
やっと解放された。
これだから、物分かりの悪い連中は嫌なんだ。
他人のことくらい考えろよ。
ああ、それよりもイライラする。
さっきよりも気持ちがとげとげしくなってしまい、思わず駆け足になる。
そうこうしているうちに、家に着いた。

「あの分からず屋が!」

バン!と大きな音を立てて戸を閉め、家の中に入る。
ああ、イライラする!
今の音を誰かに聞かれたかもしれないが、構いやしない。
これで少しは、誰かと会わなくて済むだろう。

戻って来た家の中は暗く、しぃんと静まり返っている。
囲炉裏やかまどに残しておく熾火すらないようだ。
いや、ねえちゃんがさらわれたときに、一緒に消えてしまったのかも。

「火ぃつけるのめんどくさいんだよな・・・」

暖をとりたいと思うほど寒くはないが、あった方がいいのは確かだ。
あのしょぼくれていた父親が、帰って来た時のために。
が、今のしのは、火を熾す気力すらない。
父親の様子を見てしまったせいなのか。

「しょうがない、このまま食べるか・・・」

囲炉裏には、今朝食べた雑炊の残りがある。
月明かりを頼りに囲炉裏に近づき、掛けられている鍋の蓋を開ける。
鍋の3割くらいに雑炊が残っていた。
色んな雑穀や野菜が水分を吸ってしまったのか、ひとつの塊、と言えるくらいふやけてまとまっている。
それを、お玉で削り取るようにすくい、自分の椀に入れる。
箸で切るようにすくい、口の中に入れると、お出汁の味が広がった。
そういえば、父が買って来た煮干しを少し入れたと言ってたっけ。
出汁を存分に吸った雑穀や野菜がおいしい。
思わず、ガフガフと口いっぱいに頬張る。
椀の中身を空にし、おかわりをすくおうとしたところで、気付いた。

「・・・この鍋を空にしてしまったら、もうねえちゃんには会えない」

そんなバカな話があるか、たかが雑炊だ。
今まで料理なんてろくにやったことはないが、これくらいなら自分でもなんとか作れそうだ。
すぐに、この味に追いつけるだろう。
そう思ったが、涙が出てきて仕方ない。
この味に追いつけても、金輪際、再会することはできないだろう。

「ちくしょう、ちくしょう!皆、諦めろって言うのかよ!」

手にした椀を投げつけ、しのは床に突っ伏す。
先程、しのが庄屋の集まりで聞いたのは、そういう意味なのだ。
ときの身に起きたことは、この国のどこかで、他の誰かにも起きている。
それは珍しい事ではないかもしれないが、しのが被害者の家族として遭遇してしまった衝撃は、今世どころか前世でも体験したことがない。
年寄りの知恵で、なるべく考えないようにしてみたが、舌に残った出汁の味と、昨夜機織りの前で感じた姉の体温がどうしても蘇る。

「こんなに苦しいのか?こんなに苦しむのに諦めろというのか?」

だとしたら、この鍋の雑炊は黄金だ。
どんなものよりも尊く、輝かしく、決して手に入れられない。
・・・今のしのでは、どうすることもできないもの。

「何なんだ!なんでこんな思いをしなくちゃならないんだ!」

板張りの床に爪を立てて、怒りと涙が体中から溢れる。
けれど、次から次へと吹き出す怒りのせいで涙が流れ、制御することができない。
こんなことは初めてだ。
自分は、こんなにも姉に執着していたのか。
いや、姉じゃない。
姉がくれたものに、執着しているのだ。
姉がいなくなることで失ってしまうから、悔しくて悔しくて仕方がない。
それは、しのが喉から手が出るほど欲しかったもの。
でも、今回も手に入らない。

鼻水をすすり、着物の袖で涙を拭っても感情は溢れてくる。
しばらくそうしていると、視界の隅で動くものがあった。

「何だ?」

この家には、しの一人しかない。
誰かが入って来た気配はなかったが・・・
動いたものがいる方向に目を向けると、一匹の蝶が舞っていた。
アゲハ蝶にも似ているが、黒地に紅梅色の模様は見たことがない。
それは、自分の周りをクルクルと回ると、窓から外へと出て行く。

「何なんだ?あの蝶は・・・」

なぜか蝶に引き付けられ、家の外に出る。
蝶は家の前をクルクルと回っており、しのが近づくと、つぅっと移動した。
それを何回か繰り返していると、どんどん山の方へ向かって行く。
ときが捕まったあの山へ。
しのの頭で、何か閃くものがあった。

