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プロローグ
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月は静かに夜空に浮かんでいた。白く輝くその光が、廃屋の窓枠から漏れ、腐りかけた床に影を落とす。そこに差し込む冷たい夜風が、草むらをかき分けながら通り抜けた。廃屋の周囲は静寂に包まれているはずだった。しかし、微かに、何かが響いていた。
人の気配がした。
息を潜め、誰かが扉の外に佇んでいる。しばらくして、やがて扉がきしむ音とともにゆっくりと開く。月明かりに照らされた影が差し込む。
その人物は慎重な足取りで中へと踏み入れた。長い髪を一つに結び、黒いリュックを背負った若い女性だった。目は鋭く廃屋の中を見回し、わずかに眉間に皺を寄せている。
「……本当に、誰もいないのかな?」
月影澪は自分にそう問いかけるように呟いた。誰もいない──そうであるはずなのに、彼女の胸に渦巻く違和感は消えない。
廃屋は何年も前から人が寄り付かない場所だった。地元では「呪いの家」として知られ、都市伝説好きの間では一種の巡礼スポットのように語られている場所だ。彼女が所属するオカルト研究サークルでも、この場所は話題に上がったことがある。
ただ、澪は軽い気持ちでここに来たわけではなかった。
「ここで何かがあったのは間違いない……その証拠を探さなきゃ。」
誰にも言わず一人で来た理由。それは、ここで20年前に起きた“ある事件”の真相を追いたいからだ。
当時、この廃屋では一夜にして人が消えるという奇妙な事件が起きた。その後、村全体で隠されるように事件の詳細は語られなくなり、今ではただの都市伝説のように扱われている。だが澪は知っている。ここにはまだ語られていない「真実」が隠されている、と。
リュックの中から懐中電灯を取り出し、薄暗い廃屋の中を照らした。廊下の壁は黒く煤け、天井は朽ちて一部が落ちかけている。足元にガラスの破片が散乱し、軋む床が澪の足音を吸い込むように響く。
部屋の一つを覗き込んだ時、ふと何かが視界の隅をよぎった。
「……!」
澪は息を呑み、懐中電灯をそちらに向けた。しかし、そこには何もいない。ただ、古びた窓枠が風に揺れて音を立てているだけだった。
心臓が早鐘のように鳴る。自分の緊張感が生み出した幻覚だろうか。深呼吸をして落ち着こうとしたその時だった。
「帰れ。」
低く静かな声が背後から響いた。
澪は瞬間的に振り向き、懐中電灯を握りしめた。その光の先に立っていたのは──人だった。
黒い髪が肩にかかり、白いシャツが月明かりを反射してぼんやりと浮かび上がる。整った顔立ちがまるで彫刻のようにくっきりと際立つ。だが、その顔に宿る瞳には、どこか生気のない光が揺れていた。
「誰……?」
澪が問いかけると、彼は静かに首を横に振った。
「ここに来るべきじゃない。すぐに戻れ。」
その声は冷たくもあり、どこか懇願するようでもあった。
「……どうして?」
彼の目がふと曇り、一瞬だけ苦しげに見えた。けれど、次の瞬間にはその表情を消し、再び澪をじっと見つめた。
「ここは、呪われている。」
そう告げる彼の声には、ただならぬ重みがあった。澪は息を呑み、その場から動けなくなった。
「君がここに留まるなら、すべてを知ることになる。だが、それは君のためにならない。」
澪の心はその言葉にざわめいた。彼の言葉は警告のようでもあり、哀しみに満ちた祈りのようでもあった。
だが彼女は後退らなかった。胸の奥にある強い意志が、彼女をその場に踏みとどまらせた。
「帰る気はないわ。私は知りたいの。この場所で何があったのか……そして、あなたが誰なのかも。」
彼の目が驚きに揺れた。しばしの沈黙の後、彼はふっと短く息を吐いた。
