16 / 151
第1章 アルト村の新英雄
第15話 テオンのいないアルト村
しおりを挟む
―――テオンが出発したあとのアルト村
「……行っちまったな」
「そうじゃな」
村を出たテオンの背中が小さくなっていく。ユズキたちが運ぶ巨大な怪物の体ですら、すでに指で摘まめそうなほどになっている。
小さくなるテオンの背中に、私は涙を必死に堪えていた。この村で彼の旅立ちの理由を知るのは村長である私だけだ。しかし、テオンにはまだ私も知らない秘密がある。
彼は森の怪物をゴーレムと呼んだ。あれを私らは魔導重兵と呼ぶ。言い伝えに聞いた通りの姿。過去の魔国大戦で先代たちが戦い、撃退した怪物だ。
拳を振れば破壊の権化、傷を負えば不死身の回復。倒すことあたわず。止めることあたわず。ただ森の下で悠久のときを彷徨わせるのみ。
実際に目の前にしてその存在に絶望したものだが、それをテオンは知っていると言った。それを止められると言った。事実、その額には先代も知らなかった仕掛けが隠されていた。希望の光で絶望の化身を止めて見せた。
なぜ、など無粋なことは言わない。そもそも私らは知っていたのだから。テオンが既に以前のテオンではないことに。
あれの母親はセーラだ。神の声を聞き古の英雄の墓を守り、遥か先を見通した最高の巫女セーラだ。あれの身に何が起ころうと何の不思議があろうか。
「なあ村長。あの怪物を止めたのは、やっぱりテオンなんだよな」
ジグがまたぽつりと呟く。私が口止めしたことだ。私は何も答えない。
「セーラは……テオンに何を託したんだろうな」
ジグは私と同じ結論に至っているようだ。
「テオンにはあの日、あの光の日……神が降りたのかな」
神降ろし。巫女の力の究極と言われ、セーラですらなし得なかった奇跡。だが否定するものは何もない。
「ああ、わしも、そう思っておる……」
『よう……こそ…………』
私の末娘ユウが初めて発した言葉。
ユウはわしの妻ユナが43歳で身ごもった子だった。歳のせいか妻はユウを産んですぐに衰え、逝ってしまった。ユウは母を知らずに育った。9歳になっても言葉を発しなかった。
育ちが遅いのは巫女の宿命。セーラも18歳のときでさえまるで10歳の少女のようだった。だが言葉も考える力も知恵も遅れることはなく、むしろ人一倍優れていた。
ユウに巫女の力があるのは確かだった。膨大な魔力をその身に留め、魔物の襲来や村人の危機があると泣いて知らせた。それでも言葉を発することはなかった。
初めて口を開いたのはあの光の日。いつものごとく激しく泣いていたが、強烈な光の中でふっと泣き止んだ彼女は、ゆっくり目を開きながら小さな声で、確かに「ようこそ」と言ったのだ。
その日以来、ユウは少しずつ言葉を喋るようになった。幼児のような振る舞いだったが、幼い見た目に相応の振る舞い。まるで時が止まっていたかのようだ。
あの日テオンに神が降りて、ユウに言葉を授けてくださった。そう思った。
テオンの姿もすっかり見えなくなって、見送りに来ていた皆は普段の生活に戻っていった。ハイルがいつもより遅い狩りの支度を整えながら話しかけてきた。
「テオンのやつ、やっぱり冒険者になるのかな」
「冒険者か。それもありかもしれんの」
「テオンはきっと帰ってくるって言ってたけど、あれは帰らないつもりなんだろ?」
そう。それは私自身が言い渡したこと。テオンは王都に出掛けたのではない。私に村を追い出されたのだ。
テオンの心の闇は深い。村人皆を愛していた彼だからこそ、村人を一人消してしまった事実に甚く苦しむだろう。だが彼の持つ力は必ず彼を生かす。それはもう疑いようもない。
だからこそ、彼は闇に囚われることなく、思う存分その力を鍛えなくてはならない。彼が自分で自身を許せるようになるまで、二度とここに戻ってきてはならない。
『村長、明日なんですけど、できるだけ僕はすぐに帰ってくる感じで旅立ちます』
昨夜のことを思い出す。送別会の最中、みんなに明るくお別れを告げながら私のもとに来たテオン。その表情がふっと曇った。
『やっぱり、帰ってくるつもりがないなんて僕の口からは言えなくて。せめて最後は笑顔でみんなとお別れしたいなって』
