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 そのままギクシャクとした日が続いた。
 食事は何とか一緒にとれているけれど会話はない。
 口を開こうとしても何を話せばいいかわからず、リルトが口を開いてもうまく答えられなくて結局沈黙になっている始末だ。
 風呂もベッドもつい先日までは体温が近くにあって安心できることだったのに、今は以前との違いに寂しくなるばかりで落ち着かなかった。
 そんなとき機関から電話がきた。
 何だろうと思ったら、元主治医の松島が伊織に面会を希望しているらしい。
今さら何の用があるのかはわからない。
爽子と愛人関係だったけれど、可愛がられたとかそういったことはない。
松島とは主治医と患者以上の接触はなかった。

「何か言いたいことでもあるのかな」

 特に思うようなことはない。
 会いたいならまあ会うか、とあっさり決めた。
 夕食が終わってリルトが書斎に引き上げようとするのをおずおずと呼び止めた。
 最近はほとんど書斎に籠っている。
 振り返ったリルトの顔が嫌そうなものじゃないことに安心した。

「あの、明日出かけてくるよ」

 伊織の言葉にピクリとリルトの眉が動いた。

「……どこに?」
「元主治医の先生が面会希望してるから、会いにいってくる」

 リルトの眉間に皺が寄った。

「伊織は会いたい?」
「会いたいっていうか……希望されてるから、断る理由もないし」

 特に理由があるわけではない。
 そう言うと、リルトがわかったと頷いた。

「俺も行く」
「え!」
「俺も同席する。じゃないと家から出さない」

 見下ろす目は本気だ。
 一緒に行きたがる理由がわからず困惑するけれど、リルトは撤回する気はなさそうだ。
 仕事は大丈夫なのだろうかと確認すれば大丈夫だと返されたので、結局二人で行くことになった。




 入った面会室はドラマなんかでよくあるようなガラスの壁を挟んで椅子が置かれていた。
 無機質な空間は、痛いくらいシンと静まり返っている。
 ガラスの向こうにはやつれた様子の松島が座っていた。
 元々痩せ気味ではあったけれど、とても疲れ切ってくたびれた様子だった。

「伊織君……」

 ぎょろりと落ちくぼんだせいで目立つ目が眼鏡越しに向けられる。
 小さく頭を下げて、伊織はガラス壁の前にあるパイプ椅子に腰を下ろした。
 リルトも静かに隣へと座る。

「……彼は?」

 リルトを見る目はぎょろぎょろとしていて、食い入るようだ。

「マッチングしたアルファです」
「どうも」

 紹介すると、リルトが無表情で慇懃無礼な挨拶をする。
 それを聞いて、松島は力なく笑った。
 今の一瞬で、何歳にも老けたように疲れた表情を浮かべている。

「アルファ……そうか、結局爽子のしてることは無駄だったな」
「母さんが好きなアルファを取られてオメガが嫌いだったから、抑制剤飲ませてたって聞きました」
「そうだよ」

 松島は眉を下げて息を吐いた。

「爽子は好きだったアルファがオメガの国に行ってかなり荒れたんだ。奔放に過ごしてそのときに妊娠したんだけど父親がわからなくて勘当されてる。その時に周りへのあてつけで君を産んだ」

 思った以上に自分勝手だった。
 結局自分の意志で産んでるんじゃないかと思う。

「何で母に協力したんですか?」

 抑制剤をこっそり処方し続けるなんて、手間だったのではないかと思う。
 爽子の生活も面倒みていたし、松島のメリットはないように思えた。

「僕は爽子と幼馴染でね、小さい頃からずっと側にいて好きだった。爽子は振り向いてくれなかったけれどね」
「もしかして先生が母さんの面倒見てたのって」
「爽子に協力すれば、僕以外とは関係をもたず愛人になると言ってくれた。理由はそんなくだらないことなんだよ」

 弱弱しい声に、しかし内心伊織は呆れた。
 そんな約束、生活も保障された爽子にだけしか得のないものだ。
 松島以外と関係を持たないという約束も、正直あの身勝手さで守っているのか甚だ疑問だと伊織は思う。

「でも、そんなこと伊織君には関係がないことだ……すまなかった」

 深々と松島が頭を下げる。
 伊織には疑問に思っていたことがひとつあった。
 それを知ることが出来るかと思って、今日の面会を了承した部分もある。

「俺が病院運ばれる前に警察に連絡したって聞きました。何で今頃になって自分からばらしたんです?」

 尋ねると、頭を上げた松島はぶるぶると唇を震わせて喉から絞り出すように声を発した。

「伊織君の体調がどんどん悪くなるし、進学も就職も許されず二十歳になっても働いた金を爽子が管理していることに、罪悪感が限界だった……許してくれ」
「随分と勝手だな」

 口を開いたのは伊織ではなくリルトだった。
 底冷えするような声音に、びくりと体を揺らして松島がもう一度頭を下げる。

「許してくれ……」

 必死に謝る松島を見ても、伊織の心は揺れなかった。
 ただ松島を眺めて、そんな理由だったんだなと淡々と思うだけ。
そんな自分はおかしいのかと思ってしまう。
結局、松島に許すも許さないも言わずに面会は終わった。
建物を出たら眩しい陽光に目を細める。
三月半ばになってきていると、冷たい空気のある日もだいぶ減ってきていた。
 ここは病院の近くなので車で来ている。
 コインパーキングに止めてあるのでそちらに向かおうとしたけれど。

