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第二十三章 勇者と欠けた記憶
しおりを挟む牙を剥き唸る獣の群れ。それを一瞥した魔法使いは長い濃紺の髪を風に揺らしながら、魔道具である杖を構える。まるで指揮でもしているかのようにそれを振った彼は、静かな声で自身の呪文を紡いだ。
「フレア・ドラコニス」
静かな声とは裏腹に、迸るのは業火。風に乗り、巻き上げられた炎は容赦なく、獣を覆う。響く断末魔。死に物狂いで飛びかかってきた一頭は、近くにいた剣士が斬り伏せた。
先刻までの感想がまるで嘘かのように、辺りが静かになる。他に生き残っている敵はいないかと気配を探りながら、オズワルドは自身の炎を消した。
「オニキスが近づいてきたからかな、魔獣も増えてきたね」
ふぅっと一つ息を吐いた楽士……ロレンスは額の汗を拭う。戦っていた仲間たちを強化するために使っていた竪琴を軽く撫でてた彼は、生き残った獣が居ないかと視線を巡らせる。
「まぁ、大して強くないのが救いかな……」
そう言いながら剣についた血を拭うのは、この一行(パーティ)のリーダーである少年……リオニス。彼もロレンスと同様、生き残りの獣が居ないかを一頻り確認した後、剣を納めた。どうやら、全ての獣を倒せたらしい。
「みんな、怪我はありませんか?」
心配そうに駆け寄って来た治癒術師は仲間たちの無事を確かめるように視線を向ける。
「おう! 平気だぜ!」
にかっと笑って拳を突き上げる格闘家の少年、シュライク。その拳は紅に濡れているが、恐らく全て返り血なのだろう。もう少し綺麗に戦ってほしい、と渋い顔をしている治癒術師(ユスティニア)を見て、オズワルドは小さく笑った。
「それにしても……」
一つ息を吐いたシュライクは視線をオズワルドに向ける。不思議そうに首を傾げる彼を見つめて、ネモフィラ色の瞳を煌めかせながら、シュライクは言った。
「オズの魔法は何度見てもすっげぇな……」
惚れ惚れ、と言った様子で彼はいう。
拳を振り抜き、獣を倒しながら、シュライクはオズワルドの魔法を見ていた。冷静な彼が繰り出す炎は狙いを過たず、獣だけを覆った。自分や、近くで剣を振るっていたリオニス、強化や防御のために傍に居たユスティニアやロレンスを少しも巻き込むことなく。
苦労した様子はなく、淡々と魔法を使う姿にシュライクは少し、憧れていた。
そんな彼の言葉に、リオニスも小さく頷く。
「これだけの魔力をきちんとコントロールできているのが何より凄いよ……親御さんに教わったのか?」
その問いかけに、オズワルドは小さく息を呑み、榛色の瞳を揺るがせた。ほんの少し、迷うような間を空けて、彼は言葉を紡ぐ。
「あぁ、いや……親、ではない。私も、リオニスたちと同じだ。私も実の親の顔を知らない」
「え」
オズワルドの言葉に仲間たちは思わず硬直した。その表情を見て、不器用な魔法使いは少し困ったように目を伏せる。
「気を遣わせるか、と思って、言う必要もないと思っていたのだが……」
曰く、彼も両親の顔を知らないという。魔法を教えてくれたのも親ではない。それを寂しいとも悲しいとも不幸だとも思わなかったため、そんな自分の生い立ちを語ることをしなかったのだとオズワルドは言った。
「同じだったんだねぇ、ボクたちと」
ロレンスはのんびりと、そういう。深刻に受け止めるでもなく、日々の雑談の一コマのように。そんな彼の言動は、雰囲気は、仲間達の気持ちを弛緩させた。
ふ、と笑みを浮かべたリオニスはオズワルドに言う。
「そっか。じゃあ、別に魔法の師匠がいる感じなんだな」
その言葉に、オズワルドは榛色の瞳を細める。そして、ぽつりと呟くように言った。
「あぁ、そうだな。凄い人……だった、と思う」
静かで優しい声色。しかしそこに滲むのは寂しさで。
