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36.回復薬は苦くて甘いです
しおりを挟むその後の動きは早かった。
馬車を少し走らせ広場に着くと、一瞬で天幕が用意される。
(こっちの世界のテントは組み立ても折り畳みもいらないんだよね。魔導具って本当便利!)
ジルコに支えられて中にはいると、簡易ではあるが寝台も置いてあった。
相変わらず頭痛やめまいがひどいので、遠慮なく横になる。
「ここで少しは休めるはずだ。
かなり明るい前照灯付きの馬車だからな
夜道でも問題ない。
心配しなくていいから少し眠れ」
ジルコの声が心地よくて、後半はもう夢の中で聞いていたような気がする。
わずかでも寝ればそれなりに魔力も回復するだろう。
……
…………
………………
―― ったぞ! 天幕には近づけさせるな!
外からの騒がしい音に目が覚める。
隣の寝台で寝ていたナインも起きたようだ。
怪訝そうな顔で寝台から降りると外の様子を伺いに行った。
「これは!?ライアン様、何があったのですか」
ナインは外で起きていることに驚きの声を上げた。
まだ頭痛はしたが、起き上がることに支障はなかったので急いで外に出る。
「ナイン!危険だから天幕にいたほうがいい!」
外では信じられないような光景が広がっていた。
近くの森で火の手が上がっていて、目の前では野盗と思しき男たちと護衛2名が戦っている。
ライアンも自身の加護である『雷』の魔法を放っているが、魔法使いでもない素人の攻撃はあまり効果がなかった。
完全に数で勝る野盗に押されているようだ。
「ライアン様、お下がりください!
捕縛魔法、発動します!」
ヴェイント氏はすぐにナインの元へ下がった。
その途端、野盗たちの足元の地面が割れ、うねる木の根が彼らを包み込んだ。
もがこうとしているが、木の根の捕縛は頑丈で指一本動かせないでいる。
他の野盗たちも追いかけてくる木の根から逃げるのに手いっぱいで、戦いを放棄し始めた。
(私もがんばろう! 魔力少しは回復したし)
おそらく、目の前の男たちの仲間が森に火を放った。
ここにいない護衛やジルコたちは、森の方に誘い込まれたのだろう。
今の自分ができる、最善の行動をとる。
「太陽を隠し 森を濡らせ 《雨空》」
手を伸ばし魔法を放つ。
雲が広がり、あっという間に空が暗くなった。
ぽつりぽつりと振り出した雨が次第に強くなり、森を濡らす。
火は次第に弱くなり、やがて完全に鎮火した。
「よし!森の火災は全て消えたはずです。
野盗は……全部捕まったみたいですね」
捕縛魔法から何とか逃れようとしていた男たちも、執拗な追跡に負けて木の根に絡まれ口を開くこともできない。
ナインは魔法陣の発動を止める。
ヴェイント氏ともども無傷のようで安心した。
あとはジルコたちが戻ってくるのを待つだけだ。
そう思って気を抜いた時だった。
「クソッ!てめぇの魔法陣のせいで
計画が全部パーだ!死ねェ!!」
物陰に隠れていたガッツが、短剣を構えながらナインに襲いかかった。
目が血走っていて完全に理性を失っているようだ。
「ナイン!!」
彼女を庇おうと前に出たヴェイント氏の胸に短剣が突き刺さる。
その剣をガッツが勢いよく引き抜くと、大量の血しぶきが舞った。
「ライアン様!!!」
「永久に溺れよ 《水牢》!」
ナインは倒れこむヴェイント氏を受け止める。
ガッツを水牢魔法で水球に閉じ込めると急いで二人に駆け寄った。
「ライアン様、ライアン様!
何でっ、なぜ私を庇ったのですか!?」
胸を一突きされた後引き抜かれたため、出血がひどい。
すでに意識もなく、うっすらと開く目は完全に光を失っている。
完全に心停止状態だった。
「ナイン!すぐに回復魔法をかけます。
その間、私は他のことができません。
他の野盗が襲ってきたときに対処できるよう
魔法陣を用意してください!」
ナインには聞こえていないようだ。
ヴェイント氏を抱き締めながらずっと呼び掛けている。
「ライアン様!そんな、だめです!