申し訳なさそうに言うテオン。その顔は今にも泣き出しそうになっていた。
『だから、村長からみんなに伝えてくれませんか。僕はもう、帰ってこないと』
消え入りそうな声。本当は今も大声で泣き出したくてたまらないのだろう。私はただ、無言で頷くことしかできなかった。
『最後まで、こんなわがままで……ごめんなさい。今まで……悪戯ばかりで……ごめんなさい。……ひっく。ごめんなさい……』
私はただ、その手を握ってやることしかできなかった。これは私が決めたことだ。覚悟を決めねばならん。
「ハイル、そのことだが……もう一度皆を集めてくれるか」
「……ああ」
ハイルは寂しげな顔で答えた。さすがに鋭いものには気付かれているか。
生活に戻りかけた皆が首をかしげながら再び集まるのを眺める。私はこうすることしかできなかった。他の者なら、どうしただろうか。
皆が動き出した後もエナナは一人、門の彼方を見つめていた。その手首には赤いリボンが巻かれていた。
皆、変わっていく。そして……いなくなってしまう。エナナはつい浮かぶその考えを振り払う。テオンは必ず帰ってくる。彼がそう言ったのだから。
優しくて初対面の人とも明るく話せて、無邪気な顔でいたずらをする昔のテオン。そんなテオンに、エナナは何度も救われてきた。赤いリボンが風に揺れる。「消滅の光」を越えて帰ってきたテオンは、エナナの暗い心に確かな希望を灯したのだ。
消滅の光……。あの日からテオンは大きく変わった。村人たちは彼が別人のようになったと口を揃えていた。
急に真面目に剣の修行に熱心になった。大人っぽくなった。エナナは自分を置いてテオンが遠くに行ってしまうような、そんな不安を感じた。何かあったのかと聞いても「何もないよ」と笑うだけだった。
今、不安は現実となり、テオンは村を離れていってしまう。彼なしで生きていける自信は、エナナにはなかった。
「ねえ、テオン君。絶対……帰ってくるよね?」
再び広場に集まった皆の前で、村長は口を開いた。
「何度も集まってもらってすまない。皆には今言っておかねばならないことがある」
ざわついていた広場は一転しんと静まる。
「今日旅立ったテオンのことだ。彼なんだが……実は」
テオンの名を出て、空気がずんと重くなる。村長の顔はいつにもまして険しい。それだけで、明るい話題でないことは分かる。エナナは無意識にリボンの巻かれた手首を握りしめていた。
「実は」
「とう、待って」
止めたのはユウだった。村長の服をぐっと引っ張っている。
「テオン兄は……帰ってくるよ」
どうしたというのだろうか。
「テオン兄は、帰ってくるの。決まってるんだよ」
決まっている……?村長の顔がはっとなる。まさか、あれがユウの予言?
巫女であるユウは未来を見ることができる。言葉を発する以前も未来の出来事を泣き声で教えてくれる立派な巫女なのだと、ハナが授業で言っていた。正確には『未来は決まってない。決まっているのは確定した運命だけ』なのだそうだ。
決まっている……。ユウが呟いたのは、まさにその「確定した運命」だった。
「テオン兄はね……英雄になるの。英雄になって、村に帰ってくるんだよ」
テオンが必ず帰ってくる……。エナナの目に涙が溢れだした。広場の前の方の皆もざわつきだす。ユウの声は小さい。周りにいるものに辛うじて聞こえているだけだ。
やがて村長が口を開く。眩しいほどの笑顔で。凛と張った声で。
「皆、よく聞け!今この村の巫女たるユウより予言があった。言葉で告げる初めての予言だ。心して聞くがよい」
再び場がしんと静まる。重い空気は既になかった。
「今日この村を旅立った少年テオンは!英雄テオンとなって、必ずこの村に帰ってくる!繰り返す!英雄テオンとなって!必ず!この村に帰ってくる!!」
ユウがにこっと笑う。子供たちの歓声が上がる。広場に笑顔が咲き乱れ、大歓声が巻き起こる。
「皆こんなに喜んでる。見せたかったな、テオン君にも……」
エナナの脳裡にテオンの笑顔が浮かぶ。村に来ても沈み込んでばかりだった彼女を励まし続けた、屈託のない明るい笑顔。村長の声はまだ続いている。