「だった、と思う?」
ユスティニアは彼の言葉を繰り返す。引っかかったのは、その言葉だ。まるで他人事のような……
オズワルドはその指摘に一つ、息を吐く。
「私の親代わりだった人が、魔法の師だった。その人はもういない……はず、だ。はず、と言うのは、私があの人のことを、ちゃんと覚えていないからで……」
元々饒舌とは言い難い彼だが、今日は一層口が重い。ぽつりぽつりと言葉を紡ぐオズワルドは、顔を歪めている。もうあの指輪は彼の手にないと言うのに、まるでその指輪に苦しめられているかのように。
「覚えていない、とはどういうことですか?」
「小さい頃に別れた、とかなら流石にここまでのコントロールは身につかないだろう?」
ユスティニアとリオニスが不思議そうに問いかける。オズワルドはその言葉に小さく頷いて、答える。
「あぁ、ある程度大きくなるまでは一緒に居たはずだ。そうでなければ、此処まで上手く魔法を使えないと思う。様々なことを教えてもらった」
ぎゅ、とオズワルドは拳を握った。それが小さく震えている。
「……確かに師がいたことは覚えている。その人に教わったことも、覚えている。その人がもう居ない……死んでしまったことも、覚えている。だが……」
一度そこで言葉を切った彼は深く息を吸う。そして、くしゃりと前髪を掻き上げながら、震える声で言葉を続けた。
「思い出せないんだ。その人の声も、顔も、名前も……」
その言葉に、しんとその場が静まり返る。静寂を破ったのは、困惑した表情のリオニスだった。
「何故、そんなことに……」
記憶喪失、というには奇妙だ。魔法か何かの作用か? とリオニスが問うと、オズワルドは小さく頷いた。
「その師が、私の記憶を消したらしい」
その言葉に、リオニスは大きく目を見開いて、言葉を失う。魔獣か、魔族か何かの仕業かと思っていたが、そうではない?
「何でそんなことするんだよ!?」
耐えかねたように、シュライクが叫ぶ。そんな彼を見て、オズワルドは困ったように笑った。
「わからない。それすら、思い出せないんだ。その人が記憶を消した、と言う事実だけを覚えている」
言葉を切ったオズワルドは視線を上げる。吹き抜ける風に、彼の長い濃紺の髪が揺れた。その風に溶けてしまいそうな弱い声で、彼はいう。
「大切な人だった、と思う。私にとっては親代わりであり、師だ。きっと私が今のように魔法を使えるのは、その人のお蔭だ。感謝している。……だからこそ」
く、と拳を握り、唇を噛んだ彼は、搾り出すような声で言った。
「何も覚えていない自分が、悔しくて、歯痒い」
大切だったはずの人。大切だったはずの思い出はたくさんあったはずなのに……それを一つとして覚えていない、そればかりかその人の顔も名前も声も覚えていない……それがあまりに寂しくて、悔しくて……
仕方のないことだと思おうとしても出来なかった。それくらい、大切だった人なのだ、とオズワルドは言う。
しん、と静まり返る周囲。誰も、彼にかけるべき言葉を思いつけずにいた。
頼もしい魔法使い。この仲間達の中で一番の年長者で、常に冷静沈着な彼の表情が揺らぐ様子は、そう見るものではない。それも……こんな悲しげな顔は見たことがない。
「そもそも何でオズが棄てられるんだ? あれだけ強い魔法が使えるなら、将来有望だって思われそうなのに」
シュライクは呟くようにそう言う。彼には、オズワルドほどの魔力を持つ人間を棄てられるという現実が信じられないようだった。強さが生きるために必須だったあの街の育ちだからこそだろう。そう思いながら、リオニスは緩く首を振った。
「一概には言えないだろうな」
リオニスはそっと息を吐き出す。
「そうなのか?」
不思議そうに瞬くシュライクを見つめて、リオニスは言葉を続けた。
