チート勇者も楽じゃない。。

小仲 酔太

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第7章 黄昏に燃える光

第8話 進化

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 僕らは宙を舞っていた。

 快晴とは言えないものの確かに晴れていた空は、いつの間にかどんよりと分厚い雲に覆われていた。

 背中ごしに光が当たり、雲に僕らの影を映し出す。空中で足を振り上げ、無理矢理視界を反転させる。その視界はもろに光を受けて白く塗り潰された。

 すたっ。

 四つん這いで着地する。一緒に弾き飛ばされていたララも少し離れた位置に降り立った。何が起こったのかよく分からないまま、目の前の光を凝視している。

 突如ぼうっと輝きだした亀――キングタートスは、今や目が痛いほどに輝いて戦場を照らしていた。辺りの時間は止まり、冒険者も騎士たちも魔物たちですら、皆その異様な光景に目を奪われていた。

 「うっ……」

 ララが口を手で覆い、地面に伏せる。少し遅れて僕も強烈な吐き気を感じた。身体が震える。急いでララの元に駆け寄り、彼女を抱えて跳び退る。

 強すぎる気。

 亀はさっきまでとは比べ物にならないほどの気を放っていた。近くにいるだけで魂を喰われてしまうような、何者も傍に寄ることを許さないような、激しい拒絶の魔力が迸る。

 ああ、今僕は何の誕生を目の当たりにしたのだろう。まさに神話の一片に立ち会ったような感慨……。

 「こ、こんなの……無理……」

 距離を取ってなお苦しそうなララの肩を抱きながら、僕もはっとして一際強く身震いした。

 ほんの一時、すっかり忘れていた。あれと戦わねばならないことを。あれをここで倒さなければ、王都はあれに蹂躙されてしまうということを。

 亀の姿は先ほどより少し小さくなったように見える。それでもなお山のような化け物であることに変わりはないのだが、あれならきっと戦いやすいだろう。

 無論、僕らが戦いやすいのではない。あの亀が動きやすくなったのだ。

 光が収まり始め、その姿が徐々に鮮明になる。やや細くなった足。丸みを増した甲羅。体表を覆う鱗はより細かくなり、逆立っていたのもつるっとして隙間も見えない。

 普通の亀より長いと思っていたあの伸びる尻尾は、どうやら伸びっぱなしになっているようだ。その先端を立ててゆらゆらと揺らしている様子は、まるで鎌首をもたげた蛇だ。




 進化……。魔物には稀にそういう現象が見られる。それは前世の頃に聞いた知識。一度も目の当たりにすることのなかった、ただの予備知識だ。

 突如光に包まれた魔物が、以前とは段違いに強さを増して襲い掛かってくる。兵士として戦い続けるのなら、もしかしたらそういう場面に出くわすかもしれない。知らないよりは知っていた方が冷静になれるだろう……。

 あれは隣の隊の隊長の言葉だっただろうか。冷静になるなんて冗談じゃない。さっきまでの亀が、段違いに強さを増すなんて。えーと、想像が追い付かないよ?




 「まったく……これからが本気ですってか?いや、それどころじゃねえか。これは強くなりすぎだろ?」

 いつの間にかアストがすぐ傍にいた。平然そうに立っているが、彼の気はだいぶ乱れている。

 「アスト……あれ、勝てる?」

 「うーん、ちょっと保証できねえな。あれは所謂神話級ってやつだろ?人の手には負えねえよ」

 あはは、と笑いながら剣を肩にかける。その剣先はかたかたと震えていた。

 「ぷしゅーっ!!」

 鼻息だろうか。亀の頭がゆっくりとこちらを向く。何だ、動き自体はさっきまでと同じ……そう安心しかけたとき、亀の足が素早く持ち上げられて鋭く地面を踏み抜いた。

 「やべえっ!!」

 アストが僕とララを引っ張ってジャンプする。さっきまで僕らの立っていた地面はぱっくりと裂け、瓦礫を辺りに弾け飛ばした。

 亀は空中の僕らに素早く向き直り、口をかっと開く。喉の奥に光の塊を見た。

 「ざけんなっ!!」

 彼は即座に身体を捻り、足の裏に集中させた魔力をすぐに発射して軌道を変える。

 僕らのすぐそばを光の弾道が掠めていった。

 どすん!!

