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君の愛があれば他に何もいらないと彼は言った

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「グラティア・パラベラム侯爵令嬢、貴女との婚約は破棄させてもらう。そして、こちらにいるルミナ・エアリーズ男爵令嬢と、改めて婚約を結ぶ。すまないな。私は、真実の愛に出会ってしまったんだ」

 卒業パーティのめでたい席、着飾った令息令嬢たちでにぎわうホール内に、そぐわない無粋な声が響き渡った。
 私、パラベラム侯爵令嬢ことグラティアは、いざ食べようとしていたデザートから意識を逸らし、心配げな面持ちの友達へ大丈夫だと視線を投げて、声の方角へと向き直った。
 ぱちりと扇を開いて口元を隠し、私は目を眇める。

「あら、どなたが奇矯な声をあげているのかと思えば、婚約者のエスコートもできないマナー知らずなカンデラ侯爵令息ではございませんか」

 私の痛烈な皮肉に、周囲からくすくすと小さな嘲笑がわき上がった。
 ちなみに、本日私をエスコートしてきたのは、彼の義兄あにである。義兄君は、丁寧に義弟の所業を謝罪し礼を尽くしてくれたというのに、一気に台無しだ。
 当の本人――クレド様は、馬鹿にされたと顔を真っ赤に染め、ふんと鼻息を荒くした。

「はっ、君には可愛げというものがない。この愛らしいルミナを見習ったらどうだ」
「侯爵令嬢の私が、男爵令嬢に見習うところなどございましたかしら?」
「ルミナを侮辱しているのか!? そうやって身分をひけらかして!」
「グラティア様、酷いです……!」

 侮辱はしていないが、からかってはいる。男を落とす手練手管を学べとでも? その程度で感情を剥き出しにするとは、貴族として呆れてしまう。
 よよと涙を浮かべながら縋ってくるエアリーズ男爵令嬢を、クレド様はよしよしと抱き寄せる。自分たちに酔っている感じが物凄い。

 エアリーズ男爵令嬢は、これでもかとばかりにきらびやかな装いだ。
 流行の愛らしいドレスに、宝石をふんだんに使ったアクセサリーを身に着けて、彼女は隠しきれない優越感をあらわにしている。男爵令嬢には、とてもじゃないが手が出せないような高級な品々。色はご丁寧にもクレド様の瞳の色。当てつけもいいところである。
 こんな散財を、侯爵様はご存じなのかしら。

 こちらは、ドレスすらも贈られてこないという不義理をくらっているのに。
 まあ、ごてごてでセンスの悪い彼女の身なりを見ていると、贈られなくてせいせいしているくらいだが。
 ふさわしい品位も備わっていないので、男爵令嬢が最高級の品々を身に着けたとて、着られている感が物凄いのだけれども。

 私は、深々とため息をついた。

「婚約破棄と申されましたが……私たちの婚約が、どういった意図のもと結ばれたのか。貴方のその身が、何でできているのか、愚かにもご存じないようですので、これは私からの親切心だと思って問わせてくださる?」

 国王陛下たっての願いもあって結ばれた、両侯爵家の婚約。
 それは、カンデラ侯爵領が数年前、嵐に見舞われたことで田畑がやられ、飢饉に見舞われかけたからである。
 更に間の悪いことに、立て直しに奔走している最中、運営していた鉱山が崩落し、大規模な事故が起きた。カンデラ侯爵からすれば、泣きっ面に蜂である。
 それを両家の婚約をもってしてパラベラム侯爵家が救いの手を差し伸べ、カンデラ侯爵領はからくも持ち直したのである。
 まだ記憶にも新しい話だ。

「そちらの男爵令嬢とご結婚なさった場合、カンデラ侯爵領全体としての利益は、著しく落ち込む見込みとなります。それでも貴方は、真実の愛を貫くとおっしゃるの?」
「……っ、黙れ、グラティア! そういう無粋な物差しでしか測れないのか!?」
「グラティア様は、何て冷たいのでしょう! お金のことしか考えていないの!? これでは、クレド様が可哀想だわ!!」
「君はいつだってそうだ。金だの事業だの利益だの……息が詰まる。ルミナの優しさや気遣いに、私がどれほど癒されたことか。私は愛のない生活など、ルミナのいない生活など、耐えられるものではない!」
「クレド様……嬉しい」
「君に言われずとも、我が侯爵領は心優しいルミナと手を取り合って、盛り立てていくつもりだ。こうして、ずっと支えあってね」

