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名医の条件、仁医の条件

桔梗の決意

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『マズったかなぁ、やっぱり』

後悔と不安が押し寄せ、身支度をしながら溜め息を吐く桔梗。
彼女のモットーは1に保身、2に保身、3、4がなくて、5に保身である。
綺麗事だけでは生きていけないと分かっているからだ。

『身分もクソもない私が貴族の揉め事に巻き込まれたら明日の朝日は拝めん。
見ざる聞かざるが一番だけど、分かってるけど、放っとけない。
まっ、どうにかなるよね。
何かあると決まった訳じゃないし』

桔梗は白衣をサッと羽織り、鳴きながら足下に寄って来たアンジュの頭を撫で、救急箱を待って部屋を出る。

『これが最後の仕事になりませんように、アーメン』

信じてもいない神に祈り、客室に戻ると、セシリャと共に自宅を出た。

玄関の前にはグスタヴス家の馬車が停まっており、移動はこれを使う。
御者がドアを開け、次いで足置きを用意してステップを下げる。
エスコートがあれば足置きはいらないのだが、今は侍女がおらず、この国では身分が高い女性は身内以外の男性に近付かない。
どこでどんな噂が立つか分からないからだ。
二人が馬車に乗ると、御者はドアを閉めてステップを上げ、足置きを持って御者台に乗る。
ゆっくりと馬車が動き始めた。

「失礼ですが、フィリップ様の遺体はどちらに保管なさったんですか?」

「別邸の主寝室ですわ。
側近に絶えず護らせていますから、誰も触れておりません」

「分かりました」

証拠隠滅の可能性は低そうだと、ホッとする桔梗。
考えたくもないが、殺人であればフィリップの体に何らかの証拠がある筈だ。
不特定多数に触らせたくない。

桔梗は目を閉じ、信じてもいない神に祈った。

『どうか何事もありませんように』

彼女は忘れていた、神とは傲岸不遜と勝手気儘が服を着たような存在だという事を………。




グスタヴス邸に着くと、セシリャは御者がドアを開けた途端に駆け出し、桔梗もその後を追う。

壁に並ぶ燭台しょくだいに巻き付いた蔓植物ビンヴェルの光が邸内を優しく包んでおり、桔梗は幻想的な光景に見惚れて足を止めた。
ビンヴェルは暗い所で淡く光る為、中・下級貴族の大半が照明器具として使っている。
中・下流階級はモモス苔植物を使うが、それを初めて知った時、桔梗はスモモの親戚ですか?と訊いて爆笑された。

『凄い、初めて見た』

「ミス セイレン?」

「今、行きます」

セシリャに呼ばれ、桔梗は慌てて足を動かす。

『見惚れてる場合じゃなかった。
セシリャさんとはぐれたら遭難する』

桔梗がセシリャの右横に並ぶと、

「こちらですわ。
人払いはしてありますから、ご安心なさって」

セシリャは目の前のドアを開け、桔梗を主寝室の奥に案内した。

何人寝るの?と訊きたくなるようなベッドにフィリップの遺体が横たわっている。
安らかな死に顔だ。
眠っているようにも見える。

桔梗はフィリップのひたいに右手を当てた。
掌が刺されたように痛むが、その痛みごと包む。

『フィリップさん、何があったのか、私に教えて下さい。
あなたの最期の声を聴きたいんです』

後に、これは桔梗にとって解剖前の儀式となる。
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