上 下
35 / 175
一章 入学旅行一日目

1-17a  涙のわけ

しおりを挟む
 霧は、泣いていた。
 言葉もなく、静かに、ぽろぽろと、涙が頬を滑り落ちてゆく。
 自分が泣いていることに気付いた霧は、慌てて目をぬぐいながら、言った。

「ゴミが、ゴミが目にぃっ! 痛いぃっ!」

 我ながらベタな言い訳だ――霧がそう思って焦っていると、リューエストが自分の『辞典』を取り出して言った。

「おのれ、キリの目に入ったゴミめ!! お兄ちゃんが成敗せいばいしてくれる!」

 まさか目に入ったゴミを取り除くためだけに、辞典魔法を使う気か?!――そう思った霧は、ますます焦って言った。

「もう大丈夫! ゴミ、どっかいった! ごめんねみんな、お騒がせしました。さあ、続きをしよう! 課題4の担当、早く決めちゃお! あたし本当にどれでもいいから、残ったやつをもらうことにする。みんな、一斉に表現したいものの上に指を出そうよ。そんで、希望が重なったらくじ引き。OK?」

 皆うなずき、担当はその後、速やかに決まった。
 アデルは水晶の原石、アルビレオは弦楽器、トリフォンは椅子、リューエストは帽子、リリエンヌはぬいぐるみ。そして最後に残った黒い立方体を、霧が担当することになった。
 課題4の準備が滞りなく終わったため、一行は昼食の席を立って次の行動に移ることにする。ただいまの時間は13時過ぎ。課題4は「サブコート1」で14時から、時間厳守だ。

 みんなと競技場に戻る道すがら、霧は何一つ忘れまいと、珍しい異世界の市場を目に焼き付けながら歩いていた。
 人の流れは途切れることなく、競技場へと続く広い道は行き交う人波で混雑している。買い物を楽しむ人、競技場に向かう人、競技場から出てきた人、食べ歩きする人、子供を連れた家族連れ、手をつないでいるカップル、屋台の売り子、様々な人々が彩るこの場の雑踏が、霧にはとても心地よく感じられた。

(ああ……いいなぁ……。みんな、楽しそうで、幸せそうだ。……何だろう、あそこに売られているあのお菓子。食べてみたいなぁ。それにあっちのグッズ売り場、変わったもの売ってる。あれが何なのか、想像もつかないや。……あ、あの一角にたくさん人が群がってる。ゲームの一種かな。いいなぁ、楽しそうだなぁ)

 この光景の一部に自分がいて、皆と同じ幸福感を共有しているのだ――そう思った霧は、どうしようもないほど精神が高揚こうようして、叫び出したいほどの喜びに胸が締め付けられた。それと同時に、言いようのない不安が胸の奥からせり上がってくる。

 ――幸福感はいつでも、滅多に食べられないご馳走のようだ。

 霧は、そう思った。
 味わっている間は嬉しくて楽しくてたまらないのに、その最中ですら、それが必ず終わるというと寂しさとむなしさを抱えてしまう。

 またもや情緒不安定な波が襲い掛かってくる気配を察し、霧は慌てて物思いを中断させた。
 どうにも、気持ちをコントロールすることが難しい。霧はさきほどみんなと食事していた際に泣いてしまったことを思い出して、顔を赤らめた。

(人前で泣くとか、ないわー……。恥ずかしかったぁ……。リューエストがあたしのことを半年前に目覚めたばかりだから「赤ちゃんみたいなもの」って言ってたけど、本当に赤ん坊に帰ったみたいだ。感情にまかせて泣くとか、大人のやることじゃ、ないよなぁ……。もうほんと、目に入ったゴミだなんてベタな展開でごまかせてよかった。リューエストのおかげだな)

 霧は羞恥しゅうちに震える一方で、「夢なんだから好きにふるまえばいいのに」とも思った。誰の反応も気にせず、自由にすればいいのに、と。
 けれど、現状があまりにもリアル過ぎて、霧にはどうしてもそうすることができなかった。
 目の前にいるアデルやリューエスト、そして偶然ツアーメイトとなったみんなの、誰の迷惑にもなりたくなかったし、嫌われたくなかった。そして霧は、自分が原因でみんなを暗い気持ちにさせたくなかった。