「強すぎる魔力は自分で抑えられなければ危険だろう。周りの人間は尚更」
ちくり、と胸が痛む。過ぎる強さは自身の首を絞める。そう言葉を紡いだリオニスは小さく息を吐いた。
「……そんなこと、あり得るのか」
眉を寄せ、シュライクが呟く。他の人間の痛みに敏感なこの優しい少年は、自分ではどうすることもできない事情で棄てられた仲間への想いを抱え、拳を握っている。
「あり得るんだよ。悲しいけどな」
リオニスがそう答えるのを聞いて、シュライクは目を伏せた。いつもは明るく煌めいているネモフィラの瞳が翳る。しかしすぐにまっすぐに顔を上げると、ひとつ息を吐き出して、言った。
「……絶対、そんな奴らを一人にはしないよ、俺は」
凛とした声で、彼は言葉を紡ぐ。
それは、改めての決意。居場所を奪われた、追われた、或いは元より居場所がなかった子供たちのための場所を作り、守る。それがシュライクの願いであり、夢だ。そのために強くなる、と彼は改めて宣言した。
それを見て、オズワルドは眩しそうに目を細める。悲しみを、怒りを前向きな力に変えられると言うのは、彼の美点だ。
「でも、育ての親の記憶もない、ってのは……キツいだろうなぁ」
ふ、とシュライクは呟く。そしてまっすぐにオズワルドを見つめると、言葉を選ぶように視線を揺がせて、言った。
「俺が、イーグルのことを忘れるようなもんだろ。いくら教えてもらったことや聞いたことを覚えててもさ、その想い出が消えちゃうのは……」
悲しいよ、とシュライクは呟いた。緩く吹いた風が、彼の髪を揺らす。
彼にも、大切な家族が居た。自分を拾い、救い、育ててくれた人。あの人のようになりたいと言う思いが、彼の旅立ちの理由だ。その記憶が、思い出が、全て消えてしまったとしたら……それは、あまりに悲しすぎる。
その言葉にオズワルドは小さく頷いて、そっと息を吐き出した。
「思い出せない理由は、きっとあるのだろうと思っている。何の理由もなくそんなことをする人ではなかったと思うから」
オズワルドの声には、揺るがない信頼が灯っていた。……その信頼が、一層彼の胸の痛みを強めていることも、仲間たちは理解する。
いっそ、冷たい人だったなら、残酷な人だったなら、良かっただろう。信頼関係など結べないような相手であったなら……それならば忘れられてせいせいしたとさえ思えたはずだ。しかしそうではないからこそ、彼はこれほど哀しげな顔をする。その現実があまりに痛くて、悲しくて……仲間たちは口を噤んだ。
「オズワルド」
静かな、少し硬い声でユスティニアはオズワルドを呼ぶ。どうかしたのか、と首を傾げるオズワルドを見つめて、ユスティニアは少し迷うように視線を伏せた後、オズワルドに問いかけた。
「本当に、思い出したいのですか?」
彼の言葉にオズワルドは目を細める。榛の瞳が鋭く光った。
「何故そのようなことを訊く?」
少し強いオズワルドの口調に、ユスティニアは少し怯む。彼を不快にさせてしまったかもしれない。そう思いつつも問いかけを止めないのは……本気で、オズワルドのことを心配しているため、だった。
橄欖石の瞳が真っ直ぐに、オズワルドを見据える。静かな榛色を見つめ、ユスティニアは言葉を紡いだ。
「……忘れてしまっている、忘れさせられている、ということは、思い出さない方が良いことなのではないでしょうか。オズワルドが覚えているその師が優しい人であったというのなら、尚更」
理由なく忘れさせるような真似をしない人だった、と言うのなら……忘れていることはきっと、思い出さない方が良いことなのだろう、とユスティニアは言う。それを追い求める覚悟はあるのか、と。
「知らない方が幸福なこともあると、今の僕は知っていますから」
そう言って、ユスティニアは哀しげに微笑んだ。無知でいたかつての自分を悔やむように。