「よって!今宵もまた宴会である!未来の新英雄が旅立った今日この日を祝って、今宵もまた宴会である!皆の者、早急に準備に取りかかれ!!」
村人たちの興奮は最高潮だった。エナナは門の向こうを再び見やる。彼の姿はもう見えない。だがふと彼女は気付く。彼女の胸には昔から変わらない、強くて優しいテオンの姿が刻まれていた。
『好きな男を信じて待つのも、いい女の嗜みよ……』
「テオン君が帰ってくるまで、この村で待ってなきゃね。みんなと一緒に……」
エナナは手首のリボンを握りしめ、地平線の向こうに笑いかけた。
「私も……強くなるよ。テオン君」
この日、アルト村に笑い声が絶えることはなかった。これほどに盛り上がった宴は久しぶりであった。男は大いに叫び、女は大いに歌い、子供たちは大いにはしゃぎ回った。新英雄を祝う轟音は村を抜け、草原中に響き渡った。
初めてエナナからアムとディンに話しかけ、エルモはその様子を見て号泣し、そのどさくさでサラに抱き着こうとして蹴飛ばされる一幕もあった。
だがその一角で……。
「なあ、ディン……ララのやつ知らねえ?」
「ああ、俺も探してるんだけど、テオンを送り出してからあと、予言の時にも見かけてないんだよな」
ひとり、姿の見えない村人がいた。皆の輪に入っていたエナナも一緒に探す。宴でも一番に話しかけようと思った相手だった。
ふと門柱に掛けられた、簡単なメモに使われる小さな札が彼女の目に留まる。ナイフで文字が刻まれている。それは急作りの書き置きだった。
「嘘つきに会いにいきます ララ」
「……行っちまったな」
「そうじゃな」
村を出たテオンの背中が小さくなっていく。ユズキたちが運ぶ巨大な怪物の体ですら、すでに指で摘まめそうなほどになっている。
小さくなるテオンの背中に、私は涙を必死に堪えていた。この村で彼の旅立ちの理由を知るのは村長である私だけだ。しかし、テオンにはまだ私も知らない秘密がある。
彼は森の怪物をゴーレムと呼んだ。あれを私らは魔導重兵と呼ぶ。言い伝えに聞いた通りの姿。過去の魔国大戦で先代たちが戦い、撃退した怪物だ。
拳を振れば破壊の権化、傷を負えば不死身の回復。倒すことあたわず。止めることあたわず。ただ森の下で悠久のときを彷徨わせるのみ。
実際に目の前にしてその存在に絶望したものだが、それをテオンは知っていると言った。それを止められると言った。事実、その額には先代も知らなかった仕掛けが隠されていた。希望の光で絶望の化身を止めて見せた。
なぜ、など無粋なことは言わない。そもそも私らは知っていたのだから。テオンが既に以前のテオンではないことに。
あれの母親はセーラだ。神の声を聞き古の英雄の墓を守り、遥か先を見通した最高の巫女セーラだ。あれの身に何が起ころうと何の不思議があろうか。
「なあ村長。あの怪物を止めたのは、やっぱりテオンなんだよな」
ジグがまたぽつりと呟く。私が口止めしたことだ。私は何も答えない。
「セーラは……テオンに何を託したんだろうな」
ジグは私と同じ結論に至っているようだ。
「テオンにはあの日、あの光の日……神が降りたのかな」
神降ろし。巫女の力の究極と言われ、セーラですらなし得なかった奇跡。だが否定するものは何もない。
「ああ、わしも、そう思っておる……」
『よう……こそ…………』
私の末娘ユウが初めて発した言葉。
ユウはわしの妻ユナが43歳で身ごもった子だった。歳のせいか妻はユウを産んですぐに衰え、逝ってしまった。ユウは母を知らずに育った。9歳になっても言葉を発しなかった。
育ちが遅いのは巫女の宿命。セーラも18歳のときでさえまるで10歳の少女のようだった。だが言葉も考える力も知恵も遅れることはなく、むしろ人一倍優れていた。
ユウに巫女の力があるのは確かだった。膨大な魔力をその身に留め、魔物の襲来や村人の危機があると泣いて知らせた。それでも言葉を発することはなかった。
初めて口を開いたのはあの光の日。いつものごとく激しく泣いていたが、強烈な光の中でふっと泣き止んだ彼女は、ゆっくり目を開きながら小さな声で、確かに「ようこそ」と言ったのだ。