 私を悪者にでも仕立て上げたいのか。
 きりりと表情を引き締めて、クレド様は意気込みを語るけれども。
 ……どうやって?
 単純に疑問に思って、私は小首を傾げた。

 だって、まだまだカンデラ侯爵領にはかなりの借金が残っている。だいぶ昔のような豊かな姿を取り戻してきているものの、完全に領地が立ち直っているわけではない。
 パラベラム侯爵家の助言と出資あって、どうにか軌道に乗り始めた事業も、まだまだ発展途上の最中。
 この婚約がダメになったら、パラベラム侯爵家は援助を打ち切るだろう。私を溺愛するお父様が、怒らないわけがない。下手をすると、今までの資金援助の返済を迫る可能性だってある。
 そんなことになったら、カンデラ侯爵家は瞬く間に没落一直線。侯爵家のみならず、領民たちだって路頭に迷ってしまいかねない。
 そんな巨額の資金を、多少はぶりが良いだけのただの男爵家がまかなえるとでも?

 侯爵領を盛り立てていこうとする精神は素晴らしいけれども、現実が全く伴っていない。
 恋愛は頭をお花畑にすると往々に聞き及んでいるが、侯爵家子息ともあろう人が、本当にがっかりだ。

「……左様でございますか。クレド様の心意気、しかと受け止めました。そういえば、以前クレド様はおっしゃっていましたものね。『君の愛があれば他に何もいらない。ルミナの愛があれば、私は満たされる』と、何とも情熱的に」
「なっ、何を急に……」
「裏庭で逢瀬をなさっていたときに、熱心にエアリーズ男爵令嬢を口説いていたではございませんか。私、びっくりしてしまいましたわ」
「ぐっ……の、覗き見など趣味が悪い!」
「勝手にそちらが盛り上がって始めたことではございませんか。誰が好き好んで、デバガメすると?」

 私はじとりとした視線をやる。聴かれているとは思わなかったのかしら。とはいえ、本当に偶然だったのだ。
 木陰で休んでいたところ、後からやってきた二人が茶番……真実の愛劇場……ごほん、密会を始めるから(せめてもうちょっと隠そうと努力してほしい)出ていくにも出て行けず、私としても白けた気分でいっぱいで散々な目にあったのだ。
 ちなみに、クレド様が否定したとしても、きちんと記憶球に記録してありますので証拠提出可能でしてよ? そこに抜かりはありませんので。

「何にせよ、愛ですべてが満たされる。それは、大変素晴らしい話ではございませんか。エアリーズ男爵令嬢がいらっしゃれば、クレド様はどんな困難にも立ち向かえると」
「そ、そうだろう! ルミナは私の真実の愛だからな」
「クレド様っ……!」

 私の言葉に何を思ったか奮起をして、二人は微笑みを交わしながらうっとりと互いを見つめ合った。
 私は扇を掌に当て、ぱちんと閉じた。
 そうして、私はカーテシーを取る。文句のつけようもない、指先の仕草一つですら流麗な、完璧で美しい所作。ほう、とため息が漏れるほどの。

「では、私は潔く身を引きましょう。婚約破棄、謹んで承りましたわ」

 ほっとした空気が、二人の間を流れる。
 私は頭を上げると、にっこりと笑った。

「クレド様はこのときをもちまして、エアリーズ男爵家に入り、カンデラ侯爵家より廃嫡されます。私としましては、長年結んできた婚約がこのような形になってしまい、残念でなりません。いえ、クレド様からすれば、『おめでとうございます』とお伝えしたほうがよろしいかしら」

 私がぱちぱちぱちと拍手を送ると、周囲からも控えめに拍手の音が響き渡る。
 正直なところ、異様な光景だ。
 侯爵家同士の婚約破棄が、人前で恥ずかしげもなく宣言され。
 あろうことか、侯爵令息が男爵令嬢と婚約を結ぶとのたまい。
 終いには、元婚約者の口から廃嫡が言い渡されたのだから。
 スピード感がすさまじい。
 さぞかし、見物の生徒たちも、目を白黒させているだろう。否、この悪趣味な舞台を、愉しんでいるかもしれない。

「は!? 私は侯爵家の次期当主だぞ!?」
「そうよ。ちょっと、アナタ、パラベラム侯爵家だからといって何勝手に決めつけているわけ!?」
「そんな話、私は聞いていないぞ!? 妄言も大概にしないか!」

 一瞬呆気にとられたものの、クレド様と男爵令嬢はすぐさま憤慨する。
 けれども、そんなことを私に言われたところで、私とて困ってしまう。
 物憂げに睫毛を伏せて、私は頬へ手を当てた。

「勝手でも、妄言でもございませんわ。これは国と両家の当主からも、きちんと確約をいただいたお話でございますの。クレド様が、もしもエアリーズ男爵令嬢を選ぶようであれば、切って捨てて構わないと。ああ、そうそう。エアリーズ男爵家は不正売買が発覚し、近々お取り潰しが決まるそうですわよ。あらあら、これで貴方も立派な平民ですわね」
「うっ、嘘よ!? 嘘に決まっているわ!!」
「そんな馬鹿な話があるか!?」