「何か食べないか。もう昼すぎだ」

 腕時計を見たリルトに止められた。

「あ、お腹すいた?」

 だったらどこか店に入った方がいいだろう。
 伊織自身はとくに空腹は感じていなかった。

「いや、俺は大丈夫だ。伊織に食べさせたい……最近、食事量が減っているだろう」
「そう、かな……意識してなかった」

 思わぬことを言われた。
 そうだっただろうかと思い返せば、そういえば最近は毎回残していたような気がする。
 食事に興味を持ちだしたのが最近なので、食べないなら食べないでまったく気にならないのだ。

「心配なんだ」

 まだ心配してくれる。
 そう思ったら食べてもいいかなと思えて、我ながらげんきんだった。
 けれど空腹ではないのでどうしようかなと思い、そういえばと思い出す。
 病院の近くなら、歩いて行ける距離にアイス屋がある。

「ありがとう……アイス食べたいかな」
「わかった」

 笑って頷いてくれたけれど、歩き出してから以前のように手を引いてはくれなくて寂しくなった。
 もうずっとあの温かさに触れていない。
 それでも自分からの手を掴む勇気は出なかった。
 以前も来た店についてから、店内に入りメニューを眺める。
 何種類か以前なかったメニューが増えていた。
 季節でフレーバーを変えているらしい。
 以前食べたレモンシャーベットはまだメニューに書かれていた。

「何にする?レモンシャーベットもあるよ」

 リルトも覚えていたらしい。
 思わず笑ってしまった。

「今日はアイスにするよ」

 せっかくだから違う味にすることにした。
 ベリーチーズという種類のアイスと、リルトは以前同様にコーヒーのみだ。
 今日は結構お客がいて、テーブル席が埋まっていたので二人は隅のベンチに腰掛けた。

「はい」

 リルトにアイスを渡されて、以前は給餌をされたのにしないんだなと思うと、手をつながれなかったとき同様に胸がすうすうと穴があいたように感じてしまう。
 受け取ってちびちびと自分でアイスを食べていると、前回来た時は楽しかったななんて考える。
 ほとんど食べ終えて口の中の濃厚な甘さを感じていると、コーヒーを口に運んでいたリルトがカップをベンチに置いた。

「……大丈夫か?」
「うん平気」

 さっきのことだろう。
 気遣ってくれるリルトにあっさりと伊織は頷いた。
 正直、もっと何かあると思ったけれど伊織の心は凪いでいた。

「あんなに必死で謝ってたのに、俺何にも感じなかった。許すとも許さないとも思わなかったよ」
「そうか」
「薄情だよね。産まれてからずっと主治医だったし、あの人のお金で育ったのに。……俺おかしいのかな」

 ぽつりと零すと、スプーンを持っている手を取られた。
 リルトを見やると、真剣な紺碧色がまっすぐに貫いてくる。

「おかしくない」

 ハッキリとした否定。
 リルトがスプーンとカップを取ってベンチに置くと、そっと両手をそれぞれの手で包んだ。
 アイス持っていて冷えた方の指先がじんわりと体温を感じて温かくなる。
 久しぶりのリルトの体温は、ひどく優しい。

「君がおかしいことなんてない。心に負荷がかかってるだけだ。きっと発情期がきたようにこれから重石が減って変化していくんだ」

 リルトの言葉に伊織の瞳が頼りなげに揺れた。
 ぽつりと店内の喧騒にまぎれそうなくらい小さな声が落ちる。

「それでしんどくなったら嫌だな」
「その時は俺に頼って」

 きゅっと手を包む力が強くなる。
 それはぼんやりした自分の輪郭を教えるようで、ひどく安心できた。

「……頼っていいの?」
「側にいる」

 迷子の子供のような顔で問いかけると、手を引かれて抱きしめられた。
 側にいていいのかなと不安になるけれど、でも抱きしめられた背中を抱き返したいと思った。
おずおずとリルトの広い背中に手を回そうとしたところで、バッと体を離される。

「ごめん」

 なんで謝るの。
 そう言いたかったけれど、後悔を滲ませた一瞬の苦み走った表情に言えなかった。

「そろそろ行こう」

 アイスとコーヒーのカップを持ってリルトが立ちあがる。
 思わず伸ばした手はそのまま届かなかった。
 さっさと離れていった背中に伸ばしかけた手をのろのろと下ろす。
 ゴミを捨てているリルトを目で追いかけると目頭が熱くなった気がして、慌てて目をそらして何度かまばたきを繰り返した。

「……俺図太かったはずなのに」

 開き直って、あっけらかんとしていた。
 こんなふうにうじうじと物事を悩んだりしなかったのに、リルトのことを考えるとうまくそれが出来ない。

「思い込みだったのかな」

 力なくベンチに置いた手をぎゅっと握りしめる。
 結局その日もぎくしゃくしたまま一日は終わった。
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