「まさか、あの人さらい達は、まだ山の中にいるのか?」

そういえば、奴らは斜面を滑ったりしてケガをしていた。
ときが捕まったのは夕暮れ時。
慣れない山道を夜中移動するより、一晩休んで太陽が昇ってから下山した方がいいとは思わないか?
もし、奴らがそう考えているなら、ときを取り返せるかもしれない。
蝶は、しのの視線の先でクルクルと回っている。
まるで、ついて来いと言っているようだ。

「お前、案内してくれるんだよな?望むところだ」

今の自分に何ができるかは分からない。
でも、ここで泣きじゃくっているよりはましだ。
何より、奴らに落とし前をつけなきゃならねぇ。
しのは蝶に近づき、山へ近づいていく。
その様子を、さっき出会ったおばちゃんが見ていたことは知らなかった。


しのが家に帰り着いた頃、庄屋で行われていた話し合いに決着がつこうとしていた。
皆、一様に下を向き、誰も顔を合わせようとしない。
ある残酷な結論が導き出されようとしていたため、罪悪感で合わせる顔がないのだ。
申し訳ない、でも、俺達にはどうすることもできないんだ・・・
重苦しい空気で満たされた部屋に、一人の男の声が響いた。

「みんな、本当にそれでいいのか?」

吉三だった。
彼は座ったまま、集まった人々をぐるりと見渡し、問いかける。

「皆にも子供がいるだろう。今回はときだったが、奴らがその気になれば他の女子供も連れ去っていたかもしれない。なのに、何もしないままでいいのか?」

その言葉に反論する者がいた。

「そんなことは分かってる。でも、ここで人手を割いてしまっては、村全体で冬を越せないかもしれない。そんなことはできない・・・」

吉三が手で制した。

「当然だ、俺みたいにまともに働けない極潰しに、飯を食わせてくれるんだ。皆がどれほど苦労しているか分かる」
「でも、ここで何もしないままだと、今以上に奪われてしまう」

何人かが顔を上げ、吉三を見つめる。
源助もまた、隣の吉三を見た。

「奴らを野放しにしたままにするってことは、この村は何かを盗んでも反抗しない村だって思われる。そうなったとき、人間だけじゃなく作物も盗もうとするだろう。今、動かないってことは、ああいう悪者をこの村に来やすくしてしまう」

うつむいていた村人たちの顔が、全員吉三を見ている。

「奴らに、この村はもっと絞りとれると思われてしまう。俺はそんなの我慢ならん、皆はどうだ?」
「冗談じゃない!そんなのまっぴらごめんだ!」

吉三の問いかけに、村人たちから勇ましい声が返って来た。

「だったらどうする?」

吉三を見た村人たちの顔色は、紅潮している。
誰か一人が立ち上がると、もう一人も立ち上がる。

「ああ、そんなこと思いもよらなかった!」
「奴らに、これ以上盗まれてたまるものか!」

先程とは真逆の回答が聞こえ、大半の村人が人さらいを捕まえ、とき奪還に同意した。

丁度その時、集まりに参加していない一人の女が屋敷に入って来た。
庄屋に用があるという。

「庄屋様、さっきしのちゃんが山の方へ走っていくのを見ました。まさかあの子、ときちゃんを取り返すつもりじゃ・・・」
「なんだと?!」

思いもよらない情報に、庄屋はうろたえた。
集まりはときを取り返すという結論に達したが、大人たちが動く前にしのが動くとは。
子供一人で戦える相手ではない。
その知らせを聞いた村人からは、頼もしい言葉が聞こえた。

「みんな聞いたか!しのが奴らを追いかけ山に入っていったそうだ!こうしちゃいられない!俺達も急いで山に行くぞ!」

おうっ!という掛け声とともに、村人たちは屋敷から駆け出す。
それぞれ、クワやカマなど、武器になりそうなものを持ってくるつもりだ。
何ともありがたいことだが、皆、頭に血が上りすぎているかも知れない。
ここは、自分が陣頭指揮を取って制御しなければ。
と、庄屋はため息をついて松明の準備を始めようと、部屋を出た。
残されたのは、背中を丸めている源助と、庄屋を見送る吉三。
源助はまた泣いていた。

「吉三、ありがとう、ありがとう・・・」

礼を言っているようだが、吉三本人は口をへの字に曲げている。

「それほどでもねぇよ。それより、絶対にときちゃんを見つけられるとは限らない」

泣き止んだ源助が吉三を見る。

「夜通し歩いて山一つ越えようとしているかもしれない。そうなったら、探すのは骨が折れる。それに、しのちゃんのことも探さなきゃならないし」
「そうだよなぁ・・・」

またまた泣き出す源助。

「おいおい、少なくともときちゃんを助け出そうって話にはなったんだぜ、しゃきっとしろよしゃきっと」
「うん・・・うん・・・」

源助の涙には色んな意味が含まれているので、当分止まりそうにない。
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