ライアン様、私は、わたしは……イヤァァァ!!」
「ナイン!!!」
ナインの頬を叩く。
今は取り乱している場合ではないのだ。
「しっかりして!私なら、彼を助けられます!
だから、あなたも全力を尽くして!
防御でも攻撃でもいい、敵に備えて魔法陣を用意するの!」
ナインは頷き、涙を乱暴に拭うといくつも同時に魔法陣を描き始めた。
無茶をしている気がするが、それはこちらも同じだ。
魔法で雨を降らせたから、少し回復した魔力ももう半分くらいしかない。
正直この状態で心停止しているヴェイント氏を助けられるかわからなかった。
(……弱気になるな!)
自分の頬を思い切り叩き、気合を入れた。
やれるかどうかではない、やるのだと奮い立たせる。
(私がやらなきゃ、彼は死ぬ。目の前の二人を救えるのは、私だけなんだ!)
ヴェイント氏を助けられなければ、ナインも深い絶望に襲われるのは目に見えていた。
彼女は自分の大事な人が助かると信じて、立ち上がったのだ。
エリアーナを信じて、自分が今できる最大限の努力をしてくれている。
その信頼、その努力、絶対無駄にしない。
「洩れ出た命の欠片よ
在るべき処へ逆流せよ 《大回復》」
横たわるヴェイント氏へ、ありったけの魔力を注ぐ。
今は全身へ回復魔法をかけるだけの余力はない。
確実に重症な箇所へ直接手を当てて、ねじ込むように回復魔法を放ち続けた。
もう両手は彼の血で真っ赤だ。
目を閉じて命の流れを感じ取る。
彼の命の流れは細く、今にも途切れそうだ。
(だめ。戻ってくるの。流れ出してしまった命を、手繰り寄せて、元の流れへ乗せる!)
傷はふさがり、出血は止まった。
だがあまりに出血が多かったからか、心臓が動くには至らない。
「あきらめ、ない。……死なせない。絶対、助ける!」
気合と裏腹に、放たれる魔力が弱くなっていく。
だめだ、だめだと自分に言うが、身体の中の魔力はもう底をつきそうだ。
死なせたくない、助けたいのに、明らかに魔力が足りない。
「エリアーナ!」
聞きなれた声が、聞きなれないことを言った。
弾かれたようにそちらを見る。
ジルコがこちらに駆け寄る姿があった。
その手には魔力回復薬と思われる瓶が握られている。
「ジルコさん!魔力が足りません!それ、飲ませて!」
そう叫ぶと、頭の中で何かがブチッと切れた音がして、顔を上げていられなくなった。
意地でもヴェイント氏の胸から手を外すまいと、蹲りながらも回復魔法を続ける。
鼻から血が出ているようだ。
ダラダラ、口の中に入ってきて不快だが、拭うこともできない。
(ジルコさんが来てくれた……魔力回復薬もある。耐えろ。魔法を流し続けなきゃ)
走ってきたジルコが正面に座り込むのを感じた。
何とか頭を上げたと同時に、肩とあごをつかまれる。
霞む目に映るのは、銀色のまつげ。
唇に柔らかいものが触れ、口内に液体が入ってきた。
驚くのと同時にそれを飲み込んだ。
ひどく甘くて苦いコーヒーのような味が舌に広がる。
「……ま、まずい」
不味過ぎて泣きそうになった。
そんな感想を吹き飛ばすほど、衝撃的なことをされた気がするが、今はそれを一旦置いておく。
どんな上級の回復薬を使ったのだろう。
瞬時に体内の魔力が満ちるのを感じた。
何なら体力、体調ともに絶好調だ。
「元気、100倍です!!
私の全力の回復魔法、食らってください!!!」
ヴェイント氏を青い魔力が包み込む。
溢れた魔力が、近くで気絶し転がっていた濡れネズミをも回復した。
目を覚ました途端、ジルコが強烈な拳をお見舞いする。
再び気を失い、拘束された。
負傷した護衛達やジルコのかすり傷もきれいさっぱりなくなっている。
それに止まらず、森を包む勢いだ。
焼け焦げた木々、燃え落ちた草花、逃げ遅れた動物たち。
すべてが回復していく。
それほど今のエリアーナは全力を出しているのだ。
「アホ、どう考えてもやりすぎだ!
