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出会い
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吸血鬼研究室は警察総合庁舎にあった。隅に追いやられた部屋で、天児モモカは緊張して少女を眺めていた。黒い大きな目が机上の地図をじっと見つめている。青戸、七月十五日早朝、遺体発見と書かれているのが最初の吸血鬼事件だ。
少女は自身を神だと言い、妖精だと言い、ユエンと名のった。「まあ、人でないとは思ったけど」とはアオの感想である。話を聞いたモモカも同じ考えだった。
調べたところ、彼女の言うとおり穴はさらに下にも空いていて、地面にくぼみができていた。食人鬼のゆくえは今も不明である。
「お待たせしました。私は布留部。ここの医師です」
乾いた声がしてモモカははっと顔をあげた。後ろから来たのは布留部アゲハ、この研究室の室長の女だ。観察するような目は純粋な好奇心で害意はない。ユエンのほうも気にしている様子はなかった。
鬼害対は近年できたばかりの組織な上、ここ東京は鬼害が少ないこともあって人がいない。隊といってもモモカと隊長の二人のみだ。それがここ数ヶ月は走り回っているのだからわからない。隊長である六道《ろくどう》も出はらっていた。東京駅での一件を知らせたからすぐ帰ってくるだろう。
なお、都防除組合の長である柊ナヨシはアオを連れてオフィスに戻っている。
「神とお会いするのは初めてです。てっきり死んだ後かと思っていました」
アゲハの冗談に、モモカはぎこちなく口元をあげた。モモカはまだ若く、食人鬼と戦った経験も少ない。それなのに、神だなんて。おそるおそる目をやると、その神は愉快そうに笑う。
「ははは、私のことはユエンでいい。神と呼ばれていただけで神そのものではない」
「わかっています。妖精ですね」
「妖精って、自然霊が形と意識をもったもの、でしたっけ」
「そう、『吸血鬼』も妖精の一種。吸血する人型妖精のうちのひとつよ」
アゲハがうなずいた。精気の塊が自然霊、それが核と物質としての膜をもち形をなしたものが妖精だ。歴史的には妖怪ともいう。
「吸血するものが吸血鬼ではないんですか?」
ユエンはどう説明すべきか考えた。吸血する妖精が吸血鬼というわけではない。
「人間のいう『吸血鬼』とはどういうものだ?」
「人の血を吸うもの、でしょう?」
「蚊やダニ、ヒルが吸血鬼だと? かまいたちは? 吸血蟲は?」
かまいたちは人の皮膚を切り血をなめる妖精だ。切ったところをすぐに治すため人に気づかれない場合が多い。吸血蟲は事故や事件現場の血によく集まっている虫のようなものだ。どちらも吸血するが吸血種の妖精として区別される。
「うーん……人のような姿をして人じゃないもの。力が強くて、魔眼があったりして、消えたり姿を変えたりする。血を吸うために鋭い牙やとがった舌をもっている。人の血を吸うとき血が固まらないよう唾液を入れるから、噛まれた人はたまに食人鬼や吸血鬼になっちゃったりするんですよね」
そのとおりだというようにユエンが人差し指を立てた。
「今いる『吸血鬼』はすべて十五世紀に生まれた突然変異の子孫だ。妖精のなかでも比較的新しいやつらさ」
「へえ……始祖がいるんですか」
「厳密に言えば鬼害を起こすようなのはその分家のやつらだが。妖精は古くから人のすぐ隣で暮らしてきた。もともと世界各地にいた妖精はイタズラをして人間をからかったり、襲ったり、逆に奪われたりしてきた。自然霊はどこにでもいるが、妖精は人間に依存する。もちろん吸血鬼も。そして私は神と同一視されたというわけだ」
モモカがそっとアゲハを見る。神とされた妖精がなぜここにいるのか。アゲハは表情を変えず、世間話のように切りだすことにする。
「へえ。じゃあ、どうしてユエンさんは東京駅にいたんですか?」
「吸血鬼の被害が増えているとずいぶん話題になっていたから」
ユエンは机上の地図に目を落とした。吸血鬼や食人鬼とは人間にとって害獣である。やつらは人間を選んで襲う。最初の死体発見は七月。そこからひと月に五、六件のペースで西南西におりてきたが、十一月――今月に入り増加した。鬼害があまりない東京の人手では対処できないとアオが呼ばれたのだ。
