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死神と運命の女
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その日の夜。
イアロの悪魔、カルロス・ケニーが獄中、急性心不全で死亡したという知らせをホテルの電話で聞かされたエレンは、口に入れていた大きな飴玉を思わずごくんと飲み込んでしまうほど仰天した。
電話の先は、今日会ったあの看守だ。
「私が会ったときはあんなにピンピンしてたのに!?」
「貴女の面会のすぐ後、彼の妻との面会中に急死しました。すぐに解剖医にみてもらいましたが、特に不審な点はありませんでした」
「最後に会っていたっていう妻は? もう帰したの? ちゃんと状況は聞いたの?」
まくしたてるエレンに、受話器の先の看守は小さく息を吐いた。
「ミス・テンダー、落ち着いて。一応事情は聴取しました、こちらも上に報告しなければいけませんから。貴女も実際に来られたからお分かりでしょうが、施設の設備に穴はありませんし、面会室の鉄格子も十全だった」
エレンとてこの看守を疑っているわけではない。ただ一点気になるのは、面会室に看守が入らなかったことだ。これはロンディヌスではありえない。
「イアロの法で、囚人にも一定のプライバシーが保障されています。面会室での会話を聞く権利を我々は持たない」
通話を終える頃には、看守は少し不機嫌な声になっていた。
受話器を置いて数秒。エレンはふと、出立前に言われたあの新任の副支部長の言葉を思い出す。
――このまま何の手土産もなしに支部に帰ることはできない。
そんな想いに駆られ、エレンはフロントに預けてあったコートをとりあえず引っかけて、外に出た。
せめてカルロスの死体を確認して、不審な点がひとつでもあるならばトーマスを呼び寄せよう。あの男はあれでいて、医師としては優れている。解剖医としてなら恐らくロンディヌス一だ。
肩で風を切るように繁華街を歩くエレンは、相当に鬼気迫る様相だったのか、昼間あれだけ近寄って来た酔っぱらいの男達も、彼女に道を譲るように避けていった。
そんな賑やかな通りを抜け、エレンは住居が立ち並ぶ閑静な通りに出る。
そこで、エレンはひとりの女性とすれ違った。
つば広の帽子から覗く金色の髪。黒いレースのドレスを纏い、赤いピンヒールで悠々と歩くその女は、この街ですれ違う他の派手な女性とは一線を画し、どこか高貴にも見えた。
しかし。
エレンは思わず足を止めて、その女のほうを振り返る。
「……待って」
女は足を止めて、エレンのほうを覗う。
「あら、私のこと?」
「他に誰もいないでしょう」
エレンの返答に、女はわざとらしくあたりを見回して、「そうね」と上品に笑う。
その赤い口紅がやたらと目についた。
「貴女から死臭がするわ。今日嗅いだばかりだから分かる。そうでしょう、ケニー夫人?」
すると彼女は可笑しげに吹き出して、さらに口角を釣り上げた。
「ふふっ、貴女面白いのね。臭いだけで私のことがわかるなんて!」
エレンが身構えるや否や、女は目にもとまらぬ速さでエレンの懐に入って来た。
「――その素敵な力、私に頂けるかしら?」
「!」
エレンは反射的に後ろに身を翻した。無理な体勢で身体を捻ったため、エレンはその場に転んでしまう。
「あら、逃げないで?」
「っ!」
エレンが身体を起こす前に、女は彼女の左手をヒールで踏みつける。
突如襲った激痛にエレンが苦悶の声を上げると、女はすかさず彼女に馬乗りになった。
「良い声。やっぱり何事にも反応がないと面白くないわよね? カルロスはその点駄目だったわ。まあ、最期に坊やみたいに泣いていたのは可愛らしかったけれど」
「……っ」
エレンは涙目で女を見上げる。
女は捕食者のように紫色の瞳を爛々と輝かせて、エレンを見下ろしていた。
「いただきま、!?」
女の動きが、表情が固まる。
