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Cantabile-そして色鮮やかに
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「はぁ……やばい」
縁に両手をかけ頭を乗せる麻衣の頬は、うっとりと上気せている。恍惚だった。
あまりにも理一の音が好みなのだ。それは、麻衣の大好きなドイツやロシアの作曲家に似合い、深い理一の音がぴったりと麻衣の心に添うような感覚を覚えた。
麻衣は色々とリクエストした。その全てを理一がそらで弾けることにも驚いた。どうやら、麻衣と理一の好む曲が高確率で一致しているらしい。
「うっかり先生に恋しちゃいそうですよ……」
それは、うっかり洩らしてしまった本音だった。既に、麻衣好みの音を紡ぎだす手には恋していると言っていい。
「ぇ……」
セザール・フランクから、スクリャービン、リムスキーコルサコフ、ショスタコーヴィチとロシアの作曲家三人を経由して、ショパン。
今はリストに入って3つの演奏会用練習曲のラスト、「ため息」を弾き終わった所だった。
未だ音の波の中、陶酔境に浸る麻衣をみて、理一は『ため息』をついた。
――駄目だ、この人が好きだ――
一度の邂逅。それが齎した再会。しかし一度目は背中しか見ていない。人となりを知っているとは言えない。けれど、押さえ切れないほどに胸の内から炎が燃え上がるのを感じる。殆ど、一目惚れのようなものだったのかもしれないと、自嘲気味に笑う。
ふと、頭の中に一つの歌曲が浮かぶ。あまり歌に詳しくない理一でも知っている、愛らしい曲。珍しく意味が気になって調べ、その歌詞の濃厚さに驚いた曲でもある。
きっと知っているはず。タイトルも歌詞も知っているはず。
――貴女に捧げると言ってこの曲を弾いたら、どう思うだろうか――
「あー、こんな時間かぁ……」
現実に帰り来た麻衣が時計を見やりそう呟く。時刻は三時を過ぎていた。
「長時間すいません」
そう謝った麻衣が、ピアノから離れ帰る準備を始める。
「ぁ……」
自覚した想いを吐き出しそびれ、肩を落としつつ理一も楽譜やらコップやらを片付けた。
教室に通うことに決まり、ハノンと今日持ってきた楽譜から一曲ずつ練習することになった。真夜中なので送っていくと理一は言ったのだがやんわりと、それでも固い意志で大丈夫だと麻衣は断り高科理一ピアノ教室を、あとにした。
重厚な音を立てて閉まる玄関ドアを後ろに、麻衣は吐息を落とす。
(うっかり先生に惚れかけたわぁ……危ない危ない)
高校時代、涙が勝手に頬を伝うほどに恋した人を思い出す。その人はピアノ専攻の音楽教師だった。
重厚な音を立てて閉まる玄関ドアを前に、理一も吐息を落とした。
(好きです。好きになってしまいました……ごめんなさい)
性対象の条件に見合うから気になっているのかもしれない。違う、好きなんだ。そう心が訴えていた。
理一はピアノの前に佇む。
一度閉じた蓋を上げ、弾きそびれた曲を飽きることなく弾き続けた。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
麻衣が教室に通い始めて五ヶ月。麻衣は辛うじて二十五。理一は三十六になった。
一月、麻衣と理一は顔を合わせていない。週一でレッスンに通っていた麻衣だが、仕事が修羅場になり休むとの連絡を理一は受けていた。
理一にとって、麻衣と過ごす時間は喜びに満ちていた。レッスンは白熱するので終了時間をやや過ぎる。でもその後は好きな作曲家や曲ついて語り合ったり、麻衣の歌に合わせて理一が伴奏。その次は麻衣のリクエストで理一がピアノを弾く。流石に日付がかわる前に別れるが、もっと一緒に居たいと強く思う。
これほどまでに嗜好の合う人に、熱く語っても飽きることなく、聞くだけではなく自身も知らないような知識を返して来る相手に出会えたことが奇跡と、二人共に感じるようになっていた。
理一は、麻衣が見学に来たあの日に感じた想いは勘違いではなかったのだと確信した。
(逢いたいなぁ……)
日曜の十九時。本来なら亜矢のレッスン時間だが、今週はお休みする旨を伝えられていた。高校も冬休みに入り、家族で田舎に帰省するそうだ。
(今日は来れるのかなぁ……)
麻衣の仕事が忙しくなったのは秋の終わり頃で、それでもレッスンには来ていたのだがクライアントから無茶振りされたとかで、毎週律儀に電話連絡が入った。けれど、今週は連絡を貰っていない。もしかすると、忙しすぎて連絡すら入れられない…いや麻衣の性格からして連絡を入れ忘れているだけかもしれない。
(来てくれるといいなぁ……)
教師と生徒。学生と言うわけではないし、世間様に後ろ指を刺されるようなことも無いとは思う。だから、理一は心に決めていた。
この今の関係を、壊してしまうこと。そして新しい関係を築き上げることを。
(麻衣さん、勘が鋭そうだからすぐ気付いちゃうかなぁ……出来れば逃げ道塞いでおきたいんだけど……)
腹黒いことを思いつつ、白い腹はどうすれば囲い込めるのか少しも案が浮かばない。
