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結衣さんの秘密
しおりを挟む「え、…じゃあ、本物のヤクザなのかい?」
「違うわよ。そんなイカれた野蛮人なんか好きになるはずないでしょう。私の好きな人も天使みたいに可愛い人よ」
結衣さんはそう言うと、スマホの待ち受け画像を僕に提示した。
そこには結衣さんと似たような、可愛らしいメイクをした女性が映っていた。
「き、君が結婚したい人って、、」
僕はかなり驚いて、哀しげに肩を落としている結衣さんを見つめた。
「そうなの。私が結婚したい人は女性なの。だから親が反対するのは当たり前よ。あなたなんか私と比べたらまだハードルが低いわよ」
ここ数年でLGBTQの存在はかなりクローズアップされ、彼らに対する理解はかなり進んだように思うけれど。
実際に目にしたのは今日が初めてだ。
世間ではずいぶんと騒がれてはいるものの、やはりマイノリティな世界だと思う。思いもよらないカミングアウトに驚き、言葉を失う。
「そんなバケモノでも見るみたいな目で見ないでよ!」
僕の率直な反応に、結衣さんはひどく傷ついたようだった。
だけど僕だって、悪気があってしたわけでもない。ごく一般的な反応だと思う。
だから彼らは認めてもらいたがっているのだろう。そんな人たちが当たり前に生活できる世の中に。
僕には理解しがたいというのが率直な感想だ。人の好みにアレコレ言うつもりはないけれど。
「そ、それで、君を助けるってどういうことだい?」
気を取り直して本題に入る。
「しばらくの間、私と付き合っているということにしてもらいたいの」
なるほど。親の目を撹乱させる作戦か。
「それは無理だと思う。僕は彼女と一日も早く結婚したいと思っているから」
今夜美穂さんに会えるかもしれないんだ。美穂さんの気持ちが変わってなかったら、すぐにも結婚したい。そして両親をギャフンと言わせてやるんだ。
「それなら尚の事だわ。両親を安心させておいたほうが身のためよ。そうじゃないとどんな手を使って邪魔してくるか分かったものじゃないでしょ。わたし、今の彼女は絶対に失いたくないの。お願いします!」
結衣さんは切実な目で僕を見つめ、頭を下げた。
確かにうちの両親も手段を選ばないタイプだ。僕はバレないように内緒で結婚するつもりでいたけれど、この見合いを受け入れて、両親を安心させたほうが得策と言えるような気もする。
両親は美穂さんに関して重大な秘密を握っている。あんな秘密を公にされるわけにはいかない。
「君の要求はわかったよ。確かに僕たち同じ境遇だね」
彼女の恋人という女性も、磯村家の両親から脅迫でもされているのだろうか。
「両親には中学の時にレズだってことがバレてしまったの。それからはずいぶん気をつけるようにしていたわ。でも今年の夏、アパートで一緒に住んでいたことがバレてしまって。仲のいいルームメイトよって言っても信じてはもらえなかったの。両親は彼女に三百万円渡そうとしたわ。娘と別れて欲しいと言ってね。それでも彼女は私を選んでくれた。だけど彼女は母子家庭で育っていて、とても貧しいし、女手ひとつで育ててくれた母親を裏切ることにも抵抗があるみたいで……。先のことを考えると不安で仕方がないの」
結衣さんの不安な気持ちはよくわかる。その恋人という女性の苦悩も相当なものだろうと推察する。どっちの選択が幸せな結末になるのか、僕としては判断が難しい。
それでも彼女たちの選択が、親に強制されるべきではないように思われた。
「わかった。君の提案に協力するよ。僕の両親も手段を選ばないタイプだから」
「ありがとう! 恩にきまるわ。私の場合、あなたが彼女を見つけるのとはわけが違うの。どんなに素敵な人を見つけても、その人は男性が好きなんだもの。恋人なんて簡単には見つけられないわ」
憂に沈んでいた結衣さんの顔にやっと笑顔が戻った。
男の恋人ならすぐにでも見つけられそうな人なのに、世の中は上手くいかないものなんだな。
「君は一度も男性を好きになったことはないの?」
