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第1話

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 世界の広大さに敬意を、時には畏怖を持って敬われるこの世界には、まだまだ未知が溢れている

 ここは、豊かな自然に恵まれた人と動物が幸せに暮らしている世界

 木々は青々と生い茂り、自然を大切にする人々が楽しげに語らう世界


 道は森へと続き

 優しく人々を受け入れる


 空は見果てぬ夢を描き

 温かく人々を見守る


 そう、ここは私たちが暮らす世界とは違う世界

 けれど、ほんの少しだけ、私たちの暮らす世界と似た世界


 ――これは、そんな世界の小さな国の小さな物語――





 冬樹ふゆきは自分の名前が嫌いだった。

 まず、冬と言う字が入っている時点で寒々しい。しかも苗字が雪村ゆきむらなのだ。
 <雪村冬樹>名前を見ただけで凍えそうではないか。
 年明け、雪が降る一歩手前の年一番の寒さを観測した日に生まれた。
 母は、雪とか雨とか少しアンニュイな気分にさせるものが大好きだったそうで、嫁いだのが「雪村」じゃなかったら、「雪乃」とか名付けたかったそうだ。
 苗字にも名前にも雪が入っているのはさすがにまずかろうと思っての「冬樹」だそうだが、それならそれで、「冬乃ふゆの」とか「冬花とうか」とかでいいじゃないか。いや、スタンダードに「冬子ふゆこ」でもいい。なんで寄りによって「冬」なのか。

 冬樹は自分の名前が嫌いだった。

 寒いのが嫌いなのに寒々しい名前であることよりも、誰が見ても男の名前だと思われることが一番の理由だった。

 そう、冬樹は女だった。


 (さ…寒い……?)

 何かがおかしいと感じる。電気毛布に包まってぬくぬくと寝ていたはずが、妙に寒い。
 五月も終盤に入り、さすがに暑さで布団を跳ね上げてしまったのだろうか。
 手探りで布団を探すが、何かのツルリとした感触しかしない。しかも、その触れた何かが異様に冷たい。
 頑なに目を閉じていたが、歯がガチガチ言い出したのもあって冬樹はそろりと目を開けた。


 「……目を開けると、そこは雪山でした……」

 咄嗟に口を付いて出たのは、有名な小説の一文をもじったもの。

 「…な……なんで、で、で……」

 寝ぼけた頭ではなく、寒さを感じ取っている体から危険信号が出始める。それが、これは現実だと訴えかけているので夢だと思わせてもらえない。

 「なな、なん、んで……」

 制御不能の体全身の震えで、うまく言葉も出てこない。ここが雪山であると、状況を確認した途端に体が高速で生命維持に努めようとしだしたのだろう。ただし、シバリングは急速にカロリーを消費するのでここでガタガタ震えるだけではいずれ「寝るな!寝たら死ぬぞ!」状態になることは明白だった。
 未だ寝そべった状態だったので、必死になって立ち上がる。
 が、ツルリと滑った。
 体が宙に浮いたかと思った直後に、ドスっとお尻を強打する。

 「い、いた……」

 ガクガクと震えながらもお尻をさすり、今度は慎重に手をついたのだがその直下でピキピキと音がする。それはまるで、硝子にヒビが入ったかのような……薄い氷の膜にヒビが入ったかのような……

 (後者だ!)

 そろりと見た床は今にもひび割れそうな亀裂が入った氷の湖で出来ていた。

 (やばい、やばい、やばい)

 なぜ自分がこんな所で寝こけていたのかなど、どうでもいいぐらいに恐怖していた。
 そろり、そろりと体を進める。

 (割れたら終わる)

 極寒の湖に沈んで待ち続ける相手も居ないのに永遠に若さを保ってしまう。
 混乱した頭でそんなことを思いつつ、必死になって湖の縁を目指した。


 (なんとか…なった……)

 心臓が痛いぐらいで冷や汗も出ている。しかし、その汗のせいで急速に体温が奪われ、安堵もあって意識が朦朧とし始めていた。
 ぱたりと倒れる。
 すると、頭上にまるで獣の唸り声を思わせる男の声が響いた。

 「ここまで来て死ぬ気かよ」

 音の出所に顔を向けると、「俺、ワルです!」と言わんばかりの顔の男が、顔そのままにヤンキー座りで冬樹のことを覗いていた。どうやら冬樹が湖を渡り切るのを待っていたらしい。それなら、助けに来てくれても良かったんじゃないかと思った。

 「……だ、だえ……?」

 口が回らず舌っ足らずになった。男も眉を顰めたので意味は伝わらなかったようだ。

 「動けんな?だったら付いて来い。死にてぇならそこにいりゃいいけどよ」

 返事を待たずに男が歩いていってしまう。本来なら雪をサクリサクリと踏みしめて、と表現したい所だが何故か男が通ると雪が蒸発し、覆い隠されていた大地が露になった。
 凍え切った体が満足に動かないが、ここで頑張らないと男の言う通り死んでしまうのは確実だったのでなんとか起き上がる。
 男の姿は既に無い。それでも道が出来上がっているので、ガタガタ震えながら必死でその跡を辿った。


 もう、何も考えられなくなっていた。
 とにかく道を進む。それしか無い。それしか無かったので跡を追って凝視していた泥まみれの雪面に煤けたブーツが現れた瞬間、何故か思い切り驚いた。

 「っ……!?」

 顔を上げると、男と目が合う。

 (あ、そうだ。この人を追ってたんだった……)

 何で驚いてしまったのか?自分で理解出来ない自分の感情に笑えた。
 冬樹のそんな笑顔を見て男がまた眉を顰める。

 「……入れよ」

 促されて、冬樹は石を切り出しただけの扉も無い家と呼べなさそうな家へと足を踏み入れた。
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