彼は知らなかった。自分が身を置く教団が、その教祖が、魔族と契約を交わしていたこと。自分の両親を含む数多の星読みの魔法使いがその贄として捧げられていたこと。それを知った時の絶望感は、今でも忘れられない。
そんなユスティニアの言葉にオズワルドはゆっくりと瞬く。
「……そう、だな」
一度口を噤んだ彼はそっと、息を吐き出す。
「だが、気持ちは変わらない。思い出す手段があるのなら、私は思い出したい、と思う」
その言葉にロレンスも口を開く。
「オズは、後悔しないの? 全てを知ることを、思い出さない方がいいかもしれないことを思い出すことを」
怖くは、ないの? そんなロレンスの問いかけにオズワルドは微笑んだ。
「それでも、忘れたままなのは、苦しい。例え忘れているそれが、私にとって残酷な現実であったとしても……私は、知りたいと思うよ」
忘れたままでいることは、寂しいから。そんな彼の言葉に、ロレンスは目を伏せた。そして、ふっと呟くような声で言う。
「オズは、強いね」
静かな声だ。いつも通りの、凪いだ海のような声。しかしそれが、ほんの僅かに震えた。
「ボクは、忘れていられるなら……忘れている方が、きっと楽だと思ってしまうから」
そこに滲む感情に、オズワルドは僅かに目を見開く。物静かで感情の起伏が少ない楽士の表情が微かに翳っているのがわかったためだった。彼にかけるべき言葉を探すが、気の利いた台詞など到底浮かばず。
「見つかるといいね、記憶が戻る方法」
先刻の声の震えがまるで幻想であったかのようにいつも通りに柔和に微笑んで、ロレンスは言った。薔薇色と海色の瞳は潤むこともなく、相変わらずに穏やかなままだ。
オズワルドは彼に言葉をかけようとして……飲み込む。緩く首を振った彼は、曖昧に微笑んだ。
「……そうだな」
今はまだ、それしか言えない。そう思いながら。
***
歩きながら、考える。ユスティニアの言葉と、オズワルドの想い。そのどちらも真実だ。知らない方が幸福なことが山のようにあることはリオニスもよく知っている。それと同時、忘れたままでいることが苦しいという思いも、嫌と言うほどよくわかる。どちらが正解とも、不正解とも言えない。
……そう考えていた、その時。
「リオニス!」
不意に響いたのは、鋭い叫び声。普段大きな声を出すことなど滅多にない魔法使いの、切羽詰まった声。驚いて顔を上げるのと同時、強く突き飛ばされて、リオニスは地面に倒れ込んだ。
自分を突き飛ばしたのは声の主、オズワルド。彼はリオニスを庇うように立った。そのすぐ傍でばちり、と光が弾ける。それを受けたらしいオズワルドがまるで糸の切れた操り人形のように地面に倒れ込むのをみて、リオニスは大きく目を見開いた。
「オズ!」
叫ぶが、反応はない。しかし彼に駆け寄るより先に、しなければならないことがある。冷静に一つ息をした彼は素早く剣を抜き、その魔力の発生源に視線を向けた。
闇に溶けるような影が一つ。それが揺れた。歩いて……否、羽ばたいて、その影はリオニスたちの方へ向かってくる。
「狙いは外したか……だが、優秀な魔法使いを堕とせたのは大きい」
そう言って笑う、黒い影。背に開く大きな漆黒の翼を見て、リオニスは顔を歪める。
「悪魔か!」
「今更気づいても遅い。随分と、呆けていたようだな、勇者様」
そう言って高笑いした悪魔は倒れ伏すオズワルドを一瞥し、呪いのように叫んだ。
「碧落の魔法使いよ、残酷な夢に沈むが良い!」
ひらひらと、漆黒の羽が舞う。まるで、無力な彼らを嘲笑うかのように。
「くっそ……! リドス・ファルコ!」
鋭く叫んだシュライクが魔法を放つ。一陣の風が吹き抜け、悪魔を狙う。しかし、それは空中で霧散してしまった。
「その貧弱な魔法では私に傷一つ付けられまい。あのお方を倒すなど、夢のまた夢だな!」
