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第5章 不穏の幕開け

第20話 戦地に赴く父親たち

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 「あの……姫様、今よろしいでしょうか」

 テントの外から声がする。

 「ロイか。入れ」

 私は王都からの書状を机にしまい、彼を招き入れる。戦線に復帰したロイは暫く好調だったのだが、数日経った頃、目に見えてやつれ始めた。

 私が話しかけてもどこか浮かない顔で、彼から話しかけてくることは殆ど無くなって、私も気が気でなくなっていた。

 これが戦略ならずるいの一言だ。軍師として活躍する彼ならあり得る気もするが、胸の奥でそれは違うと確信していた。

 ぺらっとめくれた入り口の布の向こうは、すっかり明け方になっていた。申し訳なさそうに入ってくる彼の前で、私は思いっきり伸びをした。

 「姫様、その……。実はお話がありまして」

 「だろうな。このところ私に冷たいのも、ちゃんと説明してくれるのだろう?」

 テントの中には私とロイしかいない。彼のことは信頼しているし、素の私を見せて構わないと思っているのだが、何となく機会を逸してこの口調のままだ。いざ変えようと思っても、心の奥で何かが阻む。

 「流石ですね。やはり気付かれましたか。私が未熟というべきなのか……」

 「まさかあれで普段通りにしていたつもりではなかろうな」

 「そんなに酷かったですか?はあ……」

 「それで、どうしたというのだ?」

 先を促すと、彼は気まずそうに頭を掻く。

 「あの……ラミアでのことなんですが、姫様は覚えていますか?」

 ラミア……か。素敵な町だった。あんなときに、あんなことさえなければ。あの日は私が初めて男性を怖いと思ったときであり、同時にロイが男性であることを意識したときでもあった。

 「ああ、町に着いてすぐのことは忘れているが、朝目を覚ましてからはちゃんと」

 「そ……そうですよね。私、あの日、姫様に酷いことを……」

 酷いこと……。あの夜、ロイは我を失うほどに酒を飲んでいた。再会した彼の様子から、すっかり忘れているのだろうと思った。その方がいいと思っていた。

 「何だ、思い出してしまったのか……。それで?」

 「う、うぅ……。やはり怒っていらっしゃいますよね?私、せめて謝ろうと思い。謝って済む話でないことは承知しているのですが……」

 「そうか。そうだな……」

 私は席を立ち、彼の目の前に立った。彼とはそんなに背の違いはないと思っていたが、至近距離に来ると流石に大きく感じる。

 「私が男にあそこまで好き勝手されたのは、あれが初めてだった。どんな思いだったと思う……?」

 真っ直ぐ彼の目を見つめる。

 「そ、それはもう怖い思いをさせてしまったのだろう……と」

 彼の背中がどんどん丸まり、腰も引けて随分小さくなった。それでも彼は私より高かった。

 「あれだけポジティブだったお前が、ここまでしてそう答えるとはな」

 赤くもならない彼に不満を持つ。その不満を抱いた私に不快感を覚える。

 「ああ、すごく怖かったよ」

 ぐいと顔を近付ける。彼は怯えた様子で1歩下がる。その違和感に引っ掛かりながらも、私は詰めに入る。

 「あのときお前が何を言っていたか、覚えているか?」

 「何を……いえ、実はそこまではっきりとは……」

 「何だ、完全に思い出したわけではないのか」

 「す、すみません!!私、そんなに酷いことを言ったのですか?」

 「そうだな……ああ、酷いことを言った」

 「そんな……」

 「確かこうだったな。『私はただ姫様のための剣となり、盾となり、光となり、いつ如何なるときも、たとえどんな場所へでも、何が相手であっても、姫様と共に戦います!!』」

 確かに怖い思いもした。だが嬉しかった言葉もあった。あのとき言われたことは、何故か一言一句思い出せるのだ。

 「え……わ、私がそんなことを?」

 「何だ?覚えていないだけでなく、本当は思ってもいなかったと?」

 「い、いえ。そりゃ今だってそういう思いでいます。だけどまさか、そんなときにそんなことを言うなんて、私は私の気が知れなくて……」

 そんなとき……?何か食い違っているような気がするが、ひとまず私は私の言いたいことを言わせてもらおう。

 「あのときお前は相当に酔っていた。何かを偽ることも出来ないくらいに酔っていた。だからこそ……私は嬉しかったのだ。お前が本心でそこまで思ってくれていたことが嬉しかった。ああいう強引なのは好きじゃないが、お前の気持ちは有り難く受け取ったのだ。それだけは覚えておいてくれ」

 彼は若干納得のいかない顔をしながらも、緊張の面持ちを徐々に和らげていった。

 「そ、それでは私は姫様に嫌われたわけでは……?」

 「ふん。驚きはしたし少し信用は落ちたが、それでも嫌うわけはなかろう」

 私はふっと笑う。つまりこいつは私に心の内では嫌われたと思って落ち込んでいたのか。まったく可愛いやつだ。

 「(そ、それじゃあ一体どうして……?)」

 「ん?何か言ったか?」

 「い、いえ!!そ、それでは私はまだ希望を持っていても?」

 ぱっと明るい顔になる。見慣れた、ポジティブなロイの顔だ。

 「お、顔つきが変わったな」

 「はい!それともうひとつ申し上げたいことが出来ました!!」

 「何だ?」

 「私、あの夜のことで本当に自己嫌悪に陥りました。あなたと再び顔を合わせることも憚るほどに。それでももう一度お側に戻ってきたのは、ひとえにこの思いあってのことです。姫様、心の底からお慕い申し上げております!!」

