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領主と女中の誕生日3
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マルーンには小さな劇場がある。複数の小劇団が日替わりで何かしらの公演をする、近年話題の娯楽スポットだ。せっかくだからと2人は朝の間にチケットを入手していた。
マリアの水着の購入に思いのほか時間がかかり、昼食をとる前に開演時間が迫ったため、2人は劇場横の屋台でクレープを購入した。
「マリア、そっちのクレープちょっと味見させて」
「いたって普通にチョコとバナナですけど。どうぞ」
差し出されたチョコバナナクレープに、ロアはぱくりとかぶりついた。
「あ! もう、スプーン持ってるんですから使ってくださいよ」
「え、ごめん。マリアもこれ、思い切り食べていいよ」
そう言ってロアは自らのアイス苺チョコを差し出す。
「その前に、口元にクリームついてますよ」
マリアはやれやれと手に持っていたナプキンでロアの口元を拭う。
すると、えへへ、といわんばかりにロアははにかんだ。
マリアは冷めた目で指摘する。
「わざとやると痛いですよロア」
「その言葉のほうが痛い!? でも分かっていながら口をふいてくれるマリアちゃんも素敵だとロア様は思いましたよ!?」
そんなやりとりが聞こえていたのか、屋台の店員の女性がくすりと笑ったのがマリアには分かった。
「マリア、苺食べないの? ほら、あーん」
「……恥ずかしいのでいいです! ほら、早く食べてしまいますよ、時間が迫ってますからね!」
「えー」
急いで自分のクレープを食べにかかるマリアを、ロアは残念そうに眺めていた。
開演5分前のブザーが鳴る。
その音とともに、2人は座席に滑り込んだ。
今日の公演は特に人気のある劇団の恋愛歌劇で、100名規模のホールのほぼすべての席が埋まっていた。
「どうにか間に合いました」
「マリアと食べさせ合いっこしたかった」
ロアの恨み言は無視して、マリアはほうと息を吐く。
こんな風に、きちんとしたホールで演劇を観るのはマリアにとっては初めてだった。
当日券の、それも売り切れ間近というところでチケットを購入したので席は随分と後方だが、それでもとても楽しみだ。
「ロアは観劇、初めてではないですよね?」
「そうだねぇ。子供の頃に何度か教養として連れて行ってもらったけど、難しい演目ばかりだったから、よく半分寝ちゃったりとかして」
ロアはそういった傍から小さくあくびをした。
「寝てしまったら勿体ないですよ。それに演者の方にも失礼じゃないですか」
「うん、そうだね……。あ、そろそろかな」
再度ブザーが鳴り、照明が半分落ちた。
赤い緞帳がゆっくりと上がっていくのを、マリアは息を呑んで見守った。
今日の演目は『魔女と野獣』。
主人公は、幼い頃に両親を亡くした天涯孤独の若い娘、リラだ。
リラは森の薬草を摘んでは街で売り、裕福な同年代の娘たちから「ボロ屋」と揶揄される小屋で、つつましやかに暮らしている。
彼女は独裁者による圧政が敷かれる町で、弱い立場にある貧困者達をいつも気遣う心優しい娘だ。
ある日彼女は森の中で、行き倒れの老婆を見つける。
その老婆は既に瀕死の状態だったが、娘は小屋まで連れ帰り、誠心誠意彼女を介抱した。
昏睡状態の老婆の命の炎が噴き返すことはなかったが、死の間際、一時的に意識を取り戻した老婆は彼女に、『魔女の力』を与える。
老婆は1000年生きた魔女だったのだ。
突然に『魔女の力』を手に入れ、魔女となってしまった娘は困惑しながらもその力を用い、これまで以上に弱き人々を助けた。
しかし、その力を脅威に感じた町の独裁者が、彼女を亡き者にしようと刺客を放つ。
刺客は彼女を殺そうとしたが、彼女の美しさと他人を想う優しさに感化され、彼女に森へと逃げるように言う。
争いごとを避けるため、リラはひとり森の奥へと入っていった。
森の奥深く、普通の人間であれば入れない場所で、彼女は古びた城を見つける。
その城の主は、見るも恐ろしい野獣だった。
野獣はかつて、その傲慢さゆえに魔女に呪いをかけられた一国の王子で、魔女が残した魔法の百合の花弁が散り切る前に『他人に愛され』なければ永遠に人間の姿に戻れないという。
城に迷い込んだ彼女に、野獣は言う。
「私を愛せ。それが嫌ならその魔女の力でこの呪いを解け」と。
(本当に傲慢な人ですね。これでは到底誰も愛してなんてくれないでしょうに)
マリアはすっかり劇の世界観に没入し、主人公に感情移入しながら舞台を見守る。が
「……」
隣に座っているロアがうとうとしだしてゆらゆらと身体が揺れているのが目に入ってしまった。
倒れかかってこないかひやひやしているのか、マリアの反対側、ロアの右隣に座っている客がちらちらとロアのほうを気にしているのが分かる。
(もー! どうしてこんなとこで寝るんですか!)
マリアはむんずとロアの頭を引き寄せて、自らの肩に寄りかからせた。
「?」
流石にロアも目を覚ましたようで、ちらりとマリアの顔を覗った。
しかし再びロアは瞼を閉じ、マリアの肩に頭を預けたまま、首をもたげることはなかった。
「……」
マリアはこの状況を恥じらいながらも半ば諦めて、舞台に集中しようと前を見つめた。
「傲慢な人を愛せはしないし、呪いだって解き方がわからないわ」
リラは率直に野獣にそう言った。
野獣はひどく落胆するが、逆上して彼女を傷つけることはしなかった。
リラは森で生活できる拠点を作るまでの間、城の一室を貸してほしいと願い出た。野獣は「好きにしろ」と言い、姿を隠す。
翌朝、リラは当面の食料と小屋の建築資材を獲得しようと森に出かけるが、そこで熊に襲われる。
魔女の力を、こと薬を作ることにしか使用してこなかったリラは自衛の手段を持たない。
絶体絶命のそのとき、彼女を助けにきたのは野獣だった。
「大馬鹿者め、お前ごとき小娘の食料ぐらい、城の備蓄で事足りる! 資材だって倉庫にあるものを勝手に使え!」
かけられた言葉は非常に乱雑だったが、厄介者であるはずの自分の身を案じてくれた野獣を、リラはこの時見直す。
そして、熊の爪に切り裂かれた野獣の肩の傷を治すため、リラは魔女の力を行使した。
そこから物語は一気にラブロマンスへと加速していく。
野獣とリラのふたりきりの晩餐。
そして美しいダンスシーン。
煌びやかな衣装で、優雅に、そして楽しげに踊るふたりを、マリアはうっとりと見つめた。
マリアの水着の購入に思いのほか時間がかかり、昼食をとる前に開演時間が迫ったため、2人は劇場横の屋台でクレープを購入した。
「マリア、そっちのクレープちょっと味見させて」
「いたって普通にチョコとバナナですけど。どうぞ」
差し出されたチョコバナナクレープに、ロアはぱくりとかぶりついた。
「あ! もう、スプーン持ってるんですから使ってくださいよ」
「え、ごめん。マリアもこれ、思い切り食べていいよ」
そう言ってロアは自らのアイス苺チョコを差し出す。
「その前に、口元にクリームついてますよ」
マリアはやれやれと手に持っていたナプキンでロアの口元を拭う。
すると、えへへ、といわんばかりにロアははにかんだ。
マリアは冷めた目で指摘する。
「わざとやると痛いですよロア」
「その言葉のほうが痛い!? でも分かっていながら口をふいてくれるマリアちゃんも素敵だとロア様は思いましたよ!?」
そんなやりとりが聞こえていたのか、屋台の店員の女性がくすりと笑ったのがマリアには分かった。
「マリア、苺食べないの? ほら、あーん」
「……恥ずかしいのでいいです! ほら、早く食べてしまいますよ、時間が迫ってますからね!」
「えー」
急いで自分のクレープを食べにかかるマリアを、ロアは残念そうに眺めていた。
開演5分前のブザーが鳴る。
その音とともに、2人は座席に滑り込んだ。
今日の公演は特に人気のある劇団の恋愛歌劇で、100名規模のホールのほぼすべての席が埋まっていた。
「どうにか間に合いました」
「マリアと食べさせ合いっこしたかった」
ロアの恨み言は無視して、マリアはほうと息を吐く。
こんな風に、きちんとしたホールで演劇を観るのはマリアにとっては初めてだった。
当日券の、それも売り切れ間近というところでチケットを購入したので席は随分と後方だが、それでもとても楽しみだ。
「ロアは観劇、初めてではないですよね?」
「そうだねぇ。子供の頃に何度か教養として連れて行ってもらったけど、難しい演目ばかりだったから、よく半分寝ちゃったりとかして」
ロアはそういった傍から小さくあくびをした。
「寝てしまったら勿体ないですよ。それに演者の方にも失礼じゃないですか」
「うん、そうだね……。あ、そろそろかな」
再度ブザーが鳴り、照明が半分落ちた。
赤い緞帳がゆっくりと上がっていくのを、マリアは息を呑んで見守った。
今日の演目は『魔女と野獣』。
主人公は、幼い頃に両親を亡くした天涯孤独の若い娘、リラだ。
リラは森の薬草を摘んでは街で売り、裕福な同年代の娘たちから「ボロ屋」と揶揄される小屋で、つつましやかに暮らしている。
彼女は独裁者による圧政が敷かれる町で、弱い立場にある貧困者達をいつも気遣う心優しい娘だ。
ある日彼女は森の中で、行き倒れの老婆を見つける。
その老婆は既に瀕死の状態だったが、娘は小屋まで連れ帰り、誠心誠意彼女を介抱した。
昏睡状態の老婆の命の炎が噴き返すことはなかったが、死の間際、一時的に意識を取り戻した老婆は彼女に、『魔女の力』を与える。
老婆は1000年生きた魔女だったのだ。
突然に『魔女の力』を手に入れ、魔女となってしまった娘は困惑しながらもその力を用い、これまで以上に弱き人々を助けた。
しかし、その力を脅威に感じた町の独裁者が、彼女を亡き者にしようと刺客を放つ。
刺客は彼女を殺そうとしたが、彼女の美しさと他人を想う優しさに感化され、彼女に森へと逃げるように言う。
争いごとを避けるため、リラはひとり森の奥へと入っていった。
森の奥深く、普通の人間であれば入れない場所で、彼女は古びた城を見つける。
その城の主は、見るも恐ろしい野獣だった。
野獣はかつて、その傲慢さゆえに魔女に呪いをかけられた一国の王子で、魔女が残した魔法の百合の花弁が散り切る前に『他人に愛され』なければ永遠に人間の姿に戻れないという。
城に迷い込んだ彼女に、野獣は言う。
「私を愛せ。それが嫌ならその魔女の力でこの呪いを解け」と。
(本当に傲慢な人ですね。これでは到底誰も愛してなんてくれないでしょうに)
マリアはすっかり劇の世界観に没入し、主人公に感情移入しながら舞台を見守る。が
「……」
隣に座っているロアがうとうとしだしてゆらゆらと身体が揺れているのが目に入ってしまった。
倒れかかってこないかひやひやしているのか、マリアの反対側、ロアの右隣に座っている客がちらちらとロアのほうを気にしているのが分かる。
(もー! どうしてこんなとこで寝るんですか!)
マリアはむんずとロアの頭を引き寄せて、自らの肩に寄りかからせた。
「?」
流石にロアも目を覚ましたようで、ちらりとマリアの顔を覗った。
しかし再びロアは瞼を閉じ、マリアの肩に頭を預けたまま、首をもたげることはなかった。
「……」
マリアはこの状況を恥じらいながらも半ば諦めて、舞台に集中しようと前を見つめた。
「傲慢な人を愛せはしないし、呪いだって解き方がわからないわ」
リラは率直に野獣にそう言った。
野獣はひどく落胆するが、逆上して彼女を傷つけることはしなかった。
リラは森で生活できる拠点を作るまでの間、城の一室を貸してほしいと願い出た。野獣は「好きにしろ」と言い、姿を隠す。
翌朝、リラは当面の食料と小屋の建築資材を獲得しようと森に出かけるが、そこで熊に襲われる。
魔女の力を、こと薬を作ることにしか使用してこなかったリラは自衛の手段を持たない。
絶体絶命のそのとき、彼女を助けにきたのは野獣だった。
「大馬鹿者め、お前ごとき小娘の食料ぐらい、城の備蓄で事足りる! 資材だって倉庫にあるものを勝手に使え!」
かけられた言葉は非常に乱雑だったが、厄介者であるはずの自分の身を案じてくれた野獣を、リラはこの時見直す。
そして、熊の爪に切り裂かれた野獣の肩の傷を治すため、リラは魔女の力を行使した。
そこから物語は一気にラブロマンスへと加速していく。
野獣とリラのふたりきりの晩餐。
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