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復縁を迫られて
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悠李に必要なものくらいは両親に負担をかけたくなかったし、出戻った実家というのは、結婚前ほどには居心地のいい場所じゃなかった。
一日中、母のため息や小言を聞いていると、運気まで下がりそうな気分になり、気が滅入る。
悠李が保育園に入れるようになったら、近くにアパートでも借りて住む方がいいかもしれない。
シングルマザーとはいえ、若い両親にサポートしてもらえる自分は恵まれているほうだろう。
運気が下がろうと、気が滅入ろうと、今は悠李を育てなければならない。
落ち込んで引きこもっているわけにはいかないのだった。
師走に入り、時々大雪に見舞われる季節になった。
今朝起きて窓の外を見ると、昨夜から降り続いた雪が膝の高さまで 降り積もっていた。
午前中、積み木やプラレールで遊んでいた悠李も飽きてきて、お昼ご飯をすませてからはぐずりだした。
寒くて面倒と思いながらも、悠李につなぎのジャンパーを着せた。
手袋をはめて、母が編んでくれたブルーの毛糸の帽子を被せてから、自宅前の小さな庭で一緒に雪だるまを作った。
悠李が除雪で積まれた雪山によじ登って転げ落ちた。
頬についた冷たい雪の感触が楽しいのか、ケタケタと笑っている。
悠李の笑顔が、なによりも元気と癒しを与えてくれる。
結局、いつまでたっても馴染めなかった近くの内科医院を辞めた。
気が滅入っている上に、仕事でもストレスを抱えるなんて辛すぎる。
先週、南区にある総合病院をネットを介して紹介された。
すでに面接もすませ、明日は初出勤の日だ。
夜勤もあるけれど、悠李はもう夜泣きなどはあまりしなくなったので両親に預けても大丈夫と思う。
狭い人間関係の個人医院はもうこりごりだ。
悠李は可愛いけれど、乳幼児と四六時中いっしょにいるというのは精神的にかなりきついものがある。
早く保育園に入れるといいのだけれど。
母も最近、とても疲れた顔をしている。
悠李と同じ背丈の雪だるまができあがった。
庭の木の枯れ枝を二本折り取って腕にし、目と鼻になるものを家へ取りに行った。
冷蔵庫からにんじんと粒チョコを見つけて持っていくと、玄関に誰かの車が停まっていた。
「悠李! おまえ、でかくなったな」
黒いハーフコートを着た潤一が、笑いながら悠李を抱き上げていた。
なんの連絡もなしに、突然なにをしにきたのだろう。
一緒に暮らしていたときは、悠李の顔さえ見ようとしなかったのに。
「なにしに来たんですか?」
どんなに大切な用があって来たのか知らないけれど、よく平気な顔をして来られるものだと思う。
この図太さが少しだけうらやましく、とても腹立たしい。
「よぉ、彩矢、元気そうだな」
潤一はさすがに少しバツの悪い顔をした。
「パッパ!」
抱っこされていた悠李が、突然思い出したように口にした。
「悠李、覚えてたのか? おまえは俺に似て頭がいいな。確かにパパだ。一応は俺の子だからな」
なにがパパだ。いいかげんにして欲しい。
「やめてください!」
潤一から悠李をもぎ取った。
「そう怒るなよ。相変わらず怖い女だな」
「だから、なにをしに来たんですか? なんの用?」
苛立ちを隠しきれず、棘のある言い方しかできない。
「迎えに来たんだよ。おまえと悠李を」
「えっ?」
「莉子が出ていったんだよ。だから帰って来いよ」
「莉子ちゃんがどうして? 赤ちゃんはどうするんですか?」
「嘘だったんだよ。はじめからそう思ってたけどな。だけど妊娠なんて女じゃなきゃわからないことだし、子どもができたって言われたら、そうなのかとしか言えないからな、男は」
莉子ちゃんが狂言を……。
「なぁ、悠李、おまえも帰りたいだろ、小樽へ」
いくら莉子ちゃんが出て行ったからって、元のように戻れるわけないじゃない。
「帰れるわけないでしょう。お義母さんは悠李が潤一さんの子どもじゃないって知ってるのよ」
「そのことはお袋に言ったよ。俺がレイプまがいのことして、佐野とおまえの結婚をダメにしたってこと。おかげでこっぴどく叱られたけどな。だからおまえに対しても悪いと思ってるから」
「………」
「俺だって、結婚した女を不幸にしてばっかりはもう嫌なんだよ」
うんざりしたようにため息をついた。
「…そんなこと急に言われても」
あまりに突然すぎる。
これは喜ばしいことなのだろうか?
潤一に悠李を可愛がるなんてことができるのだろうか?
「悠李に弟か妹を作ってやろうぜ。彩矢そっくりの女の子がいいな。可愛いぞ~ なぁ悠李、おまえも妹が欲しいだろ?」
抱っこされている悠李のほっぺを突ついた。
悠李がもがくので踏まれていない新雪の上へ降ろしてあげた。
潤一のことは嫌いではないし、全く未練がないわけでもない。
でも……。
「南区にある総合病院で働くことになっているの。明日が初出勤なの」
「急用ができたって断ればいいだろ。働くことはないからな、家のことだけしていれば。それよりおまえは料理教室にでも通えよ」
小バカにしたようにククッと笑った。
「ちょっと、考えさせてもらってもいい?」
即答できるような話ではない。
「なにを考えることがあるんだよっ!」
ひどいことをしておきながら、なんの不満があるんだと言わんばかりの態度が癪にさわる。
「おまえはもったいぶったことを言うのが好きな女だな。後でまた、やっぱり結婚してくれって泣きついてきても遅いんだぞ!」
この自信過剰な男をへこませてやりたい気持ちになりながらも、だからこそ頼ってしまいたくなる自分もいる。
「どうせ来るんだろ、早くしろよ。一緒に帰るぞ。ほら支度してこい。俺が悠李と遊んでいてやるよ。なぁ悠李」
悠李は新雪の上に寝転んでゴロゴロと転げまわっている。
「なに言ってるの。今日中になんて絶対に無理。まだ行くかどうかも決めてないのに」
「もう、着る服がないんだよ。早く来てくれよ」
潤一が切羽詰まったように訴えた。
脱ぎ散らかした衣服が散乱した、悲惨な部屋の光景が目に浮かんだ。
さっきまでの、ちょっとした甘やかなムードまでもが一変した。
「なによ、来て欲しいのは家政婦じゃないの!」
なにが結婚した女を不幸にしたくないだ。
いつだって自己中心的にしかものを考えられないのだ、この男は。
ひどく裏切られたような気がした。
「おまえは家政婦にはなれないだろ。俺は料理の下手な彩矢に来て欲しいって言ってるんだぞ」
プッ、と吹きだして、自分の言葉にウケている。
「………」
ああ言えばこう言う潤一を忌々しく思いながらも、返す言葉を見つけられずに押し黙った。
一日中、母のため息や小言を聞いていると、運気まで下がりそうな気分になり、気が滅入る。
悠李が保育園に入れるようになったら、近くにアパートでも借りて住む方がいいかもしれない。
シングルマザーとはいえ、若い両親にサポートしてもらえる自分は恵まれているほうだろう。
運気が下がろうと、気が滅入ろうと、今は悠李を育てなければならない。
落ち込んで引きこもっているわけにはいかないのだった。
師走に入り、時々大雪に見舞われる季節になった。
今朝起きて窓の外を見ると、昨夜から降り続いた雪が膝の高さまで 降り積もっていた。
午前中、積み木やプラレールで遊んでいた悠李も飽きてきて、お昼ご飯をすませてからはぐずりだした。
寒くて面倒と思いながらも、悠李につなぎのジャンパーを着せた。
手袋をはめて、母が編んでくれたブルーの毛糸の帽子を被せてから、自宅前の小さな庭で一緒に雪だるまを作った。
悠李が除雪で積まれた雪山によじ登って転げ落ちた。
頬についた冷たい雪の感触が楽しいのか、ケタケタと笑っている。
悠李の笑顔が、なによりも元気と癒しを与えてくれる。
結局、いつまでたっても馴染めなかった近くの内科医院を辞めた。
気が滅入っている上に、仕事でもストレスを抱えるなんて辛すぎる。
先週、南区にある総合病院をネットを介して紹介された。
すでに面接もすませ、明日は初出勤の日だ。
夜勤もあるけれど、悠李はもう夜泣きなどはあまりしなくなったので両親に預けても大丈夫と思う。
狭い人間関係の個人医院はもうこりごりだ。
悠李は可愛いけれど、乳幼児と四六時中いっしょにいるというのは精神的にかなりきついものがある。
早く保育園に入れるといいのだけれど。
母も最近、とても疲れた顔をしている。
悠李と同じ背丈の雪だるまができあがった。
庭の木の枯れ枝を二本折り取って腕にし、目と鼻になるものを家へ取りに行った。
冷蔵庫からにんじんと粒チョコを見つけて持っていくと、玄関に誰かの車が停まっていた。
「悠李! おまえ、でかくなったな」
黒いハーフコートを着た潤一が、笑いながら悠李を抱き上げていた。
なんの連絡もなしに、突然なにをしにきたのだろう。
一緒に暮らしていたときは、悠李の顔さえ見ようとしなかったのに。
「なにしに来たんですか?」
どんなに大切な用があって来たのか知らないけれど、よく平気な顔をして来られるものだと思う。
この図太さが少しだけうらやましく、とても腹立たしい。
「よぉ、彩矢、元気そうだな」
潤一はさすがに少しバツの悪い顔をした。
「パッパ!」
抱っこされていた悠李が、突然思い出したように口にした。
「悠李、覚えてたのか? おまえは俺に似て頭がいいな。確かにパパだ。一応は俺の子だからな」
なにがパパだ。いいかげんにして欲しい。
「やめてください!」
潤一から悠李をもぎ取った。
「そう怒るなよ。相変わらず怖い女だな」
「だから、なにをしに来たんですか? なんの用?」
苛立ちを隠しきれず、棘のある言い方しかできない。
「迎えに来たんだよ。おまえと悠李を」
「えっ?」
「莉子が出ていったんだよ。だから帰って来いよ」
「莉子ちゃんがどうして? 赤ちゃんはどうするんですか?」
「嘘だったんだよ。はじめからそう思ってたけどな。だけど妊娠なんて女じゃなきゃわからないことだし、子どもができたって言われたら、そうなのかとしか言えないからな、男は」
莉子ちゃんが狂言を……。
「なぁ、悠李、おまえも帰りたいだろ、小樽へ」
いくら莉子ちゃんが出て行ったからって、元のように戻れるわけないじゃない。
「帰れるわけないでしょう。お義母さんは悠李が潤一さんの子どもじゃないって知ってるのよ」
「そのことはお袋に言ったよ。俺がレイプまがいのことして、佐野とおまえの結婚をダメにしたってこと。おかげでこっぴどく叱られたけどな。だからおまえに対しても悪いと思ってるから」
「………」
「俺だって、結婚した女を不幸にしてばっかりはもう嫌なんだよ」
うんざりしたようにため息をついた。
「…そんなこと急に言われても」
あまりに突然すぎる。
これは喜ばしいことなのだろうか?
潤一に悠李を可愛がるなんてことができるのだろうか?
「悠李に弟か妹を作ってやろうぜ。彩矢そっくりの女の子がいいな。可愛いぞ~ なぁ悠李、おまえも妹が欲しいだろ?」
抱っこされている悠李のほっぺを突ついた。
悠李がもがくので踏まれていない新雪の上へ降ろしてあげた。
潤一のことは嫌いではないし、全く未練がないわけでもない。
でも……。
「南区にある総合病院で働くことになっているの。明日が初出勤なの」
「急用ができたって断ればいいだろ。働くことはないからな、家のことだけしていれば。それよりおまえは料理教室にでも通えよ」
小バカにしたようにククッと笑った。
「ちょっと、考えさせてもらってもいい?」
即答できるような話ではない。
「なにを考えることがあるんだよっ!」
ひどいことをしておきながら、なんの不満があるんだと言わんばかりの態度が癪にさわる。
「おまえはもったいぶったことを言うのが好きな女だな。後でまた、やっぱり結婚してくれって泣きついてきても遅いんだぞ!」
この自信過剰な男をへこませてやりたい気持ちになりながらも、だからこそ頼ってしまいたくなる自分もいる。
「どうせ来るんだろ、早くしろよ。一緒に帰るぞ。ほら支度してこい。俺が悠李と遊んでいてやるよ。なぁ悠李」
悠李は新雪の上に寝転んでゴロゴロと転げまわっている。
「なに言ってるの。今日中になんて絶対に無理。まだ行くかどうかも決めてないのに」
「もう、着る服がないんだよ。早く来てくれよ」
潤一が切羽詰まったように訴えた。
脱ぎ散らかした衣服が散乱した、悲惨な部屋の光景が目に浮かんだ。
さっきまでの、ちょっとした甘やかなムードまでもが一変した。
「なによ、来て欲しいのは家政婦じゃないの!」
なにが結婚した女を不幸にしたくないだ。
いつだって自己中心的にしかものを考えられないのだ、この男は。
ひどく裏切られたような気がした。
「おまえは家政婦にはなれないだろ。俺は料理の下手な彩矢に来て欲しいって言ってるんだぞ」
プッ、と吹きだして、自分の言葉にウケている。
「………」
ああ言えばこう言う潤一を忌々しく思いながらも、返す言葉を見つけられずに押し黙った。
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