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死神と運命の女

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 静かな夜。
 ふたりして横になって、しばらくしてロアが切り出す。

「……珍しいね、マリアから一緒に寝ようって言ってくれるなんて」
「今夜はたまたま、そういう気分だったんですよ」
「毎晩でもいいのに」
「以前もそんなこと言ってましたね」

 マリアはそう言って微かに笑った。

「いつでも私は待ってたし、これから先も待ってるよ」
「待たなくていいと言ったでしょう?」
「マリアの意地悪! そんなこと言わないでよ」

 そうして、しばらく沈黙する。
 それはいたたまれない沈黙ではなく、心地よい静寂だった。

「……なんかこうしてると、バーガンでのこと思い出しちゃった。お布団くっつけておしゃべりしながら寝たよね」
「ええ。あそこはお風呂が気持ちよかったですね」
「部屋風呂のこと?」
「露天風呂のほうです」
「ちぇー」
「ロアがやらしいことしようとするから」
「未遂で我慢したもん!」
「威張らないでください」
「すみませんでした」

 ロアは頬をかいた。

「……ねえマリア」
「なんですか」
「えと、あのね。前から漠然とは考えてたんだけど」
「ええ」
「そう遠くないうちに、私は名前を捨ててこの屋敷を出ようと思うんだ」

 マリアは驚いたのか、少しだけ間を置いて「そうですか」と言った。

「ほら、そのほうが色々動きやすいし、はやく人間に戻らなくちゃいけないし、はやく……」

 はやく人間に戻らなければ。
 アリシアのように、ただの黒い怨念となってしまうのではないか。マリアとの優しい思い出も楽しい思い出も全部全部黒く塗りつぶされてしまうのではないか。

 それが怖い。怖くてたまらない。
 『人生劇場』がフラッシュバックして、ロアは言葉に詰まる。

「ロア?」
「……ごめん、違う。そうじゃない」

 上体を起こし、首を振ってそう独り言ちるロアを、マリアも身体を起こして不安げに覗き込んだ。
 そんなマリアに、ロアも向き直る。

「ごめん、マリア。ほんとは、今言うべきじゃないのかもしれないけど」

 そう言ったロアの眼は、今にも泣き出しそうなくらい真剣で、マリアは相槌すら打てなかった。

「私は、君とずっと一緒にいたいから。だからはやく、普通の人間になりたい。主人とメイドじゃなくて、君の血を貰って生きるんじゃなくて、君の隣で、君と一緒に歩きたい。君と手を繋いで歩いていきたい。他の誰でもなく、君を、」

 ――君を、愛している。

 ロアははっきりと、彼女にそう告げた。

「……、……」

 突然の告白に、マリアはただただロアを見た。
 ロアは目も頬も赤くしていて、手にいたっては微かに震えていたが、視線だけは逸らさずにマリアをじっと見つめていた。マリアは何も言えないまま、少しだけ俯くと、ただ、涙がぽたぽたと溢れて零れた。

「……マリア?」

 今度はロアが心配げにマリアの顔を覗き込む。

「……どうして」

 マリアがようやく声を出す。

「どうして今言うんですか」
「……ご、ごめん」
「さっきから謝ってばっかり」

 マリアが手で涙を拭う。それでもまったく拭い切れず、ロアは申し訳なさげにその手をとった。

「ごめんね」

 マリアの手にキスをすると、涙のしょっぱい味がした。
 顔が近づき、視線がぶつかる。お互い、赤い目をしたまま、目を伏せた。

 いつぶりかのキスをする。
 最初は遠慮がちに触れて、二度目は少し強く吸い付いた。
 三度目に唇を揉んで、そして舌を絡ませる。

 少しだけ淫らな音を立てながら、ゆっくりと口内で溶け合っていく。
 既に遠慮はない。けれどそこに性急さはなく、ただ互いの熱を渡し合った。
 唇を離すと、先刻よりも熱の篭った視線が再び絡み合う。

 自然と、ふたりの身体は折り重なるようにしてベッドに倒れた。

 * * *

「ようやくこうしてお話が出来るね、運命の子」

 あの日の夜、その人は私にそう話しかけた。

「……ふぁむ?」
「君のことだよ、マリア。君はこの時代に生まれるべくして生まれた冥界の母。君が視ているもの、聞こえている声は、この世界に漂う死んだ者たちの怨念だ」

 私がただ目を丸くしていると、その人は困ったように笑った。

「……幼すぎて分からないか。幽霊、とは少し違うけど、そういうものだ」

 お化け? と問うと、その人は首を振った。

「お化けではないんだ。この世界はもう歪んでいる。これまで、冥界への供物として多くの人間の命が捧げられた。彼らの魂こそ冥界に向かったが、その無念の思いだけが残ってこの世界に充満しつつある。それらは新しい魔となって、今もこの世界を侵食している。このままではいずれ、この世界は滅んでしまうんだよ」
「……みんな死んじゃうの?」

 ああ、とその人は頷いた。
 それはだめ、と私が言うと、どうしてそう思う? とその人は問うた。

「……いなくなったら、かなしいから」

 突然いなくなった両親を思い出し、俯くと再び涙がこぼれた。

「そうだね。でも君なら、それを止めることができる。君なら冥界の扉を開けて、この世界の歪みを正すことが出来るんだ。他の誰にもそれはできないことなんだよ」

「じゃあマリア、やる」

 私は即答する。その人は膝をかがめて、私の眼を見て言った。

「でもねマリア。君が冥界の扉を開けたら、君はもう二度とこちらの世界には戻ってこれないんだ」
「……マリア、帰るお家なくなっちゃった。だから、いい」

 そうかい、とその人は微かに目を伏せた。

「めいかいって、楽しいところ?」
「……それは、……あんまり楽しくないかもしれない。ずっと暗い場所だし、そこに人はいないから」
「……マリア、ひとりなの?」

 その心細さに再び涙した。ひとりで長い孤独に耐えられる覚悟など、この時の私はまだ持ち合わせていなかったのだ。そして恐らく、その人も最初からそれを分かっていた。だからこそ、その人はこう提案したのだ。

「……ねえマリア。世界が終わるにもまだ猶予がある。今すぐに行くのは、やめよう」
「……いかなくていいの?」
「あともう少しだけ、私が君に魔法をかけて、時が来るまで、君を普通の女の子にしてあげよう。それまで私が、無尽蔵に生まれてくる悪魔を狩るよ。君がもうすこし大きくなって、自分の意志でこの世界を救いたいと思うのなら、その時はどうか、冥界の扉を開いてほしい」
「……やくそく?」
「そうだね。約束、できるかな」

 思えばそれが、両親以外の誰かと交わした初めての約束だった。

「それでは暫しのうたかたの夢を。それが幸せなものになるよう、祈っているよ」
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