六華 snow crystal

なごみ

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情事のあとに

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夜勤者に申し送りをしてロッカールームで着替え、LINEを開くと先生から『いつものコンビニで六時』と連絡が入っていた。


はじめの頃は週に何度も会っていたのに、最近は少なくなった。


一週間ぶりなのでとても嬉しい。


病院から徒歩三分のコンビニで待ち合わせているのは、近くて便利なことと、誰かとばったり出会っても、買い物で立ち寄ったように言い訳のきく場所だからだ。


知った人がいなければ、そのまま車に乗ることができる。
 

お弁当コーナーで、ホテルで食べるものもついでに購入する。


そういう場所でしか安心して会うことができないことに、むなしさを感じるけれど、自分で選んでしまったことである。

 
雑誌を立ち読みしているふりをして待っていたら、先生は15分遅刻して、駐車場に止まった。


知った人がいないかどうかを確認して、素早く後部座席に乗り込んだ。 





今日の先生はとても上機嫌だ。

 
なにかいいことでもあったのかな。

 
運転中、突然雨が降ってくると鼻歌をうたい始めた。

 
これはたしかアスカの『はじまりはいつも雨』と言う歌だ。


アスカが歌うと甘く切ないメロディーだけれど、先生はお世辞にも歌が上手とは言えなかった。


「いい歌だなぁ。♪ ~彩矢はほんとにぼ~くを愛してる~かい、愛せてる~かい~?」

 
ミラー越しに歌いながら、問いかけた。


「先生のほうが彩矢のこと、ほんとに愛してくれてるのか全然わからない……」

 
小声でボソボソと言ったので雨の音にかき消された。


「えっ、なに? なんて言った?」


「なんでもない!」


「なんだよ、なんでもないって。ロマンチックじゃないな~」


つまらなそうに不満げな顔をした。



***

ホテルで愛し合って家まで送ってもらったら、まだ十時前だった。


最近は午前様になることもなく、母からのお説教もなくなったけれど、休憩三時間であわてて身支度する先生には幻滅だ。


激しく降っていた雨は霧雨に変わっていた。

 
いつも家から二十メートルほど手前で車を停めてもらう。

 
おやすみのキスをして車から降りた。

 
先生が車をUターンさせて行ってしまったのを見届けて、家へ向かった。

 
家から少し離れた向こう側に車が停車していた。


見覚えのあるグレーのレクサスだった。

 
車のドアが開いて佐野さんが降りてきた。


「佐野さん!」
 

悪い悪戯を見つけられた子どものように緊張してうなだれた。


「彩矢ちゃん、ごめん。ストーカーみたいなことして」


佐野さんも少しバツの悪そうな顔をして視線を泳がせた。


「いつから、ここに?」


「やっぱり、松田先生だったんだな」


「……… 」


「彩矢ちゃん……。松田先生にこれまで泣かされてきた女の子たちを何人も見てきた。医師としては優秀な人だと思うけど、誠意なんて少しもないんだ。わからないのかい?」


「……… 」


「相手が違う男だったらそれでいいんだ。残念だけど彩矢ちゃんのことあきらめるよ。だけど、松田先生だけはダメだ」


「……… 」


「彩矢ちゃん、頼むよ。俺、彩矢ちゃんが泣くところ見たくないんだよ」


「彩矢だって……彩矢だって、やめようと思ったよ。でもダメだった。もう遅すぎたの!」


 霧雨で濡れた顔がさらに涙で濡れた。


「なにが遅いんだよ。今からだってやり直せるだろ。とにかく松田先生だけはやめた方がいい。ボロボロにされるぞ!」


「佐野さんに助けて欲しかったの……忘れるために利用しようとしてたの。ごめんなさい」


泣きながら家の玄関に向かって歩き出した。


「彩矢ちゃん……」


よくないことは初めからわかっている。


だけど、もう引き返せない。


自分の意思ではどうすることも出来ないから、こんなにも苦しい。









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