その日以来、ユウは少しずつ言葉を喋るようになった。幼児のような振る舞いだったが、幼い見た目に相応の振る舞い。まるで時が止まっていたかのようだ。
あの日テオンに神が降りて、ユウに言葉を授けてくださった。そう思った。
テオンの姿もすっかり見えなくなって、見送りに来ていた皆は普段の生活に戻っていった。ハイルがいつもより遅い狩りの支度を整えながら話しかけてきた。
「テオンのやつ、やっぱり冒険者になるのかな」
「冒険者か。それもありかもしれんの」
「テオンはきっと帰ってくるって言ってたけど、あれは帰らないつもりなんだろ?」
そう。それは私自身が言い渡したこと。テオンは王都に出掛けたのではない。私に村を追い出されたのだ。
テオンの心の闇は深い。村人皆を愛していた彼だからこそ、村人を一人消してしまった事実に甚く苦しむだろう。だが彼の持つ力は必ず彼を生かす。それはもう疑いようもない。
だからこそ、彼は闇に囚われることなく、思う存分その力を鍛えなくてはならない。彼が自分で自身を許せるようになるまで、二度とここに戻ってきてはならない。
『村長、明日なんですけど、できるだけ僕はすぐに帰ってくる感じで旅立ちます』
昨夜のことを思い出す。送別会の最中、みんなに明るくお別れを告げながら私のもとに来たテオン。その表情がふっと曇った。
『やっぱり、帰ってくるつもりがないなんて僕の口からは言えなくて。せめて最後は笑顔でみんなとお別れしたいなって』
申し訳なさそうに言うテオン。その顔は今にも泣き出しそうになっていた。
『だから、村長からみんなに伝えてくれませんか。僕はもう、帰ってこないと』
消え入りそうな声。本当は今も大声で泣き出したくてたまらないのだろう。私はただ、無言で頷くことしかできなかった。
『最後まで、こんなわがままで……ごめんなさい。今まで……悪戯ばかりで……ごめんなさい。……ひっく。ごめんなさい……』
私はただ、その手を握ってやることしかできなかった。これは私が決めたことだ。覚悟を決めねばならん。
「ハイル、そのことだが……もう一度皆を集めてくれるか」
「……ああ」
ハイルは寂しげな顔で答えた。さすがに鋭いものには気付かれているか。
生活に戻りかけた皆が首をかしげながら再び集まるのを眺める。私はこうすることしかできなかった。他の者なら、どうしただろうか。
皆が動き出した後もエナナは一人、門の彼方を見つめていた。その手首には赤いリボンが巻かれていた。
皆、変わっていく。そして……いなくなってしまう。エナナはつい浮かぶその考えを振り払う。テオンは必ず帰ってくる。彼がそう言ったのだから。
優しくて初対面の人とも明るく話せて、無邪気な顔でいたずらをする昔のテオン。そんなテオンに、エナナは何度も救われてきた。赤いリボンが風に揺れる。「消滅の光」を越えて帰ってきたテオンは、エナナの暗い心に確かな希望を灯したのだ。
消滅の光……。あの日からテオンは大きく変わった。村人たちは彼が別人のようになったと口を揃えていた。
急に真面目に剣の修行に熱心になった。大人っぽくなった。エナナは自分を置いてテオンが遠くに行ってしまうような、そんな不安を感じた。何かあったのかと聞いても「何もないよ」と笑うだけだった。
今、不安は現実となり、テオンは村を離れていってしまう。彼なしで生きていける自信は、エナナにはなかった。
「ねえ、テオン君。絶対……帰ってくるよね?」
再び広場に集まった皆の前で、村長は口を開いた。
「何度も集まってもらってすまない。皆には今言っておかねばならないことがある」
ざわついていた広場は一転しんと静まる。
「今日旅立ったテオンのことだ。彼なんだが……実は」
テオンの名を出て、空気がずんと重くなる。村長の顔はいつにもまして険しい。それだけで、明るい話題でないことは分かる。エナナは無意識にリボンの巻かれた手首を握りしめていた。
「実は」
「とう、待って」
止めたのはユウだった。村長の服をぐっと引っ張っている。
「テオン兄は……帰ってくるよ」
どうしたというのだろうか。
「テオン兄は、帰ってくるの。決まってるんだよ」
決まっている……?村長の顔がはっとなる。まさか、あれがユウの予言?