口を半開きにしたまま、女は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「マダム。屋外でそういうことは、はしたないからやめておいたほうがいい」
彼女の後頭部に押し付けられているのは銃だ。
その銃を手にしているのは、赤い髪の女。エレンはその女の顔と匂いを知っていた。
「お楽しみを邪魔立てするなんて、無作法者はそちらでしょう」
「!」
女はくるりと身を翻すと、常人ではありえない身のこなしで数メートル後ろに跳んだ。
ピンヒールだというのに見事に着地し、女は改めて、自らに銃を向けた人物に相対する。
「……あら?」
銃を握るロア・ロジェ・クロワの姿を見て、女は呆然と口を開いた。
驚きを感じている表情にもとれ、ロアは訝しげに女を睨む。
「……まあ。まあ、まあ、まあ!」
女は頬を徐々に上気させ、そして遂には真っ赤な林檎のように染まったその頬を恥ずかしげに両手で覆った。
「『あの人』のような赤毛! 『あの人』のような紅い瞳! なんてなんてなんて! なんて素敵!」
ロアとエレンが女の言動に気をとられていると、女の姿が忽然と消えた。
「――初めまして、『あの人』によく似た貴女。お名前をお伺いしてもよろしくて?」
「!」
ロアの背筋に悪寒が走る。金髪の女はまさしく『瞬間移動』して、ロアの腕にぴたりと縋り、耳元でそう囁いたのだ。
「っ」
ロアは女の手を振りほどき、振り向きざまに発砲する。しかし、弾は女には当たらなかった。
――否、正確には当たったのに、彼女に傷をつけなかった。
「……な、」
無力化された弾が空虚な音を立てて、地面に転がる。
「あら危ない。以前の私だったら大怪我をしているところだったわ。いけずな人ね」
女は何事もなかったかのように微かに笑い、ロアに再び近づく。
すると今度は別方向からクナイが投擲された。
しかしそれすらも先刻の弾のように、勢いを殺され地面に落ちる。
「なあに、今度はナイフ?」
刃物を虫か何かと勘違いしているのではないかと思えるほど、女は軽い不快感のみを示し、それが飛んできたほうに顔を向ける。
建物の影からマリア・マグナスが姿を現した。
「その人から離れなさい」
エレンは地面にしりもちをついたまま、マリアの様子を覗った。平常時であれば落ち着き払った彼女の声、表情も、今だけはピンと張りつめていて、あの女への畏怖の念が透けて見える。それを分かっていてか、金髪の女は少しだけ、嘲るような笑みを浮かべた。
「お子様に刃物遊びなんてまだ早いわ?」
女はそう言って、地に落ちたクナイを拾い上げる。「変わった形ね」と月明かりに照らすように眺めたあと、彼女は再びマリアを見た。そして
「お返しするわね」
風を切る音すらしないうちに、クナイは真っ直ぐにマリアに向かって飛ぶ。
「っ!」
刹那、マリアの前にロアが割り込んだ。女が投擲したクナイはロアの右肩に突き刺さる。
「ロア!」
苦悶の声を噛み殺し、ロアはそのまま女に掴みかかる。女は「あら」と一言だけそうこぼし、後ろに倒れた。
地に倒され、胸ぐらを掴まれていてもなお余裕を絶やさない女は、ロアの肩に刺さったクナイを握り、「ごめんなさいね」と引き抜いた。同時に噴いた赤い血が女の顔を汚したが、女は一寸も構わずただ恍惚とロアを見上げた。
「ロア様。ロア様と仰るのね。とてもロマンチックなお名前、素敵だわ」
ロアは返答せずただ冷たく彼女を見下ろすが、それでも彼女は顔色を変えない。
「近くで見ても本当によく似ている。……ああ、胸が高鳴って死んでしまいそう」
女が腕を伸ばしロアの頬に触れようとするのを、マリアがロアの身体を引き離して阻止した。
ふふっと女は可笑し気に声を出して笑い、立ち上がる。そしてロアに向かって優雅に一礼した。
「『あの人』によく似たロア様、今日はお名前を頂くだけでお暇しますわ。せっかく出逢えたのだもの、ゆっくり逢瀬を楽しみましょう」
そうして去るのかと思いきや、女は「いけない」と付け足した。
「私の名前はアリシア。覚えておいていただけるかしら」
