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【第三章】サイキック・バトル編『ジプシーダンス』
第50話 プロローグ 後編
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振り返らなくても痛いほど感じる、まとわりつくような鋭利な視線。
先ほど追っ払った連中でも、当然目の前にいる彼女のものでもない。
急に緊張した気配が、俺の表情から伝わったのだろうか。
彼女はたちまち不安そうな眼になり、怯えたそぶりをみせた。
「それじゃ」
あっさりとそう告げると、俺は片手をあげて、彼女のそばからさっさと離れた。
最初に通ってきた路地を、今度は逆方向へと足早に歩く。
新たに現れたこの視線の持ち主の狙いは、間違いなく俺だ。
だから、通りすがりの無関係な彼女を、巻きこむわけにはいかない。
俺は振り返らず、その場からどんどんと歩いた。
問題は、このまま人ごみにまぎれこむか人気のない場所へ向かうべきか……。
ところが、しばらくすると、あれほど感じた視線がふいに消えた。
俺は、路地をでたところで立ち止まり、背後に意識を集中させる。
――おかしい。
いまの感覚、俺の気のせいだったのだろうか。
あるいは、狙いが俺ではなかったのだろうか。
それとも、いまは仕掛けてくる気がなかっただけなのか。
いずれにしても今回は、追っ手をまく方向で少々遠回りをしてから、帰路についたほうが良いだろう。
そう決めた俺は、薄暗くなってきた街の人ごみのなかへ、ゆっくりと紛れこんだ。
すっかり陽が落ちたころ、俺は家に帰り着いた。
静かな住宅街の一角に立つ、佐伯という表札がかかった二階建ての家だ。
手入れされた季節の花の植木鉢やプランターが置いてある、ちょっとした庭もある。
俺は門を開けて、鍵のかかっていない玄関の扉を開けた。
まったく、とんだ遠回りをさせられたものだ。
「ただいま」
そう口にして運動靴を脱ぐと、俺はまっすぐキッチンへ向かう。
この時間帯ならばいつも、夢乃の母親が夕食の用意をしているはずだ。
「お母さん、ただいま帰りました」
キッチンの入り口から顔をのぞかせ声をかけると、夢乃の母親は必ず顔をあげた。
俺の目を見て「お帰り」と返してくる。
「夕食、もうちょっとで用意できるから着替えてきてね。夢乃と一緒に、居間へおりてきてちょうだい」
続けてそう告げると、夢乃の母親は夕食の仕度へと戻る。
返事をした俺は、廊下から二階に続く階段のほうへ向かった。
夢乃の両親は、家族を亡くした俺を中学のころからあずかってくれている。
警視庁に勤めている夢乃の父親が、俺の父方の叔父貴と古くからの付き合いだそうだ。
夢乃の両親から当初、養子縁組も希望してくれたが、俺のほうから断った。
それでも、夢乃の母親は俺を実の子どものように接してくれている。
だから俺も、彼女を母親と思ってそう呼んでいる。
法律上だけの親子関係など、俺には必要がない。
それに、もし俺の身になにかが起こったときに、夢乃の家族へ迷惑をかけるわけにはいかないからだ。
俺の実父は、陰陽師の家系だった。
だが、もともと家業を継いではいないので、とくに問題はない。
一族は事実上、俺の叔父貴が動かしている。
問題は、俺の母方の家系にあるのだが、この件に関する詳しい話を、夢乃の両親にしたことはない。
実は、父方の従兄弟の勝虎や叔父貴にも、一切話題にしたことがない。
――話さなくてすむことなら、一生伝える必要がないこともある。
ただひとり、母の血を受け継いでいる俺自身の問題だというだけだ。
そして俺は、父親から受け継いだ陰陽術を身体に、母親から譲り受けたロザリオとリボルバーという形見さえあれば、それだけでいい。
二階へあがり、夢乃の部屋の前を通り過ぎた。
そして、自分の部屋の扉を開けて、壁際の電気のスイッチを手さぐりでいれる。
少々殺風景な部屋が、たちまち明るくなった。
中学へ入学するころにここへきてから、勉強に関するもの以外は、とくに増えていない。
目につくものは勉強机や本棚、機械類としてパソコンやCDプレーヤーくらいだ。
友人となる京一郎が、時折雑誌やらCDやら趣味となる私物を持ちこんでくるが、そんなにたくさんの量じゃない。
俺は机に近寄りながら、ベッドの上へカバンを放り投げ、右手につけていた腕時計を外しかけた。
小学生のころに、はじめて腕時計をつけたとき、左利きである俺はなにも考えず右手につけた。
そのために、腕時計だけはなぜか癖がついてしまって左手に変えられない。
でも、そんな些細なことは、きっと誰も気にもとめないだろう。
そのとき、ノックの音が小さく響いた。
すぐに扉を開けた夢乃が、少しだけ顔をのぞかせる。
「お帰りなさい。遅かったわね。本屋さんで、なにか面白い本でも見つかった?」
そう口にすると、薄っすらと笑みを浮かべてみせた。
夢乃は、肩口でそろえられた漆黒の髪と瞳を持つ、純和風の美人だ。
品行方正成績優秀な女の子で、俺と同じ高校に通うクラスメートでもある。
小首をかしげて尋ねてきた夢乃の肩へ、さらさらとストレートの髪が艶やかに揺れた。
「いや……」
言いよどんだ俺は、外した腕時計を手にしたまま、今日の出来事を話すかどうか躊躇した。
真面目過ぎるゆえに心配性でもある夢乃である。
実害のなかった視線や気配だけの話をするのも、どうだろうかと思ったのだ。
迷いつつも、俺が口を開こうとしたその瞬間。
俺は、窓の外から異様な気配を感じた。
先ほどと同じ、殺気と見紛うような鋭く射抜く視線を。
「伏せろ!」
階下には聞こえないように夢乃へ向かって小さく叫んだ俺は、間髪いれず、左手に持っていた腕時計を、部屋の電気のスイッチへ叩き投げた。
頭を抱えた夢乃が床に伏せるのと同時に、部屋の明かりがおちる。
目が慣れていない暗闇のなかで、俺は定位置に隠し置いていたリボルバーへと飛びついた。
ホルスターからすばやく抜いて、銃口を下へ向けたまま窓際へと走り寄る。
壁で身を隠しながら、しばらく外の気配をうかがった。
だが、すでに外からの気配は消えていた。
窓越しの街には、いつもと変わらぬ静寂が訪れている。
いままで俺は、どんな相手であっても、家まであとをつけられたことはなかった。
周囲に迷惑をかけられない俺が、この街にきてから、もっとも気をつけていることだ。
思わず舌打ちがでる。
俺個人だけではなく、この家までなんらかのターゲットになるのなら、夢乃に黙っているわけにはいかないだろう。
「夢乃、5分ほどで戻ってくる。説明はあとで」
俺はそう告げると、その場に夢乃を残したまま、銃を片手に足音なく階段を駆けおりた。
先ほど追っ払った連中でも、当然目の前にいる彼女のものでもない。
急に緊張した気配が、俺の表情から伝わったのだろうか。
彼女はたちまち不安そうな眼になり、怯えたそぶりをみせた。
「それじゃ」
あっさりとそう告げると、俺は片手をあげて、彼女のそばからさっさと離れた。
最初に通ってきた路地を、今度は逆方向へと足早に歩く。
新たに現れたこの視線の持ち主の狙いは、間違いなく俺だ。
だから、通りすがりの無関係な彼女を、巻きこむわけにはいかない。
俺は振り返らず、その場からどんどんと歩いた。
問題は、このまま人ごみにまぎれこむか人気のない場所へ向かうべきか……。
ところが、しばらくすると、あれほど感じた視線がふいに消えた。
俺は、路地をでたところで立ち止まり、背後に意識を集中させる。
――おかしい。
いまの感覚、俺の気のせいだったのだろうか。
あるいは、狙いが俺ではなかったのだろうか。
それとも、いまは仕掛けてくる気がなかっただけなのか。
いずれにしても今回は、追っ手をまく方向で少々遠回りをしてから、帰路についたほうが良いだろう。
そう決めた俺は、薄暗くなってきた街の人ごみのなかへ、ゆっくりと紛れこんだ。
すっかり陽が落ちたころ、俺は家に帰り着いた。
静かな住宅街の一角に立つ、佐伯という表札がかかった二階建ての家だ。
手入れされた季節の花の植木鉢やプランターが置いてある、ちょっとした庭もある。
俺は門を開けて、鍵のかかっていない玄関の扉を開けた。
まったく、とんだ遠回りをさせられたものだ。
「ただいま」
そう口にして運動靴を脱ぐと、俺はまっすぐキッチンへ向かう。
この時間帯ならばいつも、夢乃の母親が夕食の用意をしているはずだ。
「お母さん、ただいま帰りました」
キッチンの入り口から顔をのぞかせ声をかけると、夢乃の母親は必ず顔をあげた。
俺の目を見て「お帰り」と返してくる。
「夕食、もうちょっとで用意できるから着替えてきてね。夢乃と一緒に、居間へおりてきてちょうだい」