「そうですね……食われた数を正確に数えることは難しいのですが、増えています。東京にかぎらず、吸血鬼による人的被害は人間による殺人より少ないはずです」
「そうだろう。このような都市で争いが起こると吸血鬼側としても不利益だ。つまりこれらの事件はそういうのを理解していないか、理解していても気にしない個体だ」
ユエンはため息をひとつついた。長いまつげが憂わしげに震える。
「シズクが東京の大学を受けるんだ。こんな危険なところに行かせられん。だから、人間に協力しようと思う」
彼女の黒い目が揺れた。金と赤の混じった色がにじむ。シズクというのが誰かはわからずとも、だいじな誰かを心配してのことらしい。それならモモカたちにも理解できた。人間は自分が理解できるものには安心する。「わかる」と思ったものには心の障壁を和らげる。その隙間にユエンの目が入りこんだ。
「こちらからもお願いします」
アゲハが手を差しだすと柔らかな手がしっかりと応えた。
一方、都の吸血鬼防除組合のオフィス。組合長の柊ナヨシがアオの短刀を確認していた。短刀は組合からの貸出品で刀身は鋼か銀を選ぶことができる。銀は武器に適さないが、吸血鬼を寄せつけないといわれている。ともかくこの短刀は最後の武器であり、俗に噛まれたときの自害用と言われるものである。
「鋼か」
「銀だとすぐ黒くしてしまって」
「手入れはすることだ」
「う、はい」
そしてナヨシは矛に目を移した。丸みをおびた大きく広い矛先、鈍く光る鋼には鋸歯《きょし》の文様が入っている。赤い柄が差しこまれ、石突にも金属がはめられた矛は、あちこちの小さな傷に長く使われていることがわかる。
「登録した。きりきり働いてもらおう」
「うへぇ、了解です」
防除組合は各地域の自警団からできた組織だ。警察は武器を規制し自分たちで鬼害防除に当たろうとしたが、対応できずしかたなく組合に認可を出した。組合と鬼害対が並立しているのはこのためだ。とはいえ組合の出動には都環境局の依頼と警察の許可がなくてはならず、武器類の携帯にも登録の必要がある。
そのとき、ドアがきしんだかと思うと一気に開いた。どうもこのオフィスは建てつけが悪い。現れたのは日に焼けた肌の若い男だった。もじゃもじゃ頭をかいて、眉を困惑ぎみにさげる。今の時期、大げさとも思える厚いコートを着てぼやいた。
「うー……さぶいなあ。戻りました。呼ばれたんですが、ただの泥棒でしたよ」
「ただのってことはないが、そうか」
「ああ。あなた、今日来るって言ってた……」
戻ってきたなり持っていた柳葉刀を放りだした男は、アオに気づいて親しげに声をかけてきた。ナヨシが眉をひそめる。
「はいはい、生松アオですよ」
「やあ、よかった。ボクは趙シァオミンです。いやはや、人が足りてなくてね。ついさっき食人鬼と戦ったんですって? どうだったですかね」
すっと右手を差し伸べられ握手をかわす。背が高いのでアオが見あげる格好だ。
「シァオミン、その泥棒はどうした?」
「当然、警察に引き渡しましたよ。あいつ包丁持ってやがって振りまわすもんで。誰だ、人間に武器使うなって言ったの。素手でねじ伏せました。……とっさに吸血鬼と思いこむなんて、だいぶ疑心暗鬼になってるようですね」
「そうかもな。毎日毎日、吸血鬼のニュースばかりだ」
吸血鬼による被害とはいうが、ほとんどは食人鬼によるものだ。東京では食人鬼による被害も稀であり、組合がする鬼害対策は事故や事件の現場に銀貨を置いて鐘を鳴らすくらいのものだった。簡易な吸血鬼・吸血種除けである。
全国を見ても一年に十から二十体の食人鬼が駆除される程度だ。食人鬼、吸血鬼による人間の死亡は百から百五十人ほど。人間による殺人より被害が少ないはずだ。いわゆる「吸血鬼」の数は全世界でも二千体に満たないと推計されている。
「状況から見て、食人鬼は地下に潜伏しているようでしてね」
「へえ、地下……ですかあ」
地下に逃げるなんて聞いたことがないとシァオミンは首をかしげた。アオにとっても初めてのことだったが、この目で見てしまったのだから信じるしかない。吸血鬼は魔眼や不思議な力をもつものがいるという。眷属として主人の吸血鬼の能力を使う食人鬼もいるのかもしれない。
「どうりで下手人が見つからないと思いましたよ。死体ばかりだ」