 地面に身体が叩きつけられる。咄嗟のことでアストも着地姿勢を取れなかったらしい。

 「うう、げほっげほっ……」

 ララが咳き込む。しかし直ぐに矢をつがえ、亀の方へと向ける。亀は既に頭を下げて次の攻撃の用意に移っていた。

 「おいおい、マジかよ!亀のくせに突進でもする気か!!」

 その言葉通り、亀は足にぐっと力を溜めて蹴り出すところだった。あんな巨体で走り回られたら、それだけでここら一帯は更地になってしまう。

 「うそ!!……アスト、足!!」

 ララの声に彼を見ると、その足元には血溜まりが出来ていた。その元を辿ると、彼の左の太股に行き着いた。その先は不自然に無くなっている。右の足も膝から下がない。

 「まさか、さっきの光線で……」

 亀はもう真っ直ぐこちらに駆け出している。両足をやられているアストには、あの突進は避けられない。しかし彼の目はじっと亀を見据えている。

 「俺のことはいい!!お前ら、早く逃げろ!!」

 彼の言葉が響くも、ララは亀に向かって矢を射た。矢は激しく動く前足に当たり、堅い鱗に虚しく弾かれる。だが彼女はお構いなしに次の矢に手を伸ばす。

 「おい、ララ……」

 「逃げれるわけないでしょ!!」

 彼女の声は依然震えていた。僕らは逃げられてもアストは逃げられない。あの突進を止めるしかない。だがどうやって?ラストドンとは違う。あんなの止まるわけがない。

 剣を構える。体勢を下げる。真っ直ぐに敵を見る。敵いっこない。止められやしない。それでもここを退けぬと言うのなら、僕にはこの構えしかない……。

 時間がゆっくり流れる。亀はもう目の前に迫っている。死が眼前に迫っている。

 「リクイファクション」

 後ろから呪文が飛ぶ。がくっと亀の速度が落ちる。その足元がどろどろの沼に変わっていた。その巨体が沈んでいく。

 「ナイスだ、ウィスプ!!」

 そう言うなり、アストは身を翻して地面に腕立て姿勢になり、そのまま逆立ち様に胴体を持ち上げた。

 「いよっと……!!」

 そのまま腕の力だけで杖を構えたウィスプの元まで飛び下がった。

 「す、すご……」

 その様子に僕とララが唖然としていると。

 「お前ら、気を抜いてる暇はねえぞ!!」

 アストの声の通り、亀は口を開けて早くも次の手を打とうとしていた。

 とにかく敵の意識をアストから遠ざけなきゃ……。僕は彼とは反対方向に走る。ララも同じ考えだった。矢を射掛けながら亀の周りをぐるりと回るように駆ける。

 ぴかっ!!……どごーん!!

 再び迸った光の塊は、戦場を駆け抜けて遥か彼方の山を吹き飛ばす。なんて出鱈目な威力。これでは迂闊に足を止められない。

 「うーん、口の中すら隙がない。どうやって攻めたらいいの……」

 ララの手が止まった。矢筒にはもう4本しか矢が残っていない。彼女は弓を頭から被るように背負い、腰に差した長剣を抜く。

 ふとアストの方を見ると、彼の元には医者のベラが駆け寄って既に手当てを始めている。いつかクラの手元で見た青い光を確認し、安心して亀に目を向け直す。

 やはり、あれを倒すには光の力しかないのではないか。

 枯渇寸前の魔力がもどかしい。自然に回復する分、さっきよりは僅かに溜まってはいるが、この程度では1度小さな光の玉を作るだけで使いきってしまうだろう。

 もっと……せめてもっと魔力を回復させなきゃ……。

 それでも打ち破れるか分からないのだ。神話級の亀の魔力コートは、進化前とは段違い。さらに密度を増した気の隙間を縫って、確実に仕留められるような急所に当てて、それでなお魔力が足りなきゃ倒せない。

 「きええええぇぇぇぇっ!!!!」

 いきなり甲高い声が響く。音の出所は亀だろうか。いや、あの尻尾だ。あの蛇のようにゆらゆらと揺れる尻尾から、奇怪な音が響いたのだ。

 「うええ、気味悪ぅ……」

 ララが見るからに不快そうな目を向ける。そのとき……。

 「テオン!」「うおっ!!」

 ララの声とほぼ同時に何かにつまずいた。魔物……?

 気付けば周りにカエルやらモグラやら、土に潜って隠れていただろう魔物たちだろうか。

 普段は全く気に止めないような木っ端の魔物。今度もつまずいたときの衝撃で既に吹っ飛ばしてしまっている。

 だが、だが今だけはまずかった。

 「テオン、駄目!!」

 ララの悲痛な声が響く。彼女の気配察知がなくとも、十分に分かっていたはずだった。

 僕の足は一瞬止まった。大きく開いた亀の口がこちらを向いていた。

 脳裏に吹き飛んだ山が浮かぶ。一瞬で両足を欠いたアストと、その足元に広がった赤い水溜まりが頭を過る。

 ラストドンの突進が、大きく抉れた砂漠の景色が、大きな薔薇が、花畑と踊るルーミが、ララの笑顔が、月夜のハナが……。

 ひとつ景色が浮かんで、次の景色を呼んで沈んでいく。

 その景色の向こうに、絶望の光が見える。傾いていく視界で亀の喉の奥を見据えたまま、目の端には地面が迫ってきている。

 頭を駆け巡る走馬灯は、あの光を掻い潜る術など持ってきてはくれない。ララやエナナとかくれんぼをして遊んだ少年時代。それに幕を引いたあの暴走の光。それから剣に打ち込んだ日々。そんな中……。

 突如、体が思い出したように痛み出す。

 右半身を襲った熱。あの日、対峙した魔王の放った黒い玉。冷たい地面に体が溶け込んでいく。意識が遠のいていく。

 そして……。

 僕はふわりと浮いて、倒れた「僕」を見ていた。そんな気がする。流れ出た血が峠の坂を駆け下りて。しかし、僕はそれをすっかり他人事として見ていて……。




 「そ~れ、どすこーいっ!!」

 突如、亀の口が閉じた。僕に向けられた光がその口の中でぼんと弾ける。

 どさ。

 止まりかけていた時間が再び流れ出して、僕はつまずいたまま地面に倒れた。

 「テオン!!」

 ララが踵を返して駆け寄ってくる。その顔は真っ青に青ざめて、かくれんぼの鬼をやっていた頃の赤みは見る影もない。

 「う……亀は?」

 急いで敵を見る。その頭の上には思いきり拳を振り上げる少女がいた。

 「僕も君と戦いたいな。構ってくれるよね?もう一発、どすこーい!!」

 それは『竜頭龍尾』のリーダー。アストと同じSランク冒険者、『昇龍』のイリーナだった。
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