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第二章

ブルガス王国

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 クリーム色の漆喰の外壁に赤茶けた屋根の家が立ち並び、石畳の細い路地があちらこちらに伸びている。
 街の景観はリディアの故郷であるブライスガウに似ているが、やはりどこか街の色合いが違うのか、別の国を訪れているという感覚はしっかりとあった。

 今リディア達がいるのは、バルトリ市場街を出て東にずっと街道を進み、ブライスガウ領地を抜けた先にある隣国のブルガス王国だ。
 ブルガス王国はカレドニア王国に比べると規模はずいぶんと小さくなるが、貿易が盛んで、人口もそこそこ多い国だ。以前はカレドニア王国と対立していたのだが、ここ数十年で宥和政策が進み、つい先日、様々な取り決めを盛り込んだ和平条約もしっかりと結ばれた。その時の事はリディアも通訳として同席したのでよく覚えている。たしかその時の交渉の席にはイグレシアス家の誰かもいたはずだ。

 荷馬車に揺られ、街の中を進む。しばらくすると、街の中の広場らしきところが見えてきた。広場の中央には大きな噴水があり、その周りにたくさんの店が並び、どうやら市場のようだ。そこでは食べ物だけでなく、織物や服、農具等も売っていて、たくさんの人達が売り買いをしている。

『ここはコルテオ広場、このサリードの町では一番大きな市場が毎日開かれてるんだ』

 テオドアが広場を指し示して言った。
 クルトは荷馬車から身を乗り出し、市場の様子をキラキラとした目で眺めている。そんなクルトの様子をテオドアが微笑ましそうに見つめた。

『彼は素直でキュートだね』
『多分、それは本人に言わないほうがいいと思うわ』

 言ったら最後、「キュートってなんだよ!」とヘソを曲げそうなのが目に見えているので、リディアはテオドアの言葉を通訳しなかった。

『サリードの町はブライスガウの国境に一番近い。馬車で数時間もすれば君の故郷のトシュカに行くこともできるよ』

 これはリディアにとって有難い事だった。ここならば、トシュカの街、つまりブライスガウで何が起きたかの情報をすぐに手に入れる事ができる。

「それで、アタシ達はどこに滞在するんだい?」

 タリヤが尋ねた。リディアが通訳してテオドアがそれに答える。

『イグレシアス家の別邸が街の外れにある。ゲストルームもあるから、しばらく使ってくれて構わないさ。こちらとしても、取引先が増えるのは良いことだ。しかも、あのバルトリ市場をつくった方だなんて、最高じゃないか!』
「そりゃあ、どうも」

 テオドアが大げさな身振りで喜びを表すと、タリヤは満更でもない笑みを浮かべた。

『しかし、さっそくこうやって商談にこぎつけられたのは本当にありがたい。ブルガスの織物や工芸品は素晴らしいんだ。是非紹介させていただきたいな』
『楽しみにしているわ。交易が盛んになるのは喜ばしい事だもの。でも、テオ、私からの頼みを忘れてもらっては困るわよ』
『もちろん、君のお願いを忘れるわけないじゃないか。早速俺の部下を何名か、ブライスガウに向かわせてる。国境警備隊にも連絡して、君の弟の行方を探すよ。美人の頼みは断れないからね』

 そう言ってテオドアは軽快なウインクをしてみせた。リディアはなんと反応したらいいかわからず、ぎこちない笑みを浮かべるしかなかった。

 サリードの町を通り抜けた少し外れにあったのはなんとも豪華な屋敷だった。大きな木の扉を開けると、広いホールは吹き抜けになっており、階段が壁に沿うようにして上へと続いている。天井はガラス張りで、太陽の光が屋敷の隅々まで照らしていた。

 リディアが広間へ辿り着くと同時に、あちこちから使用人達が慌てた様子で集まってきて、テオドア達の外套を我先にといった様子で受け取っていく。

『テオドア様!こちらへ来られるなら仰ってくださればよかったのに!』

 やってくるなりテオドアに非難の言葉を投げかけたのは、皺ひとつないブラウスに黒いバッスルスカートの女性だった。白髪混じりの黒い髪を引っ詰め、銀縁の眼鏡をかけている。

『ごめんごめん。ちょっと急なお客様なんだ。とりあえず三人、しばらくこの家に泊めたいんだけど、良い?』
『嫌です、と言ったって、私たちにそんな選択権などない事などお分かりのくせに、なぜ聞くんです?お客様が三人ですね、まぁどうしましょう。ディナーの食材が足りないわ』

 女性はそう言って近くの使用人にメモを渡して買い物に行くように指示を出した。どうやらこの屋敷の管理を任せられているのは彼女らしい。テオドアに言い返すことができるあたり、随分と肝のすわった女性のようだ。