地図に落とされたマークは青戸から南下して西へと進む。最近では十一月一日に人形町、それから新橋、青山霊園、そして本日の東京駅。新橋以降の三つは黄色のマークで、被害がケガですんだものだ。黄色はほかになく、残りは死体発見の赤いマークと不確実な情報を示す紫のマークだった。
「最初は食人鬼のしわざとみていたが、先日、吸血鬼らしいなにかが目撃された。今回の食人鬼はその眷属の可能性がある」
「吸血鬼がいて、食人鬼を一体は飼ってると」
「ああ。まず、ここの傷害事件で目撃者がいる。そしてこっちはシァオミンが遭遇してそれを見ている。証言から同一個体と考えていいだろう」
ナヨシは新橋付近のマークを指し、それから青山霊園近くのトンネルに置かれたマークを指した。どちらもケガですんだものだ。アオはシァオミンに視線を送る。
「ほお、吸血鬼を見たんですか」
「被害者が襲われているところを運よく発見したんです。逃げていくのが見えただけだけど。金色をした獣だった。オオカミに似てて、でも手足が長くて犬ではなかった。大型犬よりちょっと大きいくらいかな」
金の獣か。吸血鬼は人型のほかにオオカミやコウモリに姿を変えると聞く。めったに人の前に姿を見せないので噂や伝承と混同されている可能性もあるが、おおかたそのような能力を持っていると理解されている。
「……逃げた?」
「ああ、笛を吹いたら逃げました。ずいぶん慎重なやりかたです」
吸血鬼は警戒笛を聞いただけで逃げだした。見つからないよう人間を襲ったものが、発見され逃げることになったと考えるべきか。食人鬼が「食事」に運悪く出くわした人を襲って死亡させたりする例と比べると、慎重な行動だといえる。
「ケガ人が再び狙われることは避けたい。よって護衛をたてたわけだが……」
今までの事件例を見て、吸血鬼や食人鬼は狙った獲物に固執する。獲物をとられまいとし、たとえ逃げても血の匂いを追って探しだして襲うという。
ナヨシがじろりとシァオミンを見ると、彼はきまり悪そうに肩をすくめた。
「まー、ボクも悪かったんだけどね……」
「ひとりはうちの鳴神というのをつけた。もうひとりには顔を知ってるからと、こいつをつけたんだがな。相手とケンカをしやがった」
眉間のしわをより深くして、ナヨシは思いだすと腹が立つといった顔で言う。
「来たばかりで悪いが、アオ、かわりに行ってもらえるか」
少女は自身を神だと言い、妖精だと言い、ユエンと名のった。「まあ、人でないとは思ったけど」とはアオの感想である。話を聞いたモモカも同じ考えだった。
調べたところ、彼女の言うとおり穴はさらに下にも空いていて、地面にくぼみができていた。食人鬼のゆくえは今も不明である。
「お待たせしました。私は布留部。ここの医師です」
乾いた声がしてモモカははっと顔をあげた。後ろから来たのは布留部アゲハ、この研究室の室長の女だ。観察するような目は純粋な好奇心で害意はない。ユエンのほうも気にしている様子はなかった。
鬼害対は近年できたばかりの組織な上、ここ東京は鬼害が少ないこともあって人がいない。隊といってもモモカと隊長の二人のみだ。それがここ数ヶ月は走り回っているのだからわからない。隊長である六道《ろくどう》も出はらっていた。東京駅での一件を知らせたからすぐ帰ってくるだろう。
なお、都防除組合の長である柊ナヨシはアオを連れてオフィスに戻っている。
「神とお会いするのは初めてです。てっきり死んだ後かと思っていました」
アゲハの冗談に、モモカはぎこちなく口元をあげた。モモカはまだ若く、食人鬼と戦った経験も少ない。それなのに、神だなんて。おそるおそる目をやると、その神は愉快そうに笑う。
「ははは、私のことはユエンでいい。神と呼ばれていただけで神そのものではない」
「わかっています。妖精ですね」
「妖精って、自然霊が形と意識をもったもの、でしたっけ」
「そう、『吸血鬼』も妖精の一種。吸血する人型妖精のうちのひとつよ」
アゲハがうなずいた。精気の塊が自然霊、それが核と物質としての膜をもち形をなしたものが妖精だ。歴史的には妖怪ともいう。
「吸血するものが吸血鬼ではないんですか?」
ユエンはどう説明すべきか考えた。吸血する妖精が吸血鬼というわけではない。
「人間のいう『吸血鬼』とはどういうものだ?」
