六華 snow crystal 7

なごみ

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茉理という女

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*潤一*


「茉理ちゃん、とにかく可愛い子なんです。メチャクチャ美人なんですよ」


後期研修医二年目の川崎は、その茉理という女にすっかり骨抜きにされているようだ。


奴がいま夢中になっているその女は病院職員ではない。


相手は入院患者で、まだ17歳の女子高生だという。


どこまでもバカな奴だ。


両思いになれたとしても、一歩間違えたら犯罪になってしまうだろう。


だけど、どんな美人なのか自然に興味がわいた。


ーー17歳の女子高生か。


確かにテンションあがるな。


巷《ちまた》で流行りのアイドルグループに、興味など持ったことのない俺だけれど、目の保養になるだけでも病院に来る楽しみが増えるというものだ。






西区にある脳神経外科病院に配属され、今日が初めての出勤日。


副院長の長澤Dr.からは、事前に外来と入院の現況などは簡単に説明されている。


病棟の回診は8時30分から始まり、9時からは外来診療が始まる。


朝一番にICUとNCUの患者を診る。


夜勤の受け持ちナースから病状を聞き、データ等の確認をして指示を出す。


その後はナースステーションへ入り、入院患者のカルテやCT画像などをみる。


今日が初めてなので、研修医の川崎と一緒に病室をまわった。






まだ朝食を摂っている患者がいて、病棟は病院食の匂いが立ち込めていた。


ナースステーションに近い301号室の4人部屋に入る。



「おはようございます」


「おはようございまーす!」


川崎が明るい声で病室の患者に挨拶をしたが、返事をしたのは食事介助をしていた看護助手だけだった。


この病室に意思疎通が取れそうな患者は二人くらいだ。


手前廊下側のベッドに、痩せ細った老婆が看護助手からミキサー食を食べさせられていた。


「俊子さん、調子はどうですか? ご飯、美味しいですか?」


俊子という患者は川崎の問いに、無表情のままロボットのように口を開け、機械的に咀嚼を繰り返している。


澱粉《でんぷん》のりのような粥と薄緑、薄茶、黄色の三種のペーストが配膳されていた。


「は~い、次はカボチャだよ~、頑張って食べようね~」


看護助手は慣れた手つきで、次々と患者の口に食事を押し込む。


「おおっ、俊子さん、結構食べられるじゃないですか。むせないように気をつけて食べてくださいね」


川崎のわざとらしい言葉がけに、なんの反応も見せず、患者は食べることに必死だった。




隣の窓側のベッドでは、白髪混じりの髪を二つに結んだ老婆が、麻痺してない方の左手で刻み食を食べていた。


「雅代さん、おはようございます! どうです、変わりないですか? 食事摂れてますか?」


川崎が雅代という患者の顔を覗き込むように話しかけた。この患者はさっきの患者よりはかなり状態がよい。


「はい………  おかげ、さまで」


低い小声でたどたどしく返事を返したものの、老婆はプルプルと震える手で、すくった刻み食を口に運んだ。


自力で食べてはいるものの、ビニールの前掛けにボロボロと刻み食をこぼしていた。


「雅代さん、今日は新しく来た先生を紹介しますよ。どうです? イケメンでしょう?」


「バカ、余計なことを言うな」


川崎がくだらない冗談を言ったが、意味がわからないのかニコリともせず、うつろな目でペコリと頭を下げた。


「じゃあ、たくさん食べてください。調子が悪いときは我慢をしないでナースに言ってください」


