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第5章 不穏の幕開け

第21話 AI理論と情報漏洩

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―――現在、メラン王国

 ここは国立魔法研究所スキル研究科。ジョドーが室長を務めるアサヒカワ研究室、教授室である。多忙な博士アリストは既に帰ってしまい、部屋には私――レナとジョドーの二人だけである。

 沈黙が流れていた。話すことはあるのだが、今はそれどころではないのだ。私はただ、手元の袋を夢中で眺めるばかりだった。

 『じゃあ、私は帰ります。あ、レナ君、あなたにお土産ですよ。ようやく完成しました。詳しいことはジョドー博士に聞いてくださいね。それでは』

 軽い調子でぽんと渡されたそれは、世界中の人が欲してやまない夢の魔道具だった。

 「いやあ、レナちゃん、凄いものを貰ったね。商品化はこれかららしいけど、数百万Lリブラはするだろうね。何しろ時代を変える大発明だから」

 ジョドーも口調は静かだが、密かな興奮が伝わってくる。彼の手には大量の紙束が握られていた。何百枚もあろうかと言うその紙は、すべてアリストが書き上げた論文である。

 『AI理論に基づく軽量収納魔道具の理論的な枠組み』

 それが論文のタイトル。そして私の手元にあるのが、軽量収納魔道具インベントリの試作品である。

 そう、従来品の収納袋ではそのままだった内容物の質量が、この試作品なら大幅に軽量化できるのだ。

 かねてよりアリストはこのインベントリが実現可能であるとしていたが、実際に研究を始めたのは私が王都を旅立つ少し前だったはずだ。

 それがもう試作品ができるまでになっていたとは……。

 「本当に驚きだね。これで博士のAI理論も実証された。初めはこじつけのような夢物語だったのに……」

 アリストがインベントリの開発を考え始めたきっかけは単純。重力をコントロールできるスキルの存在だ。

 彼は常々言っていた。スキルで実現可能であるということは、それを成し遂げる仕組みが世界に備わっていると言うこと。それを魔道具で再現できない道理はない、と。

 彼は笑われた。スキルは女神の与えた奇跡、人の作った魔道具と同じはずがない、と。

 だが彼は諦めなかった。仕事として請け負った研究の合間にその方法を模索し続けた。そして遂に完成したのだ。AI理論が。




 AI理論、すなわちアーティフィシャル・インヘリタンス理論とは、親から子、師匠から弟子へとスキルの力が引き継がれる現象、スキルの継承インヘリタンスを人工的に引き起こそうという理論である。

 神の御技、女神の奇跡と言われるこの現象は、特殊なスキル、特殊な環境、特殊な訓練、特殊な血筋……その他諸々の特異な条件が揃ったときに初めて起こると言われていた。

 それはある種族では家柄重視の価値観に繋がり、ある国では資格制度として整えられ、ある集落では厳しい修行として代々受け継がれてきた。

 博士のAI理論はその仕組みの解明に1歩も2歩も近付く大きなテーマのひとつであり、同時に世界の構造をひっくり返しかねない、非常に危険な研究でもあった。

 彼はずっと秘密裏にこの研究を進めてきた。最低限の人にしかそのことを漏らさず、研究内容は1冊のノートに全てまとめ厳重に管理されてきた。

 私とジョドーは彼の研究を知る数少ない研究者である。AI理論には膨大なデータが必要だった。その収集を手伝っているのだ。

 レベル鑑定士として国中のスキルを調べる。その仕事はジョドーの研究テーマであり、軍備補強の任務であり、同時に彼の理論のための隠れ蓑だった。

 初めての成果はカメラだった。ジョドーが見つけた念写というスキル。それを魔道具として再現することに成功したのだ。

 カメラの仕組みはそこまで難しくはなく、現在の魔道具技術で十分に開発可能なものだった。そのため表向きにはAI理論のことはちらとも触れられていない。

 共著として名前を連ねていたジョドーも、あくまで念写についての知見を提示したということでしか関わっていないことになった。

 その後も表向きではアリストの天才的な閃きで、実際には長年積み重ねたAI理論の成果として、たくさんの魔道具が開発されてきた。その間、この理論が表沙汰になることは1度もなかった。

 それだけAI理論は秘密にしなければならないもので、魔道具開発にとって強力なツールであったのだ。

 事件が起こったのは2年前。私が初めてアルト村に行き、帰ってきた直後くらいに起こった。そのAI理論についてまとめた唯一のノートが、何者かによって盗まれたのだ。

 表向きには存在しないノートだ。刑事局を動かすわけにはいかない。しかし何としてでも取り返さなければ、世界を根本から揺るがしかねない事件に繋がるのだ。

 私たちは冒険者の手を借り、詳細は伏せたまま必死に捜索した。その結果分かったことは、そのノートは既に帝国へと持ち出されてしまっただろうということだけだった。最悪の情報漏洩だ。

 当時、研究所に頻繁に出入りしていた一人の騎士がいた。赤い長髪がトレードマークで、王都の若い女たちから異例の人気を誇っていた。リオル・フィーニス。アリスト・フィーニスの息子だった。