その名を聞いて、ロアの顔が一層強張るのをマリアは見過ごさなかった。
女は綺麗に微笑んで、手品のように消え失せた。
イアロの悪魔、カルロス・ケニーが獄中、急性心不全で死亡したという知らせをホテルの電話で聞かされたエレンは、口に入れていた大きな飴玉を思わずごくんと飲み込んでしまうほど仰天した。
電話の先は、今日会ったあの看守だ。
「私が会ったときはあんなにピンピンしてたのに!?」
「貴女の面会のすぐ後、彼の妻との面会中に急死しました。すぐに解剖医にみてもらいましたが、特に不審な点はありませんでした」
「最後に会っていたっていう妻は? もう帰したの? ちゃんと状況は聞いたの?」
まくしたてるエレンに、受話器の先の看守は小さく息を吐いた。
「ミス・テンダー、落ち着いて。一応事情は聴取しました、こちらも上に報告しなければいけませんから。貴女も実際に来られたからお分かりでしょうが、施設の設備に穴はありませんし、面会室の鉄格子も十全だった」
エレンとてこの看守を疑っているわけではない。ただ一点気になるのは、面会室に看守が入らなかったことだ。これはロンディヌスではありえない。
「イアロの法で、囚人にも一定のプライバシーが保障されています。面会室での会話を聞く権利を我々は持たない」
通話を終える頃には、看守は少し不機嫌な声になっていた。
受話器を置いて数秒。エレンはふと、出立前に言われたあの新任の副支部長の言葉を思い出す。
――このまま何の手土産もなしに支部に帰ることはできない。
そんな想いに駆られ、エレンはフロントに預けてあったコートをとりあえず引っかけて、外に出た。
せめてカルロスの死体を確認して、不審な点がひとつでもあるならばトーマスを呼び寄せよう。あの男はあれでいて、医師としては優れている。解剖医としてなら恐らくロンディヌス一だ。
肩で風を切るように繁華街を歩くエレンは、相当に鬼気迫る様相だったのか、昼間あれだけ近寄って来た酔っぱらいの男達も、彼女に道を譲るように避けていった。
そんな賑やかな通りを抜け、エレンは住居が立ち並ぶ閑静な通りに出る。
そこで、エレンはひとりの女性とすれ違った。
つば広の帽子から覗く金色の髪。黒いレースのドレスを纏い、赤いピンヒールで悠々と歩くその女は、この街ですれ違う他の派手な女性とは一線を画し、どこか高貴にも見えた。
しかし。
エレンは思わず足を止めて、その女のほうを振り返る。
「……待って」
女は足を止めて、エレンのほうを覗う。
「あら、私のこと?」
「他に誰もいないでしょう」
エレンの返答に、女はわざとらしくあたりを見回して、「そうね」と上品に笑う。
その赤い口紅がやたらと目についた。
「貴女から死臭がするわ。今日嗅いだばかりだから分かる。そうでしょう、ケニー夫人?」
すると彼女は可笑しげに吹き出して、さらに口角を釣り上げた。
「ふふっ、貴女面白いのね。臭いだけで私のことがわかるなんて!」
エレンが身構えるや否や、女は目にもとまらぬ速さでエレンの懐に入って来た。
「――その素敵な力、私に頂けるかしら?」
「!」
エレンは反射的に後ろに身を翻した。無理な体勢で身体を捻ったため、エレンはその場に転んでしまう。
「あら、逃げないで?」
「っ!」
エレンが身体を起こす前に、女は彼女の左手をヒールで踏みつける。
突如襲った激痛にエレンが苦悶の声を上げると、女はすかさず彼女に馬乗りになった。
「良い声。やっぱり何事にも反応がないと面白くないわよね? カルロスはその点駄目だったわ。まあ、最期に坊やみたいに泣いていたのは可愛らしかったけれど」
「……っ」
エレンは涙目で女を見上げる。
女は捕食者のように紫色の瞳を爛々と輝かせて、エレンを見下ろしていた。
「いただきま、!?」
女の動きが、表情が固まる。
口を半開きにしたまま、女は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「マダム。屋外でそういうことは、はしたないからやめておいたほうがいい」