(はぁ……逢いたいなぁ……)
指は勝手に動き、麻衣と出会ってから毎日のように弾いているあの曲を紡ぎ出していた。
縁に両手をかけ頭を乗せる麻衣の頬は、うっとりと上気せている。恍惚だった。
あまりにも理一の音が好みなのだ。それは、麻衣の大好きなドイツやロシアの作曲家に似合い、深い理一の音がぴったりと麻衣の心に添うような感覚を覚えた。
麻衣は色々とリクエストした。その全てを理一がそらで弾けることにも驚いた。どうやら、麻衣と理一の好む曲が高確率で一致しているらしい。
「うっかり先生に恋しちゃいそうですよ……」
それは、うっかり洩らしてしまった本音だった。既に、麻衣好みの音を紡ぎだす手には恋していると言っていい。
「ぇ……」
セザール・フランクから、スクリャービン、リムスキーコルサコフ、ショスタコーヴィチとロシアの作曲家三人を経由して、ショパン。
今はリストに入って3つの演奏会用練習曲のラスト、「ため息」を弾き終わった所だった。
未だ音の波の中、陶酔境に浸る麻衣をみて、理一は『ため息』をついた。
――駄目だ、この人が好きだ――
一度の邂逅。それが齎した再会。しかし一度目は背中しか見ていない。人となりを知っているとは言えない。けれど、押さえ切れないほどに胸の内から炎が燃え上がるのを感じる。殆ど、一目惚れのようなものだったのかもしれないと、自嘲気味に笑う。
ふと、頭の中に一つの歌曲が浮かぶ。あまり歌に詳しくない理一でも知っている、愛らしい曲。珍しく意味が気になって調べ、その歌詞の濃厚さに驚いた曲でもある。
きっと知っているはず。タイトルも歌詞も知っているはず。
――貴女に捧げると言ってこの曲を弾いたら、どう思うだろうか――
「あー、こんな時間かぁ……」
現実に帰り来た麻衣が時計を見やりそう呟く。時刻は三時を過ぎていた。
「長時間すいません」
そう謝った麻衣が、ピアノから離れ帰る準備を始める。
「ぁ……」
自覚した想いを吐き出しそびれ、肩を落としつつ理一も楽譜やらコップやらを片付けた。
教室に通うことに決まり、ハノンと今日持ってきた楽譜から一曲ずつ練習することになった。真夜中なので送っていくと理一は言ったのだがやんわりと、それでも固い意志で大丈夫だと麻衣は断り高科理一ピアノ教室を、あとにした。
重厚な音を立てて閉まる玄関ドアを後ろに、麻衣は吐息を落とす。
(うっかり先生に惚れかけたわぁ……危ない危ない)
高校時代、涙が勝手に頬を伝うほどに恋した人を思い出す。その人はピアノ専攻の音楽教師だった。
重厚な音を立てて閉まる玄関ドアを前に、理一も吐息を落とした。
(好きです。好きになってしまいました……ごめんなさい)
性対象の条件に見合うから気になっているのかもしれない。違う、好きなんだ。そう心が訴えていた。
理一はピアノの前に佇む。
一度閉じた蓋を上げ、弾きそびれた曲を飽きることなく弾き続けた。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
麻衣が教室に通い始めて五ヶ月。麻衣は辛うじて二十五。理一は三十六になった。
一月、麻衣と理一は顔を合わせていない。週一でレッスンに通っていた麻衣だが、仕事が修羅場になり休むとの連絡を理一は受けていた。
理一にとって、麻衣と過ごす時間は喜びに満ちていた。レッスンは白熱するので終了時間をやや過ぎる。でもその後は好きな作曲家や曲ついて語り合ったり、麻衣の歌に合わせて理一が伴奏。その次は麻衣のリクエストで理一がピアノを弾く。流石に日付がかわる前に別れるが、もっと一緒に居たいと強く思う。
これほどまでに嗜好の合う人に、熱く語っても飽きることなく、聞くだけではなく自身も知らないような知識を返して来る相手に出会えたことが奇跡と、二人共に感じるようになっていた。
理一は、麻衣が見学に来たあの日に感じた想いは勘違いではなかったのだと確信した。
(逢いたいなぁ……)
日曜の十九時。本来なら亜矢のレッスン時間だが、今週はお休みする旨を伝えられていた。高校も冬休みに入り、家族で田舎に帰省するそうだ。
(今日は来れるのかなぁ……)
麻衣の仕事が忙しくなったのは秋の終わり頃で、それでもレッスンには来ていたのだがクライアントから無茶振りされたとかで、毎週律儀に電話連絡が入った。けれど、今週は連絡を貰っていない。もしかすると、忙しすぎて連絡すら入れられない…いや麻衣の性格からして連絡を入れ忘れているだけかもしれない。
(来てくれるといいなぁ……)
教師と生徒。学生と言うわけではないし、世間様に後ろ指を刺されるようなことも無いとは思う。だから、理一は心に決めていた。
この今の関係を、壊してしまうこと。そして新しい関係を築き上げることを。
(麻衣さん、勘が鋭そうだからすぐ気付いちゃうかなぁ……出来れば逃げ道塞いでおきたいんだけど……)
腹黒いことを思いつつ、白い腹はどうすれば囲い込めるのか少しも案が浮かばない。
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