高く笑った悪魔は、大きく羽ばたき、姿を眩ました。追いかけようにも、翼のない彼らでは到底太刀打ちできない。ぐっと拳を握ったリオニスはくそ、と小さく呟いた。
「オズワルド、オズワルド! 聞こえますか!?」
ユスティニアが必死に呼びかけ、オズワルドの体を揺らす。しかし、くたりと力を失った体は少しも反応を示さない。心配そうに覗き込む仲間たちの前で、ユスティニアは彼の体に触れ、胸に手を当てた。
一通りの診察を終えたらしい彼はそっと、息を吐いた。そして緩く、首を振る。
「怪我はしていません、呼吸は随分と静かですがしっかりしています。眠っているようですね」
身体的な不調はないはずだ、とユスティニアは言う。リオニスは肩を落とし、呟いた。
「ごめん、俺がぼうっとしすぎた」
自分が気配に気が付いていれば、オズワルドが魔法を受けることもなかったはずなのに。悔やむように呟き、拳を握るリオニスを見て、ユスティニアはふるふると首を振った。
「いえ、誰もあれの気配に気付いていませんでした。シュライクすら気付いていなかったのですから、随分上手く隠れていたのでしょう」
「あぁ、俺も全く気が付かなかった。気付いてたら、さっさと仕留めてた」
シュライクも悔しげに顔を歪めている。彼はこのメンバーの中で一番気配に敏い。敵意のあるものならば尚更。そんな彼が気がつかないほど熟練した魔力の隠し方だったのだろう、とユスティニアは言った。
「今更なかったことには出来ません。ここから先の対応をどうするかを考えましょう」
冷静な星読みの魔法使いの言葉に、リオニスは表情を引き締める。そして一度深呼吸をすると、強く頷いた。
彼の言う通りだ。後悔していても、何も状況は変わらない。これからどうするかの方が重要だ。大切な仲間を救うためにも。
「残酷な夢に、と言っていたね。夢を操る魔法なのかな」
オズは眠ってしまっているようだし、とロレンスはそっとオズワルドの髪を漉きながら言う。その言葉に小さく頷いたリオニスは、自分が持つ知識を仲間に伝えた。
「あれはおそらく、夢魔の一種だろう。戦闘能力は決して高くないが、精神に干渉する魔法の扱いはあの手の種族の中ではトップクラスのはずだ」
先刻の悪魔の魔力は決して強くない。戦闘が得意な種族でもない。しかし厄介な精神操作の魔法を使う悪魔の仲間……夢魔。それがあの悪魔の正体だろう、とリオニスは推測していた。
リオニスたちを影から狙い撃ちにして殺すのではなく、わざわざ魔法をかけたこと、夢に関する魔法を使ったらしいこと、魔法が成功すると早々に離脱したことが、根拠だった。
「夢魔、ですか」
ユスティニアは自身の脳内の辞書を捲るように目を伏せた後、呟くように言った。
「夢を操る力がある、と聞いたことがあります。その夢に人を捕らえ、その魔力や精力を食らう種族だ、と」
「じゃあ今、オズはあの夢魔の夢に囚われてる、ってことか?」
シュライクの言葉に、ユスティニアは顔を顰めながら頷く。
「恐らくは……」
認めたくはないが、そう考えるのが自然だろう。呼びかけても体に触れても目覚めない。ただ寝入っただけでそんな状況になるはずがないのだから。
そんなユスティニアの言葉にシュライクは眉を下げる。それから、軽くオズワルドの頬を叩いて、言った。
「強引に叩き起こせば良いんじゃないか?」
「それは駄目です」
シュライクの言葉にユスティニアは表情を強張らせて、強く首を振った。それだけはしてはいけない、と。
「精神に干渉されている状況で無理に起こしてしまうことは、負担がかかりすぎます」
「なら、どうすればいいんだよ?」
焦れたように声を上げ、シュライクはがしがしと自分の頭を掻く。その肩にぽんと手をおいて、リオニスは笑ってみせた。
「焦るなよシュライク。ユスティ、手段はあるだろう?」
まだ幼いシュライクが動揺するのは致し方ない。正直リオニス自身もオズワルドが魔法を受けた原因が自分であるということに心臓が締め付けられるような心地ではあるが……今自分が動揺してはいけない、と、リオニスは必死に自信を鼓舞していた。
手段はあるだろう、と問われたユスティニアは硬い表情のまま、頷いた。
「魔法を解く方法は、無いわけではありません」
ユスティニアは一度目を伏せた。その顔を仲間たちは緊張した表情で見つめる。ユスティニアは小さく息を吐くと、微かに色を無くした唇を開いた。
「ただ……上手くいく保証がないんです」
「どういうこと?」
不思議そうに首を傾げ、ロレンスが問いかける。
「ただ眠りを払うだけならば簡単に出来ます。しかし、恐らく夢魔の魔法で意識を夢の中に囚われているのだとすれば、その夢に此方から干渉して、オズワルドに呼びかけなければなりません」
その言葉にシュライクは眉を寄せる。魔法に精通しているとは言い難い彼には、上手くイメージが掴めなかったのだろう。ユスティニアはそんな彼の顔を見ると、少し言葉を探すように唇を撫でた後、口を開いた。
「わかりやすく言うならば、オズワルドの夢の中に此処に居る誰かの精神を送り込むのです。迷子になった誰かを探すために深い森に入るように」
「夢を繋げる魔法、か。昔悪夢に囚われた子供に聖教会の魔法使いがやってた気がするな」
記憶を辿り、リオニスはそう言う。人の精神に干渉する魔法はそうそう見るものではない。簡単でない、と言うことは嫌でも理解できてしまった。
ユスティニアは強張った彼の顔を見つめながら、言った。
「ええ。本来は、その手の魔法に精通した人間しかやらないことです。そんな高度な魔法、僕は今まで使ったことがありません。
書物で読んだことはありますし、訓練はしたことがありますが、実践はしたことがありません。理論上は可能だと言うだけで……
もし失敗すれば、オズワルドは勿論、夢を繋げて彼を探しにいく者も……」
そこまで言って、ユスティニアは眉を下げた。
「ユスティは此処で魔法を使うとして、最悪、三回は試せるな」
そう言って、シュライクは自分とロレンス、そしてリオニスを指差した。それを見て、ユスティニアは顔を歪める。
「馬鹿なことを言わないでください」
「冗談だよ、ごめん」
泣き出しそうな声で叱責するユスティニアにひらひらと手を振って、シュライクは苦笑する。彼なりにこの重たい雰囲気を何とかしようとしたのだろう。リオニスはそう思いながらふっと笑った。
「俺が行くよ」
リオニスの言葉にその場がしんと静まり返る。仲間たちの目を見つめ、リオニスは真剣な表情で言った。
「そもそもあの悪魔は俺を狙っていた。オズがそれを庇ってくれたんだ。俺が行かない理由がない」
それを聞いて、ロレンスはすぅと二色の瞳を細め、緩く首を傾げた。
「いいの、リオ?」
じっと、ロレンスはリオニスを見つめる。その瞳が、表情が問うている意味は、リオニスも理解できている。表情を引き締めたまま、彼は頷いた。
「っでも、万が一があった時……」
ユスティニアは心配そうにリオニスを見つめた。
リオニスは予言の勇者だ。彼が居なくなるリスクを考えると、危険な可能性が高い魔法の行使に彼を選ぶのは拙いだろう。
しかし、リオニスもそれは理解している。理解した上で、彼は笑った。
「万が一なんてないよ。俺はユスティを信じてる」
その言葉に、ユスティニアの瞳が大きく見開かれる。リオニスはゆっくりと、仲間達を見つめて、言った。
「それに、何かあってもきっと皆んななら何とかしてくれる、って思ってるからさ」
その言葉に嘘はない。不安がないと言えば嘘になってしまうが……きっと、万が一何かあったとしても、彼らなら自分とオズワルドを助けてくれる。そう信じているのは、まぎれもない事実だった。