『ごめん。でも本当に緊急だったんだよ。リディア、彼女はミセス•トループ、この屋敷の管理人だ。ちなみに僕の元乳母』
『お初にお目にかかります、ミセス•トループ。いきなりの訪問をお許しください』

 みすぼらしい木綿のドレスに身をつつんだリディアが、丁寧な挨拶をしたので、ミセス・トループは些か驚いたようだった。

『坊ちゃまの無茶ぶりには慣れていますから、お気遣いなく。それでは皆様をお部屋にご案内いたします』

 ミセス・トループに導かれて階段を上っていくと、三人にはそれぞれ別の部屋が用意されていた。
 ゴブラン織りの立派な絨毯に、上質なオーク材の調度品、立派な天蓋のついたベッドは光沢のあるシルクのシーツでベッドメイキングがされており、よく眠れそうだった。急な来訪だというのに、部屋にはほこり一つなく、隅から隅まで磨き上げられている。管理人としてのミセス・トループの能力の高さがよく表れていると言っていいだろう。

「え、俺、ここで寝ていいの?!」

 クルトが天蓋つきベッドにおそるおそる近づきながら言った。おそらく、クルトが今まで寝泊りしてきたベッドの中で、最も豪華なものであることに間違いない。あまりにも部屋が豪華なので困惑しているようだったが、目を輝かせてあちこちを見渡している。興味深々といった様子だ。

「こいつはたまげたね。こんな立派な部屋だとは思わなかったよ。本当にいいのかい?」
「えぇ、一人一部屋用意して下さったみたい。ここでしばらく滞在しても構わないそうよ」
「それなら遠慮なく使わせてもらおう。リディア、テオドアに礼を言っておいておくれよ」

 リディアがタリヤの部屋から廊下へ出ると、壁に寄りかかって待ち伏せをしていたのはテオドアだった。リディアを見つけると、爽やかな笑みを浮かべる。
 こうしてよくみると、テオドアはハンサムな男だった。ハシバミ色の瞳に、スッとした鼻。少し癖っ毛のブラウンの髪は後ろで一つにまとめられ、シルクのリボンで結ばれていた。舞踏会に彼がやって来れば、貴族の令嬢達は頬を赤らめながらヒソヒソと噂話に花を咲かせる事だろう。

『タリヤがあなたにお礼を言っていたわ。私からも改めてお礼を言わせてちょうだい』
『どういたしまして。でもこれは俺にとってもいい話だ。彼女がバルトリ市場とうちを繋いでくれるなら、さらに交易ルートが広がる。有難いことさ。それで、君はこの後どうするんだ?君の弟を探し出して、見つけて、その後は?』

 テオドアの言うことはもっともだった。ヨハネスが見つかっても、ブライスガウの領地は現在ノルデンドルフ家に占領され、リディアの状況が最悪であることに変わりはない。

『エドマンドに会うわ。直接会って、私が彼に証明するの』
『王太子に?でも、君はあの舞踏会で婚約を破棄されただろう?言い出したのは他でもない、あの王太子だぞ?なんなら、彼こそが君のお父上を殺そうとした張本人かもしれないじゃないか!』
『それは、絶対にありえないわ!』

 悲鳴のような叫び。
 冷静に見えたリディアがいきなり声をあげたので、テオドアは驚いたが、その様子に驚いているのは誰よりも、リディア自身だった。

『……エドマンドは、そんな人じゃない。彼は判断力にかけるし、冴えないけれど、でも、私が知ってる中で誰よりも優しい人だわ。そんなエドマンドが、こんな卑怯な事をするわけない。きっと、何か理由があったのよ。何か、大きな理由が……』

 その理由がなんなのか、正直今は全く思いつかない。まるで自らに言い聞かせるようにリディアはテオドアの言葉を否定する。

『わかった、わかったよ。まぁ確かに、この最悪の状況をひっくり返すには王子の一声が必要なのは間違いないな。しかし、問題はどうやって、彼に接触するかって事だ』

 リディアは今隣国のブルガスにおり、ブライスガウに戻る事さえ難しい状況となっている。誰を信じればいいのかもわからない。そんな中でエドマンドのいる王都に行き、城に乗り込むなんてことはほぼ不可能だろう。リディアは頭を抱えた。

『とりあえず、今は君の弟を探すことに集中しよう。探しているうちに、何かいい方法が見つかるかもしれない』

 ひとまず今日は休もうとリディアが扉の取っ手に手をかけた時、廊下に現れたのはミセス•トループだった。手には一通の手紙を持っている。

『坊ちゃま、こんなところにいらっしゃったのですね。お話し中申し訳ございません。お伝えしようと思っていたのですが、カレドニア王国から、招待状が来ておりますよ』
『招待状?』

 テオドアは招待状を受け取ると、封筒を開け、中の手紙を取り出して読み始めた。文字を追っていくテオドアの目が、キラキラと輝き始める。

『リディア、どうやら良い方法がありそうだ』

 テオドアはニヤリと笑った。
 
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