巫女であるユウは未来を見ることができる。言葉を発する以前も未来の出来事を泣き声で教えてくれる立派な巫女なのだと、ハナが授業で言っていた。正確には『未来は決まってない。決まっているのは確定した運命だけ』なのだそうだ。
決まっている……。ユウが呟いたのは、まさにその「確定した運命」だった。
「テオン兄はね……英雄になるの。英雄になって、村に帰ってくるんだよ」
テオンが必ず帰ってくる……。エナナの目に涙が溢れだした。広場の前の方の皆もざわつきだす。ユウの声は小さい。周りにいるものに辛うじて聞こえているだけだ。
やがて村長が口を開く。眩しいほどの笑顔で。凛と張った声で。
「皆、よく聞け!今この村の巫女たるユウより予言があった。言葉で告げる初めての予言だ。心して聞くがよい」
再び場がしんと静まる。重い空気は既になかった。
「今日この村を旅立った少年テオンは!英雄テオンとなって、必ずこの村に帰ってくる!繰り返す!英雄テオンとなって!必ず!この村に帰ってくる!!」
ユウがにこっと笑う。子供たちの歓声が上がる。広場に笑顔が咲き乱れ、大歓声が巻き起こる。
「皆こんなに喜んでる。見せたかったな、テオン君にも……」
エナナの脳裡にテオンの笑顔が浮かぶ。村に来ても沈み込んでばかりだった彼女を励まし続けた、屈託のない明るい笑顔。村長の声はまだ続いている。
「よって!今宵もまた宴会である!未来の新英雄が旅立った今日この日を祝って、今宵もまた宴会である!皆の者、早急に準備に取りかかれ!!」
村人たちの興奮は最高潮だった。エナナは門の向こうを再び見やる。彼の姿はもう見えない。だがふと彼女は気付く。彼女の胸には昔から変わらない、強くて優しいテオンの姿が刻まれていた。
『好きな男を信じて待つのも、いい女の嗜みよ……』
「テオン君が帰ってくるまで、この村で待ってなきゃね。みんなと一緒に……」
エナナは手首のリボンを握りしめ、地平線の向こうに笑いかけた。
「私も……強くなるよ。テオン君」
この日、アルト村に笑い声が絶えることはなかった。これほどに盛り上がった宴は久しぶりであった。男は大いに叫び、女は大いに歌い、子供たちは大いにはしゃぎ回った。新英雄を祝う轟音は村を抜け、草原中に響き渡った。
初めてエナナからアムとディンに話しかけ、エルモはその様子を見て号泣し、そのどさくさでサラに抱き着こうとして蹴飛ばされる一幕もあった。
だがその一角で……。
「なあ、ディン……ララのやつ知らねえ?」
「ああ、俺も探してるんだけど、テオンを送り出してからあと、予言の時にも見かけてないんだよな」
ひとり、姿の見えない村人がいた。皆の輪に入っていたエナナも一緒に探す。宴でも一番に話しかけようと思った相手だった。
ふと門柱に掛けられた、簡単なメモに使われる小さな札が彼女の目に留まる。ナイフで文字が刻まれている。それは急作りの書き置きだった。
「嘘つきに会いにいきます ララ」
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
放置された公爵令嬢が幸せになるまで
こうじ
ファンタジー
アイネス・カンラダは物心ついた時から家族に放置されていた。両親の顔も知らないし兄や妹がいる事は知っているが顔も話した事もない。ずっと離れで暮らし自分の事は自分でやっている。そんな日々を過ごしていた彼女が幸せになる話。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
転生調理令嬢は諦めることを知らない
eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。
それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。
子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。
最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。
八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。
それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。
また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。
オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。
同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。
それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。
弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。
主人公が酷く虐げられる描写が苦手な方は、回避をお薦めします。そういう意味もあって、R15指定をしています。
追放令嬢ものに分類されるのでしょうが、追放後の展開はあまり類を見ないものになっていると思います。
2章立てになりますが、1章終盤から2章にかけては、「令嬢」のイメージがぶち壊されるかもしれません。不快に思われる方にはご容赦いただければと存じます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる