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名医の条件、仁医の条件
鬼手仏心
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ドタンッ!
バタッ!
バタタッ!
ドンッ!
ダダダダッ!
物凄い騒音が東診療所から響く。
近所に家があればうるせぇ!!と怒鳴り込まれそうだ。
「えっと……、生食、猫用消毒剤、猫用細胞活性化剤、輸血は後でいいとして…………」
桔梗はブツブツと呟きながら手術室内を歩き回る。
ややあって、その足が止まった。
「よしっ!」
彼女は両手を消毒用アルコールで洗ってから手術用手袋を三重に付ける。
この国の手術用手袋は破れやすい。
次いで手術台の右横に立ち、優しい声で
「アンジュ、お待たせ。
すぐ楽になるから、ちょっと我慢してね」
と囁いた。
虫の息と言っても過言ではない程に弱ったアンジュだが、それでも桔梗の声に反応し、ニャーーーと鳴く。
まるで分かったと言っているようだ。
目を閉じ、深呼吸を一回する桔梗。
『大丈夫、洗浄、消毒、回復、よしっ、覚えてる。
冷静に、落ち着いて、出来るだけ早く、正確に。
手順どおりやれば大丈夫』
彼女はゆっくりと目を開き、
「まず洗浄」
手術台の右横の白い陶器製のピッチャーを持つ。
中には生食、生理的食塩水が入っている。
蒸留水と0.9%の食塩から作る。
患部の洗浄に使うのだ。
日本なら水道水で良いが、ここは衛生のえの字もない国だ。
飲料水は井戸水であり、下水道は帝都と大都市にしかなく、それとてロクな浄化もせずに近くの河に垂れ流している。
桔梗はそろそろとピッチャーを傾け、次いでアンジュの前足を丁寧に洗う。
「次は消毒」
ピッチャーを手術台の右横に置き、その後ろの青いガラス瓶を掴む。
中には猫用消毒剤が入っている。
ハゲシログサの全草、マーマジョの全草、アシソソウの葉、レンゴモグサの葉、ウワキトガラナスの果実から作る。
桔梗の左手が患部に触れた時、アンジュが足をバタつかせた。
痛いらしい。
麻酔をかけない手術の時は患者(患畜も)の手足をしっかりと固定しなければいけない。
桔梗はアンジュの手足を手術台に括ってから手術を始めた。
「ごめんね。
もうちょいだから、頑張って」
桔梗はアンジュを励ましながら患部に消毒剤を塗り、すぐに手術台の左横の赤いガラス瓶を持つ。
中には猫用細胞活性化剤が入っている。
オギギリソウの全草、ヨハロの葉、チャッチャの葉、生理的食塩水から作る。
怪我の治癒を促進する薬だ。
細胞は生物の最も基本的な単位であり、全ての生物が細胞から成り立つ。
これを応用し、細胞を活性化させる事で自然治癒力を高める。
桔梗はアンジュの前足をソッと押さえてから患部に猫用細胞活性化剤を振り掛ける。
次の瞬間、ビチビチビチッ、ビチッという不気味な音と共に傷が塞がっていき、やがて跡形もなくなった。
異世界の植物が凄いのか、それを使いこなす桔梗が凄いのか………。
「ふぅ~~~~~」
桔梗は安堵の溜め息を吐きながら糸が切れた操り人形のようにへたり込み、その場から動けなくなった。
「こっ、腰が……、抜けたぁ。
医者って凄いな、ハハッ」
ちょっと嘗めてたかもと反省する桔梗。
出来ると思っていた。
神の知識を持ってるんだからと。
だが、それは傲慢だ。
医学は知識と経験の産物、どちらが欠けても成り立たない。
自分は余り有る知識を持っているが、それに見合う経験を持っていない。
今回は成功したが、次回は分からない。
いつ、どこで、誰の死に遭うか分からない恐怖を抱えながら誰かの為に悩み、誰かの為に苦しみ、誰かの為に傷付き、誰かの為に考え、誰かの為に進み、誰かの為に手を差し伸べる、それが医師、いや、医療従事者なのだろう。
『そもそもずぶの素人が半年そこらで医者になれる訳ない。
調子乗って、神様脅して、ブン捕った知識で改革じゃあー!とか、ホント何考えてたんだろ、私。
非現実な事が一気に起こったから勘違いしたのかなぁ』
桔梗は現実と空想をごちゃごちゃにしていた事に気付き、急に自分が恥ずかしくなった。
恥ずかしくなったが、既に医師を名乗り、診療所を持ち、多くの患者を抱えている。
もう引き返せない。
『馬鹿だなぁ、私。
手術した事もされた事もないのに、いきなり………。
こんなに怖いんだ。
そりゃ経験が物言うよ。
鬼手仏心とはよく言ったもんだ』
桔梗はある医療ドラマを思い出した。
鬼手仏心とは手は鬼神の如く冷静に、正確に、非情にあれ、心は仏のように慈悲深くあれという意味であり、日本では外科医の心得と言われている。
手術中に気が動転した事を悔やむ主人公を先輩医師の一人が慰める場面に登場した。
『私……、やってけんのかな?』
桔梗の目に不安の影が揺れた。
バタッ!