 慌てふためく二人に、私は両手をぱちんと合わせて、にっこりと微笑んだ。


「けれども、クレド様なら大丈夫ですわよね。だって、エアリーズ男爵令嬢の愛があれば、何もいらないのですから」








 高貴な身分を捨て、自ら道を切り開いていく覚悟もないくせに、家で決められた、ましてや国王陛下肝入りの婚約者をないがしろにするものではない。
 何故自分だけは、多大な家の利益を享受して、ぬくぬくと生きていけると思っているのだろう。義務を果たしてすらいないのに。
 「真実の愛」などと、綺麗な言葉で誤魔化せば、許されるとでも思ったのか。所詮浮気は浮気なのに。

「我々王侯貴族が裕福に暮らせているのは、血税を納めてくれている民がいるからです。その代わりに、私たちは国や領地を正しく治め、民を守り、豊かにする義務があります。それを、愛があれば何もいらないなどとぬけぬけと……! 愛だけで、お腹が満たせるとでも!?」
「ふふ、君の基準は、お腹なのかい? 何とも可愛らしいね」
「我が家は、国有数の穀倉地帯ですもの」

 騒がせたホールを辞して、私は今休憩室に腰を据えている。
 腹に据えかねることはあるものの、饗された果実水を飲んで、ようやくひと心地ついた。

 よくロマンス小説であげつらわれる「愛があればお金なんて」というのは、単純に響きの良い言葉でしかない。
 もちろん、お金が全てだなんて極端なことを言うつもりもない。愛情だって大切だ。私とて、好き好んで愛情のない家庭を築きたいわけじゃない。
 けれども、それは揺るがぬ幸せな土台があってこそ。
 生きていくには、何よりもまずお金がかかるのだ。

 果たして、彼らは真実の愛を遂げて、生きていけるのか。
 そうしたら、とてもドラマチックなことだろう。身分違いの果てに身分を捨て、平民落ちしたラブロマンスとして、劇場で上演されてもよいかもしれない。恋物語を夢見るには、きっと丁度良い題材ネタになるに違いない。
 二人は、こうして幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし、で終わるなら。

 まあ、あの後、醜い口論が始まっていたから、御大層に掲げた『真実の愛』とやらがどれほど薄っぺらかったか、火を見るよりも明らかでしょうけれども。
 これだけ豊かで豪奢な生活に身を浸し、それが当たり前だと信じていた彼が、一転、質素な暮らしに耐えられるかどうか。
 元々慎ましい生活を送っていた男爵令嬢だって、あの性格だ。一度奢侈という欲に溺れてしまえば、そうそう戻れやしないだろう。

「どちらにしても、最早私には関係のないことですわね」

 エスコートをしてくれた、クレド様の義兄――セクト様が、私の隣に座し、掌を取った。
 セクト様は、彼が幼い頃事故で亡くなったカンデラ侯爵様の弟夫妻の忘れ形見。弟君をたいそう可愛がっていた侯爵様が、不憫に思い引き取ったのだ。クレド様と従兄弟同士に当たる。
 セクト様本人は、カンデラ侯爵家の後を継ぐつもりなど一切なく、王宮で文官として生きていく道を定めていたのだけれども。

 ――休憩室のドアは、開かれていない。
 そして、室内には男女が二人きり。

「愛があれば、他に何もいらないなんて、貴方もおっしゃいますか?」
「うーん。私は案外欲張りでね。君からの愛も、領地の繁栄も、同じくらい欲しいかな。そのための努力を怠るつもりはないよ。愛とは、互いに敬意を持ち思いやり育んでいくものだと思っていたのだが。まさか、愚義弟ぐていがこのような馬鹿な真似をするとは……本当に申し訳なかった」
「うふふ。セクト様とでしたら、私、育んでいける気がしますわ」
「であれば重畳。私も、このような聡明でしっかりした美しい婚約者ができて光栄だ。末永く君を幸せにすると誓おう。だから君も、私を幸せにすると誓って欲しい、グラティア嬢。君のお腹はきっちりと、私が満たそう。まずは、君が先ほど食べ損ねてしまったデザートなどいかがかな?」
「まあ、それは素敵ですわね」

 手の甲に、恭しく口づけを落とされる。
 囁かれた愛の言葉に満足をして、私とセクト様は互いに穏やかな微笑みを湛えた。













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ふっと浮かんで勢いだけで書きました。連載の息抜きになりました。
楽しんでいただけたら、お気に入りや感想いただけると嬉しいです!

連載中のお話もどうぞよろしくお願いします!
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