 彼はリオルの能力、魔力を可視化する力に目を付けていた。AI理論を元に魔道具化すれば、目に見えない魔力というものを誰にでも捉えることが出来るようになるのだ。

 その応用の幅は非常に広かった。アリストの案は、例えば魔力を薄い板状に広げて固定し、移動も整形も簡単に出来る魔力ディスプレイとして用いたり、それを用いて商品に魔力タグを付けたり、道路に道案内の表示を付けるといったことだ。彼はそれを拡張現実と名付けていた。

 ジョドーが中心になってリオルのスキルや魔力を解析し、アリストがそれを再現する。そんな研究が水面下で進んでいた。

 しかしそれは途中で頓挫することになる。リオルが失踪したのだ。それはノートがなくなったのと殆ど同時だった。だが、アリストは彼ではなくノートの捜索を優先させた。私はそこに博士の人間的な欠落と、リオルの失踪の理由の一片を垣間見たのだった。

 「そうだレナちゃん」

 ジョドーが思い出したように声を発する。私を呼んでから机の上の書類を漁り始める。それは私の報告書だった。しばらく無言の時間が戻る。

 「ああ、あったあった。レオール・アルギエバって名前に覚えはあるかい?」

 その名前は確かに私が報告書に書いたものだ。エリモ砂漠で衝突した奴隷狩り集団アルタイル、その中で特段注意すべき人物として挙がっていたのがレオールである。

 私は彼と直接対峙した。その危険性は本物で、高い戦闘技術に魔力が見えているかのような言動。敵ならかなり厄介だと感じたのだった。いや敵として対したのだが。彼は敵とは思えない何かを感じさせていたのだ。

 「ええ、アルタイルの主要なメンバーの一人で、かなり厄介な相手でした」

 「いやいや、そんなことは知ってるよ。報告書に書いてあるんだから」

 「といいますと?」

 話が見えない。

 「いやね、アリスト博士がこの名前に反応していたんだよ。そんなところにいたのかってね。まあ、心当たりがないのならいいや」

 「アリスト博士が?」

 どういうことだろうか。レオール、リオル……まさか、ね?

 「それから君の暗号にも博士はすぐに気付いていたよ」

 「あ、やっぱりですか?流石ですね。気付かれなかったらどうしようと思っていましたが」

 「いや僕だって何かあるなとはすぐに気付いたよ。博士には敵わなかっただけで」

 私の報告書には、実はある仕掛けが施されていた。普通に読んだら温泉宿の泊まり心地や湯加減などをつらつらと書いただけの場所。だが、2文字飛ばしで読むと別の報告が隠れている。

 「それで?『ゆかりにようちゆうい』って何なんだい?」

 「はい。私たちに同行して王都まで来たユカリという者がいます。彼女はどこかの国か、あるいは地下組織のスパイなのではないかと」

 「根拠は?」

 「職業詐称と見た目詐欺です」

 「どういうことだい?」

 「彼女はスイーツハンターと名乗りました。しかし彼女はそんな器ではありません。それから見た目詐欺というのは、10代から20代に見えるのにどう考えても私より歳上ということです」

 「あまり合理的じゃないね」

 「特に後半は女の勘ですから」

 私もよく見た目詐欺だと言われる。誰が見ても私の年齢は実年齢より10~20歳も若く見えるだろう。実年齢?レディにそんなこと聞くものではありません!

 「で?本当は?」

 「はい。彼女は普通知り得ない情報を知っていました。温泉宿で起きた事件の鍵になっていたのが、ポエトロの奇跡の花の力を悪用した魔力偽装であるということは書きましたよね?」

 「ああ、まさかそんな力を持つ花が存在しているなんてと驚いた。アリスト博士も是非研究してみたいなと言っていたよ。もちろん冗談でね?」

 「そうですよね。あの花はポエトロの人たちが大事に守ってきた秘密。特にその悪用方法、呪いとも言えるような力に関しては絶対の秘密です」

 「もしかしてそのユカリって人は、それを?」

 「はい。私が奇跡の花に言及する前、真っ先にその名前を出したのがそのユカリです。はっきりとした発言はありませんでしたが、魔力偽装の手段を考えているときにその花の名前が出るというのが、少し不自然かなと」

 「それで注意、と。他に直接的な証拠はあるかい?」

 「いえ……。相変わらずスイーツハンターだなんて見え透いた嘘を言っている以外は、特に怪しいことはありません」

 「そうか……。彼女は今どこに?」

 「恐らくテオン君たちと一緒にフィリップという技師の職場に行っているものと……」

 「フィリップ?」

 「魔道具の修理を行う技師と聞いています。裏でこっそり時計の復活を夢見ているのだとか」

 「時計……まさかクレイス修理店か?」

 「そんなような名前だったかしら。ご存じなんですか?」
 
 「そこの店主が時計に興味を持っていてね。そこにスパイが入ったとなると……」

 ジョドーの目付きが変わる。

 「レナちゃん、ギルドの先にそっちへ向かってくれるかい?」
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