彼女の後頭部に押し付けられているのは銃だ。
その銃を手にしているのは、赤い髪の女。エレンはその女の顔と匂いを知っていた。
「お楽しみを邪魔立てするなんて、無作法者はそちらでしょう」
「!」
女はくるりと身を翻すと、常人ではありえない身のこなしで数メートル後ろに跳んだ。
ピンヒールだというのに見事に着地し、女は改めて、自らに銃を向けた人物に相対する。
「……あら?」
銃を握るロア・ロジェ・クロワの姿を見て、女は呆然と口を開いた。
驚きを感じている表情にもとれ、ロアは訝しげに女を睨む。
「……まあ。まあ、まあ、まあ!」
女は頬を徐々に上気させ、そして遂には真っ赤な林檎のように染まったその頬を恥ずかしげに両手で覆った。
「『あの人』のような赤毛! 『あの人』のような紅い瞳! なんてなんてなんて! なんて素敵!」
ロアとエレンが女の言動に気をとられていると、女の姿が忽然と消えた。
「――初めまして、『あの人』によく似た貴女。お名前をお伺いしてもよろしくて?」
「!」
ロアの背筋に悪寒が走る。金髪の女はまさしく『瞬間移動』して、ロアの腕にぴたりと縋り、耳元でそう囁いたのだ。
「っ」
ロアは女の手を振りほどき、振り向きざまに発砲する。しかし、弾は女には当たらなかった。
――否、正確には当たったのに、彼女に傷をつけなかった。
「……な、」
無力化された弾が空虚な音を立てて、地面に転がる。
「あら危ない。以前の私だったら大怪我をしているところだったわ。いけずな人ね」
女は何事もなかったかのように微かに笑い、ロアに再び近づく。
すると今度は別方向からクナイが投擲された。
しかしそれすらも先刻の弾のように、勢いを殺され地面に落ちる。
「なあに、今度はナイフ?」
刃物を虫か何かと勘違いしているのではないかと思えるほど、女は軽い不快感のみを示し、それが飛んできたほうに顔を向ける。
建物の影からマリア・マグナスが姿を現した。
「その人から離れなさい」
エレンは地面にしりもちをついたまま、マリアの様子を覗った。平常時であれば落ち着き払った彼女の声、表情も、今だけはピンと張りつめていて、あの女への畏怖の念が透けて見える。それを分かっていてか、金髪の女は少しだけ、嘲るような笑みを浮かべた。
「お子様に刃物遊びなんてまだ早いわ?」
女はそう言って、地に落ちたクナイを拾い上げる。「変わった形ね」と月明かりに照らすように眺めたあと、彼女は再びマリアを見た。そして
「お返しするわね」
風を切る音すらしないうちに、クナイは真っ直ぐにマリアに向かって飛ぶ。
「っ!」
刹那、マリアの前にロアが割り込んだ。女が投擲したクナイはロアの右肩に突き刺さる。
「ロア!」
苦悶の声を噛み殺し、ロアはそのまま女に掴みかかる。女は「あら」と一言だけそうこぼし、後ろに倒れた。
地に倒され、胸ぐらを掴まれていてもなお余裕を絶やさない女は、ロアの肩に刺さったクナイを握り、「ごめんなさいね」と引き抜いた。同時に噴いた赤い血が女の顔を汚したが、女は一寸も構わずただ恍惚とロアを見上げた。
「ロア様。ロア様と仰るのね。とてもロマンチックなお名前、素敵だわ」
ロアは返答せずただ冷たく彼女を見下ろすが、それでも彼女は顔色を変えない。
「近くで見ても本当によく似ている。……ああ、胸が高鳴って死んでしまいそう」
女が腕を伸ばしロアの頬に触れようとするのを、マリアがロアの身体を引き離して阻止した。
ふふっと女は可笑し気に声を出して笑い、立ち上がる。そしてロアに向かって優雅に一礼した。
「『あの人』によく似たロア様、今日はお名前を頂くだけでお暇しますわ。せっかく出逢えたのだもの、ゆっくり逢瀬を楽しみましょう」
そうして去るのかと思いきや、女は「いけない」と付け足した。
「私の名前はアリシア。覚えておいていただけるかしら」
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