「ないわ。私、子供の頃からフワッとして柔らかくてマシュマロみたいなものが好きだった。男の人はゴツゴツしていてゴリラみたい。一緒に寝たいとか全く思えないのよね」
「……そ、そうなんだ」
僕たちはラインのQRコードをスキャンして、度々連絡を取り合うことに合意した。
彼女の告白は予想を超えるものだったけれど、僕にとってもその提案は悪いものではなかった。
彼女はここから地下鉄駅に向かうと言い、手を振って帰っていった。
アパートに戻ると、母がソワソワと落ち着きないようすで僕の帰りを待ち構えていた。
「おかえりなさい。どうだったの? 上手くおしゃべりできた?」
女性との会話が苦手な僕を心配していたのだろう。まるで小学生のような扱いだ。
「うん、また会う約束をしたよ。とても楽しい人だね」
嘘をつくことに慣れてない僕は、母の目を見ることが出来なかった。
「あら、本当に? あなたのことだからダメかと諦めていたのよ。やっぱり結衣さんは大人ね。あんな人がお嫁さんになってくれたら、もうなんの心配もないわ。磯村家の奥様も二人の結婚にはとっても乗り気なの。上手くいくといいわぁ」
何も知らない母は、胸をなでおろしたかのように安堵の表情を見せた。
母に嘘をついていることに気が咎めたけれど、こんな状況を無理やり作ったのは母なのだ。それに結衣さんと本当に結婚などしたら、いずれは美穂さん以上の衝撃を受けることになるだろう。
そんなことを想像して、つい笑みがもれた。
「僕、これから出かけなければいけないんだ」
「そうだったわね。お母さんもやっと安心して眠れるわ。ちゃんと礼儀正しくお付き合いするのよ。あんなに素敵なお嬢さんなんて、中々見つけられないんだから。感謝してもらわなくちゃね」
恩着せがましいことを言いながら、母はコートを着てバッグを手にした。
「ブイヤベース美味しそうだね。ご馳走になるよ。ありがとう」
「ええ、じゃあね。結衣さんにもあなたから、お礼とお詫びを伝えておいて頂戴」
「わかったよ。じゃあ、気をつけて帰って」
母は大役を終えた役者のように、満足した足取りで去っていった。
あとはあの幽霊屋敷に、美穂さんが本当に居てくれたらいいのだけれど。
ブイヤベースを食べたあと、祈るような気持ちで真駒内へ向かった。
クルマから降りると風が強く、雪が降ってもおかしくないほどの寒さだった。寂れたこの辺りはうす暗くて、街中よりも寒く感じられる。
幽霊屋敷みたいな家にもちゃんと明かりがついていた。美穂さんはいるどろうか。
絶対にいるはずだ。今日はなにを言われても諦めないぞ。
ブザーを押すと、いつものお母さんの声が聞こえた。
ドアは開けてくれたけれど、返事はいつもと同じで、美穂からはなんの連絡もないとのことだ。
茉理さんからの情報を得たあとでは、お母さんの迫真の演技もみえみえで、一層わざとらしく感じられた。
美穂さんが来るまで一晩中待ってますと告げ、クルマに戻った。
そういえば、介護の仕事を始めていると言っていた。夜勤をしているなら待っていてもムダということか。
少し不安になりながらも、とりあえず一時間は待っていようと心に決めた。
その心配はすぐに解消され、五分ほどして美穂さんが幽霊屋敷から出てきた。
あまりの嬉しさに胸が高鳴り、気持ちが舞い上がる。
すぐにクルマから降りて、美穂さんに駆け寄った。
美穂さんはまだ、暗い過去の失敗に囚われていた。そんな苦い記憶に支配されて、未来まで潰そうといている美穂さんを説得した。
なんとか美穂さんのマイナス思考を変えようと、僕は必死だった。
その熱意がうまく伝わったようだった。
美穂さんの表情が次第に明るいものになり、僕は信頼されていることを強く感じた。
過去の記憶や未来の不安に怯えるのはやめよう。
僕たち、今を一緒に生きるんだ。
辛いことも悲しいことも、ふたり一緒なら、必ず乗り越えられるよ。
美穂さん、やっと僕のところへ戻って来てくれた。
もう、もう二度と離さないよ。
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