続けてそう告げると、夢乃の母親は夕食の仕度へと戻る。
返事をした俺は、廊下から二階に続く階段のほうへ向かった。
夢乃の両親は、家族を亡くした俺を中学のころからあずかってくれている。
警視庁に勤めている夢乃の父親が、俺の父方の叔父貴と古くからの付き合いだそうだ。
夢乃の両親から当初、養子縁組も希望してくれたが、俺のほうから断った。
それでも、夢乃の母親は俺を実の子どものように接してくれている。
だから俺も、彼女を母親と思ってそう呼んでいる。
法律上だけの親子関係など、俺には必要がない。
それに、もし俺の身になにかが起こったときに、夢乃の家族へ迷惑をかけるわけにはいかないからだ。
俺の実父は、陰陽師の家系だった。
だが、もともと家業を継いではいないので、とくに問題はない。
一族は事実上、俺の叔父貴が動かしている。
問題は、俺の母方の家系にあるのだが、この件に関する詳しい話を、夢乃の両親にしたことはない。
実は、父方の従兄弟の勝虎や叔父貴にも、一切話題にしたことがない。
――話さなくてすむことなら、一生伝える必要がないこともある。
ただひとり、母の血を受け継いでいる俺自身の問題だというだけだ。
そして俺は、父親から受け継いだ陰陽術を身体に、母親から譲り受けたロザリオとリボルバーという形見さえあれば、それだけでいい。
二階へあがり、夢乃の部屋の前を通り過ぎた。
そして、自分の部屋の扉を開けて、壁際の電気のスイッチを手さぐりでいれる。
少々殺風景な部屋が、たちまち明るくなった。
中学へ入学するころにここへきてから、勉強に関するもの以外は、とくに増えていない。
目につくものは勉強机や本棚、機械類としてパソコンやCDプレーヤーくらいだ。
友人となる京一郎が、時折雑誌やらCDやら趣味となる私物を持ちこんでくるが、そんなにたくさんの量じゃない。
俺は机に近寄りながら、ベッドの上へカバンを放り投げ、右手につけていた腕時計を外しかけた。
小学生のころに、はじめて腕時計をつけたとき、左利きである俺はなにも考えず右手につけた。
そのために、腕時計だけはなぜか癖がついてしまって左手に変えられない。
でも、そんな些細なことは、きっと誰も気にもとめないだろう。
そのとき、ノックの音が小さく響いた。
すぐに扉を開けた夢乃が、少しだけ顔をのぞかせる。
「お帰りなさい。遅かったわね。本屋さんで、なにか面白い本でも見つかった?」
そう口にすると、薄っすらと笑みを浮かべてみせた。
夢乃は、肩口でそろえられた漆黒の髪と瞳を持つ、純和風の美人だ。
品行方正成績優秀な女の子で、俺と同じ高校に通うクラスメートでもある。
小首をかしげて尋ねてきた夢乃の肩へ、さらさらとストレートの髪が艶やかに揺れた。
「いや……」
言いよどんだ俺は、外した腕時計を手にしたまま、今日の出来事を話すかどうか躊躇した。
真面目過ぎるゆえに心配性でもある夢乃である。
実害のなかった視線や気配だけの話をするのも、どうだろうかと思ったのだ。
迷いつつも、俺が口を開こうとしたその瞬間。
俺は、窓の外から異様な気配を感じた。
先ほどと同じ、殺気と見紛うような鋭く射抜く視線を。
「伏せろ!」
階下には聞こえないように夢乃へ向かって小さく叫んだ俺は、間髪いれず、左手に持っていた腕時計を、部屋の電気のスイッチへ叩き投げた。
頭を抱えた夢乃が床に伏せるのと同時に、部屋の明かりがおちる。
目が慣れていない暗闇のなかで、俺は定位置に隠し置いていたリボルバーへと飛びついた。
ホルスターからすばやく抜いて、銃口を下へ向けたまま窓際へと走り寄る。
壁で身を隠しながら、しばらく外の気配をうかがった。
だが、すでに外からの気配は消えていた。
窓越しの街には、いつもと変わらぬ静寂が訪れている。
いままで俺は、どんな相手であっても、家まであとをつけられたことはなかった。
周囲に迷惑をかけられない俺が、この街にきてから、もっとも気をつけていることだ。
思わず舌打ちがでる。
俺個人だけではなく、この家までなんらかのターゲットになるのなら、夢乃に黙っているわけにはいかないだろう。
「夢乃、5分ほどで戻ってくる。説明はあとで」
俺はそう告げると、その場に夢乃を残したまま、銃を片手に足音なく階段を駆けおりた。
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