もう一本回復薬飲ますぞ!」
ジルコの声に、さっきのことが浮かぶ。
……意外と柔らかな感触がした。
ボフッと音がしそうな勢いで頭が許容を超える。
両手で顔を隠した。
血濡れだったので、顔にもべったりつく。
「汚れを流れ落とせ ≪浄化≫!」
急いで自分とついでにヴェイント氏もきれいにした。
胸の傷は完治しており、心臓も再び元気に動いているようだ。
顔色も悪くない。
ナインが駆け寄り、ヴェイント氏を抱える。
すると、彼の目が開き、ナインを見つけると微笑みかけていた。
「ライアン様!」
「ナイン……。泣かないでおくれ。
私は君の笑顔が何より好きだよ」
完全に二人の世界に入ってしまったので、ジルコとともに静かにその場を後にする。
幌馬車の向こうに進むと、大勢の野盗と護衛だったはずの目つきの悪い二人が拘束されていた。
みな、先ほどの『回復魔法の氾濫』により傷は治っているようだが、ジルコを見る目が恐怖一色だ。
どんな目に合わせたのだろう……。
「ジルコ殿!風魔法で森からこちらに吹き飛ばしていただいた野盗は、全て拘束しておきました」
ジルコとともに森に入った護衛が声をかけてきた。
おそらく、森の中で仕掛けてきた野盗を運ぶのが面倒だったのだろう。
馬車が停めてある場所に向けて、風で飛ばして落としたようだ。
全身ぼろぼろの状態でそんなことされたのだ、彼らの恐怖は相当のものだったと思う。
まぁ、一切同情はしないが。
「騎士団への緊急要請用飛紙も飛ばした。まもなくこちらへやってくるだろう」
野盗を引き渡したら、早く宿泊する町を目指したい。
お腹いっぱい食べて、風呂に入って、ゆっくりベッドで眠りたいのだ。
「大方、道を通れなくしたのもこいつらの仕業だろう。
街道の破壊に森林への付け火。
強盗を企てた上に殺人未遂。
死罪か運よくとも無期の奴隷罰だな」
木の根に巻き付かれて呻くことしかできない野盗たちを転がしながら、別の護衛が話した。
奴隷罰という言葉に反応してしまう。
たしか、ジルコも『無期の奴隷罰』を受刑中だ。
目の前の男たちと同じくらい重い罪を犯したというのか。
(そんなの、絶対ありえない)
ジルコとの付き合いはまだ1ヶ月程度だが、それでも彼の人柄はわかる。
口は悪いし全然紳士的ではないが、曲がったことはしないし、好んで人を傷つける人ではない。
……いつか、彼の口から真実を聞こう。
その日は必ずやってくると、今なら自信を持って言える。
「ジルコ殿、ガッツが盗み出した回復薬類の入った鞄はどうしますか?」
「あの従者に渡せ。あいつもさっき魔法陣を使っていたから、補給が必要だろう」
馬車を探しても回復薬が見つからなかったのは、ガッツが原因のようだ。
そして、先ほど口にした魔力回復薬の出どころが判明した。
「……魔力回復薬ってあんなに不味いんですね。 初めて飲みました」
ものすごく苦いのを、ものすごく甘いのをぶつけて中和しようとした結果、大失敗した味だ。
できればもう二度と味わいたくない。
「あれは完全回復薬だ。
体力、魔力、状態異常全部回復する。
たしか、一本金貨200枚くらいだったか?
まぁ、それで命が助かったんだ。
依頼主も文句は言わんだろ」
開いた口が塞がらなくなった。
そんな高価だとは思わなかったからだ。
そりゃあ、元気も100倍になる。
「金貨200枚の回復薬を無断で使っちゃったんですね……。
もし怒られる時は私も一緒に怒られます」
「フッ、金持ち坊ちゃんがそんなで怒るとは思えんがな。
まぁ、とにかく。
今日はよく頑張ったな、おつかれ」
笑いながら頭をわしゃわしゃとなでられた。
褒め方が雑だ。
雑だが……。
(褒められて、嬉しい)
ぐしゃぐしゃになった髪を手でなでつけ、後ろを向く。
にやけそうになる顔を見られるのが、恥ずかしかったからだ。
その様子に、さらにジルコが笑う。
それが何だか悔しくて、写し絵撮影器で笑顔を盗撮するのだった。
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