「人の血を吸うもの、でしょう?」
「蚊やダニ、ヒルが吸血鬼だと? かまいたちは? 吸血蟲は?」
かまいたちは人の皮膚を切り血をなめる妖精だ。切ったところをすぐに治すため人に気づかれない場合が多い。吸血蟲は事故や事件現場の血によく集まっている虫のようなものだ。どちらも吸血するが吸血種の妖精として区別される。
「うーん……人のような姿をして人じゃないもの。力が強くて、魔眼があったりして、消えたり姿を変えたりする。血を吸うために鋭い牙やとがった舌をもっている。人の血を吸うとき血が固まらないよう唾液を入れるから、噛まれた人はたまに食人鬼や吸血鬼になっちゃったりするんですよね」
そのとおりだというようにユエンが人差し指を立てた。
「今いる『吸血鬼』はすべて十五世紀に生まれた突然変異の子孫だ。妖精のなかでも比較的新しいやつらさ」
「へえ……始祖がいるんですか」
「厳密に言えば鬼害を起こすようなのはその分家のやつらだが。妖精は古くから人のすぐ隣で暮らしてきた。もともと世界各地にいた妖精はイタズラをして人間をからかったり、襲ったり、逆に奪われたりしてきた。自然霊はどこにでもいるが、妖精は人間に依存する。もちろん吸血鬼も。そして私は神と同一視されたというわけだ」
モモカがそっとアゲハを見る。神とされた妖精がなぜここにいるのか。アゲハは表情を変えず、世間話のように切りだすことにする。
「へえ。じゃあ、どうしてユエンさんは東京駅にいたんですか?」
「吸血鬼の被害が増えているとずいぶん話題になっていたから」
ユエンは机上の地図に目を落とした。吸血鬼や食人鬼とは人間にとって害獣である。やつらは人間を選んで襲う。最初の死体発見は七月。そこからひと月に五、六件のペースで西南西におりてきたが、十一月――今月に入り増加した。鬼害があまりない東京の人手では対処できないとアオが呼ばれたのだ。
「そうですね……食われた数を正確に数えることは難しいのですが、増えています。東京にかぎらず、吸血鬼による人的被害は人間による殺人より少ないはずです」
「そうだろう。このような都市で争いが起こると吸血鬼側としても不利益だ。つまりこれらの事件はそういうのを理解していないか、理解していても気にしない個体だ」
ユエンはため息をひとつついた。長いまつげが憂わしげに震える。
「シズクが東京の大学を受けるんだ。こんな危険なところに行かせられん。だから、人間に協力しようと思う」
彼女の黒い目が揺れた。金と赤の混じった色がにじむ。シズクというのが誰かはわからずとも、だいじな誰かを心配してのことらしい。それならモモカたちにも理解できた。人間は自分が理解できるものには安心する。「わかる」と思ったものには心の障壁を和らげる。その隙間にユエンの目が入りこんだ。
「こちらからもお願いします」
アゲハが手を差しだすと柔らかな手がしっかりと応えた。
一方、都の吸血鬼防除組合のオフィス。組合長の柊ナヨシがアオの短刀を確認していた。短刀は組合からの貸出品で刀身は鋼か銀を選ぶことができる。銀は武器に適さないが、吸血鬼を寄せつけないといわれている。ともかくこの短刀は最後の武器であり、俗に噛まれたときの自害用と言われるものである。
「鋼か」
「銀だとすぐ黒くしてしまって」
「手入れはすることだ」
「う、はい」
そしてナヨシは矛に目を移した。丸みをおびた大きく広い矛先、鈍く光る鋼には鋸歯《きょし》の文様が入っている。赤い柄が差しこまれ、石突にも金属がはめられた矛は、あちこちの小さな傷に長く使われていることがわかる。
「登録した。きりきり働いてもらおう」
「うへぇ、了解です」
防除組合は各地域の自警団からできた組織だ。警察は武器を規制し自分たちで鬼害防除に当たろうとしたが、対応できずしかたなく組合に認可を出した。組合と鬼害対が並立しているのはこのためだ。とはいえ組合の出動には都環境局の依頼と警察の許可がなくてはならず、武器類の携帯にも登録の必要がある。
そのとき、ドアがきしんだかと思うと一気に開いた。どうもこのオフィスは建てつけが悪い。現れたのは日に焼けた肌の若い男だった。もじゃもじゃ頭をかいて、眉を困惑ぎみにさげる。今の時期、大げさとも思える厚いコートを着てぼやいた。
「うー……さぶいなあ。戻りました。呼ばれたんですが、ただの泥棒でしたよ」