リオニスの真っ直ぐな表情と言葉にユスティニアはゆっくりと瞬く。それから、力強く頷いて見せた。
「勿論です」
***
そこからの彼らの行動は早かった。オズワルドに魔法をかけたのはあまり階級が高くないであろうとはいえ悪魔。その魔力にずっと浸ったままになるのは、きっとオズワルドにも負担がかかる。夢に囚われているという仮定が合っているのなら、そしてそんな彼の魔力をあの悪魔が喰らっているというのなら……なるべく早く、助け出さなければならない。
作戦は実現可能かどうかが問題なだけで、単純なものだ。
ユスティニアの魔法でリオニスの精神をオズワルドが見ている夢の中に送り込む。その魔法をユスティニアは維持し続け、ロレンスがその補佐をする。当然、魔法を使い続ける二人は無防備になってしまうため、それを守るためにシュライクが周囲を警戒する、と言うものだった。
「オズは恐らく夢に捕らえられている。それがどんな夢なのか、僕たちには全くわかりませんが……おそらく、自身で目覚めようとは思えないような夢なのでしょう。リオニスも、それに巻き込まれる可能性が高いです」
一通り手順を確認したユスティニアは最後にこれからの作戦の一番の危険点を説明した。
「夢への干渉は基本的に一方通行です。リオニスを送り込むことはできますが、此方から呼びかけたり招いたりすることはできません。
行きっぱなしで戻ってこられなくなるのが、一番恐ろしいのです。当然僕もロレンスも全力で魔法を維持しますが……
少しでも魔法が乱れて、"道"が閉ざされれば、オズワルドもリオニスも戻ってこられなくなってしまうかもしれません」
「ユスティやロレンスの魔法が途切れて、オズが或いはリオが目覚めない……って状況になるのが最悪、ってことか?」
シュライクはユスティニアにそう問いかける。表情を強張らせたユスティニアは、小さく頷いて見せた。
「そういうことです」
「でもそうはさせない。……そうでしょう?」
ロレンスはそう言って、自身の魔道具である竪琴を取りだして、そっと奏でた。それに頷いて見せたユスティニアはリオニスにそっと歩み寄った。そして、そのまま彼の胸にさがったペンダントに触れる。
「スティラ・ポラリス」
紡がれるのは魔法の呪文。まるで祈るような声色で紡がれたそれは、柔らかな魔力をリオニスに伝える。ふわり、と吹いた風が緩く彼らの髪を揺らした。
「リオニスに渡したペンダントに縁繋ぎの魔法を強めにかけました。きっと、そちらから此方に戻る時の助けになるはずです」
―― どうか気をつけて。
そうユスティニアは言う。まだ少し不安げな橄欖石の瞳を見つめて、リオニスは力強く頷いてみせた。
「あぁ、ありがとう」
「気を付けてね、リオ」
柔らかく竪琴を鳴らしながら、ロレンスはいう。恐らく、今のユスティニアの魔法の強化をしてくれたのだろう。そう思いながらリオニスは微笑んで、頷いた。
「頼んだぞリオ!」
にっと笑ってシュライクはリオニスに手を差し出す。その掌にパンと自分の手を合わせ、リオニスは笑った。
「わかった。シュライクも、二人を頼んだぞ」
その言葉にシュライクは表情を引き締める。
「任せろ。二人には絶対、誰にも何にも、指一本触れさせねぇよ」
頼もしい最年少の仲間の言葉に、リオニスはふっと笑う。まかせたぞ、ともう一度言葉をかけた彼はそっと、オズワルドの額に触れた。深く深く寝入ったままの、大切な仲間。その額をそっと撫でながら、彼は星読みの魔法使いの方を見た。
「頼む、ユスティ」
「行きますよ……スティラ・ポラリス」
深く息を吸い込んだユスティニアが紡ぐ魔法の言葉。それを聞くと同時に、リオニスの意識は深い夢の中へと沈んでいった。
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