(みんな、優しいから……。ついじんわりきちゃったんだよね……)

 生まれただけで宝――アデルのその言葉が、まだ耳の奥に響いている。
 こんなに優しい言葉があるだろうか。
 存在の、全肯定。
 純粋で尊い、祝福の言葉。
 霧が親に投げつけられた言葉とは、正反対の。

 霧はまた涙腺るいせんがゆるみそうになってきて、慌てて気を引き締めた。
 そこへ、アデルの声が飛んでくる。

「ねぇ、聞いてるの、キリ?!」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

しっかり者のエルフ妻と行く、三十路半オッサン勇者の成り上がり冒険記

スィグトーネ
ファンタジー
 ワンルームの安アパートに住み、非正規で給料は少なく、彼女いない歴35年=実年齢。  そんな負け組を絵にかいたような青年【海渡麒喜(かいときき)】は、仕事を終えてぐっすりと眠っていた。  まどろみの中を意識が彷徨うなか、女性の声が聞こえてくる。  全身からは、滝のような汗が流れていたが、彼はまだ自分の身に起こっている危機を知らない。  間もなく彼は金縛りに遭うと……その後の人生を大きく変えようとしていた。 ※この物語の挿絵は【AIイラスト】さんで作成したモノを使っています ※この物語は、暴力的・性的な表現が含まれています。特に外出先等でご覧になる場合は、ご注意頂きますようお願い致します。

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

動物に好かれまくる体質の少年、ダンジョンを探索する 配信中にレッドドラゴンを手懐けたら大バズりしました!

海夏世もみじ
ファンタジー
 旧題:動物に好かれまくる体質の少年、ダンジョン配信中にレッドドラゴン手懐けたら大バズりしました  動物に好かれまくる体質を持つ主人公、藍堂咲太《あいどう・さくた》は、友人にダンジョンカメラというものをもらった。  そのカメラで暇つぶしにダンジョン配信をしようということでダンジョンに向かったのだが、イレギュラーのレッドドラゴンが現れてしまう。  しかし主人公に攻撃は一切せず、喉を鳴らして好意的な様子。その様子が全て配信されており、拡散され、大バズりしてしまった!  戦闘力ミジンコ主人公が魔物や幻獣を手懐けながらダンジョンを進む配信のスタート!

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

悠久の機甲歩兵

竹氏
ファンタジー
文明が崩壊してから800年。文化や技術がリセットされた世界に、その理由を知っている人間は居なくなっていた。 彼はその世界で目覚めた。綻びだらけの太古の文明の記憶と機甲歩兵マキナを操る技術を持って。 文明が崩壊し変わり果てた世界で彼は生きる。今は放浪者として。 ※現在毎日更新中

クラス転移で神様に?

空見 大
ファンタジー
集団転移に巻き込まれ、クラスごと異世界へと転移することになった主人公晴人はこれといって特徴のない平均的な学生であった。 異世界の神から能力獲得について詳しく教えられる中で、晴人は自らの能力欄獲得可能欄に他人とは違う機能があることに気が付く。 そこに隠されていた能力は龍神から始まり魔神、邪神、妖精神、鍛冶神、盗神の六つの神の称号といくつかの特殊な能力。 異世界での安泰を確かなものとして受け入れ転移を待つ晴人であったが、神の能力を手に入れたことが原因なのか転移魔法の不発によりあろうことか異世界へと転生してしまうこととなる。 龍人の母親と英雄の父、これ以上ない程に恵まれた環境で新たな生を得た晴人は新たな名前をエルピスとしてこの世界を生きていくのだった。 現在設定調整中につき最新話更新遅れます2022/09/11~2022/09/17まで予定

学園は悪役令嬢に乗っ取られた!

こもろう
恋愛
王立魔法学園。その学園祭の初日の開会式で、事件は起こった。 第一王子アレクシスとその側近たち、そして彼らにエスコートされた男爵令嬢が壇上に立ち、高々とアレクシス王子と侯爵令嬢ユーフェミアの婚約を破棄すると告げたのだ。ユーフェミアを断罪しはじめる彼ら。しかしユーフェミアの方が上手だった? 悪役にされた令嬢が、王子たちにひたすらざまあ返しをするイベントが、今始まる。 登場人物に真っ当な人間はなし。ご都合主義展開。

処理中です...