「はい、、先生、よろしく、お願い、、します」


昭和一桁生まれの老婆は、小声で律儀な挨拶を返してくれた。






向い側の患者は鼻に管を差し込まれ、流動食を流されていた。


目は半開き状態だったが、呼びかけに反応はなく、視線を合わせることもなかった。


下肢の浮腫《むくみ》と硬直がひどい。


こんな患者ばかり見ていると、この仕事に疑問と虚しさを感じる。


もっと人間らしい最期を与えることは出来なかったのかと。


ナースステーションに近いこの病室はいつ急変してもおかしくない、重症な患者たちが収容されている。



廊下側四人目の患者はこの病室の中では一番若かった。と言っても、六十代半ばだ。


脳梗塞の急性期で油断のできない状況だ。


食事はもう済んだようだったが、血流をよくするための点滴が落とされている。


「岡田さん、おはようございます。痺れの具合はどんなですか?」


川崎は今までの患者より、少し真面目な様子で話しかける。


両腕や両足を挙げさせてみたり、瞳孔を調べたりする。


「先生、私、夜まったく眠れないの。眠剤を出してくださらない?」


気取った話ぶりと表情から、一目で神経質で我儘な患者であることが伺える。


「えっ、ちゃんと安定剤が出てますよね? 眠れなかったんですか?」


「全然眠れませんよっ!  まわりの鼾がうるさくて!」


ヒステリックに患者は叫んだ。




「あら、岡田さん、おむつ交換で来た時には、ぐっすり眠ってたじゃないですか」


向かい側でミキサー食の介助をしていた看護助手が暴露する。


「目をつぶっていただけよ。一晩中バタバタ走りまわる音がして、うるさいったらありゃしない」


「アハハ、岡田さんの鼾だって、結構うるさかったですよぉ~」


看護助手は遠慮なくそう言ってゲタゲタと笑った。


「いい加減なこと言わないでよっ!  私は鼾なんてかいたことないわ!」


岡田という患者は目を釣り上げて看護助手に噛みついた。


「はい、はい、岡田さん、お薬を少し変えて様子をみましょうね」


川崎は上手く取りなしをして、患者を落ち着かせようと試みた。


「本当に腹の立つことばかりだわ!」


腹の虫が収まらない様子で岡田は下唇を噛んだ。


「今日からこの病棟を診てくれる新しい先生ですよ」


川崎に紹介されたので仕方なく「よろしく」と、無愛想に挨拶をした。


機嫌の悪い岡田は、値踏みでもするような不審な目で俺を見つめた。


「なんだか前の先生のほうが良かったわ」


見るからに我儘なこの患者は、無愛想で気の利いたことなど言えない俺の気質をすぐに見抜いたのだろう。


年寄りにモテる必要性を感じない俺は、嫌われることなど気にもならないが、この患者をイラつかせるのは病気に良くないと思った。


「今日から岡田さんの主治医になるので、何か気になることがあったらいつでも聞いてください」


低姿勢に出た俺に気を良くしたのか、岡田の表情は少しだけ和らいだ。


「じゃあ、ちゃんと眠れるお薬出してくださいね」


「わかりました。それじゃあ、また」






302.、303号と似たような患者を診てまわり、305号の個室へと向かう。


305号室のこの部屋に、川崎がぞっこんだという女子高生がいる。


テレビによく出ているような、清純派の美少女なのだろう。


スライドドア横に、森下茉理《もりした まり》と書かれたネームプレートが付けられていた。


川崎がコンコンとノックをして、スライドドアをスルスルと開けた。


この個室は有料で、日額一万円の料金が発生する。もちろん健康保険は適用されない。洗面台とバス、トイレなどが完備されていて、ホテルのように快適だ。裕福な家庭の娘なのだろう。


