女領主とその女中

あべかわきなこ

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領主と満月の夜

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 それを聞いたロアは動きを止めた。同時に、マリアを見る彼女の眼から獣めいたものが少し抜け、微かに憧憬のようなものが映えるのを感じたリィは、ムキぃと歯を食いしばる。

「こらマリア! 不純物ってどういう意味よッ! 私の血が穢れてるっていうの!」
「どこの誰と交わっているともわからない貴女の悪魔の血をロア様に摂取させるわけにはいきません。ロア様」

 マリアはロアに固い視線を送る。
 耐えろと。

「……、愛らしい顔で酷なことを言う」

 傍にいるリィにしか聞こえないような小さな声で、ロアはそう呟き、そっとリィから離れた。
 一方、ロアに血を吸われる痛みの瞬間を心待ちにしていたリィは、ぷうと頬を膨らませる。

「~~なによなによ! いいじゃないちょっとぐらい! 噛まれるのも吸われるのも私の自由でしょ!」
「恰好のみならず趣味も変態でしたか。勝手に他人の屋敷に入り込んでその言い草、少し灸を据えたいぐらいですが今は早く消え失せていただけますか。ロア様の睡眠の邪魔です」
「変態言うなー! マリアのバーカ! 胸ぺったんこの鉄パンツ!」
「ぺった……!? そこまで言われる筋合いはありません!! それに何ですかその鉄パンツって」
「ぷー! 知らないのお? これだからお子様はぁ」

「二人とも煩い。私の部屋から早く出ていけ」

 ロアの冷たい視線と一喝に、ふたりは各々身をすくませた。



「んもー、マリアのせいで放り出されちゃったじゃない」
「どの口が言ってるんですか。貴女のせいで私まで怒られたじゃないですか」
 冷たい廊下に放り出され、マリアとリィはそれぞれ不服そうに顔をしかめた。
「知らないわよそんなこと。もう私帰る~、帰って本業に勤しむ~」
「どうぞ、早くお引き取り下さい。それからお師匠様にもこの件は報告しますので」
「べー! プライベートで私が何しようが勝手でしょ!? いつか領主様とベッドイン❤してやるんだからー! 覚えてなさいよっ」

 捨て台詞を投げつけて、リィは姿を消した。

「ベッドインって……本来の目的と違うじゃないですか……」

 マリアは静かになった廊下で、ひとり溜息をついた。



 * * *
 夜が明けて、日が顔を出したころ、マリアはロアの寝室の鍵を再び開けた。

「おはようマリア」

 珍しいことに、ロアは既に起床しており、寝間着から普段着に着替えてもいた。
 いつもならマリアが訪れるまで眠っている、もしくは目が覚めていても寝間着のままベッドに横たわっているのだが。

「どうしたんですか、ロア様」

 初めてのことに驚いて目を丸くするマリアに、ロアは苦笑いをこぼす。

「そんなに驚かなくてもいいでしょう。昨日はあんなことがあったからどうにも寝つきが悪くてね。目が覚めるのも早かったんだよ」

 ところで今朝の朝食はなにかな? とロアがマリアの脇をすり抜けたとき。

「……」

 マリアは思わずロアの腕をつかんだ。

「何、マリア?」
「血の匂いがします」
「ぇ」

 そう言ってマリアがロアの袖をたくし上げると

「……自分の血を吸ったのですか?」

 ロアの腕にはくっきりと牙の跡、噛み跡が残っていた。
 強く噛んだのか、それとも何度も噛んだのか、周りにはうっ血のあとも広く見られる。

「……だって眠れなかったから」
「そこは追及しません。私が言いたいのは、どうして怪我を隠そうとしたのかです。ばれない様に着替えるくらいならまず消毒とガーゼを自分で施してからにしてください」
「……」

 渋い顔をするロアをベッドに再度座らせて、マリアはいそいそとクローゼットから救急箱を取り出した。
 それから慣れた手つきでロアの腕に包帯を巻いていく。

「だって自業自得の傷を見られるのって恥ずかしくない?」
「普段着替えを手伝ってもらっている人が変なところで遠慮するんですね」
「なんか今日のマリア、いつになく辛口だね」
「そんなこと……」

 ないですと言い切ることができず、マリアは眉をハの字にした。

「何か気にしてる? 昨日のことなら何も気にしないでほしいな」
「別に気にしてなんかいませんよ。ロア様が他の女の血を吸おうとしたことなんて一向に気にしてません」

 マリアは自らの発言に、ロアはマリアのその発言に、同時に驚き固まった。

「マリア、そんなこと気にしてたの? 私はてっきり」
「ち、ちがっ、さっきのは言葉のアヤです! そういう意味ではなくてですね、」
「うん、どういう意味?」

 嬉しげに満面の笑みで尋ねてくるロアに、マリアは顔を真っ赤にした。

「知りませんっ!」
「えー」

 包帯を巻き終えて、マリアは足音強く部屋を出ていった。
 そんな彼女の背中を見送ってから、ロアは再びベッドに倒れこむ。
 途端、重い瞼が視界を狭めた。

 寝つきが悪かったというのも、目覚めるのが早かったというのも嘘。
 真実、ロアは一睡もしていないのだ。

 白い天井を見上げながら、昨夜地獄のように延々と続いた夢想を思い返す。

『だって自業自得の傷を見られるのって恥ずかしくない?』

 噛み跡を隠したのは、後ろめたい気持ちがあったから。
 睡眠を邪魔され、吸血衝動に耐え切れず自身の腕を噛んだだけならまだいい。
 ただ、マリアを。
 彼女の肌を、彼女の体温を夢想しながら自らの血を啜ったことだけは絶対に悟られたくなかった。

「……あの様子じゃ大丈夫そうだけど」

 いつまで自分はもつのだろう。
 いつまで彼女は無垢なままなんだろう。
 こんな中身を知ったら、彼女は失望するんだろうか?

 今まで考えないようにしてきたことが、急に背中を追いかけてくるような気分だ。



 部屋に、パンを焼く香ばしい匂いが入ってくる。
 ここで寝入ったらまた彼女に怒られてしまうだろう。

 ロアは寝不足でけだるい身体に鞭打って、一夜の牢獄を後にした。
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