 彼の真っ直ぐな瞳が私の胸に突き刺さる。清々しいほど真っ直ぐな告白だった。

 「ああ、知ってる」

 私は笑って彼の頭を撫でる。

 「あ、あれ?こういうときはその……もっとロマンチックなものがあるでしょう?」

 「何故だ?」

 「いや、何故って」

 どぎまぎする彼の頬に赤みが差してくる。ああ、これでこそロイだ。私の記憶にある彼は、いつどんなときでもほんのり赤い顔をしていた。

 「お前が私を好きなのは分かったが、別に私もお前が好きだとは言っていないだろ?私は別に、お前と恋をするつもりはない」

 「えっ!!そ、そんなぁ……」

 落ち込むロイ。悪いが、私は心に嘘はつけない質なんだ。きっと今の私は恋愛以上にすべきことがあるのだろう。

 「だが」

 彼の頭を撫でながら、その耳に口を近づける。

 「これからも側にいてくれよ」

 がばっと彼の頭が上がる。今まで見たどんな顔より赤くなっていた。




―――現在、魔族領

 「「うわああぁぁぁぁん!!」」

 岩をくり抜いた小部屋の中、魔族から救い出した子供が今日も泣いていた。泣き声を聞くと、どうしてもあの峠の赤い景色を思い出してしまう。

 記憶を辿る限り嗚咽を漏らしただけで泣いていた覚えはないのだが、泣き声とこうもリンクしているということは、私はやはりあのとき泣いていたのだろうか。

 あの日から何度か魔族が子供を取り返しに来たが、それは退けることに成功している。この拠点から少し離れた地点に、セバス博士が手配したゴーレムがずらりと並んでいる。すべて旧式の戦闘用だ。一体どこから連れてきたのやら。

 「ほら、そんなに泣かないでね。もうすぐラミアの町の人が来てくれるからねー」

 「姫騎士様、お言葉を柔らかくしてもそんな怖い顔をしていては泣き止みませんよ。ほーら、今日もお兄ちゃんと遊びましょうね~」

 「うぇっ。ぐす……にい?」「にいー!」

 兵士の一人が子供をあやすと、彼らはすぐに泣き止んだ。ここは彼に任せよう。

 子供たちはまだ3歳かそこら。暫く魔族しかいない環境にいてすっかり言葉も忘れてしまったのか、あるいは拐われた1年前ならさほど言葉も覚えていなかったのかもしれない。保護した直後は会話もできなかった。

 彼らは1年ぶりに親を見て、親と認識することができるだろうか。嫌な予感が頭を過る。

 ラミアの町から魔族領まで来るのは4人の予定だった。もっとたくさん来たがった人はいたが、何しろここは戦地、町長がこれだけに絞ったのだ。

 一人は私もお世話になった宿屋のラルフ。残りは武器屋に防具屋、そして薬屋。皆戦いになっても役目のある者ばかり。町長の気遣いが見える。

 この中で子供を誘拐されたのは武器屋だけ。薬屋に至っては彼女自身が未成年である。薬屋のメディは町ではなく、近くの小屋に住んでいるらしい。恐らく私がお世話になったあの小屋だろう。

 確かめてお礼を言いたいものだ。兵士と遊ぶ子供たちを見ながら、私は懐かしい町の人々との再会を心待ちにしていたのだった。




―――スフィアのいるキャンプ地に向かう増援軍

 ラミアの町の4人を連れたサモネア王国軍の1団が、昨夜から森の中で最後の休憩を取っていた。今日、まさに誘拐された子供を保護したスフィアたちに合流できる予定だった。

 子供2人を保護したという知らせは彼らにも届いていた。堅物で場を弁えられるということで町長に許しを得た武器屋も、流石にそわそわしているようだ。

 そして、落ち着かない父親がもう一人……。

 「ようアルフレッド……いや、今はラルフだったか。いよいよ戦地だな」

 彼の頭上から声が降る。

 「!……ああ、イデオさんか」

 「これがお前の望みだ。だが、無理に目の前で見ろとは言っていないんだぞ」

 「そんなわけにいくか。してやれることはなくても、せめて側で見守ってやる。それが父親ってもんだ……」

 「長い間放置した娘への、せめてもの罪滅ぼしってか?娘が勇者候補だなんて、運命は皮肉なもんだ」

 「……俺にはあの子に見せられる顔なんてありゃしねえ。だがそれでも、彼女の元気な顔が見てえ」

 「お前にも人並みの情があったんだな。気持ち、分かるよ。それじゃ俺はもうひとつの戦地に行かなきゃならねえ。俺の娘も頼んだぜ」

 木の上から葉擦れの音。

 「娘?」

 「薬屋のメディさ」

 「会っていかないのか?」

 「久しぶりに元気な寝顔が見れただけ満足ってもんだ。あんたと同じさ……」

 声の主はそう残して、再び森の奥へと消えていった。残された男はまだ上を見上げていた。

 「同じ……か」

 昇り始めた日は既に雲に隠れようとしている。どんよりとした再会になりそうだ。

 「あの子の罪は俺の罪だ。女神よ。罰を与えるなら、どうか俺に……」
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