スライドドアを開けても、中がすぐに見えないように、入口にカーテンがつけられている。


「おはよう、茉理ちゃん、回診だよ~  入るよ~」


川崎が声をかけ、サッと入口のカーテンを開けた。


「おはようございます」


ぶっきらぼうに挨拶を返した茉理という女は、想像とはまるで違っていた。



テレビに出てくるような可愛らしいアイドルではない。


良く言えばクールだが、人を食ったような小生意気《こなまいき》な顔つきをしている。


青みがかったグレーの前髪は目を覆うほどに長く、サイドは短く剃りあげてある。


今はスッピンのノーメークだが、こんな髪の色からして、普段はド派手なメークでもしているのだろう。


高校生の分際で、なにを考えているんだか。


親の顔が見てみたいものだ。


学生時代、散々お袋を悩ませた俺が言うのもなんだけどな。


雪花が高校生になって、こんな髪の毛にしていたら、間違いなく張り倒す。


それでもこの患者は美人には違いなかった。


吊り上がった猫のような目に、スジの通った細い鼻、形のいいぽってりとした唇はコケティシュに見えなくもない。


部屋にある小物類はすべて地味なモノトーン。


なにもかもがアバンギャルドを気取ったような奇抜さで、可愛げがなかった。


川崎はこんなのが趣味なのか。


頭の悪そうな話し方をするギャルのほうがまだマシだな。



期待していた分、かなりガッカリした。



「茉理ちゃん、調子はどう?  夕べはよく眠れた?」


川崎が微笑みながら、優しく問診する。


「普通」


スマホを見ながら、冷めたような口ぶりで答える。


ーー反抗期の中学生か。


茉理は交通事故に遭って、この病院に運ばれた。病名は外傷性硬膜外血腫。脳と頭蓋骨の間に出血が認められたが、少量な為、経過観察をしている。


主訴は頭痛、めまい、吐き気、歩行時のフラつきなどだ。


「頭は痛くない?  めまいは?」


「少し痛い。めまいはないけど。ねぇ、この人だぁーれ?」


がっかりしている俺の気持ちを察したかのように、茉理もシラけた目を向けた。



「野村先生の代わりに来られた松田先生ですよ。今日から茉理ちゃんの主治医をして下さいます」


川崎がヘタな敬語を使って俺を紹介した。


「よろしくな」


ムッツリしたまま無愛想な挨拶をした。


「マジで?  この医者、メッチャ性格悪そう」


茉理はウンザリしたように顔をそむけ、敵対心をあらわにした。


このガキは最低限の口の利き方さえ、わきまえていない。


小生意気な女だけれど、俺たちは似た者同士とも言える。この年代の頃の自分を思い出し、怒りをしずめた。


「性格はどうだっていいだろ。俺はおまえの治療をするために雇われてるだけだからな。他に調子の悪いところはないのか?」


俺にしては中々の大人対応。


三十も過ぎて、こんなガキの言うことに腹を立てるのもみっともない。



「先生は独身なの?」


この女は一体なにを考えているのか。


茉理は不貞腐れた態度を一変させ、今度は艶っぽく微笑んで俺を見つめた。


「おまえに関係ないだろう。質問していいのは病気のことだけだ。プライべートなことに口を挟むな」


「フフフッ、あなたって意外と面白いかも」


「目上の者に向かって、あなたって言い方はないだろう。もう少し口の利き方をわきまえたらどうなんだ?」


甘い顔をすれば、どこまでもつけあがりやがって。


「先生こそ、私のことをおまえって呼ばないでよ。茉理って呼んでね、せぇーんせ!  フフフッ!」


どこまでも可愛げのない忌々しい女だ。


「今週末には退院だな。こんな元気な患者でいつまでもベッドを塞ぐなっ!」


さすがにムカついて、川崎に八つ当たりをした。


「ええっ、た、退院ですかぁ?」


川崎が素っ頓狂な声を出して聞きなおした。


 
「アハハハ、ウッハハハハハ~~」



いつまでもけたたましく笑い続けている茉理に嫌気がさして病室を出た。







男性患者の回診も終え、川崎と階段を降りながら一階の外来へと向かう。



「まったく、あんなすれっからしのどこがいいんだよ。あれが17歳の女子高生とはな。ガッカリもいいとこだ」


物好きな川崎に苛立ちをぶちまける。


「僕も初めは生意気な子だなって思ったんですよ。でも、話をしているうちになんて言うのかな、引き込まれちゃうんだなぁ。小悪魔的とでも言うんですかね?  あんな子には会ったことがないなぁ」


川崎のポワーンとした間抜け面に呆れて外来の診察室へ入った。



フン、なにが小悪魔だ。



ーー変わり者のバカ女め!


















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