「ただのってことはないが、そうか」
「ああ。あなた、今日来るって言ってた……」
戻ってきたなり持っていた柳葉刀を放りだした男は、アオに気づいて親しげに声をかけてきた。ナヨシが眉をひそめる。
「はいはい、生松アオですよ」
「やあ、よかった。ボクは趙シァオミンです。いやはや、人が足りてなくてね。ついさっき食人鬼と戦ったんですって? どうだったですかね」
すっと右手を差し伸べられ握手をかわす。背が高いのでアオが見あげる格好だ。
「シァオミン、その泥棒はどうした?」
「当然、警察に引き渡しましたよ。あいつ包丁持ってやがって振りまわすもんで。誰だ、人間に武器使うなって言ったの。素手でねじ伏せました。……とっさに吸血鬼と思いこむなんて、だいぶ疑心暗鬼になってるようですね」
「そうかもな。毎日毎日、吸血鬼のニュースばかりだ」
吸血鬼による被害とはいうが、ほとんどは食人鬼によるものだ。東京では食人鬼による被害も稀であり、組合がする鬼害対策は事故や事件の現場に銀貨を置いて鐘を鳴らすくらいのものだった。簡易な吸血鬼・吸血種除けである。
全国を見ても一年に十から二十体の食人鬼が駆除される程度だ。食人鬼、吸血鬼による人間の死亡は百から百五十人ほど。人間による殺人より被害が少ないはずだ。いわゆる「吸血鬼」の数は全世界でも二千体に満たないと推計されている。
「状況から見て、食人鬼は地下に潜伏しているようでしてね」
「へえ、地下……ですかあ」
地下に逃げるなんて聞いたことがないとシァオミンは首をかしげた。アオにとっても初めてのことだったが、この目で見てしまったのだから信じるしかない。吸血鬼は魔眼や不思議な力をもつものがいるという。眷属として主人の吸血鬼の能力を使う食人鬼もいるのかもしれない。
「どうりで下手人が見つからないと思いましたよ。死体ばかりだ」
地図に落とされたマークは青戸から南下して西へと進む。最近では十一月一日に人形町、それから新橋、青山霊園、そして本日の東京駅。新橋以降の三つは黄色のマークで、被害がケガですんだものだ。黄色はほかになく、残りは死体発見の赤いマークと不確実な情報を示す紫のマークだった。
「最初は食人鬼のしわざとみていたが、先日、吸血鬼らしいなにかが目撃された。今回の食人鬼はその眷属の可能性がある」
「吸血鬼がいて、食人鬼を一体は飼ってると」
「ああ。まず、ここの傷害事件で目撃者がいる。そしてこっちはシァオミンが遭遇してそれを見ている。証言から同一個体と考えていいだろう」
ナヨシは新橋付近のマークを指し、それから青山霊園近くのトンネルに置かれたマークを指した。どちらもケガですんだものだ。アオはシァオミンに視線を送る。
「ほお、吸血鬼を見たんですか」
「被害者が襲われているところを運よく発見したんです。逃げていくのが見えただけだけど。金色をした獣だった。オオカミに似てて、でも手足が長くて犬ではなかった。大型犬よりちょっと大きいくらいかな」
金の獣か。吸血鬼は人型のほかにオオカミやコウモリに姿を変えると聞く。めったに人の前に姿を見せないので噂や伝承と混同されている可能性もあるが、おおかたそのような能力を持っていると理解されている。
「……逃げた?」
「ああ、笛を吹いたら逃げました。ずいぶん慎重なやりかたです」
吸血鬼は警戒笛を聞いただけで逃げだした。見つからないよう人間を襲ったものが、発見され逃げることになったと考えるべきか。食人鬼が「食事」に運悪く出くわした人を襲って死亡させたりする例と比べると、慎重な行動だといえる。
「ケガ人が再び狙われることは避けたい。よって護衛をたてたわけだが……」
今までの事件例を見て、吸血鬼や食人鬼は狙った獲物に固執する。獲物をとられまいとし、たとえ逃げても血の匂いを追って探しだして襲うという。
ナヨシがじろりとシァオミンを見ると、彼はきまり悪そうに肩をすくめた。
「まー、ボクも悪かったんだけどね……」
「ひとりはうちの鳴神というのをつけた。もうひとりには顔を知ってるからと、こいつをつけたんだがな。相手とケンカをしやがった」
眉間のしわをより深くして、ナヨシは思いだすと腹が立つといった顔で言う。
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