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一章 入学旅行一日目

1-28  物語の作者

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 霧はバン、と両の手の平をテーブルの上に叩きつけた。それは霧が意図したものではなく、ひとりでに動いたような、霧にとっては不可解な動作だった。まるで何者かが霧を操り、文庫本を手に取ることを阻止している――霧にはそう思えた。
 みんなも何か異様なものを感じたのか、アデル、リューエスト、リリエンヌが驚いて霧を見つめる。
 霧の真剣な、青ざめた表情に、みんなが戸惑いながら「キリ、大丈夫?」と声をかけてきた。

「だ……大丈夫……。い、今の声、みんな、聞いた……? や……聞いて、ないか……」

「声? なんのこと? 今の声って? さっき競技場からワッてすごい歓声が上がったけど、それのこと?」

 リューエストの問いかけに、霧は小さく首を振る。

「……ちが……。あ……いや、何でもない……」

 駄目、という強い調子の声が響いたのは、霧に対してだけだった。それを理解した霧は、今は文庫本のことを忘れることにした。そしてとりあえず落ち着こうと、テーブルの上の自身の手に視線を落とす。
 キラリと、何かが光る。霧の右手の、人差し指の爪だ。

(ダリアの金橙オレンジ。ダリアリーデレの証……。そういえばチェカは、左の人差し指の爪がこの色だったな……)

 ダリアの血を受け継いだ者は、みな体のどこかにこの特徴的な金橙オレンジ色を持って生まれてくる。そのため『クク・アキ』のファンは、イベントなどで自分の体にオレンジ色を付けることがよくあった。目にカラー・コンタクトを入れたり、マニキュアで爪の一枚をオレンジ色に染めたり、髪にオレンジ色のエクステを付けたり。ちょっとしたコスプレ感覚を楽しめるし、そうしておけば宣言しなくても「『クク・アキ』のファンです!」と示せるため、ファン同士の交流がスムーズに行えるからだ。
 霧自身も、爪をオレンジ色に染めてイベントに行ったことがある。だからこの指を見たとき、最初は、マニキュア塗ったままだっけ?と錯覚したほどだ。けれどよく見れば、その爪の色は霧の使っていたマニキュアの発色とは違う。もしここが夢の世界なら、霧の記憶をもとに構成されるはずだから、こんな見たことも無い美しい色合いをしているわけがない、と思えた。

 霧は自身の右手を顔の前に持ってきて、その人差し指の爪を、改めて観察した。金橙きんだいだい、と漢字が当てられる通り、「ダリアの金橙オレンジ」は金色の面影を宿しながら輝く、鮮やかなオレンジ色だ。自らも発光しながら、バルコニーの照明を受けて更にキラキラと輝いている。見ていると吸い込まれそうな、深みのある、とてもきれいな色だ。芸術的ですら、ある。
 そんな風に考え込みながら爪を観察している霧の様子を見て、アデルが呟いた。

「それ……ダリアの金橙オレンジ……。キリも人差し指の爪なのね……お父さんと同じ」

 アデルの声は、とても寂しそうだった。霧はキュッと、胸が痛むのを感じる。

(ああ……アデル。どんなに苦しい思いをしてるだろ)

 実の両親のむごたらしい死を、チェカとの交流で乗り越えたアデル。
 そして今また、養父として慕うチェカとの突然の、別れ。
 理由もわからず、生きているのか死んでいるのかもわからず、会えなくなって、3年と4カ月もの月日が経過する。それがどんなに苦しい状態か、少し想像しただけで胸が張り裂けそうだ。霧はアデルの心痛を思うと、彼女にかける言葉も見つからなかった。

(3年も……行方不明だなんて……。3年と4カ月……。3年……? あれ……? 何か、引っかかる……確か、『クク・アキ』の1巻が世に出されたのも、確か3年ぐらい前だった。ただの偶然? …………。……ちょっと待て……『クク・アキ』の作者の、ペンネーム……)

 霧は今までほとんど意識することのなかった、作家名を反芻はんすうした。

(え……偶然? 名前の音の響きから、作者は女性かなと思っただけで、今まで気にしたことなかったけど……)

 『ククリコ・アーキペラゴ~空飛ぶ古城学園と魔法士たち~』、それを執筆した人物についての詳細は、年齢性別を始め、すべてが秘められている。プロフィールなどは、一切公開されていない。それがまたミステリアスで、いつも話題に上る。
 その、作者の名前は――。

 智慧佳ちえか

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