「君が選ぶことだ。だが、これ以上先に進むなら、君の覚悟が試される。」
彼の声は低く、静かに響いた。その背中に宿る影の深さに、澪はまだ気づいていなかった。
人の気配がした。
息を潜め、誰かが扉の外に佇んでいる。しばらくして、やがて扉がきしむ音とともにゆっくりと開く。月明かりに照らされた影が差し込む。
その人物は慎重な足取りで中へと踏み入れた。長い髪を一つに結び、黒いリュックを背負った若い女性だった。目は鋭く廃屋の中を見回し、わずかに眉間に皺を寄せている。
「……本当に、誰もいないのかな?」
月影澪は自分にそう問いかけるように呟いた。誰もいない──そうであるはずなのに、彼女の胸に渦巻く違和感は消えない。
廃屋は何年も前から人が寄り付かない場所だった。地元では「呪いの家」として知られ、都市伝説好きの間では一種の巡礼スポットのように語られている場所だ。彼女が所属するオカルト研究サークルでも、この場所は話題に上がったことがある。
ただ、澪は軽い気持ちでここに来たわけではなかった。
「ここで何かがあったのは間違いない……その証拠を探さなきゃ。」
誰にも言わず一人で来た理由。それは、ここで20年前に起きた“ある事件”の真相を追いたいからだ。
当時、この廃屋では一夜にして人が消えるという奇妙な事件が起きた。その後、村全体で隠されるように事件の詳細は語られなくなり、今ではただの都市伝説のように扱われている。だが澪は知っている。ここにはまだ語られていない「真実」が隠されている、と。
リュックの中から懐中電灯を取り出し、薄暗い廃屋の中を照らした。廊下の壁は黒く煤け、天井は朽ちて一部が落ちかけている。足元にガラスの破片が散乱し、軋む床が澪の足音を吸い込むように響く。
部屋の一つを覗き込んだ時、ふと何かが視界の隅をよぎった。
「……!」
澪は息を呑み、懐中電灯をそちらに向けた。しかし、そこには何もいない。ただ、古びた窓枠が風に揺れて音を立てているだけだった。
心臓が早鐘のように鳴る。自分の緊張感が生み出した幻覚だろうか。深呼吸をして落ち着こうとしたその時だった。
「帰れ。」
低く静かな声が背後から響いた。
澪は瞬間的に振り向き、懐中電灯を握りしめた。その光の先に立っていたのは──人だった。
黒い髪が肩にかかり、白いシャツが月明かりを反射してぼんやりと浮かび上がる。整った顔立ちがまるで彫刻のようにくっきりと際立つ。だが、その顔に宿る瞳には、どこか生気のない光が揺れていた。
「誰……?」
澪が問いかけると、彼は静かに首を横に振った。
「ここに来るべきじゃない。すぐに戻れ。」
その声は冷たくもあり、どこか懇願するようでもあった。
「……どうして?」
彼の目がふと曇り、一瞬だけ苦しげに見えた。けれど、次の瞬間にはその表情を消し、再び澪をじっと見つめた。
「ここは、呪われている。」
そう告げる彼の声には、ただならぬ重みがあった。澪は息を呑み、その場から動けなくなった。
「君がここに留まるなら、すべてを知ることになる。だが、それは君のためにならない。」
澪の心はその言葉にざわめいた。彼の言葉は警告のようでもあり、哀しみに満ちた祈りのようでもあった。
だが彼女は後退らなかった。胸の奥にある強い意志が、彼女をその場に踏みとどまらせた。
「帰る気はないわ。私は知りたいの。この場所で何があったのか……そして、あなたが誰なのかも。」
彼の目が驚きに揺れた。しばしの沈黙の後、彼はふっと短く息を吐いた。
「君が選ぶことだ。だが、これ以上先に進むなら、君の覚悟が試される。」
彼の声は低く、静かに響いた。その背中に宿る影の深さに、澪はまだ気づいていなかった。
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