バタタッ!
ドンッ!
ダダダダッ!
物凄い騒音が東診療所から響く。
近所に家があればうるせぇ!!と怒鳴り込まれそうだ。
「えっと……、生食、猫用消毒剤、猫用細胞活性化剤、輸血は後でいいとして…………」
桔梗はブツブツと呟きながら手術室内を歩き回る。
ややあって、その足が止まった。
「よしっ!」
彼女は両手を消毒用アルコールで洗ってから手術用手袋を三重に付ける。
この国の手術用手袋は破れやすい。
次いで手術台の右横に立ち、優しい声で
「アンジュ、お待たせ。
すぐ楽になるから、ちょっと我慢してね」
と囁いた。
虫の息と言っても過言ではない程に弱ったアンジュだが、それでも桔梗の声に反応し、ニャーーーと鳴く。
まるで分かったと言っているようだ。
目を閉じ、深呼吸を一回する桔梗。
『大丈夫、洗浄、消毒、回復、よしっ、覚えてる。
冷静に、落ち着いて、出来るだけ早く、正確に。
手順どおりやれば大丈夫』
彼女はゆっくりと目を開き、
「まず洗浄」
手術台の右横の白い陶器製のピッチャーを持つ。
中には生食、生理的食塩水が入っている。
蒸留水と0.9%の食塩から作る。
患部の洗浄に使うのだ。
日本なら水道水で良いが、ここは衛生のえの字もない国だ。
飲料水は井戸水であり、下水道は帝都と大都市にしかなく、それとてロクな浄化もせずに近くの河に垂れ流している。
桔梗はそろそろとピッチャーを傾け、次いでアンジュの前足を丁寧に洗う。
「次は消毒」
ピッチャーを手術台の右横に置き、その後ろの青いガラス瓶を掴む。
中には猫用消毒剤が入っている。
ハゲシログサの全草、マーマジョの全草、アシソソウの葉、レンゴモグサの葉、ウワキトガラナスの果実から作る。
桔梗の左手が患部に触れた時、アンジュが足をバタつかせた。
痛いらしい。
麻酔をかけない手術の時は患者(患畜も)の手足をしっかりと固定しなければいけない。
桔梗はアンジュの手足を手術台に括ってから手術を始めた。
「ごめんね。
もうちょいだから、頑張って」
桔梗はアンジュを励ましながら患部に消毒剤を塗り、すぐに手術台の左横の赤いガラス瓶を持つ。
中には猫用細胞活性化剤が入っている。
オギギリソウの全草、ヨハロの葉、チャッチャの葉、生理的食塩水から作る。
怪我の治癒を促進する薬だ。
細胞は生物の最も基本的な単位であり、全ての生物が細胞から成り立つ。
これを応用し、細胞を活性化させる事で自然治癒力を高める。
桔梗はアンジュの前足をソッと押さえてから患部に猫用細胞活性化剤を振り掛ける。
次の瞬間、ビチビチビチッ、ビチッという不気味な音と共に傷が塞がっていき、やがて跡形もなくなった。
異世界の植物が凄いのか、それを使いこなす桔梗が凄いのか………。
「ふぅ~~~~~」
桔梗は安堵の溜め息を吐きながら糸が切れた操り人形のようにへたり込み、その場から動けなくなった。
「こっ、腰が……、抜けたぁ。
医者って凄いな、ハハッ」
ちょっと嘗めてたかもと反省する桔梗。
出来ると思っていた。
神の知識を持ってるんだからと。
だが、それは傲慢だ。
医学は知識と経験の産物、どちらが欠けても成り立たない。
自分は余り有る知識を持っているが、それに見合う経験を持っていない。
今回は成功したが、次回は分からない。
いつ、どこで、誰の死に遭うか分からない恐怖を抱えながら誰かの為に悩み、誰かの為に苦しみ、誰かの為に傷付き、誰かの為に考え、誰かの為に進み、誰かの為に手を差し伸べる、それが医師、いや、医療従事者なのだろう。
『そもそもずぶの素人が半年そこらで医者になれる訳ない。
調子乗って、神様脅して、ブン捕った知識で改革じゃあー!とか、ホント何考えてたんだろ、私。
非現実な事が一気に起こったから勘違いしたのかなぁ』
桔梗は現実と空想をごちゃごちゃにしていた事に気付き、急に自分が恥ずかしくなった。
恥ずかしくなったが、既に医師を名乗り、診療所を持ち、多くの患者を抱えている。
もう引き返せない。
『馬鹿だなぁ、私。
手術した事もされた事もないのに、いきなり………。
こんなに怖いんだ。
そりゃ経験が物言うよ。
鬼手仏心とはよく言ったもんだ』
桔梗はある医療ドラマを思い出した。
鬼手仏心とは手は鬼神の如く冷静に、正確に、非情にあれ、心は仏のように慈悲深くあれという意味であり、日本では外科医の心得と言われている。
手術中に気が動転した事を悔やむ主人公を先輩医師の一人が慰める場面に登場した。
『私……、やってけんのかな?』
桔梗の目に不安の影が揺れた。
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